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2016年03月13日23:53

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備後探訪−45/亀寿山城跡

昨日は福山で午前中の仕事を終えて、夜間業務まで時間が空いた。
そこで、いつもの城跡探訪を・・
今回の行先は新市(しんいち)の「亀寿山城」(かめじゅやま)を選んだ。
ここは福山市と府中市の堺で、JR福塩線の新市駅から北西方向へすぐの場所。
登城口は東麓の安養寺・裏口から進むと簡単だったが、この日はグランドがある南側から登った為、進路にずいぶん迷ってしまった。

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「亀寿山」(相方城の山頂から昨年3月撮影)
別名:亀地山城
亀寿山城は芦田川北岸の標高139.4mの山に築かれている。
北に桜山城、備後一宮吉備津神社があり、南は芦田川を挟んで相方城がある。

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↑(TOP左画像)
南麓から攻める山路は道しるべも何も無い。
しかし、途中に石垣跡も発見出来たので結果オーライです。

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「石鎚神社の鳥居」
ここはまだ中腹で「二の丸」の南下に位置する。
神社のご神体は主郭にあるようだ。

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「亀寿山城」の看板
(鎌倉時代末期〜天文3年・1534年)
中世まではこの地は備後東部の交通の要所で、宮内桜山城の南方支城、備後東部の有力な城として攻防の中心にあった。
しかし、天文3年(1534年)に尼子勢の一翼として毛利方と戦って落城する。

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ここから山頂へさらに登る事になる。

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↑(TOP右画像)
「二の丸跡」
北北西から南南東に延びる長い曲輪になっている。
ここが主郭と思ってこの日は引き上げたが、西隣に主郭がもうひとつある。
どうやら山頂には二つのピークを主郭とし、この間には土橋を伴う堀切があると言う。

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築城年代は定かではないが鎌倉時代に宮下野守正信によって築かれたと云わる。
宮氏は代々亀寿山城を居城とした惣領家を中心として備後一円に勢力を拡げ、一族を配したが、天文年間(1532年〜1555年)に惣領家は滅亡し、後に毛利氏に従った有地氏、久代宮氏、日野氏などの庶流が江戸時代まで残ったと言われる。

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「堀切」
この先を進むともうひとつの郭にたどりつくが、この日は東麓の安養寺方向へ下山した。

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山城の楽しみは周囲の景色が遠望できる事だ。
東側に新市の町並みが確認できる。

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南側には芦田川を挟んで「相方城」(有地氏の城)がある。
前方に見えるTV塔の位置が主郭。

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登城ルート各所に石仏が祀られている。

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「安養寺」
このお寺の裏山が「亀寿山城」だ。

さて、帰宅して手持ちの縄張り図を見ると・・
城の遺構は丘陵全体に広がり8方向へ郭が分散した配置となっていた。
小さな山なので甘く見ていたが、城郭全体を散策するのは半日では無理だ。
また再訪する機会があるかどうかは分からないが、登城コースとしては程良い運動でした。


・過去の参考日記
備後探訪−31/桜山城跡 & 鳶尾城跡(2015.3.22)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1940170282&owner_id=8437995
備後探訪−27/相方城跡(2015.3.15)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1939903070&owner_id=8437995

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