不登校も20年前と少し違います。
悪い例も多いです。
たとえば、イジメの犠牲者になるとか、勉強についていけなくなるとか、ノイローゼであるとか、本人が極端に怠惰であるとか、身勝手な偏った性格であって孤立しているとか、親のネグレクト、母親が毎日違う男を家に引き込む不品行な女性で、恥ずかしくて外を歩けないとか、闇金の取り立てが学校までくるとか、親が甘やかして、徒歩20分のところにある学校にタクシー通学であるとか、担任のフォロー不十分であるとか、いじめ問題で校長以下が口裏合わせのウソをついて決定的に信頼感を失ったとか。
しかし、いい例も目立ってきました。
いい例を挙げます。
1 学校で何かを一緒にやることに意義が見いだせない。
たとえば、勉強です。レベルの低くて間違った授業を受けるより、自分で勉強すればいいと考える。当然、内申書にひびきますから、あまり良くない学校に進学し、自力で勉強する。
よく、「何であの学校から東大に入ったんだ!」と世間を驚かせるケースがありますが、このタイプの人も混じっています。
2 学校の人間関係が、くだらなくて、無理して適応しようとは思えない
。
そういうタイプは、予備校に適応するケースが多いです。そりゃあ、古文の先生が俳人だったり、漢文の先生が書家だったりしますから、面白いでしょう。
しかし、
両方のタイプとも、自己評価が不当に高すぎる人が混じっていますし、また、現実とは、本人の能力以上に、人間関係の能力もあります。その人間関係の能力は、確かにコネや取り引きなどもありますが、そんなもの以上に、相手を説得する力です。
どうも、不登校な人は、世間を「小ズルく立ち回る場」だと思っているようです。
問題は、これが、一理あること。
ある中学高校入試の塾をやっている知人は、
「公立トップ校の奴は、嫌いだ。先生と目が合うと反射的にニッコリして、内申書を稼ぐタイプが多い」
と言ってました
。
確かにK県のトップ校の内申のボーダーは、一科目だけ4で、後はオール5。音楽も美術も体育も5.こういうタイプは、いますが、しかし…
ぼくは、不登校というのは、選挙の白票のような現状への批判だと思っています。
不登校は、正確に分類しないといけません。
一律、落伍者とするのは、問題があります。
不登校の子に説得する言葉も問題です。
「人間、その気になれば何でもできる」というのは、一番、いけません。これは、最低です。
言い方が難しいですし、タイプによりけりですが、「評論家になったらおしまいだ。当事者として考えたら、お前は、世間から外れて生きるには、あまりにも能力が不足している」と覚らせるのが、案外、効き目があります。
■新たに不登校になった小中学生6.5万人 2014年度
(朝日新聞デジタル - 01月31日 03:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3829160
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