ネフスキーは大正14年に来日し小樽高商、大阪外大等の講師をしながら日本全国を回って民俗学的調査研究を展開し、昭和4年革命後のロシアに帰国しました。そして、サンクトペテルブルグ大学で研究活動を継続しましたが、スターリン時代の粛清にあい1937年日本人妻・イソさんとともにスパイ容疑で銃殺された悲劇の学者です。私は神戸市外大でロシア語を学び始めた頃にネフスキーとともに来日した留学生の一人で言語学者のプレトネル先生から発音を学びました。
天理大学には膨大な関連資料が所蔵されており、興味深い展示会、シンポジウムが開催されます。
ワシリーこと岩佐毅
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