このニュースは、数日、考えました。
一体、友人関係に飢えているとは、どういうことなのか…
こんな悲しいことを聞いて、何を書いたらいいのかと考えましたが。
いや、これは、多分、大人の過剰反応でしょうね。
飢えているという表現自体が、過剰でしょう。
もちろん、本当に孤独な人もいます。
自分や自分の周りの人の経験からコメントしても、無意味です。
英語ができる人が、「英語なんて簡単…」「相手に通じさせることが大事」「文法よりも度胸」…というようなものです。
どれも正しいですが、
能力の問題もありますし、それ以上に運というものもありますから。
ただし、少なくとも次のようなことは言えます。
世間に言われている英語の勉強方法にも、間違ったものがあるように、
大人の捉え方にも間違いがあります。
塾や習いごとと、人間関係を対置するような考えです。
この二つこそ、息詰まる正規の公的なシステムを補完する、新たな人間関係のてずると言えるものです。
たとえば、かなり前の話ですが、「電車に乗ったことがない」という、浪人生のお嬢様を受け持ったことがあります。
「じゃあ、どうやって学校に行くんだ。」と聞いたら、
彼女は恥ずかしそうに、
「おじいさまの会社の方が、送ってくださるので…」といいました。
その子は、他校の生徒との交際が楽しいようでした。
周りには、
「純子のメシ、めっちゃヤバくね。」
(近代語訳 「純子先生のお手料理が、とても美味しうございます」)
という感じの子すらいます。
新鮮だったでしょう。
逆に言えば、
いまの世の中は、
自分と同質なものとしか出会えません。
猫を飼っているOLさんがブログをやっているとして、男であって中年である私が、「私も猫が大好きです」などとメールを送っても、友達になれるわけがありません。
それを、「カタログのような出会い」と誰かが言いました。模試の文章なので忘れました(笑)が、要するに、実物をみないでカタログで買って実物と出会うというあり方。自分と異質なものはあらかじめ排除されて出会うことがない…という趣旨です。
新興宗教や塾や習い事を除いて、
出会い(男女ではなく)を提供する場が衰退していると思います。
塾や習い事にしても、
大学よりためになるものがあってもいいと思います。
一か所でか知っています。
http://syujyukai.main.jp/
ぼくは武術には興味はありませんが、漢文の緯書でわかんないところがあった時に行きます。
主催者は、坊主よりお経が読める人です。
ここは、高校生〜老人にとって、知的なコミュイニティになっています。
■「友達とあそぶ」に飢える子供たち…NPOが調査した現代っ子の本音
(産経新聞 - 08月31日 18:29)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3592770
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