豊臣秀吉子飼いの武将で、武断派。賤ヶ岳の七本槍の一にも数えられ優れた武勇に恵まれ、関ヶ原の合戦でも東軍の急先鋒に抜擢される。
安芸広島と備後鞆49万8千石の領主まで上り詰めるが、無断で城を改築したことにより、信濃高井野(現長野県上高井郡高山村)に流され、小布施岩松院に葬られた悲劇の武将。
武勇に富みながらも、一本気で不器用な性格から時代の流れに翻弄された福島正則。されど彼の藩治世に残した業績は数多くあります。
ずば抜けた行政能力を備えた彼の人生を再考し、歴史の中で彼を再評価したいと思います。
【参考】
愛知県海部郡美和町役場ホームページより
「町の歴史」(美和町は福島正則のほか蜂須賀小六、豊臣秀次、溝口秀勝など多くの戦国武将を輩出している町です。)
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「美和町の戦国武将たち 闘将 福島正則」
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滋賀県木之本町観光協会ホームページより
「琵琶湖八景・賤ヶ岳古戦場」
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岐阜県関ヶ原町観光協会HPより
「福島正則陣所跡」(他の武将の関ヶ原陣所情報も多数あります。)
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「広島城」ホームページ (財)広島市文化財団
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NHK「その時歴史が動いた」ホームページより
平成20年2月13日放送分 バックナンバー
戦国の風雲児 法の世に散る
〜福島正則 広島改易事件〜
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福島正則の霊廟がある
長野県小布施町「岩松院」ホームページ
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「小諸市立郷土博物館」ホームページより
福島正則の精鋭部隊「赤坊主」の甲冑があります。
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