★やまと新聞
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もはや世は21世紀。
西暦2010年の世の中です。
その日本で、つい先ごろまでGHQの制約によって、
ずっと営業を制限されてきた新聞社があるといったら、みなさんは、「まさか」といわれるかもしれません。
それが実は、あるのです。
大東亜戦争まで、日本の各メディアは、
国会議事堂の中に直営の各社ブース(これを両院記者会といいます)を持っていました。
それを戦後、GHQは、全部議事堂から追い出します。
そして国会の外に置かれた「記者クラブ」への移動を命じた。
各社の記者たちは、いったん記者クラブに所属し、
そこで「通行証」をもらわないと、
国会議事堂に出入りできなくなります。
「通行証」くらいならいいじゃん。
そうお考えになるかもしれません。
実は、これがものすごく大きな意味を持っているのです。
要するに、すべてのマスコミは、国会の取材に際して、記者クラブに所属することが義務付けられる。
そして、記者クラブが検閲した記事しか、各社とも記事にすることができなくなる。
いまの支那と同じです。
日中報道協定で、日本のメディアが支那に都合の悪いニュースを流すと、支那国内での活動を一切禁じられる。
これと同じです。
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結局、日本のメディアは、国会議事堂の中という、
いわば日本の中枢で起こる事象について、「記者クラブが許可した内容」しか、視聴者、読者に届けることができなくなってしまいました。
この動きは、GHQが去った後も継続します。
そしていまでは、反日左翼系が完全に取り仕切る記者クラブ
の主催者の意向に沿った内容の報道しか、日本のメディアは
報道することができなくなってしまったのです。これは、報道の自由の否定であり、報道の自殺です。
GHQがこれをやったとき、すべての新聞社、すべてのラジオ局(当時はテレビはまだない)は
泣く子と地頭には勝てないと、素直にGHQのいいなりになります。
しかし、そうした中にあって、唯一、「報道の自由を守る。両院記者会から出ない」と言い張った
会社がありました。「やまと新聞社」です。
ただ一社です。
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いまでこそあまり名前を聞かない新聞社ですが、明治から大正にかけて、発行部数で全国一だった新聞社です。
サザエさんの連載なども行われていた。
その「やまと新聞社」は、頑としてGHQの、「国会から出て行け」という指導を拒みます。
当然です。
そんなものを受けたら、報道の自由はなくなり、ジャーナリストとしての使命を果たせなくなる。
そういって拒む「やまと新聞社」に、
「国会議事堂からあくまで出て行かないというなら、営業も販売も国会議事堂内だけにせよ」
これがGHQの回答でした。
それから62年。
やまと新聞社は、営業活動を国会議事堂内だけに制限された
新聞社として、細々と生き残ります。
かつて500人以上もいた社員は、ことごとく離散。
残った社員は、ほんの数名です。
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それでも、ほんの6年前まで、やまと新聞は日刊で新聞の
発行をしています。
それも、一文字一文字、文字を手作業で拾って印刷する
明治時代の印刷機を使ってです。
ワープロを買うお金なんてありません。
パソコンもプリンターも買えません。
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国会議事堂内だけで、発行部数は、わずか二千部。
ほんのわずかな社員の給料と、不足分は社員が外でアルバイトしてしのいた。
日本のジャーナリズムの正義を貫く。
思いはそれだけです。
それだけのために「やまと新聞」は耐え続けた。
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2008年、安倍内閣のとき、ようやく「やまと新聞」は、
「国会外でも活動してよし」とのお墨付きをもらいます。
そして、いま、ようやく「やまと新聞」は日本全国に向かって
羽ばたこうとしています。
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経済的にどん底にまで追い落とされても、正しいジャーナリズムの原点を忘れずに頑張り抜いた
「やまと新聞」
みんなの力で応援したいですね。
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