Conrad Veidt/コンラート・ファイト
1893年1月22日生まれ/ドイツ、ポツダム出身
1943年4月3日没/アメリカ、ロサンゼルスで死去
コンラート・ファイトはドイツ出身の俳優で、「カリガリ博士のキャビネット」1920年、「バグダッドの盗賊」1940年、「カサブランカ」1940年などが代表作にある。
本名はハンス・ウォルター・コンラート・ファイト。
1912年にベルリン、シェーンベルグ地区の中学校を卒業はしたものの、学位は貰えず13人中最下位の成績だった。
ファイトは動物、劇場、映画、車、焼き菓子、雷、庭いじり、水泳、ゴルフが好きで、逆に高所、飛行、17という数字、ネクタイ、プディング、インタビューが嫌いだった。
1916年から彼の死までに出演した映画は優に100を超える。
その痩せた輪郭、高い頬骨、大きくて薄い口からファイトは邪悪で陰険な役が多いと思われているが、若い頃は好意的で時にはロマンチックな役を演じることもあった。
しかし最も有名な役は殺人的な夢遊症患者に扮した、「カリガリ博士のキャビネット」と、口の両端を切り裂かれた見せ物一座の芸人を演じた「笑う男」/1928年であろう。
1933年、ユダヤ人女性イローナ・プレイガーと結婚。
ナチの支配体制に激しく反対したファイトは結婚1週間後にイギリスに移住する。
イギリスに移住した後も映画に出演、なかでもマイケル・パウエル監督の「The Spy in Black」/1939年「Contraband」/1940年「バグダッドの盗賊」が有名である。
後にハリウッドに移住し、多数の映画に出演。1942年製作の「 Nazi Agent」では一人二役でナチとアメリカ人の双子を演じた。しかしハリウッドに渡ってから彼が出演した映画のなかで最も有名なのは「カサブランカ」で演じたナチスのハインリッヒ・シュトラッサ少佐ではないだろうか。
余談だが、映画「ドラキュラ」1931年のドラキュラ伯爵役は当初は映画会社ユニバーサルスタジオの社長の強い希望でコンラート・ファイトが演じる筈だったが、諸事情によりベラ・ルゴシに決定した。
1943年ロサンゼルス市内でゴルフの最中に心臓発作で死去、50歳だった。
The Conrad Veidt Society
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