幕末の音楽家、吉沢検校の作品を愛する人のコミュです。
吉沢検校の作品が好きな方であれば、観賞専門の方、プロの演奏家、アマチュア愛好家など、どなたでもどうぞ。
ただし、以下を十分にお読みの上、ご理解の上ご参加ください。
※このコミュニティの方針について※
発言は自由。
吉沢検校とその作品について、情報を交換したり、自由に意見を述べ合う場になればと思います。もちろん何も語る必要を感じない方、ただ入っていたい方も、それはそれでまったくかまいません。
管理人も個人として意見を述べます。
管理人も吉沢検校の作品について、自分なりの考えを述べさせて頂く場合もあります。が、あくまでも個人の立場での意見であって、それを他の参加者に強要するものでは一切なく、またコミュニティ全体の方向をいささかなりとも左右するものではありません。まして、特定の流派の価値観を押し付けるものでもありません。その点あらかじめご理解ください。
もしも、トピック中での管理人の言い分にお気に入らないところがありましても、あくまでもコミュニティ全体とは関係のない一個人の意見とお考えください。
みんなそれぞれ主張は自由、そして、もしも個々の意見や考え、解釈が違っても、枝葉の先の些細な違いばかりにとらわれず、互いに尊重し合いたいと思います。みな吉沢検校のファンであることに変わりはないのですから。
もちろん、トピックなど自由にどうぞ。
※吉沢検校 よしざわ・けんぎょう (二世) ※
1800年 (寛政11年) (一説には1808年)〜1872年 (明治4年)。
市名は審一 (しんのいち)
幕末に名古屋、京都で活躍した盲人音楽家。
地唄三絃 (三味線)、箏、胡弓、平曲 (平家琵琶)の演奏家、作曲家。
名曲として名高い「千鳥の曲」をはじめ、いくつもの作品を残している。
9歳のとき失明、父の初世吉沢検校、及び藤田検校に地歌、箏曲、胡弓を、荻野検校に平曲(平家琵琶)を学び、1837年(天保8年)に検校となる。12歳で地歌「屋島」に箏の手をつけるなど早くから音楽的才能を発揮した。やがて雅楽と江戸初期の箏曲の美を取り入れた「千鳥の曲」をはじめとする曲群「古今組」「古今新組」を作曲、一方で胡弓に独自の旋律を与えることで三曲合奏における地位を高め、胡弓の名曲も残した。また、手事物の地歌曲の作曲も手がけ、三絃、箏、胡弓の三パートがすべて一人で作られている曲もある。これは画期的なことである。
「千鳥の曲」の楽曲形式は、明治時代の新箏曲の楽式の範ともなっている。
一時は尾張徳川家から五人扶持を賜って尾張国の盲人支配頭になるなど、名古屋の名士音楽家として活躍したが、同僚音楽家たちの妬みを買い、しばしば京都で暮らした。その折に先輩光崎検校から音楽的影響を受け、また大阪の厳得から胡弓曲を伝授される。また職屋敷では三老にまで昇進した。
尺八、国学、和歌にも造詣が深く、自ら作詞も行なった。
門弟も多く育成、特に小松景和から佐藤正和を経て、現代にまでその芸系が継承されている。また代表作「千鳥の曲」をはじめとする古今組等は、流派を越えて広く演奏される。
写真は狂言衣装の柄による「波に千鳥」
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