酒井 忠次の個人が無かったので作りました。
自由にやって下さい。
★徳川四天王の重鎮。血より濃き縁。東三河旗頭。
松平氏の譜代家臣左衛門尉酒井家の当主酒井忠親の子で、家康の父松平広忠に仕え、左衛門尉と称する。
家康の祖父松平清康と夫人於富の方の間の娘で広忠の異母妹にあたる碓井姫を妻とした。
碓井姫の母於富は元々水野忠政の夫人で家康の母於大の方の実母であったから、忠次は家康にとっては父母双方の妹の夫、義理の叔父ということになる。
広忠の没後、家康に仕えて駿府での人質生活に従う。
桶狭間の戦いの後、家康が今川氏から自立すると、家康の重臣となる。
1564年、三河国吉田城(愛知県豊橋市)攻めで戦功を立て、吉田城主に取り立てられた。
以後、忠次は「東三河の旗頭」として三河東部の諸松平家・国人を統御する役割を与えられる。
姉川、三方ヶ原、長篠、小牧・長久手の諸戦役に参加し、東三河勢を率いて戦功を立てる。
特に、三方が原の戦いに際して浜松城の太鼓を打ち鳴らし敗戦の味方を鼓舞した逸話、長篠の戦いで鳶が巣山砦を奇襲、攻略して織田信長の賞賛を受けた逸話が有名である。
家康が豊臣氏の傘下に入ったのちも、豊臣秀吉から家康第一の重臣として遇され、従四位下・左衛門督に任官される。
1588年に隠居して嫡子家次に家督を譲り、1596年京都で没した。
◇酒井忠次の「名将言行禄から」◇
首を取ることなかれ、斬り捨てにせよ、
白旗を挙げば軽く引きて、敵を追うことなかれ
☆徳川十六将
榊原康政http://
井伊直政http://
本多忠勝http://
松平家忠http://
大久保忠世http://
平岩親吉http://
松平信一http://
大久保忠佐http://
内藤正成http://
高木清秀http://
渡辺守綱http://
服部正成http://
米津藤蔵http://
蜂屋貞次http://
鳥居元忠http://
☆武田二十四将(山本勘助、山県昌景 以外)
馬場信春http://
飯富 虎昌http://
高坂 昌信http://
武田信繁http://
武田 信廉http://
穴山 信君http://
板垣信方http://
甘利 虎泰http://
横田高松http://
原 虎胤http://
内藤 昌豊http://
土屋昌次http://
真田 信綱http://
小幡虎盛http://
秋山信友http://
真田幸隆http://
三枝守友http://
原昌胤http://
小幡昌盛http://
一条信龍http://
多田満頼http://
小山田信茂http://
☆上杉家臣団(村上義清、柿崎景家、直江兼続 以外)
直江景綱http://
色部勝長http://
小島弥太郎http://
斉藤朝信http://
本庄実乃http://
安田長秀http://
河田長親http://
山吉豊守http://
上条政繁http://
千坂景親http://
安田景元http://
安田顕元http://
長尾政景http://
本庄繁長http://
上杉景信http://
新発田長敦http://
甘粕景持http://
中条藤資http://
北条高広http://
大熊朝秀http://
高梨政頼http://
宇佐美定満http://
竹俣慶綱http://
水原親憲http://
松本景繁http://
☆その他の武将
木村重成http://
佐竹義重http://
可児才蔵http://
伊達成実http://
朝倉宗滴http://
大原雪斎http://
佐久間盛政http://
本多正信http://
三浦義意http://
長野氏http://
毛受氏http://
武田勝頼http://
仁科盛信http://
崇伝http://
石川数正http://
角隅石宗http://
上井覚兼http://
川田義朗http://
北条早雲http://
ムカデの旗印
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懸り乱れ龍の旗印
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