紫電改部隊「343空」戦闘301飛行隊長として勇名をはせた菅野直。「菅野デストロイヤー」「イエローファイター」の異名で恐れられた。総撃墜数は、南方戦線において個人撃墜破30機、343空において個人撃墜18機・協同撃墜24機の計72機を記録。
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菅野 直(かんの なおし)
1921年(大正10)9月23日〜1945年(昭和20)8月1日
宮城県伊具郡枝野村(現角田市)で育ち、角田中学校(現宮城県角田高等学校)に一番の成績で入学した。中学では石川啄木に傾倒して、短歌を好み、同級生と文学サークルを作るほどの文学少年であった。
中学4年の時、経済的な事情から軍人になることを決意。海軍兵学校に合格し、1938年(昭和13)12月、第70期生徒として入校。同期に関行男、中津留達雄らがいる。1941年(昭和16)11月15日に卒業。1942年(昭和17)6月1日、少尉任官と同時に第38期飛行学生を拝命した。1943年(昭和18)2月、飛行学生を卒業、戦闘機専修として大分海軍航空隊付、延長教育を受ける。
飛行学生時の菅野には「菅野デストロイヤー」という渾名がつき、その破天荒ぶりは他の航空隊にまで知られていた。海兵同期の香取穎男によれば「九六艦戦を2、3機。ほかに零戦も壊した。いずれも着陸のときで、命取りになる離陸時の事故でないのがいかにも菅野らしい」という。
1943年(昭和18)9月15日厚木空付。1944年(昭和19)2月、第343海軍航空隊(「隼」部隊)分隊長を拝命し、同年4月、南洋に進出する。部隊はパラオで大型爆撃機を迎撃する日々を送り、その中で菅野は対大型爆撃機戦法を考案した。彼我機体の衝突の危険が高く、高い反射神経と恐怖に打ち勝つ精神力が求められる攻撃法であった。この方法で列機と共に何機も落とし、菅野の機体の黄色のストライプ模様は米軍パイロット達の間で「イエローファイター」と渾名されて怖れられた。
1944年(昭和19)7月10日に343空は解隊、第201海軍航空隊戦闘306飛行隊の分隊長に着任し、7月10日から23日までヤップ島で米B-24の迎撃任務に従事した。派遣隊は撃墜17機(不確実9)撃破46機の戦果を上げて一航艦司令長官から表彰を受ける。
10月25日、海兵同期の関行男大尉が神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長として出撃。それを聞いた菅野は、「自分がいれば、関のところをとるんだったんだがなあ」と呟いたという。フィリピンの基地に移っていた菅野はその後、再三特攻に志願したが、技量の高さから直掩に必要なため認められなかった。
12月、第343海軍航空隊(司令:源田実大佐 通称「剣」部隊)戦闘301飛行隊(通称新選組)隊長に着任。1945年(昭和20)3月19日、343空の初陣である九州沖航空戦で、敵機1機を撃墜直後に自身も撃墜され、顔にやけどを負い、落下傘降下して電線に引っ掛かり助かるが、敵と間違われて殺気立った地元民に囲まれてしまい、身に着けていた千人針入りの日の丸の布を見せてようやく誤解が解けた。
4月15日、杉田庄一上飛曹が戦死。1944年(昭和19)7月以来の信頼厚い部下の死に、菅野は誰が見ても分かるほど落ち込んた。源田司令は杉田に劣らない僚機を迎えると約束し、「空の宮本武蔵」武藤金義少尉が編入されたが、その武藤も7月24日に戦死した。
8月1日、九州に向けて北上中のB-24爆撃機隊迎撃のため、紫電改20数機が大村基地を出撃した。この戦闘で菅野から、彼の二番機・堀光雄飛曹長の無線に「ワレ、機銃筒内爆発ス。ワレ、菅野一番」と入電が入った。堀は戦闘を中止し、菅野機の護衛に回ったが、菅野は敵の攻撃に向かうように再三指示したため、堀は戦闘空域に戻った。その後、菅野から「空戦ヤメアツマレ」と入電があったため、堀は菅野がいると思われる空域へ向かうが、菅野機はいなかった。
燃料の続く限りの捜索、海軍基地、陸軍飛行場にも菅野の行方を探ったが、見つかることはなかった。戦死と認定され二階級特進で中佐に昇進。享年24。
戦後、菅野の友人は「軍で再会した菅野は酒に強く態度が荒く、中学時代とのギャップに驚いた」と語る。一方、「早熟な文学少年として本来の志は文学にあったように思う。中学時代に彼が熱く語った石川啄木に重なる」と語る友人もいた。菅野は中学の級友への手紙に「君のように大学で研究に没頭できる生活が羨ましい、戦争が終わったら俺もそういう静かな生活を送りたい」と書いている。
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