エルンスト・ユンガー Ernst Jünger (1895年〜1998年)
現代ドイツを代表する作家、思想家。
ユンガーは、約1世紀のドイツを生きた歴史の証人であり、現代のドイツ文学を代表する作家としてドイツ精神の最深部を体現。ニーチェ以後のニヒリズム的思想を体現する精神と見なされ、強いカリスマ的発光力を持ち、戦後のドイツではもっとも多く論議の対象となり、現在も心酔者と同時に反発者も多く、20世紀におけるもっとも問題的な精神とされる。
■人物
ヴィルヘルム帝国末期に生まれ、世紀末的デカダンスからの冒険的行動による突破を志向。
第一次世界大戦には19歳の志願兵として出征。陸軍少尉、特攻隊長として常に最前線にあり14度負傷、8度重傷という死地をくぐり、第一級鉄十字勲章やホーエンツォレルン家十字勲章はもとより、1918年のドイツ軍最後の乾坤一擲の大反攻である三月攻勢(ルーデンドルフ攻勢)での白兵戦指揮の卓越性などからドイツ軍人の最高武勲に与えられる「プール・ル・メリット」勲章を最年少の将校として授与される。
ヴァイマール時代は若き英雄的士官として縮小された軍に残り、次代の歩兵操典の作成に加わる。1922年に軍を退官し、ミュンヘン大学とナポリ大学で哲学と動物学を学び、『鋼鉄の嵐の中で(In Stahlgewittern)』(1920年)や『内的体験としての戦闘(Der Kampf als inneres Erlebnis)』(1922年)、『火と血(Feuer und Blut)』(1925年)で苛烈な戦闘体験と、左翼的反戦作家以上に凄惨な戦争の地獄絵図を描き、それに打ち克つドイツ兵士を表現して作家となり、1920年代後半はドイツ魂の「最高司令部」と見なされ、若い世代の革命的なナショナリズムの精神的指導者となる。
その思想は英雄的リアリズムとされ、技術の全面支配の様相を記述した『労働者(Der Arbeiter)』(1932年)はナチス体制の予言書と見られた。
ナチスはユンガーを高く評価し、入党の勧誘を続けたが、ユンガーはナチスとは一線を画す。ナチスへの協力を一切拒み、何度も逮捕されかけ、友人達は国外への亡命を勧めるが、ドイツと運命を共にすることを決断しドイツに留まる。一説ではユンガーと同じ西部戦線にいたヒトラーが第一次大戦の英雄であるユンガーの逮捕を禁止したともいわれる。
ナチスが政権を握るとベルリンを離れゴスラーに移る。文学的には『冒険心(Das abenteuerliche Herz)』(1929年、1938年)にも書かれているように夢への強い関心を示し、幻想と現実を同時的に見る魔術的リアリズムの傾向を見せる。
第二次世界大戦中は陸軍大尉としてパリのドイツ軍司令部で文化的任務に就き、フランスの知識人たちと交流すると共にロンメル元帥、その参謀長で友人のシュパイデル中将などの西部戦線の将官に精神的影響を及ぼす。
戦後は、「ナチの先駆者」としてしばらく執筆禁止状態にされる。その後はツァラトゥストラ的隠遁者として作品を発表するがその影響力は並々ならぬものがあり、形而上的世界を透視する唯美主義的作品を著し続け、左翼リベラル系の反対者は「危険な作家」として批判を続けた。
1982年にゲーテ賞に選ばれた時にもその経歴から激しい賛否両論を呼び、87歳という高齢にもかかわらず「危険な作家」としての横顔の健在ぶりを示した。100歳になった時、フランスのミッテラン大統領やドイツのコール首相がユンガー邸を訪れる。1998年に102歳で死去。
■文学と思想
エルンスト・ユンガーの文学と思想は、ニーチェ以降に登場したドイツ・ロマン派の後継とされることが多く、その作風は幻想と現実を同時に見る「幻想的リアリズム」あるいは「魔術的リアリズム」といわれる(フォルカー・カッツマン『エルンスト・ユンガーの魔術的リアリズム[Volker Katzmann:Ernst Jüngers Magischer Realismus]』)。
彼の文学は、世紀末デカダンスの美意識を継承し、ドイツにおいて持続したモデルネのケースとされ、またフランスのシュルレアリスムに対応するドイツの唯一の表現とも評され(カール・ハインツ・ボーラー『衝撃の美学[Karl Heinz Bohrer:Die Ästhetik des Schreckens]』)、カフカやムージル、ブレヒト、ヘルマン・ブロッホらと共に20世紀ドイツ文学を代表する巨匠の一人とされる。
ホフマンスタールと並んでドイツ文学でも屈指の文体家としても知られ、また該博な知識によるエッセイや世界各地への旅行記、そして時代の振動を一分の狂いもなく記し「時代の地震計」とまでいわれた膨大な日記作品(『庭と道』『第一パリ日記』『コーカサス日記』『第二パリ日記』『キルヒホルスト日記』『漂流の70年』等)はユンガーの真骨頂ともされ、ジュリアン・グラックやボルヘス、マンディアルグ、マルセル・シュネデールからE.M.シオランまで、ユンガーを高く評価する声は多い。
ユンガーは「ニーチェのもっとも過激な門人」(カール・レーヴィット)と評されるが、彼の思想は、ニーチェ以後のドイツ思想の屹立する高峰とされ、初期の「英雄的ニヒリズム」「保守のアナキズム」と呼ばれた思想は実存的とされ、後期の狷介孤高の隠者的思想はポスト・モダニズムに通じるとされる。
戦後、ユンガーとハイデッガーはそれぞれの還暦記念論集においてニヒリズム論を交換しているが、彼らにとってナチス体験とはニヒリズムの生きた体験でもあった。
●エルンスト・ユンガー(ウィキペディア)
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●エルンスト・ユンガーのサイト
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●エルンスト・ユンガーとその時代(写真)
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