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仙人・仙女コミュの七歳までは夢の中

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山は一つでも登り方には幾通りもあるように、仙人・仙女を育てる、子供育ての秘訣のRT:

「七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育」について、良きも悪しきもひっくるもて、とりあえずメモ

抱っこの魔法

子供がある日,何かできるようになると,次の日からは必ず1人でさせるのが「自分のことは自分でする習慣づけ」だと思ってきた.できるようになった途端に,手を引かれて,冷たくされる.できるようになるというのは寂しいものだ.そのような満たされない気持ちだけが尾を引く子育てをしてきたのかもしれない.
みんなでさよならした後,ジョイス先生は椅子に腰掛け,1人ずつ子供を呼んで,膝の上に乗せる.一瞬でも必ず子供と目を合わせるようにしているのだそうだ.複数の子供を持つ母親は,誰が一番好きかと聞かれると,平等に愛情を注いでいると言うつもりで,みんな好きだと答える.すると子供は,はぐらかされたように感じる.ジョイス先生を見ていたら,みんなの前で「先生はあなた達が大好きです」と演説しない代わりに,抱っこの間はその子のことだけを思い,大好きだと告げている.そこには嘘がなく,子供を十分に満足させて,素敵だと思った.
戦う相手は自分の中に

幼い子供に善悪を教えるのに,言葉を使って頭に訴えかけるのではなく,模倣されてもいいように,周りの大人が態度で示さなければならない,というのはシュタイナーの幼児教育で一番のポイントだろう.
シュタイナーの本を読む

シュタイナーの教育観では,1つの法則を性急に全ての子供に当てはめようとしないところがいい.「評価や批判の眼を持って子供を眺めるのではなく,愛情を持って子供を細かく観察するとき,その時の子供に本当に必要なものが見えてくる」というのがシュタイナーの考え方だ.誰かが作った正解に合わせようとすると,一般には良くても,その子にとっては害になることを一生懸命強制してしまったりする.子供は体つきや仕草や癖で何をして欲しいかのヒントを与えてくれるのだから,それを読み取る力を養おうという呼びかけには応じたい.
抱っこする

子供が「抱っこ」と言ってきたその一瞬は,その子のためだけの私になって,心をこめて抱っこすることにした.手に持っているものと,心に抱えている色々な心配事を全部置いて,その子のために両手を空ける.少し目を合わせ,後は目を閉じて,両手と肩と首と顎とほっぺを使って子供に触れながら,「いい子いい子」とささやく.そうすると,不思議なほど短時間で,子供と心を通わせることができる.子供は穏やかに落ち着いて強くなり,私もまさにそのときに,子供をかわいがるエネルギーを補給できたと感じる.
子供をイメージする

眠る前に,その子供の姿を心に浮かべて,その子がどのように歩くか,どのように手を動かすか,どのように笑い,泣くかという細かい点に至るまで思い浮かべて,そのイメージの中に沈静することをお勧めします.子供にどのようにあって欲しいかを思い描くのではなく,子供のありのままの姿を観照的に受け入れるのです.そのようにしていると,その子供のイメージが教師の心の中で,どのようになりたいかを語るようになるのです.
夫婦で子供のことを話すとき,「あの子はこれが苦手で困ったね.どうしよう.」と悩んだところで,良い結果を得た試しがない.「こういうところが素晴らしい」とおしゃべりしているうちに,今度こういう遊びを教えようとか,どこそこへ連れて行こうと思い付く.
ゆっくりな子にはゆっくり

例えば,この子は何をするにもゆっくりだというとき,もう少し活発な友達と遊ばせてみようなどと考える.ところが,シュタイナーには全く逆の答えが用意されている.ゆっくりな子の周りには,似た性質の友達を寄せ集めて,ゆっくりとしたテンポで遊ばせる.すると,自分の周りを見て,「こいつらは,なぜこんなにゆっくりしているのだろう」と,自分もゆっくり屋なことも忘れて気にしだし,自然にテンポを速めてくる.逆の性質のものを示して,「こうなりなさい」と叱咤激励し,性格矯正に励もうとしても,ほとんどの場合うまくいかない.
習いごとをしない

7歳までは知的なことを一切教えないシュタイナー教育に賛成だから,算数や英語は習わせません,体操とサッカーとテニスとスイミングとバイオリンとピアノしかやっていませんというお母さんがいたが,ちょっと違う気がする.子供の遊びは,与えられたルールやフォームを課題としてこなしていくのとは本質的に違う.教えていることが教科でなくても,子供の夢想のベールを引き剥がし,まぶしい光の中において,さあ前進!とけしかける点で,早期知的教育とお稽古の嵐は何ら変わりないと思う.
子供の時間割を空白のないように塗り潰して勤勉に連れ歩けば,子供のために身を捧げる良いお母さんのように見える.しかし,子育てをそのように単元わけして買い揃えれば,本当に子供を育てたことになるのか.むしろ逆のように思われる.親は機関銃のように色々なものを子供に向かって撃ち出すよりも,夢想によって何かが生まれてくる時間を確保してやることに心を砕く方が大切ではないだろうか.
テレビを見ない

テレビを見ると品のない言葉遣いがうつるとか,アニメ番組の戦いごっこを真似て困るとか,そういう問題ではない.幼い子供を虚構に慣れさせて,「すべてにたかをくくって生きなさい」と教育してしまうことを,もっと警戒しなくてはならない.
シュタイナーの教育者達も,番組の質以前の問題を指摘している.人間には1つの絵をじっと見ていたいという欲求があるのに,テレビのように次々と絵を取り替えられると,ストレスがたまり,暴力的になる.
遊びのために

質の良い木の玩具であれば,子供に遊ばれなくなった後も,飾り棚にしまっておきたいくらい美しい.そうやって時を繋いで,孫にも曾孫にも遊ばせてやれるならば,少しも高くない.だから,木の玩具を買うときは,彫刻を買うようなつもりで,なるべく高いものを探して,少しだけ買うようにしている.
お金で買えない玩具の方がむしろ美しい.貝殻,木の実,種,小石,枝などを,籐の籠に入れて眺めていると飽きない.
毎日昔話を語る

シュタイナーの教育者がお話を語るときは,「感情を抑えて淡々と」語るように勧められる.私も自分で読んでみて,感情をたっぷり込めるよりも,淡々と読んだ方が子供の心にすっと入っていくような気がする.ただし,心を込めて.
お話は,たくさんの筋書きを知識として与えるためではなく,ハラハラドキドキの娯楽を与えるためでもない.一番重要なのは,お話が子供の心を癒す力ではないだろうか.
自然食を目指す

子供を自然な環境に置きたいと思っても,すぐにそれを実現するのは難しい.でも,自然なものを食べることで,子供の体に自然を呼び戻せるとしたら,一番の近道としてやってみる価値はあると思う.
もっともっと優しくなりたい

子供達が喧嘩したとき,「喧嘩するな!」と怒りをぶつけて緊張を高めるのではなく,いいこいいこして優しくすることを教えたジョイス先生の周りで,優しい子が育ったのを見た.大人が譲れることは譲って,聞けることは何でも聞いてやって,初めて子供自身が人に譲ったり小さい子に優しくしたりできるようになる.
「大人が何を言うかではなく,どのような在り方をするかが,生まれてから7歳までの子供に作用するのである」とシュタイナーは言う.つまり,「遊んだ玩具はちゃんと片付けて下さいよ」と言うその私が,机の上とその周りに色々な物を山積みにしている限り,家中がごちゃごちゃなわけだ.何でも真似られていい大人になるのは全く難しいけれど,言葉でなく私の態度が子供を育てているということを忘れないようにだけはしていたい.
もう一度,シュタイナーの本を読む

シュタイナー学校の先生とて聖人ではなく,なかには子供を殴ったりする剛の者もいれば,それよりもっと嫌われ者の,人種差別をする教師もいるそうだ.そんな話を聞くと,シュタイナー学校といえども,天国のような理想郷ではなく,不完全な人間の為せる技の中で,悩みと共にあるところなのだと,かえって安心してしまう.でも問題は,思想の媒介者である先生や卒業生個人の資質ではなく,シュタイナー自身の思想を,他でもない私がどう受け止めて,他でもない自分のために,どう実践していくかだ.
シュタイナーの色々な本を引っ繰り返し,7歳までに大事なことは,私がいい大人になることと,子供を目覚めさせすぎないように暖かく守ることだと大要が分かった頃には,子供は十歳になっている.シュタイナーの本は,いくら読んでも,読む度に得るところがあるし,自分や子供について思いめぐらす良い機会になる.シュタイナーは,こうしなさい,でないと仲間に入れてやらない,とは言わない.むしろ,食事にしろ,ライフスタイルにしろ,「狂信者にならないように」と説いている.そのあたりを見落とさないようにしながら,シュタイナーの本を読んでいきたい.
ベスコフとシュタイナー

「7歳までは知的なことは一切教えない」というシュタイナーの方針に従って,ほとんどの子は字が読めない.年間を通じて1度だけ読み聞かせの1週間があったが,あとは同じ昔話が数週間続く語り聞かせがなされた.
「すべての成果は物語る仕方そのものにかかっている.だからこそ,お話をする代わりに,本を読めば済むと思ってはならない.」
子供達がお話の中の場面を好きなように心の中に描いているところに,画家による強烈な完成品を与えてしまうのは大変乱暴なことと考えられている.絵本はお話のイメージをふくらませてくれるが,イメージを限定する面があることも見落としてはならない.
エルサ・ベスコフの絵本を推奨.
きちんとして優しいお母さん

シュタイナー教育は「自由の教育」ではなく,「自由への教育」であると言われる.一般に自由というと,子供を様々な規制から解放し,大人から見ると変だというところもこらえて,子供の自主性から生まれ出るものを待たねばならないように解釈されることが多い.その結果,自由の名の下に,子供の日常がテレビとファミコンの習慣に埋もれていたり,大きい子が小さい子を平気でいじめるような状態になることがある.いつか生まれるはずの自主性に頼って,ただ一度の子供時代をそのように過ごさせるのは忍びない.
「自分のやりたいようにやることが自由ではない.怒り,嫉妬,冷酷,残忍さから自由であることが本当の自由だ.人が自分の貪欲を見つめ,なぜ自分が欲張りなのかと,その性質や構造を理解するに従って,人は貪欲から自由になる.それは,無欲になろうと心掛けることとは全く別のことだ.人間は,自分だけでは生きられないのだから,自由になりたいと願っている他の人のことを忘れてはならない.自由は秩序なしには存在しない.他人に対する思慮深さと,内面外面両面の注意深さから秩序が生まれ,秩序と共に自由が生まれる.」
子の願いをかなえるかわいがり方

一般に,「優しくする=過保護=ろくな子にならない」,「突き放す=鍛える=強い子になる」という図式がちらついて,我々母親は過保護恐怖症に陥りやすい.心を鬼にして子供のために目標を設定し,子供が合理的にそこに到達できるように気を配る.言いつけを聞かせることに夢中になると,子供に冷たい監視の目を注いだり,侮辱的な言葉で泣かせたりしてしまう.
我々が恐れる過保護の内容を検討してみると,過干渉であることが多い.確かに大人が干渉しすぎると,子供が自分で生きようとする力が奪われる.しかし,保護については,過剰よりも不足を心配した方がいい.これは学生時代に籍を置いた児童学科で学んだ.そこの基本コンセプトは「かわいがればかわいがるほど,子供はいい子になりますよ」だった.暖かい眼差しで子供を眺め共感しようと努めるならば,子供本来の良さが損なわれることなく成長する.同じことをシュタイナーも言う.「成長しつつある子供の肉体を健全に育てようとするならば,健全な欲求や欲望に対して,喜びを求める心に対して,親切に応じようとする態度が必要である.喜び,楽しみは身体器官の健全な形態を最も正しい仕方で育てる力なのである.」

シュタイナー関係のお勧め本

「子どもの体と心の成長」,ハイデブラント,イザラ書房
「シュタイナー教育の創造性」,ケリードー,小学館
「シュタイナー教育小辞典〜子ども編」,西川,イザラ書房
「ウォルドルフ人形の本,ニューシュツ」,文化出版局
「メルヒェン,ゲーテ,ディードリッヒ」,あすなろ書房


参考:「七歳までは夢の中」
http://bookreview.chase-dream.com/review/isbn/4313630279.html

コメント(5)

私の小学校の恩師が授業中に笑い話をしてくれました。



おばあちゃんが、(孫である先生に)アメリカ人の子供は、本当に頭がいいね。


だってあんな、ちっちゃい男の子が英語を喋っているからね。

すごいよ。


恩師は、大笑いしたそうですが…


7歳まで、知的なことは教えないということは間違いと思う。


30年くらい前から、ブラジル移民の人が仕事を求め、日本に来た人の中から、数人と知り合いになりました。

ポルトガル語、日本語はどちらも読み書きは、普通に出来てました。

家庭で小さな子供の頃から二ヵ国語を使ってますから。

私は、知的能力は、幼児期に基礎が出来ると思います。



>>[1]

子育ては、健康法と同じで、いろいろなやり方があると思います。

それぞれに、上手くいった場合と上手くいかなかった場合があります。だから、どれでなければならないという公式(最大公約数的な育て方)はないと考えています。

アメリカ生活が長い仙人には、当然のことながら、同世代の日系2・3・4・5世の友人がいます。彼らやその子弟のそのほとんどは日本語の読み書きができません。

なぜなら、幼児期に、日本の敗戦で、日本の悲惨な状況が語られると共に、それぞれの家庭で、日本語教育がないがしろにされていたからです。

ところが、仙人より20歳ほど以上若い、父親または母親が戦後渡米の日系人の2世(今は3世)は、優れた日本製品が輸入されるようになって、家庭での日本語教育が盛んになり、日本語学園も充実して、読み書きができる人の方が多い。

>私は、知的能力は、幼児期に基礎が出来ると思います。

仙人もそうのように考えています。

ただ、問題は「何をもって知的能力というか?」で、評価の仕方が違ってきます。

仙人は、かなり野放図に育てられましたから、とんでもない野放図な人間にできあがっているようです。

ところで、仙人は、家族で一人だけ「富山の置き薬」がきかない、陰虚証の風邪を引くくせがあり、学齢に達すると登校拒否をねらう仮病と疑われて、親・教師・校医に殴られました。

(⇒当時の教育で、体罰はめずらしいことではなく、たまに間違うことがあっても、おおむね彼らの方が正しかったから、仙人は体罰を否定しない)。

そのせいか、物心がついた5歳頃から、風邪の予防を含めて、体調の管理に異常な関心をもつようになり、生活習慣になり、還暦すぎて、気がつけば、風邪にかぎらずあらゆる生活習慣病を予防できるようになり・なっても自分で治せるようになり、「健康仙人」と呼ばれるようになっていました。

近年流行の「学力偏差値」という面から、仙人を評価すると、劣等性に近いでしょう。

ところが、仙人は、健康法に関して、「学力偏差値」が上位の者にしか入学が許されない・医学部出身で博士号をもっている、医師に負けない知恵・知識・体験があります。それどころか、既に、博士号を含む医師免許を取得して・医師であった、沢山の医師の享年を越えて、長生きしています。

ちなみに、仙人は、健康法に関して、家庭でも学校でも、常識的なことしか学んでいません。全部、独学です。それも物心ついた頃に始めていたのです。

そのやり方は「結果オーライ」を旨とし、「どうしてこうなるの?」というむつかしいことは考えず、「こうしたらこうなる(治る・治せる・健康になる)」という、奇妙奇天烈・いい加減ことを聞いて、自分の体を使った人体実験を繰り返して、些細な・さまざまの失敗を積み上げて、いつの間にか、他人にも説明できるようになったのです。

尺度が何であれ・予防を旨とする健康法に関しては、仙人は、圧倒的に多数の・現役の医師や農業指導者、官僚や役人に負けない能力をもっていると思っています。
人間の知的能力について…

コンピュータは、人の能力を模倣して作られた機械です。

使いやすいコンピュータは、処理速度が早く、メモリー量が多いもの。
だから、情報を素早く処理して、正確な記憶力をもつ人が知的能力が高いと言えると思います。


もちろん、人間は機械と違いますから、創造力が大事です。

乱雑極まりない事実から、法則性を発見する能力が高い人こそ、頭脳明晰と言える。



>もちろん、人間は機械と違いますから、創造力が大事です。

仙人は、強烈なインパクトを与えられた一つの言葉や一枚の絵から400字詰め原稿用紙1000枚ほどの現代アメリカ史にかかわる小説を書いたことから、「お前の頭をかち割って、中身を見てみたい」と何人かに言われたことがあります。売れなかったけど、どうやら想像力はあるらしい。

>乱雑極まりない事実から、法則性を発見する能力が高い人こそ、頭脳明晰と言える。

健康法に関して、仙人は、法則性を発見して、(現代の日本人の80%をしめる陰性体質の人には)誰にでも説明できます。

ところが、大変困ったことに、仙人が気づいた(発見した?)法則にはエビデンス(科学的な証拠となる臨床実験やその統計)がありませんし、価値を認めてもらえませんから、売れません→商品的な価値がない→価格はゼロにひとしい。

例えば、仙人は、脚や足裏を指圧したり・金槌で叩いたり・頭をマッサージして脚や足の血流を高めることができます。食べ方や呼吸法で体温を高めたり・着方寝方を工夫して高い体温を長時間維持することもできます。これらは体熱計つきのカメラで撮って証明できます。

ところが、「体温を高めたり・維持すると、高血圧や糖尿病などを含む、いろいろな生活習慣病を改善・治癒・予防できる」ということが証明できません。→医療費がいらなくなる臨床実験をして証明してくれる医者がおらず、医学校はない→医学や薬学の経歴がない仙人の説明は信じてもらえません。

次に紹介するような、すごい知識や技術をもつ、医師や技術者でもどうにもならない、ガンを改善・治癒・予防できるんですがね。
http://www.youtube.com/watch?v=0N-0MYlFHdM

切歯扼腕して、腹立ちまぎれに、こぶしを振り上げても・振り回しても何の役にもたちません。

その上、くやしいことに、「食事を薬に、薬は食事で」式で健康を維持できても、起業するには、資金を持っていたり、資金を確保する別の才能が必要ですから、目下は手も足もでない(→馬鹿丸出し)。

近年、アメリカで、ジャパン、罰シング・パッシング・ナッシングが言われているけど、日本産の健康食品は注目されている(関心が極めて高い)。

ところが、1、韓国製キムチに負けない栄養の種類と成分がある漬物を3日で造れるので、漬物や漬け汁を商品化したい、2、微量栄養素の種類と成分が豊富な「食べるハーブティ」を商品化したいなどと訴えても、県や市町村の産業振興課などの係官は、評価できないから、起業資金を提供したり、融資先に保証をしてくれない。トホホッ。

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