小説　空の高さから海の深さまでコミュの空の高さ⑬

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　秋野と展望台に行く前に約束したこと。
　一つ、誰にも言わない。これはもちろんのことだったが僕がさらに気にかけたのは秋野が一人で行かないか、ということだった。はっきりいって僕の展望台にいくのは困難である。案内板もないし、道と言える立派な道でもない。最初に沙耶がこれたのが不思議なくらい偶然では辿りつけないほど訳のわからないところにあるのだ。
　僕自身もはじめは何度も迷い泣きそうになった。しかし今では穏やかで楽な道を開拓し行っている。でも、これもようは慣れだ。何度も行って分かる道なのだ。だから僕は秋野と約束した。絶対一人では行かないこと。
　
僕は愛車からライトを外すと後は、そのままにして展望台へ向かった。かなり山道を走った。もう山の中は薄暗い。こうなると展望台へは今までの慣れと勘に頼るしかなかった。それでも人間はすごいもので一度も迷うことなく着くことができた。
　視界が開けると大理石の壁にもたれた秋野が足を伸ばして座っているのが確認できた。
　とても安心した。多分恋人なら走って抱きしめたくなるくらい。それでもそれは許されることもなく、僕はただ秋野の方へ歩いた。
　秋野はどうやら泣いていたらしく目が少し腫れぼったい。そして今は眠っているようだった。
「秋野」
声を掛けても起きない。僕も安心して疲れたので鞄からジャージを取りだし沙耶にかけて向かいに座った。そして猛に電話を掛けた。
「もしもし、俺」
猛は街にまで、でたらしく周りはうるさい。
「どうした。みつかったか？」
「あぁ。いたよ。今はぐっすり眠ってる」
「どこにいるんだよ？」
　僕は少し考え静かに言った。
「さぁ、海と空の間かな」
　猛も少し考え周りのノイズに負けないくらいの声で言った。
「なんだそれ。とにかくいたんだな、じゃあ後は任せたよ。責任もって返せよ。貴子と米田には俺から言っとくから」
　最後はとても安心したような声だった。それだけ言うと猛は電話を切った。
「はぁ。俺も疲れたよ」
　今はただ、秋野の寝顔と近くて遠い波の音だけを感じていたかった。

　秋野が目覚めたのは空がオレンジから暗闇に染まり始める頃だった。とても綺麗な陽の光が丁度、秋野を照らしていてまるでそこだけスポットライトが当たったかのように華やかに見えた。
　そんな風景の中で静かに眠る秋野に見とれていると秋野がゆっくり目を開いた。
「あっ、和也君。どうしてここに？」
　とても疲れているように見える。いつもの元気な秋野ではなく、しかしどこかこれがホントの沙耶の気がした。
「どうしてって。学校にも連絡なしに休んだんだって？心配になって猛と探し回ったんだよ」
　秋野は驚いた顔をした後、とてもすまなそうな声でごめんなさいと言った。
「でも、ここにいてくれてよかった。ここにいなかったらもうお手上げだったからね」
「ごめんなさい」
俯いてそれ以上は話そうとしない。
「いいよ。俺も疲れたから少しここにいようか」
　僕が言葉をやめると波の音とゆるい風の音以外しない場所に戻った。けれど、その中にも秋野を感じ僕は目を閉じ一息ついた。
　少しして秋野が動いた気配がした。目を開けると秋野は隣に座っていた。
「どうしたの？」
「ううん、ちょっとだけ隣にいさせて」
　腫れぼったい目で僕を見て一言そういった。
　鼓動が高鳴る。多分少し震えていたと思う。そんな情けない声で僕は言った。
「うん。昨日はあんなこと言ってごめんな。ただ、秋野が言うとおりだったから、余計に感情的になって」
「もういいよ。私こそみんなに迷惑かけちゃって」
　また俯きながら秋野は答える。
「謝ろうとしたら秋野、早退してて。謝る機会がなくて、それで昨日偶然駅前で……」
　また、僕の中の僕がしまったと叫んだ。どうやら隠し事は苦手らしい。
　秋野が顔をあげ、見られちゃったんだと呟いた。僕は黙ってうなずいた。
　そして、独り言を言うように秋野が続けた。
「私のお母さんね再婚したんだ。今年の３月に。だから引っ越してきたの。はじめてあった時見た男の人。あの人が再婚相手。とてもいい人で私のこと自分の子供のように見てくれるし。でもね私のお父さんは一人だけなんだ。5年も前に死んじゃったけどね。秋野はお父さんの苗字。本当なら溝口沙耶」
　そこで僕はさっき行った家の表札を思い出した。
「お父さん、身内いなかったみたいだから私が変えちゃうと一人ぼっちになっちゃうしね。
　今のお父さんもなんにも言わないで許してくれてる。だけど、本音はきっと違うんだ。だから目線とか優しさがとても辛いの。自分がいい子を演じれば誰も傷つかないし問題もない。だからいっつも笑顔で元気に振舞って。けど、上手くやろうとすればするほど、へんな方向にむかっちゃって。だから家にいると息がつまりそうで、昨日、和也君が駅前で見たあんな男に捕まっちゃった」
僕は秋野の話を黙って聞くしかなかった。そして頭で出来る限り理解しようと試みたがそんな許容範囲を楽に越していた。
「あの人は最初、優しく接してくれて私の逃げ場所になってくれた。だけど、次第に逃げ場所は逃げ場所じゃなくて、ただ私が私から離れる場所になっていた。行けば、体だけ求められて…。それでも私は逃げ出せる場所を失うことが怖くてそれに応じて」
いままで見たことのない秋野がそこにはいた。僕が思う大人。なにも光をみようとせず自分に失望している人間。世の中に不満があるのに立ち上がろうとしない人間。秋野はそんな感じに見えた。
「秋野はそんなこと望んでるわけじゃないんだろ？」
僕は精一杯の本音を言った。
秋野は「うん」とゆっくり頷く。
「俺の知ってる秋野は元気で笑っていて俺と猛の馬鹿な会話を聞いて呆れながらも楽しそうで、いろんなことに一生懸命で、たまにドジでそんなとこも可愛くて。それが俺の知ってる秋野だよ。確かにいろんな事情があるんだろう。俺の手じゃ抱えきれないほどそれは重たくて苦しくて。だけど、俺がんばるから。秋野の抱えてる錘、少しはもらうから。一緒に解決策を探すから。だから、自分を傷つけないで、大切な体と心、傷つけるなよ」　
　それは言葉にならない言葉だった。けれど、伝えたくて、伝えないと悲しくて。
　秋野は目を大きく開けている。そしてクスクスと笑い出した。
「なんで、和也君が私の錘背負うの？そんなめんどくさい事する必要ないでしょ？」
「それは……」
喉はカラカラなのに乾いた唾を飲み込む。
「俺、秋野が好きだから」
　何故か言ってから泣きそうになった。けれどグッと我慢した。我慢できたと思ったらその涙は秋野の瞳から流れ出した。
「馬鹿じゃないの、いつの口説き文句？もー、なんでよ」
　そんな台詞を泣きながら繰り返している。僕はどうしていいか分からなくなって言葉を探した。
「ええっと、あの、その、」
秋野が顔を上げ、うるさいと言った。
　そして、僕の唇に唇を軽く重ねた。それは少ししょっぱくて切ない味だった。
「なんで私がここにいたか教えてあげる」
　びっくりしている僕に秋野が言う。
「展望台のボーイさんが迎えに来てくれると思ったからだよ」
　僕は鼻の頭を人差し指でこすった。
　そして、僕らはもう一度キスをした。
　夕日が照らすオレンジ色の空の下で。
　僕は今、地に足がつかないほど…まるで空の高さまで恋をしている。