小説　空の高さから海の深さまでコミュの空の高さ④

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　☆

高校三年にはいる春休みの終わりかけ、僕はいつものようにここで音楽を聴き春の心地よい風のなかでうとうとしていた。しかし人がいる気配を感じ飛び起きた。今まで誰も来たことのないこの場所に誰かが来る。それは自分の予想以上に恐怖心を感じさせた。
　そこに立っていたのは見たことのない僕と同年代の女の子だった。
「はぁ、やっと広いとこについたぁ。山に登るなんてなんで考えたんだろぉ」
　その子は独り言をいいながら服についた葉っぱや土を掃っている。やがて僕に気づいた。
「こんにちは」
ただの挨拶だが戸惑いを隠しきれない僕は返すのに少し間があいた。
「あっ、こんにちは」　
「ここが、展望台？なんか話と違うなぁ」
展望台を見ながら首をひねっている。
「あっ、多分それはここじゃないよ」
その言葉を聞き観光をしに来たんだと分かった。
「えっ、そうなんだ。間違えたのかぁ。でもここもなんかいい感じだよね」
　その子は笑顔で僕の前を歩き過ぎ展望台の端で脚を止めた。
「わぁー、すごーい！海しか見えない。」
　両手を広げて飛び跳ねたような声で言い振り返った。
「ねぇ、すごいよねここ。間違えて正解だったよ～」
肩にかかるほどの髪が春の優しい風に乗りふわっとなびいた。
「綺麗だ…」
　僕は心の中でそう呟いた。
「どうしたの？あっ、君はここで何をしているの？」
　黙る僕に問いかける。彼女は傍にある石で加工した丸椅子に腰をかけた。
「俺は…ここは誰も来ないんだ。っていうか知ってる人もほとんどいないと思う」
「へぇ。じゃあ君の秘密の場所って訳だ」
「まぁ、そんなものかもね」
　今まで誰にも言わなかったことを簡単に、しかも初めて会った女の子に言っている。それは後悔と嬉しさが入り混じったとても複雑な気持ちであった。
「そっかいいなぁ。なんかそういうの。私が住んでたところは自然なんて公園くらいしかなかったから」
　そう言う彼女の顔にすこし悲しさが入った気がした。
「じゃあ、私は行こうかな」
coachのハンドバックを肩に掛けたちあがった。
「あっ、ここのことは誰にも言わないから安心して。私も今度はメジャーな展望台にちゃんと行くからさ。ではでは、お邪魔しました」
　また来た道を引き返そうと歩みを始める。
「あっ、そっちより…俺も一緒に降りるよ。もう夕方だし、また道に迷うと大変だしね」
　その子はすこし考えるような顔をしたがすぐに「お願いします」と頭をさげた。
「いや、別にいいよ。それに初めてのお客さんを、なんのサービスもなしにお返しすることはいやはや、できませんよ」慣れない言葉でエスコートを試みた。
「あはは、なにそれ。でも良かった。歓迎されてないと思ってたから」
　その子の笑顔はとても柔らかく温かい感じがした。
下に降り自転車を引きながら駅まで送っていくとその子は何かを見つけたように駆け出した。
「お母さん」
どうやら母親がいたようだ。駅前にあるこの町唯一のスーパーから出てくる女性の袋を持った。その人はスーツ姿でその子の母親にしては若く見え、並ぶと姉妹と言っても疑われないような人だった。なにかふたりで話して母親がこっちを向き軽く頭を下げた。
　その時、駅の改札口から何人かのサラリーマンと学生が出てきた。
　田舎なのでそれほどまで混雑することのないがこの駅も夕刻には帰宅ラッシュがある。
　僕とその子の間を人波がすぎていった。１，２分過ぎ視界に再びその子が見えると先ほどまでとは違い少し引きつったような、作ったような笑顔で母親の横に立っている。
「おかえりなさい」母親が言う。その先にはこちらもスーツ姿の母親と同じ年くらいのサラリーマンが立っていた。その男の人は片手をあげた。父親なのだろう。二人の前までいき「ただいま」と優しそうな感じで言う。
　なんの不思議のない光景なのにその子はあまり口を開かず母親の横にずっといた。
「おかえりなさい」
小さな声で言ったのが唇の動きで分かった。
「ただいま」
父親が笑顔で答えるがそれ以降、会話は見ている限りなかった。
　その子がこっちを一度だけ見たので軽く手を振って僕は自転車を反転させ家路につくことにした。
　もう二度と会うことはないだろう。と杉の花粉が混じる春の風を切りながら思った。
　これが秋野と僕の出会いだった。　　

彼女と会った日の夜、僕は中々寝つけずにいた。今まであまり異性に対して深く考えたことが無かったので初めて感じた感情だった。それはとても胸が熱く、苦しく、しかしどこか楽しく心地よいものだった。
「もう一度会いたい」自分でもわからないほどその感情が僕の体全体に満ち溢れていた。
　そんなことをただただ何度も考えて、出るはずの無い結論を捜し求めたまま時間が過ぎて行った。
　うとうとしていたのだろう、僕は母親の声で起こされた。しかし窓の外はまだ薄暗く起こされる時間には早かった。母はうつむきながら静かな声で母の兄にあたる、僕から言えば叔父が今朝事故で死んだと告げた。
　僕と母、そして僕の兄はその日の夜から母の実家のある熊本に向かった。その日展望台にも行かず自分の部屋にこもっていた。別に叔父さんの死がひどく悲しかったわけではない。
　叔父とはここ数年顔を合わした記憶はないし深い思いでもない。あるといったら幼い頃、熊本にいったとき家族、親戚みんなで川へ行きそこで川に投げられ溺れかけたことくらいかな。本人はげらげらと豪快に笑っていたけど。
　それもそれなりに悲しみを助長する思い出となった訳だがただ母の顔を見ても掛ける言葉が見当たらないので自分の部屋にこもっていたわけだ。
熊本には3日ほど滞在する予定である。明日が始業式それに2、3日なら授業も大したことはしないと思ったので休みが延長されたと場違いな思惑が頭をよぎった。熊本では見慣れない親戚や僕と年の近い子がちらほらといた。その中にはもちろん幼い頃に遊んだ子もいたけど、その相手は面倒見のいい兄貴にまかせて僕は極力あいさつ程度で1人用意された部屋でやる気もないのに教科書を広げ周りを取り囲んでいる木々をぼけーっとみていた。
「ここも田舎だなぁ」　
そんな感じで3日は思ったより退屈で長く、愛想笑いにも慣れてきた頃に帰宅の途につくことになった。母は親戚との気の使い合いもあったのだろう、やはり相当疲れており電車の中ではずっと眠っていた。兄貴は僕に叔父さんの思い出話を持ちかけてきたのだがあまりに会話が続かないので途中からはノートパソコンを開いて仕事の資料を作り始めた。
うちは母子家庭のためもちろん父親がおらず（僕が幼稚園に入ったころに出て行ったらしい。だから顔とか思い出とかまったくないんだよね）僕と母は父が残した一軒家を売り3LKのアパートに住んでいる。もともと共働きだったらしく母にもそれなりの収入があったため生活に苦労することはなかった。
僕と６つ離れた兄貴は就職して会社の寮に住んでいる。でも休日には家に帰ってきて掃除とか洗濯とかやって夕食を共に食べる。今回も母が心配だったのだろう。　　　　　　　　　　　　　　　
会社に無理を言って熊本まで一緒に来た。家庭思いのいい兄貴だ。駅からは兄貴の車で家へ向かいちょうど日付が変わるころに到着した。
　僕は2人が落ち着いたのを見計らって風呂に入り明日の学校の用意をして布団にはいった。