小説　空の高さから海の深さまでコミュの空の高さ①

　　　　　　　　　　　僕らの恋が始まった
　　　　　　　　　　それは照れるほど手探りで
　　　　　　　　　　　先なんて見えなくて
　　　　　　　　　だけど、とても楽しい恋さ
　　　　　　　　　　二人で道を作れるからね

　　　　　　　　　時々はその道で迷うだろう
　　　　　　　時々は作るのを止めたくなるだろう
　　　　　　　　　　　　　でもね…
　　　　　　　　　　　それでもいいんだ
　　　　　　　　　　　　　だって…
　　　　　　　二人の道に道標なんてないのだから

　　　　　　　　ずっと二人でいれたらいいね
　　　　　　　　　会いたい気持ち
　　　　　　　　　　　　知りたい気持ち
　　　　　　　　ずっと忘れないようにしよう

　　　　　　　　　　心に刻む時と思い出
　　　　　　　いっぱいいっぱい作っていこう
　　　　　　　　　真っ白なキャンパスに
　　　　　　　　二人だけの色を描いていこう

　　　　　　　　　　　きっとその色は
　　　　　　　　世界中の誰も見たことのない
　　　　　　　　　　この空のように
　　　　　　　透き通るような色だと思うんだ

　　　　　　　　　　　　　－空の高さ－

　煙草の煙が木目調の天井に向かって昇っていく。無造作に並べられた靴をよけながら店員たちが今にもあふれそうなジョッキや居酒屋の定番料理達を客席へ運ぶため所狭しと働いている。久しぶりにこんな、騒々しい場所に来た。まぁ実際は無理やりつれてこられたわけなんだけど…
　チェーン店の居酒屋にしてはデザインが凝っている机を囲み僕たち男２人女３人のグループは座っている。僕は誰かが頼んだ枝豆を口に運びながら店内を見回した。　　　
この店は繁盛しているらしく平日の夕方だってのに店内は笑い声と店員の熱気に包まれていた。ふと、この合コンをセッティングし僕をここに半ば無理やりメンバーがどうしても足りないという口実でひっぱてきた男を見た。そいつは今、大きなジェスチャーを使い向かいの三人の女の子をいつもの砕けた口調で楽しませている。
「でさでさ、その教授ってば、講義中に生徒から携帯取り上げたくせに自分の携帯鳴らしてやんの。で、俺が発言権の名のもとに教授の前に行って言ったわけ「うむ、君かね？今、携帯電話を鳴らしたのは。私のありがたーい講義中にけしからん。明日までに着信音を水戸黄門からモーニング娘にかえてきなさい」ってね」
そう言い、そいつは俺のほうを見てウィンクをした。心の中で、「はいはい」とつぶやきながら返す。
「で、富来猛教授はその時どういったありがたーい講義をしていただいていたんですか？」「男と女のラブゲームについてだよ。もう忘れたのかね？真崎和也君」
リズムのいい会話で彼女たちは声を上げて笑った。その笑い声も煙草の煙のように周りのサラリーマンや学生の笑い声の中に消えていくことを僕は知っていたので儚いものとして認識した。
「ねえねえ、真崎君は彼女とかいないの？」
猛の話しも一段落して真ん中の化粧が濃く露出の多い服を着た女の子が話しかけてきた。「私、結構、タイプかもぉ……」酒が相当はいっているのか身を乗り出して顔を僕に近づけてきた。僕の嫌いな種類の煙草の匂いが頭まで響く。僕が少し困っていると猛が割って入った。
「千華ちゃーん、俺じゃだめ？腰はつよいほうだよー」
「えー猛君もタイプだけどぉ…じゃあ猛君でいいや～」などと言いながら今度は猛の横にふらふらな足取りで移動している。
「もぉ、千華、飲みすぎだよ～」
一人の女の子が声をかけたが気にせずまた呑みだす。
「いいのいいの、飲みたいときは飲めば」と猛は猛で子供みたいにはしゃいでいる。
「ごめんねぇ、あの子最近彼氏に振られちゃって」
さっき話した子が僕を見て苦笑した。その隣にいる子はそれを見ながらこの店の人気メニューらしい一口ギョーザを食べている。その子が箸を置き僕を見て聞いてきた。
「で、さっきの話なんだけど、真崎君、彼女は？」
まじまじとみられるのが苦手な僕は目をそらし「いない」とだけ答えた。一瞬、向かいの女の子二人の空気が重たくなった。それを察知した猛がおどけた口調で言った。
「だめだめ、マサキちゃんに女の話しちゃ。くらーいくらーいトンネルを光探して歩いてるんだもんねぇ」
「なにそれ、訳わかんないし～」
女の子たちは納得いかない表情をしたがこの話題にはそれっきり誰も触れなかった。
僕はまた過去の事を思い出してしまい、このままではさらに楽しい雰囲気を壊してしまいそうになる気がしたので夜風に当たってくると言って外に出た。
　外に出るともう空は暗く様々な店のネオンが街をけたたましく色取っている。時折吹く都会の風が酒で火照った体の中に吹き込む。僕は非常階段の踊り場で手すりにもたれ掛け、「だから嫌だったんだよ」と、呟き煙草に火をつけ、頭の中にめぐり始めた思考に身を任せた。　
誰かが恋人と別れたとか好きな人ができたとかそんな会話をしているのが耳に入る度、僕は過去の日々を思い出してしまう。正確に言うなればまだ過去と認識していないのかもしれない。喧嘩中の恋人同士が連絡をとらないといった変な感覚に襲われ、それをそのままにしてしまっているのかもしれない。他人からみれば間違いなく現実逃避なんだろう。今の僕の中にはそうした現実逃避気味の真崎和也とそれを遠くのほうから静かに見ている真崎和也が存在している。それはランダムにでてきては僕に辛く悲しくも心地よい記憶を残しまた消えていく。あとに残るのは虚しさと愛しさ、絶望感…ようはやっと見つけた宝箱、見つけたときはとても嬉しいが開ければ中身がなかった、そんな感じ。実体のない明確なソレが僕の中で静かに激しく心を揺さぶっていく。
まぁ、それほど僕は「秋野沙耶」という一人の女性と過ごした２年１０ヶ月という時間が狂おしいほど忘れられない。女々しいってやつかな。今でも彼女は僕の中で色褪せることがなく、むしろ輝きすぎて僕を責めつづけている。だから、自分の女性に関する話題は一度口に出す前に彼女を通らなきゃいけないので面倒くさいってわけだ。しかも、初対面の彼女たちにこんなこと話しても同情を買うだけか情けないと思われるのがオチである。　　
　そんなことを考えつつ雑居ビルに包まれた星の見えない都会の空に煙草の煙を吐いた。
「あっ、いた」煙草を捨て店に戻ろうと振り返った時、さっきギョーザを食べていた女の子が立っていた。名前は……なんだっけ。店員の声が大きくて聞き逃したんだっけ。
「どうしたの？もう中にはいるよ」
僕が言うとその子は僕の隣に歩いてきた。
「なにしてたの？」
僕の言うことに耳を貸さずその子は顔を覗き込んできた。
「べ、別に」
あれ以来、人とある程度の距離を置くことでしか接することができなくなってしまった僕はその子が僕の中に急に入ってきた気がして一歩ひいて答えた。
　同時に後ろの手すりに背中をぶつけてしまいシャツの胸ポケットから煙草の箱が落ちた。「そっか、煙草吸うんだよね。さっきも吸ってたけどちょっと意外だな。なんかそんなイメージじゃないからさ」
「はじめて会ったのにそんなこと分かるんだ」　
何故か少しムッとした僕は嫌味っぽく聞こえるように言った。
「なんか怒ってる？…彼女のことしつこかった？」
少し楽しみながらもそれ以上に反省しているような声でその子は言った。
「別に。いないのは事実だから。じゃ、俺もう戻るから」
　そういい、僕は歩みを始めた。と、シャツをつかまれた。
「あのなぁ、だから…」
その手を払おうと振り返った僕の目に映ったのは紛れもないあの日の沙耶だった。
沙耶がわがままをいって僕が怒り背中を向けて歩き出したあの日の光景が蘇る。
あの日なんで怒ったんだっけ、思い出せないほどたいしたことないのになんで怒ったのかな。泣きそうな顔して僕のシャツをつまんで沙耶は謝ったんだよな。
頭の中でフラッシュバックが起こる。それを振りほどいたとき僕の目に映ったのは今日初めて会ったその子だった。
「ごめん」
俯きながら言うその子の小さな声が僕の耳に届いた。
「大丈夫だって。そんな気にすんなって。ぜんぜん怒ってないからさ」
僕はありったけの優しい声でいう。と、その子が顔をあげた。
　そして、舌をペロッと出して言った。
「どっか二人で行かない？」
僕の答えも聞かずその子は僕の手をとり階段をリズムよく降りていく。僕もいつの間にか、そのテンポにあわせ繁華街に飛び出した。