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ヴィトゲンシュタインコミュの鬼界さんの本

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「ウィトゲンシュタインはこう考えた」講談社現代新書 鬼界彰夫
特に第一部の文献学の部分。「地図」が入手できたと、感じられます。なにか、バラバラだった印象が、変わりました。
私は、この本を道案内にして、拾い読みをしています。
それにしても、この本、920円ですよ。鬼界さん、ありがとう。

コメント(19)

この本、もっと読まれていい本だと、感じてます。

「ここに記した、Schroeginger方程式の導き出しかたは、ひとつの推量で、もちろん論理的の帰結ではない。一般に、自然科学の法則は、どれもまったく論理的にでて来るものではない。と言って、実験結果だけから、全く帰納的に導かれるものでもない。実験から暗示される推測、仮定に基づいて理論を作る。その結果が多くの実験と一致するものを与えれば、仮説は法則原理として容認されるようになる。Schroedinger方程式の場合も、この方程式のただしいことは、これから求めたエネルギーその他の物理量の価が、実験から求めたものと一致することによって保障される。」

ある教科書で、物理の基礎的な問題に触れた部分ですが、「考察」の確実性の問題に、重なるでしょう。(独断ですが、、) 必ずしも、自明でない話で、かなり無器用に表現されてる訳ですが。この物理屋さんが、L。W。を意識してたら、もっとスマートに表現したと、思うんです。
懐かしい。鬼界先生の授業、僕も受けていました。
永井先生にお会いしたのは鬼界先生の研究室でした。
鬼界先生の研究室は「悪魔の歌」のあの事件あとにすぐ引き継いだところだと自分で笑って言っていました。

そんなブラックな鬼界先生が大好きでした。
お会いしたいなぁ。
すごい本ですね。
ここまで解釈・説明できるようになってきているのか、
って思いました。
永井均がウィトゲンシュタインに読み込んだ、
<私>の私秘性の議論を、文献的・歴史的に証明し直した本
って感じがしました。
一方で、ハイデガー『存在と時間』前半部とか
ブランケンブルク『自明性の喪失』とかの本との
関連を思いました。
ウィトゲンシュタインのいう確実性or自明性の問題は、
ブランケンブルクのいう自明性の問題に直結するな
と思いました。→この辺のことに興味があるもので…
ぼくはこの本を読んでもいまいちしっくりきませんでした。。
もともと哲学屋ではなく、「語りえないもの」を示すために「語りえるもの」を規定したところが凄い!と思っている一人なので、ところどころで理解できてなかったり、荒い読み方をしていることもあるのですが。

まず、P.78からのところで、「安易な神秘主義」と安易に言ってしまっている部分なんか、かなり不満。それは後世の人間だから言えることであって、ヴィトゲンシュタインがやろうとしていたことはむちゃくちゃ難しいことだったのに。。と思いました。その後の、論理的思考と神秘主義が組み合わさって「論理的神秘主義と呼ぼう。」とか言ってるのも安易だよなあと思ってしまいます。
あと、P.169の「世界が私の世界であることは、唯一の言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに示されている。」という『論考』からの引用に対して、「最後の部分は意味不明であるが、それは必然的に意味不明なのであると考えねばならない。…」というのもかなり無理なこじつけのように思えます。だったらなぜこの部分にだけそんな無意味な文章を書こうとヴィトゲンシュタインは思ったのでしょうか?ぜんぜん「意味不明」ではないように思えますが。。
その他にもいくつかうーん。。と思ってしまう点がいくつかありました。

ぼくが考えるヴィトゲンシュタインが思っていた「神」と、この著者のそれとはかなり違うんだろうなあということを感じた一冊でした。
哲学の解説本だから、「語りえないもの」についての記述に期待するのもおかしな話ですが。(笑)
そうですかね?
ぼくは『ウィトゲンシュタインは〜』はかなり初心者向けに感じましたが。。
わかりやすくしようと書いてるために、かえって安直な解釈のようになってしまってるなあ
と思うところがけっこうありますよ〜。

永井さんのは永井哲学として読むとおもしろいですね。
ウィトゲンシュタインの本としては、ちと独我論を誇張しすぎな気がします。

『言語の限界』はちらっと読んだけど、あまり食指が動かなかったので、
なんとも言えません。

ウィトゲンシュタインの哲学の中でいつまでもくるくると回ってるだけの解釈本って、
結局ウィトゲンシュタインが彼の哲学の中でもっとも言いたかったことをまるでわかってないような感じがするので、『梯子を捨てる』ところに向けて、個々の解釈をしていくような本の
ほうがおもしろいですよ。

ウィトゲンシュタインは、哲学をやってきた結果「語りえぬもの」を見つけたんじゃなくて、
まず第一に「語りえぬもの」を示したくて彼の哲学が生まれたんですから。
そういう意味では、トルストイの本から入ったほうが良いのかも。
『言語の限界』はほんとにちらっと見ただけなんですが、新しい解釈を求めているわけじゃ
ぜんぜんなくって、なんというか全体的に出口がない印象があったので。
こんどちゃんと読んでみますね!

トルストイの『福音書』、読んでみたいんですけど、全集にしか入ってないらしいですね。
代わりに、『人生・宗教・芸術』って本は読んだり、民話集を読んだりしてみました。
ロシアとは言えヨーロッパ的土壌が染み付いているせいか、
トルストイってなんか絶対化した偏見が多い人だなあと思いました。
でも、ちらほらといいことも書いてありましたので、けっこうおもしろかったですよ〜。
はじめまして、お邪魔します。
差し出がましい様ですが、鬼界さん訳『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』は皆様お読みですか?1930年から1937に書かれた日記です。既出でしたらスミマセン。

あとついでに、ウィトゲンシュタインが愛読していたという、オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』も面白いですよ。
トピックの趣旨とズレてしまっていたらスミマセン。
『論考』だけをじかに読んだ時、その切れ味の鋭さ、小気味よさに打たれながらも、いくつかの疑問が『論考』の内的世界からはどうしても解けないように感じていた所を、草稿・日記を丁寧に追うことで解明しようとされていて、僕自身、とても面白く読ませていただきました。
ウィトゲンシュタインに取り組み始めて日の浅い者ですが、とても勉強になりました。
>>[9]

>P169の「世界が私の世界であることは、唯一の言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに示されている。」という『論考』からの引用に対して、「最後の部分は意味不明であるが、それは必然的に意味不明なのであると考えねばならない」というのもかなり無理なこじつけのように思えます。だったらなぜこの部分にだけそんな無意味な文章を書こうとヴィトゲンシュタインは思ったのでしょうか?ぜんぜん「意味不明」ではないように思えますが。


僕もそこの所はちょっと頭をかしげました。鬼界さんがどんな主旨を語っているのか、もう少し考えて疑問と向き合ってみたいと思います。
>>[18]
この箇所でこういう解釈になってしまうのって、
たぶんぼくとはぜんぜん違う入り口から興味持って入った人なんだろうな…、としか思えなくって、
あんまり深入りしようとする気にもなれません^^;

いろんな解釈あってもいいとは思いますが、
正しい正しくないは置いといて、
自分に近いもの探した方がためになるんじゃないかって気がします 笑

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