ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

哲学が好きコミュの論理とは何か。論理的とは何か。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
最近「論理的」とか「非論理的」という言葉をよく聞くのですが、論理、若しくは論理的とはどの様な意味なのでしょうか。

論理的な文章とはどのような文章なのでしょうか。非論理的な文章との違いは何処にあるのでしょうか。
我々は議論に於いて論者の発言が論理的か、非論理的かをどうやって判定すればよいのでしょうか。
皆様の御意見を賜りたく。

コメント(1000)

>>[953]

自分のコメントの意味、わかってますか?
わかると云うなら、なぜPが偽のときQにかかわらずP→Qは真なのか「日本語で」説明してくれないかな
>>[953]

ちょっとさ。これ使って説明してよ。Aが偽ならA→Bが真になる説明。
それで君の理解度が分かるからさww

A:御坊哲は人間である
B:御坊哲は哺乳類である
>>[964]

a ちゅんは人間である
b ちゅんは哺乳類である。

これでもいいよ。
でもお。
パンドラちゃんはこれでまともに議論する気ないよね。
aが偽の時a->bが真であるとか興味ないよね。
あるの?まさか。
>>[967]

好きとか嫌いとか。
そういうの、どうでもいいんですけどねえ。
つか、パンドラちゃんは寝る子さんに好かれたかったの?
だったなぜ攻撃したの?
そもそもねえ。
私は寝る子さんを攻撃したつもりはないしねえ。単に寝る子さんの間違いを指摘しただけですから。
だいたいなぜ私が寝る子さんを攻撃しなきゃいけないんだか。
動機がないよねえ。
あー、でもまあ、途中から偽豚がきたころから頭がおかしくなったころは攻撃してたかもしれないけど。あれはしかたないよねえ。テロの協力者になってたわけですから攻撃は正当防衛です。
>>[963]

命題Pの論理空間内における真理領域をpとし、Qの真理領域をqとすると、P→Q が真であるとは、p⊂qであることを意味します。

仮に、Pを「御坊哲は人間である」、そしてQを「御坊哲は哺乳類である」とします。この時、御坊哲が何者であるかは問いません。御坊哲が何者であろうと p⊂q となり、P→Q が真であるということになります。

もし御坊哲が自動車の名前であることが初めから分かっていたとします。この場合は、P、Qともに偽で、真理領域は存在しません。’p∪q=q なので p⊂q です。
つまり、P→Q は真です。

P→Qが真である理由を「日本語として正しい」からとするのは、論理学としては零点です。
>>[974]

>命題Pの論理空間内における真理領域をpとし、Qの真理領域をqとすると、P→Q が真であるとは、p⊂qであることを意味します。

ほう。

>仮に、Pを「御坊哲は人間である」、そしてQを「御坊哲は哺乳類である」とします。この時、御坊哲が何者であるかは問いません。御坊哲が何者であろうと p⊂q となり、P→Q が真であるということになります。

ん?
なんで?

>もし御坊哲が自動車の名前であることが初めから分かっていたとします。この場合は、P、Qともに偽で、真理領域は存在しません。

だからなんで?

>’p∪q=q なので p⊂q です。
>つまり、P→Q は真です。

だからなんでだっつの!
日本人にでもわかる言葉で説明してくんないかなあ。
ここは日本なんだからさ。
>>[978]

科学は実験が本質。論理は飾りだろう。
>>[979]

>命題Pの論理空間内における真理領域をpとし、Qの真理領域をqとすると、P→Q が真であるとは、p⊂qであることを意味します。

論理空間とは想定可能な事態を表す命題の集合とします。命題Pの真理領域とはPが真理となるような事態すべての集合です。

仮に、Pを「御坊哲は人間である」とすると、以下の命題はすべてPの真理領域に含まれます。
 「御坊哲は日本人である」
 「御坊哲は人間の母から生まれた」
 「御坊哲は御坊市の戸籍に登録されている」

そして、Qを「御坊哲は哺乳類である」とした場合、上記のPの真理領域に含まれる事態はすべてQの真理領域に含まれている上に、以下のようなものも含まれます。
 「御坊哲は豚である」
 「御坊哲は雌犬から生まれた」

当然、Qの真理領域はPのそれより大きくて、かつ包含しています。
つまり、p⊂q この時論理学では、「P→Q が真である」というのです。

問題となるのは前提が偽となる場合ですが、
Pを「富士山は人間である」、そしてQを「富士山は哺乳類である」としましょう。
そうすると、Pを真ならしめる想定可能な事態は存在しません。つまり真理領域pは空集合となります。 そうすると p∪q=q なので p⊂q とできます。つまり、P→Q が真であるというわけです。

なぜ、こんなまだるっこしい説明をするかというと、それは自然言語と論理学では真偽の感覚がずれているからだと思います。

Xが何者であるか分からないとき、「Xが人間であるならば、Xは哺乳類である」は自然な日本語で、かつ内容も正しいように思えます。
しかし、「富士山が人間であるならば、富士山は哺乳類である」と言われると、少し脳がけいれんします。「ならば」という言葉があるので、前提が偽であれば後続の言明は無効であります。あくまで「無効」であり、われわれが日常でいうところの「真」ではありません。中には、「富士山は哺乳類である」は正しい日本語だから真なのだと主張する人もいますが、はっきり言ってナンセンスです。

しかし論理学的には、「Xが人間であるならば、Xは哺乳類である」が論理的に真であるならば、Xにどんな値を代入されても、論理学的には真としたい。だから、真偽は真理領域の包含関係で機械的に判定するのです。

「2017年の元旦にメッカに雪が降ったならば、アメリカはソ連である」という言明は全くナンセンスであり、これを言語的な観点から、真か偽かと論じる意味はありません。しかし、
   「(2017年の元旦にメッカに雪が降った)→(アメリカはソ連である)」
という言明は論理学的には真であります。「ならば」と「→」は同じではないのです。
>>[981]

そういうことだ。
しかしそんな簡単なことが分からん奴がいるんだよなあ・・
論理とは文章の「不整合」を探す作業と云える。
不整合があればそれは日本語ではない。
そしてそれを探すことができるのは論理「だけ」だ。
すると論理的思考ができない奴は常におかしな日本語を垂れ流すことになる。

たとえばコヲノスケは一見バカだが、日本語として変なことは云わない。それはコヲノスケが物書きのたまごだからではない。仕事で鍛えられて一定の論理的思考力を身に着けているからなんだな。

御坊哲はこの逆パターンなわけ。
そもそも今の流れがめんどくさくなってるのはラピュタが訳の分からない表を取り出して知ったかぶりをしたところから始まるわけだよ。「含意」の説明をたらたらと冗長にする。

ラピュタ>含意(P→Q)は、Pという前提が成り立つときに結論がQ と言える関係性を表します。この時、Pという前提が成り立たなければ、Qも成り立たないと考えがちですが、Pが成立しない時点で、Qは成り立つか成り立たないかどちらとも言えない、つまりどちらの可能性もあるということを表していると私は考えています。

御坊哲がラピュタの無意味なコメントをフォローしようとしたがも墓穴を掘った。ある意味、被害者ともいえる。

3値をラピュタも御坊哲もそれがわかっていないのだろうな。
>>[995]

迷惑?
だれに?

御坊哲?
ラピュタ?
パンドラちゃん?
つか、パンドラちゃんはラピュタの云ってる意味、分かってないよね。
含意の意味。
でもそれはパンドラちゃんだけではないわけ。だったらその「含意」の意味を説明しないといけないよねえ。ところがラピュタはそれをしない。それが混乱をまねいている。無意味な混乱をね。
いまだに説明を放棄。ししらばっくれている。説明から逃げている。

私はそれを非難しているんです。
パンドラちゃんがラピュタのコメントの意味を理解していると云うなら、説明してほしいなあ。
でもたぶん無理だろうなあ。
>>[989]

君とコヲノスケさんは一見けなしあいながら妙に気脈が通じているようですね。
お互い知り合い同士のようだけれど、リアルの自分を知っている人がいるところでは、通常はあまり口汚いことを言えなくなるはずだが、そういう意味では君の言動は実に不可解だ。まるで二人は一心同体の如く見える。

ログインすると、残り983件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

哲学が好き 更新情報

哲学が好きのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング