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ポリアンナ・よかった探しの会コミュのよかった探し最大の注意点

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 よかった探し最大の注意点。それは「よかった」とは「感じる」ものであって「考える」ものではないということ。
 これはついつい忘れやすいから気をつけないといけない。

 「こんなにつらい事があったけど、こんなことが学べた(気づけた)からよかった。」と理屈で「よかった」を作り出しても、心がそれについて行っていないと、それは「よかった」ことにはならない。
 理屈だけの「よかった」が積もって行くとストレスがたまる。
 正直な心は自分でも気付かない奥深くで(ホントは傷付いているのに、それさえも認めてもらえない!!)と叫びつづける。
 いつかどか〜んと出て来るまで、それはじわじわ自分の中で育ってしまうんだよね。

 「よかった」とちゃんと自分が「感じて」いるか?常に注意が必要。
 ほんとうに感じている「よかった」は、何も言わなくても、しなくても自然と人に伝わる。
 それが周りの人が「よかった」を見つけるヒントにもなる。(ポリアンナのおかげでみんなが「よかった」を見つけたように。)

 「考えて」作った「よかった」は誰のヒントにもなれない。
 話してみてもそれはただのお説教。「考えて」くれて、「こういう考え方すればよかったと思えるよ。」なんて言われたところで(ほっといてちょうだい!そんなことは言われなくても分かってるわよ!!)となってしまうだけ。
 頭でわかっても感じられないんじゃ意味が無い。

 「よかった」は「感じる」もの。
 自分の「よかった」を探す時も、人の「よかった」を探す時も、自分自身が心から「よかった」と思え、ハッピーになれているかちゃんと確認することが大切。

 そして心から「よかった」と思えている時、それはもう自分一人のものでも、人のものでもなく、「みんなのもの」になっていることに気付く。
 
 
 

コメント(8)

確かに、様々な状況に自然に「よかった」と感じられれば、それは素晴らしいことです。

でも、例えば苦難や不条理に立ち向かったとき、それを「よかった」と考えることも、とても意味のあることだと思います。もちろん、無理矢理そう考えることは、精神的にも健全なことではありません。しかし、「よかった」と思ったその考えを伸ばしてあげることが出来たなら、人として成長出来ることもあるでしょう。

人は、一人で生きている訳ではありません。もし誰かが「よかった」を「考えている」のなら、手を差し伸べてあげて、一緒に本当の「よかった」を感じられる世の中にしていきたいですね!
 そうですね。周りが言うのでは無く、本人が「よかった」と考えようとするのはほんとうの「よかった」に辿り着く近道であると私も思います。
 ただ、私も分かっていながら「考えたよかった」をつい押し付けてしまうことがまだあるので自分に対する確認の意味でも書きました。

 それと・・・。

 昔、私の場合は自分で考えだした「よかった」が心の中で泣いている「本当は傷付いている部分」を隠していた時がありました。
 なにもかも「よかった」のはずで、元気なはずなのになぜかほんとうに「よかった」とはずっと感じられなかった時が。
 「よかったよね?」というのが逆にほんとうはまだ傷付いている心を無視させて、逆に「よかった」からどんどん遠ざかって行ってたのです。
 それが長くなればなるほど、「そもそも何に対して傷付いているのか」さえ解らなくなって大変な状態になりました。(笑)
 1年半ぐらい。何も問題は無いはずなのに原因不明で毎晩泣き続けてました。
 あの頃の私はやたらと元気で明るかった!!
 「よかった」と言い聞かすことによって心の中で泣いている私の声を聞いてあげずに無視してたんですよね。
 それを聞くのはこわいから。
 それをさけるために作り出した嘘の「よかった」は山程ありましたよ!!
 それはどんどん増えてこんがらがって体にも現れてました。
 頭で考えて、「よかった」のはずなのになぜか苦しいのは、苦しみの原因がはっきりしているよりもつらかったです。
 なにをどうしていいのかわからなくて。。。
 どうにかしたいのにどうにもできなくて。。。
 誰かに助けて欲しいと思っても、自分で原因が解らないので相談も出来ない。
 「もう!神様でも仏様でもなんでもいいから居るんだったらどうにかしてよ!!」とか思ってました。
 最後には「よかった」ももう思い付かなくなって(考えつくしちゃったんですね)ただ「悲しい。苦しい。」だけがありました。
 心の奥で泣いて居たちいさな部分が、私が見てあげないからどんどん大きくなってアピールしてたんですね。
 その事に気付いて、「自分はちっとも『よかった』なんて思って無くて本当はずっと悲しかったんだ!!」と認める事ができてやっと癒されました。
 泣いて居たちいさな部分はただ私に受け入れてほしかったんですね。

 こんなこともありますので・・・

 こんなことがもうあまり無ければいいな。との思いで書きました。
 「考えるよかった」が良い、悪いではなく。
 「考える」のと「感じる」のは違うものだと認識しておくことは必要だと思います。
 ほんとうに「感じられる」まではまだ悲しんでいる自分がいるということを忘れないでいてあげる事が大切だと思います。

 そして・・・どっちみち絶対に「よかった」に辿りつくんだから安心している事ですよね!!

 私はもう二度とあんな思いは嫌なので、「よかった」ときは思いっきり「感じる」し、そう思えない時は無理に考えず、傷ついてる部分を「よしよし」してあげることにしています。
 思いっきりどっぷり悲しんだり、怒ったりもします。そんな正直な自分を受け止めてあげられるようになったのが私の一番の「よかった」です。
 
 そして自分だけで無く周りの人の怒りや悲しみが出て来た時、まるごと受け止められればいいなと思います。

 がんばって探すのをやめて、思いっきり泣いたり喚いたりしつくしちゃえば、最後に残ってるのはいつも「よかった」だけだから。

 探さなくてもそこにあるから。
 
 
みぃなさん。
 こちらこそ、こらからもよろしくお願いします。
 
Pollyannaさんの意見に深く納得しました。

初めに読んだ時は「『よかった探し』はもっと気軽にしたいものだ」と反発を覚えたのですが、実際にやってみましたら、Pollyannaさんが指摘された点に突き当たりました。

おっしゃるとおり、本当に「よかった」と感じていなければ、よかった探しは「抑圧」になってしまうのだと思いました。

ポリアンナも、悲しいときは悲しんでいます。常に「よかった」を探そうとはしていますが、本当によかったと感じていない限り「『よかった』が見つかった」とはしていないように思えます。

「よかった」は、本当にそう「感じた」とき、「見つかった」とすべきなのでしょうね。「こう考えれば『よかったと思える』」と頭で考えた時点では、まだ見つかっていないとすべきなのでしょう。
こんにちは!

最近感じるコトがありましたので、カキコさせていただきます。

「よかった探し」が心の等身大の投影であり、
理屈や論理でないこと、深く同感いたします。

つらいコトがあったのに、それを無理やり納得するために
よかったに置き換えるのは、心のどこかを傷つけすり減らせてしまいます。


一方、自分の心のあり方、状態によって、同じ出来事を「よかった」と
受け取れたり、そうでなかったりすることがあると思います。

先日、私の家族が病気になり、検査のための手術をすることになったのですが、
そのときは、これまでの何気ない日常の平穏さが実は幸せだったんだ、と強く思いました。

そして、検査のための手術なのに神経を2本切断されてしまうという手術ミスが起き、
家族は体の一部が不自由になってしまいました。

そのときは、何て酷いことだと先生や運命を呪う気持ちになりました。

しかし、この出来事によって、その後家族全体がフォローすることになり、
より家族が強く結びつくことが出来た、と今では心の底から感じています。

起きた出来事だけに執着すると、とても「よかった」などと思えませんが、
こうした事象から離れ、心の動きに素直に従うことで、もっとポジティブに、
もっと生きていて「よかった」と思えるのではないかな、と思いました。

そして、心の状態により同じ出来事が別な形で受け止められるとしたら、
普段から平常心、平等に見る目、ポジティブさを保つということも、
大切なのではないかと思いました。

長文失礼しました。
久しぶりにお邪魔しました。

私も感情や欲求など、心に関する事はかなり学ばせてもらってるのですが・・・
感じてるかは重要な事ですよね。

仰る通りです。

無理にポジティブになるための「よかった」では、反対に、傷ついた心を癒す前に隠してしまい、後で辛くなることがあります。

辛い時は辛いと正直に自分の心を認めてあげることも、とても大切かと思います。

ある出来事が辛かったら辛かったでいいのです。
そこを振り返り、気付きと学びがあります。
「ああ、あの出来事は辛かったけど、そのおかげで、こんな事に気付けた。こんな優しい人とめぐり合えた。」など、辛い出来事の裏側まで見れるようになって、はじめて心から「よかったんだ」と思えるのではないでしょうか?

ここ数年親が計4回も入院したり、病院に通ったりして、私の肩に家の事がズッシリ乗ってきました。
かなり、大変な日々でした・・・そんな時、車を出してくれて買い物の手伝いをしてくれる人がいました。

でもその方は、私と結婚するはずだった人で、私は結婚破棄された方でした。
2年以上そうやって手伝っていただいてます。

ここではじめて、ああ、あの時結婚してたら、親の面倒を見れなかっただろうなと思い、そうか、あれでよかったんだ!と心から思い、手伝って下さる方に感謝しています。

「よかった」と心から感じたのです。

無理はいけませんね・・・
「よかった」と思えない自分がいても、それには理由があります。
その理由をしっかり受け止めてあげるといいかと思います。

長文失礼致しました<(_ _)>

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