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アンチ(反)・デマコギー(嘘)コミュの一弦の琴、銀の匙

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参院選前にも内閣改造=政府筋
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100307-00000004-jij-pol
普天間、沖縄と米に配慮=参院選前の内閣改造否定−鳩山首相年頭会見
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010010400169&rel=y&g=pol


小泉・竹中の資本主義観・パフォーマンス政治からの系譜というか踏襲というか、昨今の国内政治は醜くすぎて浅ましすぎて・・・
それを助長というより面白おかしくして大衆煽動してるメディアや、それが食い扶持のコメンテーターやら芸能人には品も羞恥心もなにもあったもんじゃなくて(あくまで僕個人の感想です)、それも民主党が第一党になってから極まったなぁ、と。

厭世的と言えば大袈裟すぎますが、現日本の国民としてのダルさから、一票や未来のために学ぶという意欲も薄れ、ここ2、3年は読書欲も無くしてました。
そんなんですから最近は小説くらいしか手にしていなくて、イデオロギー抜きで単純に物語の楽しさのみを目に入れてます。

去年は谷崎潤一郎の短編[春琴抄]、それとはまったく趣致が違いますが井上靖の[孔子]は秀逸でした。
今年に入ってからは、すでに宮尾登美子の「一弦の琴」、中堪助の「銀の匙」という大傑作に出会えましたので、この2冊の感想を少し下記にします。


人によって小説の読み方は色々あるかと思いますが、僕の場合は、例えば男として、例えば女として、または人間として、主役(脇役)の行動や心理描写が、今ある自分の現実や非現実をどんな風に橋渡ししてくれるのか?または橋を壊すのか?というところなのですが、「一弦の琴」では、「女性という人間」の素晴らしさを再確認でき、性は雄である自分の対象への尊敬を素直にできました。

そして、ローカルの素晴らしさを教えてくれました。
それはグローバルの反対性とまでは言いませんが、今はもう昔の地域的な繋がり、もしくは視野のキャパシティという2度と取り戻せないであろうものが言外行間に漂い、それはこの情報化社会の住人からの憧れとも儚さともいえそうな感情を作ってしまいます。

また、これは宮尾作品全作に渡って言えることですが、作者が紡ぐ一つ一つの文章の美しさは、それを眺めているだけで心を洗われるような感動を覚えるのです。



続けて「銀の匙」ですが、この物語は目に溜まるものを堪えるのが大変でした。
叔母の大きな愛情に包まれた小さな子供の可愛さ、それを無垢と言えば妥当でしょうか。

僕はTVゲーム第一世代で、今の子供たちが映画のような画面でたくさんのボタンのついたコントローラーを使いこなすのを見ると、遊びもどんどん高度になっていくなぁ、という思いにもなるのですが、

本作に出てくる子供たちの山川草木への知識や感慨、鬼ごっこに留まらず外遊びの豊富さを読めば、現代っ子の心象風景などは進歩よりむしろ退歩してるのではないか?という考えにもなります。

そんな時代背景の中で育つのであろう純真や純心、それが大人に子供に共通であることの重要さを考えさせられるものでした。

こういう美しいもの、素晴らしいものが存在しているから、またその存在が生まれえたという事実があるから、生きてるって悪くないな、って思うのですが・・・

相も変わらず政治屋どもは、露店の縄張り争いに精を出してます。
自民も民主もいっしょです。
祭りの雰囲気がなければ、自分のところの食えたもんじゃない商品が売れないことを知っているので、連中は興業に必死です。

僕は未だに活字への欲求が戻りません。


追記
著者の意図によって、読者は橋を架けられもし、流されもしますが、最近の流行小説などは橋作りの雛形にもなりません。
「一弦の琴」は直木賞作品ですが、数年前の同賞受賞作品は3分の1も読み進めませんでした。
あくまで憶測ですが、今の作家さんたちはタイプで字を乱立させてるだけなんじゃないでしょうか。
随分と内容が薄っぺら、と思ってしまうのは、漢字を原稿に書きながら進めると沸いてくる霊感や閃きなんかをまったく感じないからなんです。

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