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ストップ浜岡原発コミュの38.9m東日本38.2明治三陸28.7昭和三陸

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そこまで遡らずとも太平洋からの津波の実績は充分にあったむかっ(怒り)むかっ(怒り)

福一...5.7m防波堤など...足足足

ただの岸壁の高さで何にも対策してなかったという事だ。

津波は2~3mしか想定していなかったそうだな↓↓

4月18日の参議院予算委員会の東電、清水正孝は

「昭和33年チリ地震の津波の14~15mを想定していた」

と防津波体制で虚偽を説明していました。

想定通りの津波でこの惨状は

まさに偽装と怠惰のていたらくだ↓


福島第一原発、襲った津波は14〜15mに
< 2011年4月10日 2:33 >「東京電力」は9日、福島第一原子力発電所が東日本大震災で発生した津波に襲われた時の映像を公開した。

 この映像は、東日本大震災が起きた先月11日、福島第一原発の職員が撮影していたもの。押し寄せた津波が施設とぶつかった際に、高くしぶきを上げている様子が映っている。高さは約20メートルになったとみられる。

 また、東京電力は、福島第一原発を上空から撮影した津波の前と後の写真2枚を公開。津波で海沿いの木々が広い範囲で押し流されたことがわかる。東京電力によると、施設を襲った津波は高さが14〜15メートルに達していた。福島第一原発が想定していた津波の最大の高さは5.7メートルだった。

 また、津波によって、原子炉建屋など主要な施設がほぼ全て4〜5メートルの高さまで浸水したという。

 福島第一原発は、津波によって電源設備やポンプなどが流されたり、破壊されたりして、原子炉を冷却する機能が停止し、その後、水素爆発や放射能漏れが起こり、今も深刻な状況が続いている。

 また、復旧作業を阻んでいる高濃度の放射性物質を含む汚染水を、施設内の集中廃棄物処理施設に安全に移すための準備段階がほぼ終わった。東京電力は10日から、「トレンチ」と呼ばれる作業用トンネル内の汚染水を、タービン建屋内の復水器に移す作業を始める予定で、高濃度の汚染水の「玉突き排水」を本格化させたい考え。



東電は'60年のチリ地震の津波しか想定しておらず

14~15mの津波しか想定していなかったと18日予算委員会で東電社長が回答しています。

しかし既に、38.2mを明治三陸津波で

23~28.7mを昭和三陸津波で経験していた

充分で重大な知見を完全に意図して無視してきた

政府、官僚、東電による安全対策の重大な過失でした。


東日本大震災の津波が、岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島で38・9メートルの高さまで達していたことが、東京海洋大学の岡安章夫教授の調査で分かった。


 岸から400メートル離れた同半島の姉吉漁港近くの山の斜面で、津波によって木が倒れていることを発見した。

 斜面を駆け上がった津波の遡上(そじょう)高として、明治三陸地震(1896年)の記録を初めて抜いた。明治三陸地震では、同県大船渡市の綾里(りょうり)地区の38・2メートルが最大記録。東日本大震災では、宮古市田老(たろう)地区の小堀内漁港近くでも37・9メートルの遡上高が確認されている。


昭和三陸津波...1933年(昭和8年)3月3日、三陸沖のマグニチュード8.3の地震で起こされた津波で、明治三陸津波につぐ大津波。遡上高は三陸町綾里で 23.0〜28.7mに達し、死者・行方不明者は岩手県を中心に3,064人に及んだ。津波による家屋被害数は明治三陸津波とほぼ同じである。



南三陸町志津川高校から見た津波の様子 Tsunami attacking in Minami-Sanriku





大津波...惨禍は国会議員、保安院、東電によって軽視、無視された結果だった

三陸海岸にある記念石碑には

高き住居は児孫は和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな

明治29年にも昭和8年にも津波が来襲し、部落は全滅し、生存者はわずかに数人しかいない


という事が書いてある。

明治29年、高さ38メートルの大津波が2万人以上の命を奪い、昭和8年にも3千人以上の命を奪い

37年前の失敗がまた繰り返されてしまったのだ。


事実、この石碑下50メートル下まで、今回の津波は押し寄せた。

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う


過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

(2011年3月30日07時22分 読売新聞)


http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w&feature=player_embedded

まんが日本昔ばなし「みちびき地蔵」 宮城県気仙沼市
http://www.youtube.com/watch?v=pCAbYlODSc0&feature=player_embedded




被災地・大船渡の壮絶な光景 子供抱いたまま亡くなった母親も
2011.04.09 07:00


 東日本大震災の翌3月12日早朝に救助要請を受けて、岩手・大船渡へ向かった災害救助犬の調教師・村田忍さん(39)が、災害救助犬のレイラとともにそこで見た壮絶な光景を語った。

 * * *
 瓦礫の山をひたすら進んでいくうちに、海岸線沿いに出たんですね。そこからはもう…このような表現をしていいのかわかりませんが…テレビのニュースで水質汚染で大量の魚が死んで浮いているところを見たことがあるんですが、それが魚ではなく人間だった、というような光景です。

 多くの人が服を波に剥ぎ取られ、裸の状態でした。手や脚がないご遺体もありました。瓦礫の中から必死に助けを求めるかのように、手だけを突き出して伸ばしている遺体も見ました。その手だけで雄弁にメッセージを送っているようなんです。助けてくれ…って。

 そうかと思えば、津波に襲われ、車の中で息絶えた人たちは、服もそのままだし、体のどこにも損傷がなく、眠っているだけじゃないかしら、と一瞬思うくらいでした。車の中で子供を抱いたまま亡くなっているお母さんも見ました。最後の最後までこの子を助けてほしい、きっとそう願ったのでしょう、つらいお顔をしていました。子供を助けられない親の苦しみが伝わってくるようでした。そして、子供は必死でお母さんにすがりついたまま…こわかったでしょうね。

 現実の、この世のできごととは思えませんでした。2日間、ほとんど不眠不休で働いたレイラは足を切ってけがをしていましたし、大船渡から自宅に帰るとぐったりと倒れてしまいました。

※女性セブン2011年4月21日号




「想定外だった」「想定外は有り得る」と言った時点で、原発は成立しない。想定外は必ず起こるからだ

技術者は常に少ないリスクであっても察知、予測し、ひたすらfailsafeしていくべきだが

その当たり前の技術者は圧倒的少数で辞めていく存在で

「危険だと言うと、若い技術者が怖がるじゃないか...]

と危機感を持たないように持っていくのが東芝、東電の技術のTOPで圧倒的大多数だったのが実情だった。

http://www.youtube.com/watch?v=cqF1G0IMk_Q&feature=related

マグネチュード9も8も想定していなかった。

原子力の業界に対して言っても無視されるだけ、来ない地震や津波10m等と言っていると「バカじゃないか」と必ず言われた。

今回、初めて聞いてもらえる環境が出来た。

柏崎原発で放射線漏れが起こったが、安全神話はとっくに崩れていた。

東電は人を食った非常に憤慨する回答しかしていなかった。

こんなバカな事をやっていたら、本当にまずいと思っていた。

その矢先のこの事故だった。

http://www.youtube.com/watch?v=lKMKzXicT5I&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=xdyzKXO-DYQ&NR=1&feature=fvwp

http://www.youtube.com/watch?v=yW5FtyQ-RSE&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=ejMqnmI2jM8&NR=1&feature=fvwp

元東芝原発圧力容器設計者 後藤政志さん



仙台沿岸に遺体200〜300人―宮城北部
時事通信 3月12日(土)0時17分配信

 11日午後2時46分、三陸沖を震源とする地震が起き、宮城県北部で震度7を観測した。気象庁によると、マグニチュード(M)は国内観測史上最大の8.8(暫定値)を記録。同3時15分にもM7.3の余震があり、茨城県南部などで震度6弱を観測した。仙台新港に高さ10メートルの津波が到来したほか、同50分に福島県相馬市で同7.3メートル、同4時52分には茨城県大洗町で同4.2メートルの津波を確認するなど、北海道から沖縄県まで広い範囲に津波が押し寄せた。宮城県警によると、仙台市若林区荒浜の沿岸地区で溺死したとみられる200〜300人の遺体を発見した。午後11時半現在、この他に確認された死者は122人。警察庁によると、不明者も約500人に上っている。
 気象庁は岩手県から茨城県に至る南北400キロ、東西200キロの断層帯が破壊された可能性が高いことを明らかにした。
 福島県によると、自動停止した福島第1原発2号機の原子炉内の水位が低下。このまま低下し続けると、燃料棒が露出して放射能が漏れる可能性があるとして、国は原子力災害対策特措法に基づき、同原発半径3キロ以内の大熊町と双葉町の住民に避難指示を出した。
 各県や県警によると、岩手県や宮城県などの沿岸部を津波が襲い、多数の漁船や家屋が押し流された。岩手県山田町で死者が多数出ているほか、同県大船渡市で建物300棟以上が崩壊・流失し48人が行方不明。同県では久慈市の漁港などで57人、宮城県でも石巻市などで19人の死亡が確認された。 



「高台へ避難中に津波」=被害状況で保護者説明会―児童74人死亡・不明の大川小
時事通信 4月9日(土)20時27分配信

 東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の校長らが9日夜、同市内の別の小学校で、被災当時の状況に関する保護者説明会を開催した。市教委によると、児童の多くは教職員らとともに学校から高台へ避難中に津波に巻き込まれたという。
 保護者からは「助かる方法は他になかったのか」などと学校側の対応を批判する発言が相次いだといい、当初の予定時間を上回る1時間半に及んだ。
 説明会は、保護者から「当時の状況を知りたい」との要望が相次いだことを受け開かれた。報道陣には非公開で行われ、保護者ら97人が出席した。
 市教委によると、冒頭に黙とうした後、今野慶正教育長代行が「安全であるはずの学校で多くの尊い命が失われたことに、心よりお悔やみ申し上げる」とあいさつ。その後、大川小の柏葉照幸校長や、現場にいた教職員で唯一生還した40代の男性教諭が当時の状況を説明した。
 3月11日の大地震発生直後、同校教諭は児童に校庭への避難を指示し、誘導点呼を行った。その後、迎えに来た保護者に児童を引き渡している途中、津波の危険があると判断。地域住民と教頭らが相談の上、高台となっている新北上大橋傍らの三角地帯に避難することを決めた。津波は三角地帯への移動中に児童や教職員を襲った。
 学校のすぐ裏に山があるが、地震による倒木の危険があったため、避難場所に適さないと判断されたという。
 保護者の一人は終了後、「納得のいく説明ではなかった」と肩を落とした。
 市教委は今後、児童らからの聞き取りも行った上で、改めて詳細について記者会見するとしている。 


■1498年の東海地震、津波遡上36mの可能性
(読売新聞 - 09月17日 12:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1746377&media_id=20

コメント(1)

トピ主は人を体たらく呼ばわりする前にまず、転載しかできない自身の体たらくぶりを治せ


トピ終了

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