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大脇同盟コミュの「大脇」雑学辞典

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 はじめに
学生時代岐阜から大垣にバスで行った折途中に「大脇」の地名に巡り合い、以来「大脇」の地名と名字に興味を持つようになりました。地名や名字は本来科学的な研究対象ではなく、伝承や作り話に基づくものも数多いと思われますが、誰しも自分の名字に一度は興味を持ったことがあるのも事実でしょう。50年間きままに集めた「大脇」情報を、退職後暇にまかせていくつか書き綴ってみましたので紹介します。誤りや追加、疑問を寄せられることを歓迎致します。

コメント(8)

愛知県の「大脇」地名
「大脇」名字は愛知県に最も多いとされていますが、「大脇」地名も愛知県がダントツで12件見つけました。古くからある地名と最近できた地名の区別はできません。また消滅した地名もあると思います。小字名は検索ができず、見落としている場所もあるかもしれません。
「大脇」の意味
 「大脇」は名字では「オオワキ」以外の読み方を聞いたことがありません。「大䏮」「大𦚰」の表記が見られますが、「䏮」「𦚰」は「脇」の俗字で、本来意味のある違いはありません。新城市に存在した「大脇寺」は日本歴史地名大系では「ダイキョウジ」とルビをふっているますが、新城市観光課に問い合わせると「オオワキ」であるとのことでありました。新漢語林によると「脇」の音は漢音で「キョウ」、呉音で「コウ」で、字義はわき、わきばら、かたわらとなっています。地名の「大脇」についての記載は、知多郡荒尾村下大脇について地誌に、「丘陵の麓にある比較的広い土地」と記されていますが、それ以外には見当たりません。近江蒲生郡大脇市、美濃日置江大脇(岐阜市)、可児郡土田大脇、尾張知多郡栄村大脇、駿河駿東郡菅沼村大脇を見るといずれも国境あるいは群境の集落で、近くに古くより街道が通じている特徴があります。街道あるいは国境の「かたわら」の土地と考えられないか?逆に大脇家が地名に反映された場所も少なくないと思われます。
最古の「大脇」地名
滋賀県東近江市八日市に市神神社があります。「市大明神社紀」には「夫淡海�反請医儚素係羆狒餽皺斡紳舅道坩貍糧�日市・・・・天智帝馭宇四乙丑歳夘月大脇市創立」とあり、天智天皇4年(665年)、この地に大脇市(いち)が開かれたことがわかります。八の日の市であったため八日市とも呼ばれ、現在も八日市の名前が残っています。大脇地名は周辺に残っていません。八日市に隣接して小脇(おわき)の地名があり、この地で宇多源氏の流れをくむ佐々木氏が発祥しました。佐々木氏7代末の尾形経方により大脇庄が営まれたと「與地志略」に記されています。さらに佐々木氏の流れをくむとされる「大脇」は日向都於郡三財出自の「大脇」、尾張丹羽郡の「大脇」があります。(写真:小脇をのぞむ)
大脇神明社
愛知県豊明市栄町大脇は大脇名字発祥の地の一つとされています。大脇神明社はこの地の氏神で、毎年10月第2日曜日に催される「梯子獅子」の神事で有名です。12mの高さに組まれた櫓の上で舞う獅子の姿が圧巻です。この梯子獅子は400年以上前に名古屋の大秋八幡社より伝わったとされます。また亀崎(半田市)より伝わる「神楽獅子」も奉納されます。
大脇曹源寺と桶狭間の戦い
戦国時代に知多郡大脇村(豊明市)には大脇城が築かれ梶川五左衛門秀盛が城主でした。永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いがこの地でも繰り広げられ、今川義元が打ち取られた場所ともいわれています。命日の6月12日に雨が降ると、白馬に跨った義元の亡霊が現れるとの伝承があるそうです。大脇曹源寺の住職二世快翁龍喜和尚により戦死者が供養されました。豊明市内に戦人塚が残っています。
大脇太郎
記録のある中でおそらく最古の大脇名字の人物の一人と考えられます。1275年に新田を開発し「大脇」と名付け、氏神として大脇神明社を創建しました(豊明市)。大脇太郎は隣接する知多郡横根村から来たことが記されており、祭祀の伝承を考え合わせると、亀崎(半田市)、横根、藤井神社(大府市)など知多郡北部にはすでに大脇を名乗る一族が存在した可能性があります。荒尾村(東海市荒尾町)には大脇地名が古くからあり(江戸時代の地図に記録がある)、知多郡の大脇名字発祥の地の可能性があります
 奥殿藩大脇家
 奥殿藩大脇家の初代は小畠隼人重元で、織田信長に馬廻り役として仕官しました。源氏の出を称し家紋は丸に井桁菱(写真)でありました。二代目靭負重貞は信長から知多郡大脇村(豊明市栄町大脇)に知行地をもらい、「大脇」姓を名乗ったと言われています。後に松平氏との地縁から奥殿藩(愛知県岡崎市)松平家の家臣となりました。松平氏は大給(豊田市)から奥殿(岡崎市)さらに幕末には佐久・田野口(長野県佐久市)に陣屋が移され、大脇家も陣屋の移動に伴い移り住んだと思われます(河内山雅郎 著:大脇氏考奥殿藩家臣大脇家)。北越戦争(1868)で田野口藩を率いた大脇晋助は一族と思われます。愛知県三河地方北部や長野県佐久地方の大脇名字はこの家系と関係があると思います。
信長公記と「大脇」
 信長公記(しんちょうこうき)は、織田信長の家臣太田牛一により書き残された信長の伝記であり、歴史書としてもその価値は高いとされています。信長に関わる人名、地名が数多く記載されており、その中から「大脇」に関するものを抜き出してみました。
 織田信行、信長に敵対:弘治2年(1556)の稲生(いのう)の戦いの経緯が書かれています。「大脇の城」(現名古屋市中村区大秋町)が清須と那古屋の間にあり、信長に敵対したとの記述です。信行側の戦死者に「大脇虎蔵」の名前が挙げられています。
 法華宗・浄土宗の宗論:天正7年(1579)安土城下で起こった宗教論争で、きっかけを作った塩屋「大脇伝助」が不届きとして斬首された記事です。
 織田信忠、二条の新御所で切腹:天正10年(1582)本能寺の変が勃発し、信長の嫡男信忠が自害した記事です。信忠の家臣で戦死者の中に「大脇喜八」の名前があります。

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