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大脇同盟コミュの「大脇」の由来調べてみました

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皆さんこんにちは。
最近興味があって、大脇姓の由来を調べてみました。
とは言っても、ネット上で他の方が詳しく調査した結果を発見し
ほとんどその内容をコピペ整理、抜粋させて頂いただけです。

皆さんも興味が有るかもな・・・と思って紹介するトピック建てました。
管理人さん、勝手にごめんなさい
m(__)m

結論からというと、大脇姓は色んな土地で発生していて、皆が皆お互いに関係があるわけではないようです。
つまり、結果的に同じ大脇という姓なだけで、家系の起源は全く別物だったりします。
・・・当然かもしれないですね
(´・ω・`)

整理する情報量が多かったので、冗長で筋が通ってない部分もあるかもしれませんが
「自家のルーツがわかったらいいなー」って煎餅でも食べながら読んで頂けたら幸いです。

コメント(13)

【荒尾由来】
愛知県東海市の荒尾町由来の大脇姓がある。
この地は古くより荒尾村と呼ばれ、鎌倉御家人荒尾氏の領分であった。
大府市横根町に現存する藤井神社の氏子であった大脇太郎は阿久伊の庄横根村(大府市横根町)より移住し新田を開拓。
荒尾氏と地縁、血縁で結ばれる大脇氏の存在が推定され、大脇を名乗る鳥取藩士や現在も山陰地方に散在する大脇名は荒尾村に由来するものと考えられる。

天正7年(1579年)安土宗論のきっかけを作り、信長により斬首された大脇伝介はやはり安土城下で塩屋、宿屋を営んでおり、大脇伝内と同一人物か、近親者と考えられる。
大脇伝内については岐阜市歴史博物館に常設展示があると聞いている。
【越後由来】
新潟県長岡市小国町にある大脇城である。小国町の大脇城は箕輪山城の一部で支城の役割を果たしている。
この城郭で大脇の由来を考えると、主城箕輪城にたいして脇を固める重要な支城との意味で「大脇」と呼ばれたのではないか。
戦国期に小国は越後毛利氏の支配下となり、大脇城には大脇国成が在城した。その後は大脇姓の活躍は見られない。
長岡市をはじめとする新潟県下の大脇姓は、小国氏の流れをくむ一族ではないか。
【諏訪肥田由来】
岐阜県は愛知県に次いで大脇姓が多く、特に東濃地域、中でも加茂郡八百津町は突出している。
これは加茂の大脇の祖先がこの地の武家であったからだと言われる。
この大脇氏は木曽義仲に従軍、永禄3年(1560)頃には野上城に入ったと思われる。(城主としてではなく)
野上城は和知城や稲葉城とも呼ばれ、木曽川右岸の小高い丘の上に城址公園として残されている。
稲葉氏が西美濃から転封される前には大脇主計が在城していたという。
(転封とは、幕府の命令で大名が所領を移すこと、治める地を変えさせられること)
稲葉氏は後に九州臼杵藩に転封となり家臣として大脇氏を伴った。
文化11年(1814)野上の本家大脇銀庄郎と以下の分家に分かれる。
・和知洞分家此右衛門
・比久見村分家左右衛門
・下米田村分家長右衛門
・上飯田村高山分家八十右衛門、五右衛門

加茂郡の大脇氏の先祖は諏訪氏と言われているそうですが
肥田氏とも関わりが強く大脇氏は肥田氏の一族郎党であった可能性もあるそうです。
更に諏訪氏と肥田氏の間も関係性が強いようです。
この諏訪氏とは、長野諏訪大社の神主であり、大名でもあった家系で、
加茂市にも諏訪神社が有り、岐阜県可児に大脇という地名もあることから
美濃諏訪神社関連でこの地に移った諏訪氏の一部が大脇を名乗ったのではないでしょうか。
その辺はあくまで想像を多分に織り込んでます。
可児の大脇の地に関しては、後述する近江由来の大脇の項要参照です。

因みにウチは恐らくこの分家の一つです。
なので加茂在住の大脇さんは、もしかしたら遠〜〜〜〜・・・・い親戚かも
【土佐由来】
「大脇氏は其の祖先尾張の出である。遠祖藤原氏にして代々家紋丸内に大の字又上り藤に大の字を用ゆ。
元祖助左衛門初織田信長に仕へ、後土方河内守雄久に仕へ知行二百五十石を領し郡代役を勤む。
妻は甲州浪人猪子又右衛門の女であった。」
土佐大脇家の伝承であり、土佐大脇家は尾張丹羽郡の大脇氏の一員の可能性が強い。
信長に仕えたとあるが、織田家臣団にその名は見えず、おそらく陪臣であっただろう。
大脇助左衛門は、土田氏から出た後生駒家の家臣となった大脇一族ではないか。

官兵衛の妻光の生まれた志方城(加古川市)は、天正6年(1578)北畠(織田)信雄によって陥落した。
大脇七兵衛はこの時武功があったとされて資料に名を残した。
当時すでに土方雄久は北畠(織田)信雄の家臣であることから、この七兵衛が土方の旗下にあったと考えられる。
つまり土佐大脇家初代大脇助左衛門と大脇七兵衛は同族の可能性が強い。
可児郡土田が出自で丹羽郡に移った大脇氏の一人で、生駒家ゆかりの人物と思われる。
【近江蒲生由来】
現在「大脇」を名字とする家は、木曽川中流(江南市、犬山市、一宮市)に特に多い。
その出自は、土田大脇家が大きく関連しており、
この大脇姓は土田氏と生駒氏との関連のもとで拡散したと思われる。(下記参照)

織田信長の母土田御前の実家である土田氏は近江蒲生郡から美濃可児郡土田に移った、宇多源氏佐々木氏(六角氏)の関係者と言われている。
この時に伴った中に大脇家があったのかもしれない。
土田の開墾を手掛け、木曽川の物流(大井戸渡し)を支配しこの地の土豪となった。
土田氏は明智氏と姻戚関係があり、当初美濃の土岐氏に属したが、地理的に尾張の生駒氏と関係が深くなり織田家に仕えるようになった。
生駒氏は織田家家臣で、織田信長の側室・生駒吉之(よしの)は信雄の母である。

江南市史に出てくるのは丹羽郡和田村の庄屋大脇家のみ。
可児市史に「丹羽郡の大脇氏は近江源氏の出」とあり、その根拠は不明ながら気になる記述である。
このことから、丹羽郡大脇は上記の土田大脇の系譜の可能性があり、更には本家は源氏の血を引いている可能性がある。
土田家から生駒家に移った陪臣の中に埋もれているのかもしれない。
ということは、生駒氏関連の大脇は土田大脇かもしれないし、庄屋大脇かも・・・
後述する土佐大脇家とも関わりがあるようです。

庄屋の大脇家は文化・文政年間から明治初期に丹羽郡和田村のち和田勝佐村の庄屋を務めた。
徴兵制度を前提に壬申戸籍が編まれた明治5年(1872)、それまで持っていなかった名字を一般庶民が新たに名乗る必要に迫られ、
和田勝佐村では地主でもあった庄屋が関係する小作の人々に「大脇」を名乗るよう勧めたと言われている。
つまり、上記の一族とは血縁の無い大脇家がいくつも生まれた。

近江與地志略には蒲生郡に「大脇庄」があり、宇多源氏佐々木氏7代尾形某が在城したという。
箕作山の南東山麓に位置し、東は開けた平野が広がっている。
広い平野(大)と山の麓(脇)の組み合わせで「大脇」ではかろうか。

それとは別に、木曽川沿岸の大脇家はもと薩摩藩士で、木曽川の改修工事に派遣された後帰農したとの伝承もあるみたいですね。
時間がとれたので大脇城跡行ってみました。
>>[7]

城跡と言っても、1×2メートルぐらいのスペースに
この石柱と看板立ってるだけでした
地味すぎて、一度気付かずに通りすぎたぐらいです
(´・ω・`)
看板には、横根村の記載があるので、たぶん↑に書いた荒尾発祥の大脇由来の地名だと思いますよ

大脇という地名は、山の隣の大きな土地を示す名称として各地で使われていたみたいですね

来月には諏訪大脇由来の地、野上城行ってくる予定です
(´ω`)
その時はまた持写真アップしますね
>>[8]
大脇城の近くにある大脇神明社は大脇氏の氏神として1275年大脇太郎によりたてられた神社ですよ。
>>[8]
ついでに名古屋市中村区大秋にある大秋八幡社にも行ってみて下さい。「信長公記」にでてくる大脇城の廃城となった跡で、後世誤って大脇が大秋になってしまった場所と思われます。
岐阜県可児市土田大脇にある土田城址の碑です。この「大脇」から美濃・加茂郡大脇氏および尾張・丹羽郡大脇氏の名字が出たのではと思います。諏訪氏の末裔肥田氏、近江源氏の末裔土田氏が可児郡を時代をずらして支配しています。それぞれの一族からこの地を名字とする一族が発生したのではと考えます。
>>[8] .
mixi大脇同盟は休眠状態のようです。FBで新たなグループを立ち上げませんか。大脇姓のルーツを探すグループです。各地の大脇さんに集まってもらえればいろいろ分かることがあると思います。
>>[12]

ごめんなさい、オッキーさんとボクとでは趣旨が違うように思います。
単に自家のルーツを調べる過程で見つかった他の大脇の記事も目にしましたので記載しただけです。
以前にも大脇のルーツについて議論もありましたし、他の皆さんも興味有るのかと思って。
現状、自分の家のルーツがはっきりしたので、もうコレでいいかな、と思ってます。

せっかくですが、ご遠慮させて頂きます。

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