ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

今、生きているという意味コミュのサロン

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
自己紹介と雑談のトピックです。

特定の話題が盛り上がりましたら、
別途トピックを立てて頂きますよう、よろしくお願いします。

コメント(54)

はじめまして。
MILLと申します。

現実の体験をスピリチュアルで解釈して堂々と(笑)話せるような環境が、こんなところにあるんだなーと思って、ちょっと嬉しく思いました。
時々お邪魔させていただこうと思います。


よろしくお願いします。
MORIさん MILLさん
よろしくお願いします。
日々私は“この状況の意味”を考えています。
皆さんにご報告できるようなことが起きた時また現れます!!
わーふさん むこさん そしてNORIさん。
こちらこそ よろしくお願いします。
私も、“この状況の意味”いつも考えます。
無駄なことは一つもありませんものね。
必ず何かに繋がっていると思って。

みなさんのお話を楽しみにしてます。
賛同してくださる方がおられて、
内心、ただただ、ほっとしてます(笑)

父親に、コンピュータへの関心を持ってもらいたく思い、
先ほどまで、文書を作成してました。
それをなぜか、印刷してFAX送信。
(そうしないと読んでもらえない(笑))
再度、PC前に戻ってくると、
棚の中に「パソコンがFAXに」というソフトの背表紙が目に留まりました。
「た、退化してる・・」(笑)
けれど、実際、印刷→FAXしているわたし(笑)

ただ、先日、父にFAXを送ったところ、
送信から3時間後に電話という、
父にしてはかなりの好反応。

改めて、
「読み手の気持ち」「相手の気持ち」を
疎んじていたな、と反省の昨今です。

おくればせながら、どうぞよろしくです♪
すろさん はじめまして。

相手の気持ち 

私も今まで、自分自身に必死になりすぎて、
相手や周りの気持ちまで考える余裕が無かったといってしまえば言い訳になってしまいますが、
今更のように、相手の気持ち、相手の感じていることを
私も感じていかなければならないなと反省する今日です。
まだまだ人間未熟ですが
どうぞよろしくです。
「人の気持ち」と頭で繰り返すものの、
そこを隔てる壁を感じますね。
わたしは、私見ではありますが、
ここに意味がある、とよく思います。
森羅万象すべての魂が1つのかたまりであったとしたとき、
リアルボディ(実在の肉体)というのは、
かたまりから、切り離された「孤独な魂」とも考えられます。
わたしは、特定の宗教、宗派に属してはいませんが、
仮に、このようなメカニズムを作った創造主がいるのであれば、(仮にここでは「神」とします。)
神さまというのは、随分意地悪だなぁ、と思います(笑)
その「壁」が元で悩んだり、頭を抱えたり、泣いたり、振り回されっぱなしですから。

同時に、
その壁があるからこそ、リアルボディを持つ存在、
つまりは、ただいま生きている人は、
「壁を越えよう」「壁を越えて分かち合おう」と、
情熱を持てる仕組みともいえます。
はなから、垣根がかければ、超える決意は存在しませんので。

思えば、はじめから「他人に分かる道理がない」ものです。
頭にUSBのジャックが欲しいくらいです(笑)
その、「道理がない」はず、にもかかわらず、
時折、何の導きなのか、
全てではないにせよ、ほんの一欠けらを共有することもあります。
この言葉に尽くせぬ幸福感。
壁がなければ、この幸福感もなかったことでしょう。

真っ向から反対の意見を持つ人と対峙する機会もまたあります。
相互利益を底とし、さらに相互理解と共存、共栄とありたいものです。
築き上げてきた持論は、自身にとって間違いなく(その瞬間)正しいものです。
相反する意見は、その視点からすれば、「間違い」という姿勢をとってしまいがちです。
しかし、対峙するという機会(タイミング)には、
やはり、重要な意味が存在するものと思っています。

対峙する相手さん次第ではありますが、
こちらのこれまで得た知識経験による視点として、
相手さんのそれを「誤り」だとするのも1つの評価だと思います。
わたしは皮肉屋な気質なので、ついぞそうしてしまいがちです(笑)
ただ、ここで上げた例のように、
一方が「正しい」と思い、また一方の異なる視点から「正しい」ものがある時に、
この二人の「平和」を重視した場合、
どちらがどう正しいか、ということは、
あまり意味をなさないことが往々にしてあると思います。

「人の気持ちを考える」という事に関して、
禁則といいますか、やめておいたほうが無難、なことは、
「その人自身が考えている以上に考えない。」
という側面もありますね。
思えば相手だって、人間。考えてないはずがありませんから。

P.S,
つい、「わたしの主張」を書き連ねてしまうのが、わたしの悪いクセです(笑)
タイミング、ってありますが、
日本語でいえば、「天命」というところでしょうか。
もともとの、
人事を尽くし、天命を待つ
という言葉ですが、
この人事の尽くし具合って難しく感じることってありませんか?
ともすれば、それによって、タイミングを逃してしまったり、
さかさまに、天命ばかりを待ちぼうけになったり、と。

格闘技の試合を見ていて、
「両手以上のことは出来んわなぁ」と思うとともに、
その両の手を鍛える価値も感じます。

「人の気持ちを考える」という事にしても、
その相手自身が自身について考える以上に、こちらが考えるというのは、なにやらこっけいとも思います。

皆さんのご意見、いただけましたら幸いです。
人事を尽くし、天命を待つ
という言葉に関して言うならば
私は正にそれを体験したことがあると自分で思っています。
私は自分の限界というのを自分で決めない主義ですが、
これ以上の自分の力はもう無い、出ない、どんなに振り絞ってもそれ以上はもうあかん!助けてーっ!(本気で心の中で叫んでました)
・・・ってとこまで行った時に、思いがけず解決策がぽんと目の前に出てきて救われた時があります。
そりゃもう、びっくりしたくらいの。
そういうことじゃないかなーと・・・・(汗)
で、私の場合は特に、待ってる暇は無いほど自分の人事を必死で尽くそうと努力し続けている毎日です。
どこがその『尽くす』という先なのか、なかなかわかる時はありませんが。


もしも、タイミングを逃したと感じるならば、
それはタイミングを逃したのではなく、
当人にとっては本来必要の無いタイミングだったのではないかと私は思います。
その人に必要なタイミングも、事象も、全てその人のためになるように出てくるもので、本当に必要ならばそれは逃すはずは無いのではないかと私は思います。


人の気持ちを考える

私の場合は、頭で考えあぐねるよりも、
ただ単純に体(肌?)で感じることの方を重要視してしまいます。
ただそれを見落とすことの無いように、と思っています。見落としてばかりなので。
頭で考えてばかりいると、考えすぎてしまって確かにこっけいになってしまいますね。
壁がある個人を創り上げて、体験したり感じたいがために
それが、幸福だけでなく、絶望でも屈辱でも
私達は生まれてくるんでしょうね。
それから何か学ぶことや、その中でも自分自身を創り上げていくことができるように。


なんて勝手に書いてしまいましたけど
すろさんのいわんとしていることから外れて無かったらいいんですけど・・・・(ちょっと不安)
> 25: MILL さん
レスポンスありがとうございます♪
「内心に期待した答え」じゃなく、んー、先(24)に書いたことから、
純粋に意見を聞かせてもらいたいなぁと思っておりましたので、
(外れ、当たりなく(笑))ありがたいです♪

過ぎたことに対して、それがどういう形であれ、
ある種のメッセージや、そこから学ぶことをよく感じます。
時軸として、「現在」は、それどころじゃない、といいますか、
目下の事柄と、ただただ対峙するばかりな傾向がわたしにはあるようです。
実践的といいますか、感覚的といいますか、そんな次第です。

それが過ぎた後、
何か、かたくなになっている自分自身を感じるんですね。
ニュートラルでいたいものだなぁ、と思います。
メンバーが増えて、色んなお話ができるかと思うと、うれしいですーー^^
よろしくお願いします〜
このところ、
「あらゆる出来事には意味がある」
という事を忘れてました。

霊的な高まりを実感できるときもあれば、
「それどころじゃない!」と、すこん、と抜けてるときがあると思うのですが、
みなさんは、どうでしょ?(嗚呼、抽象的すぎな質問だ(笑))
実際シンクロ日記みたいなものをつけているのですが、(大したものではないのですが)
>「それどころじゃない!」と、すこん、と抜けてるときがあると思うのですが、

そういったこともあるし、心がオープンになれないので自己批判になってしまったり、後悔してしまったりなんてこともあります。

ホントに自分がしたいことってなんだ?

日記をつけていて日々考えてしまいます。
> 29:むこさん

シンクロ日記、面白そうですね。
んー、わたしが今(シンクロ日記)書いたとしたら、
シンクロ探しに躍起になっちゃいそう・・(笑)

日記ではないですが、
頭の中のせいとんとして、テキストエディタに思っていることを、訂正、書き直しなしに書きまくる、ということをたまにやってます。(誤字とかは修正しますけど。)

考えて、こう着状態になった時、「なーんだ、わたしゃ、こんなことを思っていた(願っていた)のかー。」と、ぽこっと見えることがあります。
このメソッドでの禁則は、自責しないことです。自責や自己批判を書き並べはじめると、何故だかそこから、進展がなくなっちゃいます。(反省はする。けど、自分を責めない、というニュアンスです。)
すろさん

思っていることを書きつづるというのもいいですね。
確かに、自己批判が始まると全く先に進まないというか、恐ろしいスパイラルダウン(?)というか…

反省すれども自己批判しない、その通りですね。
「スパイラル・ダウン」って、ニュアンスをとても的確に表現してますね。いいですね、これ♪(その状態はいやです(笑))

「しっぱい」といえば、
わたしは、かれこれ10年くらい前にうつ病を患いまして、全快せぬまま現在に至ってます。
反省は、そうですね・・・、「無理を通さば道理が引っ込む」でしょうか。

言葉をお借りして、そんなわけで、「スパイラル・ダウン」は、避けないと危険ということもあり、
また、頭の中が混沌としたままというのも、よくないので、
そのような書き出し方法に行き着きました。

10年ともなると、悔やんだだけでは納得できないんですね(笑)
あてこする相手もありませんし、仮にあっても、解決(回復)に何の効果もありません。
いつのころからか、「これも歩んだ尊い人生の一部。」という風に受け止められるようになりました。
「いかなるときも常に」とまでは至っていませんが(笑)

友人に、こう諭されたことがあります。
「考えることがあっても、悩む必要はどこにもない。
『悩む』とは、『思い苦しむ』という事。
あなたがあなたを苦しめる必要などどこにもないんだよ。」

なかなか実践できてません。すまない。友よ。
>「考えることがあっても、悩む必要はどこにもない。
『悩む』とは、『思い苦しむ』という事。
あなたがあなたを苦しめる必要などどこにもないんだよ。」

う〜ん、深い。難しいですね。
私はまだまだ悟れていませんね。がんばるつもりはないけれどニュートラルな自分を常に心がけたい。

思いのまま書き出す、私もやってみますね。
こんにちは。つまらないかもしれませんが一応お話を。
昨日子どもが、UFOキャッチャーの機械がどうしても欲しいとダダをこねていました。(うちの子は大のUFOキャッチャーのファン)つくるのも大変だしね〜買うのもできないしね〜なんて話を子どもに延々しておりました。しかし!今日買い物に行くと何気に手にした「学習幼稚園」という幼児用雑誌になんと、UFOキャッチャーのクラフトキットが!これは買うしかない!これはシンクロニシティーかあ〜〜。(大げさですか?)
さらに、今朝子どもに「ピノキオ」お話をしているとやっぱり先ほどの雑誌にピノキオの話が。う〜ん。
何なのでしょうか?一人で盛り上がっている私でした。
> むこさんへ

シンクロニシティに大げさも、こげさ(?)もないと思いますよ♪
その共時性の意味するところ、を発見できればよいですね。

他の方のシンクロニシティ体験を聞くのはとても、楽しいですね♪
本音をいうと、ぶっちゃけ、羨ましさ20%くらいはあるかな?(笑)

(主観的な)大小に関わらず、
シンクロニシティ体験報告の、トピックがあってもいいかもしれませんね。

とてもいい、刺激になりました。書き込んでくださって、本当にありがとうです♪
友達と、「神への祈り」について話してました。
現代社会での「祈り」といえば、
例えば合格祈願などありますが、
「要望・請求」という部分が突出しているように感じます。
その友達と共通した答えは、
祈り=対話
ということに落ち着きました。

私事ながら、身体事情に振り回されていて、
内なる自分や、大きな自分、人によって呼び方は様々でしょうが、
祈りという形の対話の機会が随分減っていたように思います。
その日の、友達のとの会話も、私が話すばっかりで、対話といえませんでした。反省。
身体事情のそれも、うまく身体の声を聞けてない現状です。
人との対話、
そこにいない人との対話、
動物、植物、自然との対話、
内なる自分との対話、
自分自身との対話、
創造主≒神(?)(わたしは「大いなる魂」と呼んでます。)との対話。

みなさん、どのような対話の時間を取られておいででしょうか?
よろしければお教えくださいませ♪
対話ですか。
それはそれはしょっちゅう、普通の事のように、友達と会話するようにやってます。独り言とも言いますが・・・。
死んだ祖父にも、近所の野良犬、野良猫、野良雀にも、ベランダのバジルにも、自分の肩こりにも、人と話すのとおんなじように話てます。
道の真ん中で何かをつついてるはとに「ちょっとどいておくれ〜」
祖父の墓には寝そべって、「ごめん、たばこなかってん」
やろうとした事に逆風が吹いたら、「あ、止められた、今じゃないのね」

特別に時間とってお経を唱えたり、手を合わせたりはしませんが、「ありがとう」はなるべく思って言うようにはしてます。

心に引っ掛かりがあるときは、その底になにがあるのか、湧き上がってくる不満や感情や考えをなるべく静かに聞き取るようにしています。

ひとみしり、一人っ子、協調性に欠けるという特徴を持っているせいか、人間と対話するよりも、自分自身とや、人間以外のものと対話する方が得意かもしれません・・・(笑)
野良雀・・。
「野良」と「野生」の違いってなんなんだろう?(笑)
でも、「野良」のほうが、なにか親しみを感じますね。

探し物をするときに、「名前を呼ぶ」ってのも、
あれ、楽しいですね。ひょこっと出てきますね。

過去に対して、できることは、感謝と反省だけなんじゃないか、と思ってます。
ある時点で、リアルボディとしては「失敗」だったり、「損失」という出来事も、
無論、そのリカバリーをするわけですが、
一定の時間を経て、その時の経験が活かされるときがあるように感じます。
思惑通りに事が運ぶことを、リアルボディは結構喜ぶわけですが、
それが、当然のように続いたら、感謝を忘れそうです。

うつ病を患っていることから、「当たり前のことが出来ない」などと凹むことがあります。
しかし、客観的にみると、「当たり前に出来ること」など存在しません。
「何も出来ていない」と嘆くこともあります。
これもまた、「何も出来ていない」なんて状態はないと、時間の経過とともに、客観視できるようになれば、思えてきます。

全く関係ない話ですが、
連日、整骨院に通ってます。
ずっと担当してくださっていた先生が、その整骨院のグループの別院に移転されました。
担当の先生が、そういうわけで代わりました。
新たな先生の腕にも、会話などの関係に全く不満はないのですが、何か足りない感覚がありました。
同じ整骨院に通っている恋人さんと、その整骨院の話をしていて気がついたのですが、
元の担当の先生も、わたしも、「自分の身体で人体実験好き」というポイントがあり、新たな先生にはそれがないことに気づきました(笑)

整骨院の先生には、施術から、「どういうことをしたのかバレバレ」です(笑)
もちろん、会話で状態を伝えもするのですが。
連日通っていると、先生の施術の加減から、言語化しづらい何か感じるものがあります。
施術し、施術させる、という対話があり、興味深いです。

神経科・心療内科の担当医との問診も、形は会話ですが、ドクターがありとあらゆる洞察力をもって患者であるわたしの「病状」を察知してくださっているように感じます。
後になって気がついたことなのですが、
前回の診察の際、顔を見るなり、「痩せました?」と言われたのです。
むしろ、自覚としては太ったと思っているところに、そういわれたので「?」となりました。
「ちょっと、計ってみましょう」と、体重計に乗りますと案の定、増えていました。
ドクターは、「あれ?おかしいな?」という雰囲気で、再度計りなおしなどしました。

あとで気づいたのですが、これ、ブラフだったんですね。
直球で、「太ったでしょ。計ってみましょう」だと、わたしは精神的にショックを受け、計ることでさらにショックを受けるわけです。
そういう患者であるわたしの気持ちの動きを先読みして配慮してくださったのだと思います。

施術という形ではありますが、対話としても、興味深い体験でした。
心地良く先読みされると、安心して任せられますね。
そういうプロはどんな職業かに関わらず、「その気配り、心遣いは是非真似たい」と感じます。

気配り、心遣い。
勝手に気を配るこちらの一方的な行動ようで、そうではない。もちろん相手の事を考えての行動なわけですが、「こうするのが気持ちいいだろう、相手の為になるだろう」との判断が、一方的な決め付けになってしまうと、された方は「何故この人はこうしたんだろう??」となってしまいます。

せっかく相手に愛情を持って接しているのに伝わらない。
逆に誤解されてしまう。
パチンコ屋さんの電飾以上にもったいないです。

生まれ持っての鋭い洞察力のない人間は一体どうすれば空回りしないんでしょう。

私はコミュニケーションすることだ、と気が付きました。
最も大事なことは、対話なんですね。
気配りって、やっぱり、「気」だと思います。
端的にいうと、直感的なものではないかと思います。
考えて行なう気配りは、(わたしの経験的に)思惑の結果になった記憶があまりありません。むしろ、逆になったり(笑)

広義で「愛」を伝えるという事は、この世に産まれた理由に深く繋がることのように思います。

いしちゃんがおっしゃるように、持っていても伝わらないというもどかしさは、
リアルボディという器に、別々に分離して魂が格納されているからこそ起こる現象と言えます。

わたしは、「伝えることに努める」事に、霊的に深い意味を感じます。
「伝わること」「伝わらないこと」よりも、「伝えようと思うこと」に、生きている(リアルボディに別個に隔離されているという)意味を感じます。

伝わらないことで、とてももどかしい思いをします。
ストレスは、現代社会に於いて諸悪の権化のように言われますが、
生物的には、現状をよりよくしようとするエネルギー、という事だそうです。
伝えようとするとき、伝えようとする内容をより深く見つめ、伝えようとする相手へ、伝える方法を吟味します。
相手は、コンピュータのようにすんなりと情報を入手するジャックがありません。
故に、相手にとって受け取りやすい形がどのようなものであるか、
相手にとって受け取りやすい方法はどのようなものであるかを、伝えたい気持ちの強さに比例して、深く考えます。

この、「相手にとって」という事が、そもそも、「思いやり」というものではないか、と思います。

人それぞれ、伝達の能力の高低はあるかと思いますが、
そのスキルが如何に高くとも、「思いやり」の心が無ければ、
相手は受け取ってくれないこともあると思います。

自己完結的に、思考によって、
伝達の方法を模索することではなく、
「伝えたいと思う気持ち」という誠実なエネルギーを大切にするのがよいかと思います。
こんにちは。
いしさんのレス読んでて、気づきました。
私も生まれ持っての洞察力に乏しい人間です。
自分に洞察力や霊感や、そういうじっとしてても(?)わかってしまうような力があれば、と願ったことが何度あることか。
私は非常に、コミュニケーションを取るということが苦手なんです。
今までの人生振り返ってみて、苦手だから意識してしまうのかもしれませんが、そのコミュニケーションをとることを迫られることが非常に多かったと感じます。
でもそれは、逆に、それを勉強しろってことなんですね。
・・・・ということに、この年になって気づかせていただきました。
ありがとうございます。<いしさん

課題としては、私にはやっぱり非常に難しいんですけどね(苦笑)
> 42: MILL さん
こんにちは。

何かと比較して劣っている、優れていると自覚する「感覚」って色々ありますね。
今、即座に思い出せないのですが、わたしもある視点からみれば「劣った感覚」から幾多のエピソードを作ってきました。

ここで肝心なことは、劣っていること、優れていること、という、高低二元論ではなく、
そのような「特色」によってうまれた、出来事との出会いにあるんじゃないかな、と思いました。
それら出来事との出会いによって感じ学んだことが何なのか、というところじゃないかな、と思います。

先の幾多のエピソードは、思い出せたら「しっぱいっ」に記載しますね(笑)
>MILLさん
そんな、そんな、お礼を言ってもらえるようなことは何もっ(><)
ちょうど、そんな事を痛感する出来事があって、たまたますろさんのコメントに、ぴこーんと来たので好き勝手書いただけです(笑)

私もコミュニケーションは下手くそです。
出来ないか、どばっと深くか、どっちかになってしまいます(汗)ほどほどに、とかが難しい・・・。
もしかしたら世渡りが下手なのかもしれません。
そして、相手に伝わる様に伝える、というのもなかなかできません。
何とか説明しようと必死で話してたら、
「擬態音ばっかりやな」と言われてがびーんとなったことがあります。
ニュアンスしか伝えられないか、全く伝わらないか、非常に情けない2択です(爆)
今は意識して言葉数を増やして、省略しないようにして話てます。
はじめまして。>なおさん

私なんか、ぜんぜんそんなうらやましい体験はしたことありません。
いろんなお話が聞けると楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。


皆様にお伺いいたしますが、
今変化が起きる時期とでも言いましょうか、
私だけではないような気がします。
個人的には、この数日間で急に(人生?運命?の)流れが変わったような気がして、驚くことが多い毎日です。
数日とは言わず、この一ヶ月間で、皆様の周りではそんなことはありませんか?
う〜ん、変化があったのでしょうか??実感が湧きませんが。

直接関係ないかもしれませんが、先日私が所属しているボランティア団体のセミナーで福島大学教授の飯田史彦先生の講演を聞く機会がありました。「生きがいの創造」という著書で有名ですが…。今の私にとって必要なお話をしていただいた気もします。

そういえば、急に仕事が減った…。クライアントが減ったんですよ。急激といえば急激です(笑)ちゃんと意味があるのでしょうね、考え中です。
最近、過去経験の反芻の機会が多くなってます。
チャットで自らを話す際、その大抵は過去の経験ですから、
十分なきっかけと言えると思います。

興味深い点は、これまであまり語ることの無かった過去経験を話す機会が増えたというところです。

同時に、同じ設定上の夢をよくみてます。
夢で見る場所や人は、夢での出現頻度は高いのですが、
現実でそういった体験や建物、地域に記憶がないものが大半です。
結論を急がず、今起こっている変化を落ち着いて受け止めようと思っています。

意図しない偶然の連鎖に、後になって気がつくことも増えたように思います。
そのような兆しに対して、そこに意識を置くのか、自然体で受け止める(低リアクション気味)のか、迷いがあります。
みなさんは、いかがですか?
オーラ写真&カウンセリングなんていうのを見つけて行ってみようと、休みの今日に予約を入れてたんですよ。
ところが、カウンセラーの人がインフルエンザとかで『今日まで』お休みされたいとのこと。
しばらく、こんなゆっくりできる休みは取れそうにもありません。
それ以上に、過去、オーラ写真を撮りに行こうとすると、急な用事で行けなくなったり、予約していたのにもかかわらず、店が閉まっていたりしたことが何度かありました。
今日に至っては、もう、私はオーラ写真を撮らせてもらえないんだという確信にいたりました。

何でこんなにも縁がないのかなぁ。
何なんでしょうね、この意味は。
すごく不思議です・・・。
MILLさん
そういうことってありますよね。私もそういうこと結構ありました。で、無理してやろうとかすると痛い目に遭ったと言う経験も…。時が来れば(時が熟せば?)体験できるようになるんじゃないでしょうか?
ゆっくり構えましょう。
アポーツ(必要なものが集まってくる現象)ってみなさんあります?
わたしは、
有形無形を問わず、びしばし来るときもあれば、
さっぱりな時もあります(笑)
>すろさん
<アポーツ(必要なものが集まってくる現象)ってみなさんあります?

人生を左右するような重要なものはあんまりなくて、「ちょっとそれ取って」程度のアポーツが1日に何度も起こるときもあれば、全く起こらない時期もあります。
自覚の範囲で、コンディションが良いというのも無いです。
どういう違いなのか、いまだに分かりません。

つい先日、持ち主不明のかばんを交番に届ける機会があったのですが、交番に向かう途中、道で配っているティッシュをもらいました。そのときお世話になったおまわりさんが花粉症で、目の前でくしゃみを連発。速攻そのティッシュを渡しました。「ああ、これか(おまわりさんにもらってもらうためにティッシュを渡されたのか)」と思いました。
小さいですが、お礼が出来てありがたかったです(笑)

広義で考えると、パートナー(彼氏)との出会いは重要なアポーツだと思ってます。

ログインすると、残り21件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

今、生きているという意味 更新情報

今、生きているという意味のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング