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坂崎乙郎コミュの坂崎さんの講義を聴講していた方

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実際に講義を聴講していた方、
ぜひ思い出や感想を書いて下さい。

コメント(10)

一番印象に残っている講義は
「ビンセントとテオについて」。

坂崎さんは講義にOHPを使っていて、透明のシートに
ダーマトグラフを使って文字を書いていた。

講義の最初に「今日は愛について語る」と呟いて、
ビンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を経済的に支えた
弟のテオについて、2人の関係、何故テオはビンセントに
従ったか、テオはビンセントの才能を信じていたのか、
等について語った。

美術史の表面には出ない「兄弟愛」について考察することで
美術の価値を別の側面から考える、という試みだったと思う。
私にとっての坂崎乙郎は厳しい語学教師でした。政経学部のドイツ語で二年間苦しみました。とは言え、4年間で総授業日数が300日あったかどうか?と言う第二次教育学園闘争(いわゆる全共闘)時代でしたから、何時間授業を受けたかは定かではありません。

ただ、出ているオーラが尋常ではなく、これは只者ではないと可能な限り受講しました。ドイツ語は物になりませんでしたが、印象は深く残っています。


きっど
坂崎さんは最初はクリムトが気に入っていたようだが、
ある時エゴン・シーレの原画を観て衝撃を受けた様子。
クリムトとシーレの師弟関係を詳しく調べて、
その時点でシーレはクリムトを越えたと確信したようだ。

「シーレとジュコメッティは過小評価されている、
20世紀最高の表現者達だ」と何度も言われていました。
はじめまして。先ほどコミュに参加させていただきました。

私は政経出身(94年入学)の者ですが、その時はすでに坂崎先生はいらっしゃいませんでした。高校3年の夏休みに受講した代ゼミの現代文のクラスで、教え子の酒井敏行先生から坂崎先生のエピソードを聴いたのが、先生との出会いになります。当時西洋美術に強い興味を持っていた私は、その後先生の著書を読み漁りました。

高3の冬、初めての失恋で傷心旅行、青春十八切符片手に大垣行きの東海道線の中で「絵とは何か」を読みながら涙したのを昨日のように覚えています。

大学に入学後、政治学嫌いで講義はほとんど出ず、いつも絵を描いたり美術館に行ったりしてました。ゼミは、アウトサイダー色の強い河原ゼミ出身ですw




先生の授業、一度でいいから受けてみたかったです。。。
W大学の他学部の学生だけではなくて、
坂を下って日本女子大の学生さん達も
たくさんやってきて聴講していた授業でした。

ある意味「パフォーマンス」的な要素もあって
毎回楽しみでした・・。
随分昔で記憶が曖昧ですが、懐かしくて書き込んでみます。

S48年に入学し、一年のときに坂崎先生の教養科目「芸術」を受講し、2年〜3年にかけて教養ゼミで美術論を学んだ者です。確か先生のオランダ留学の前でした。

高校時代読んだ「幻想芸術」(確か講談社文庫?)で作者名を知っていたところ、政経に入学して先生の授業があるのを発見し、早速履修したという訳です。

当時、美大に通うガールフレンドも「イメージの狩人」「イメージの変革」などを読んでいて、私も貸し借りして読みました。ちょっと難解でしたが、あんなにイマジネーションに溢れる評論と筆力に脱帽したものです。

授業には社会人も多く聴講してましたが、紀伊国屋のカルチャー講座の流れと聞いた記憶があります。当時珍しかったOHPを使った講義が印象的でした。
期末試験はいくつかのテーマを書く論文でしたが、授業であまり触れたことのない「浮世絵」でなんと「優」をもらいました。授業の成果ではなく、入試の日本史の成果なんです。
その後、先生曰く「めったに優は出さないはず…」。これで、気難しそうな人なのにいくらかファンになったのかもしれません。

ゼミでは、学生3〜4人でドイツ語の評論の原文を読み合わせるのですが、ドイツ語クラス(経済11組)なのに苦手で、英訳バージョンで勘弁してもらいました。テーマは後期印象派ゴッホあたり、ウィーン世紀末あたりが記憶にあります。
当時、先生は産経新聞文化欄にエッセイを連載していて、学生のことを書いたことがありました。絵を描く人と描かずに評論することのどっちが偉いかみたいな青臭い議論をゼミでふっかけたことがあって、それに触れてたような気がします。

今でも自分自身、絵を観るのが好きなのは、坂崎先生の「絵を読む」お陰かと思ってます。

長文失礼しました。学校を離れてのお付き合いは皆無でしたが、もし、私で分かることがあれば気軽にきいて下さい。
4年間受講しました。
第一回がオスカー・ココシュカで、
OHPで見る画像がなんとも幻想的であり、
先生の朗々とした声が
心を揺さぶるような思いでした。

「ロマン派芸術の世界」や
「幻想芸術の世界」の画家たちは
どれもみな魅力的でした。
リチャード・ダッドや深井克美の存在は
先生から教えてもらいました。

亡くなったのは1985年でしたか?
鴨居令さんの後を追ったという話がありました。
が、つねづね先生は心臓を患っていて
「死」と隣り合わせに生きていると語っていたので、
私には病死だという気がしました。

私と一緒に講義を聴いていた女性は
ぴあで美術評論をされていましたが、
若くして病死したそうです。

先生の助手をされていた方は
どうしているのでしょうか?

先生の著作というより
講義に感化された人は多いと思います。
それぐらい魅力的でした。
いいなぁ!坂崎さんの講義が聴けたなんて。今考えるとすごい財産だよ。
坂崎先生のお弟子さんで
酒井敏行さんという方がいらっしゃるようなので
ネットで探してみました。

http://www.yozemi.ac/sateline/lecture/lecturer/jap.html#sakai

まさに講義を手伝っておられた方だと
思うのですが、いかがでしょうか?
ただし、あのときの助手の方は坊主頭でした。

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