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歴史逸話集コミュの召集 でも身分がわかって大騒ぎ

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 明治以降、元大名家の人達は、「華族」という身分になった。そんな華族達も、第二次大戦時には、ある者は士官として、そしてある者は兵士として召集された。というよりも、皇室の藩屏として、むしろ率先して召集された雰囲気がある。

 戦争中、召集された一人に、徳川慶喜の孫で、母が有栖川宮家出身の、公爵・貴族院議員の徳川慶光がいた。慶光は昭和15(1940)に徴兵されたが、この時の慶光の階級は、公爵で貴族院議員でありながら、何と二等兵なのである。
 そのため戦争中は中国戦線を転々とし、しかもマラリアや赤痢に罹って生死をさまよい、九死に一生を得て終戦を迎えた。終戦時には上等兵に昇進していた。

 武昌の陸軍病院に入院中の時、最初慶光は、自分の素性のことを話さなかったが、やがて慶光が公爵で貴族院議員、しかも天皇家とも姻戚関係にあるとわかると、病院は大騒ぎになった。
 素性がわかった際、軍医は慶光に、
「徳川家の公爵は、徳川家正さんだけだと思っていましたが、他にもいらっしゃるのですか」
 と言った。
 その後岡部直三郎大将や櫛淵鍹一中将が病院に直接見舞いに来たり、岡村寧次大将から見舞いの無電が届けられたりして、見舞いに来る度に病院は大掃除をして送迎の礼の準備をして、病院の職員達は大わらわであった。

 また、慶光同様二等兵で招集された華族の子弟に、旧久留米藩主の子孫で天皇家とも姻戚関係がある、作家の有馬頼義がいる。頼義もまた、一兵卒で関東軍に配属され、終戦時には上等兵になっていた。

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