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【読書ノ会】コミュの『能の表現(その逆説の美学)』(増田正造著、中公新書)

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昭和46年初版の『能の表現(その逆説の美学)』(増田正造著、中公新書)という本がある。私が再読している幾つかの本の一つである。

私は子供の頃より能面に惹かれていた。児童向きの東映チャンバラ映画には鬼の面などが、よく登場したからだ。そこで私は自然と能楽という不思議な世界にも惹かれていった。簡素極まる能管・大鼓・小鼓・太鼓、囃し方による音響世界は西洋の交響曲以上の迫力があることも知った。能楽の主人公は大半は霊であった。霊は私向きな存在だった。

そんなこんなで、私は掲題の本を何気なく読んだのであったが、私は此の本により能楽という詩劇の逆説に非常に驚いた。実に新鮮な驚きであった。この本は以下のように始まる。引用しよう。
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散るから花は美しい。散ることをふまえた文化と、散らすまいとつとめる文化と---。日本の西欧の文化の方向を、こう単純に対比してみる。前者を散るからこそ美しいという把握とするならば、後者はその美を永遠ならしめようとする努力する文化のタイプである。(後略)
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あるいは、こうも書いている。
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万物流転をただ詠嘆するのではなく、積極的な無常観としてとらえた『徒然草』の吉田兼好は時代的に言うと世阿弥の一世代先輩にあたる。自然観照に徹したこの中世人は、「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と言い切った。彼は「咲きぬべきほどの梢(こずえ)」や「散りしおれたる庭」などにより深い味わいを主張し、うつろう無常の実相の中に美を感じとった。また雨にむかって月を恋い、家に引きこもって春のゆくえを思うというような、心で見る態度を強調した。
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此の吉田兼好の自然観照を世阿弥は前向きの態度として捉え能楽を発展させたと著者は書いている。 さらに著者は能楽の「逆説」を一つ一つ丁寧に説明していく。
それを箇条風に書いてみよう。
・一期一会の重視。
・動かぬことの重視とその強さ。
・舞台の簡素さが、あらゆる表現を可能にする。
・能面を無表情にすることにより無限表情が可能となった。
・死と老いの重視。特に死や老いの時点・視点から生や若さを見つめるという発想。
・特に老女の重視(『桧垣』など)
などなど・・・

いずれも現代から見れば、まさしく逆説ばかりである。
現代社会の深刻な矛盾・問題を能楽は700年以上も前に先どりしている観がある。
私が特に重視したいのは、老いや死に対する能楽の態度である。

中世の人々は老いや死は極く身近な問題だったかも知れない。
今日において、老いや死は、中世の人々とは別の文脈で深刻な問題となりつつある。
そういう意味でも能楽は単なる古典芸能ではない。700年の時を超えた今日的な芸能に私は思える。


おそらく今日の先鋭的な問題( 超高齢化社会の抱える諸問題 )に対する解答の重要なヒントは能楽の「逆説」にもあるようにも私は思う。

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上図は本文と関係ない。私の絵遊びのものの一つである。

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