ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

動物から学ぶ素直な生き方コミュのクジラを食べる文化とそれをKillerと裁く文化

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
私は動物と共生できることを自分のライフスタイルの一部にしていますが、これは、けっして動物は殺さない、食べない、という主義ではありません。私の生きる上での楽しみの一部である「食」の中には、いろいろな動物が含まれています。好きで食べる動物も入れば、これは自分にとって食べ物ではないという動物もいます。必要以上に食べる動物は広げるつもりはありませんが、いろいろなところを訪問した時に出される食事は、招いてくれた人の気持ちを大切に、相手に感謝して残さずいただくことにしています。

ある友人のコメントに非常に共感を感じたので、ここに転載させてもらいました。

先日のNHKスペシャル「クジラと生きる」は伝統的に鯨漁を続けている和歌山県太地町の民衆とシーシェパードを中心とした反捕鯨団体との軋轢のドキュメントでしたが、今でも私の胸に突き刺さっているのは「Killer!」という反捕鯨団体の若い外人女性が太地町の漁民に向かって発した一言です。他にも「恥を知れ!」とか「負け犬!」を意味する英語の罵声が絶え間なく浴びせられていましたが、私は激しい憤りで一瞬目が眩む思いがしました。おそらく、反捕鯨の人々は自らの正義を些かも疑っていないでしょう。それどころか、「クジラやイルカの命を守らねばならぬ」という熱い使命感を帯びた聖なる戦士の様相をさえ呈しています。何という自信! 何という善良なる傲慢! ここに見出されるのは「捕鯨=悪、反捕鯨=善」という勧善懲悪の論理であり、この単純論理に熱くなればなるほど、その情熱はファシズムに近づいていくと思われます。事実、彼らが求めている捕鯨民族(文化)の根絶は、例えばナチが求めたユダヤ民族(文化)の根絶と論理的には何ら変わるところはないでしょう。



しかし乍ら、実際問題として、我々は如何にして「反捕鯨の正義」に立ち向かえばいいのか。番組では「知能の高い鯨を殺すのは許されない」という反捕鯨の論理が繰り返されていましたが、知能だけを基準にするのであれば、それは論ずるに値しません。「知能の高い鯨やイルカは殺してはいけないが、知能の低い牛や豚なら殺してもいい」という主張は論理として明らかに不徹底・不完全だからです。少なくとも私自身は「完全なる不殺生」(イノチあるものは一切殺さない)以外に「反捕鯨の正義」を貫く力となる論理はあり得ないと考えています。けれども、「あらゆるイキモノは自分以外のイキモノのイノチを奪うことなくして生きられない」というのが自然の理です。従って、「完全なる不殺生」に徹するならば、早晩私自身のイノチは存続不能となり、それは結果的に不殺生の挫折を意味します。その意味(「完全なる不殺生」の徹底は自−殺に行き着く)において、「完全なる不殺生」は不可能な論理でしかないのです。結局、「反捕鯨の正義」を貫ける論理はあり得ず、太地町の漁民を「Killer!」と罵った若い女性自身も、生き続ける限りkillerの一人であることの罪を免れないということです。



尤も、「完全なる不殺生」が論理的には不可能だからと言って、イキモノの殺生を無条件・無制限に容認することはできないでしょう。種の絶滅をもたらす乱獲が戒められるべきは当然ながら、喫緊の問題は文化(特に食文化)の相互理解にあります。例えば、闘牛はスペインの文化という視点を共有できなければ単なる「牛のなぶり殺し」にしかすぎません。様々な狩猟(ハンティング)文化も然り。これらの殺生は食うことを目的としていないだけに、それだけ一層その文化的意味が問われることになります。では、食うことを目的としているなら――言い換えれば生活の必要に密接に関係していれば、その殺生は文化として是認されるべきでしょうか。基本的に、私は是認すべきだと思っています。言うまでもなく、世の中には様々な食文化があり、日本人の感覚からすれば犬や猫を食う文化には理解しがたいものがありますが、どんなゲテモノ食いでも人間の文化として尊重すべきでしょう。ただし、文化であれば何でも是認できるかと言えば、極端な話、食人文化や人身御供のような文化となると、この世から消滅すべき(事実上すでに消滅)と考える人が大半だと思われます。おそらく、シーシェパードの人々にとっては捕鯨(もしくは鯨の食文化)もこの世から消滅すべき文化でしょうが、「何が存続すべき文化で、何が消滅すべき文化か」を判断する基準は実に難しい問題であることは言うまでもありません。

「新・ユートピア数歩手前からの便り」(http://ameblo.jp/atarashikimura/

   ---------------------------------------------------------------

私は岩手の山育ちでクマを食べたことがあります。南米ではジャガーも食べました。クジラは昔缶詰を食べたくらいですが、日本人の歴史の中でクジラは貴重な食材だったとおもっています。アラスカのエスキモーはアザラシを生計での重要な収入源と食材にしており、彼らの伝統と文化を非難し、やめさせる権利は誰にもないと思います。 

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

動物から学ぶ素直な生き方 更新情報

動物から学ぶ素直な生き方のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング