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労働者の街、山谷(ヤマ)コミュの「元祖労働者の街」増える若者

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 どうも、管理人です。めずらしくミクシのニュースに山谷の記事があったので張っておきます。蛇足かもしれませんが日記も。

「元祖労働者の街」増える若者
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=216912&media_id=2

 初めて山谷に行ったときのことは忘れられない。いきなり路上で尻を丸出しにして倒れている人を見たり、人糞がいくつも転がっているし、路上に馬鹿でかい焚き火の後もある。立ちションベンにいたっては3人。横断歩道でバカでかいコブのついたおっさんとすれ違って振り返る。路上に若い衆がパイプイス出して取り締まりを見張っているのは全部違法の賭場。炊き出しにマンモス交番。フェンスでグルグルの玉姫公園のホームレス村に、なぜかこの地域だけやけに明るい街灯。名物のモツ料理。ワンカップ酒だらけの自販機。夜になると路上が布団で埋まる、ドミトリー状態のいろは商店街。まあ、この街はそういった街なのだ。

 久しぶりの山谷のニュースだが、内容はいつものようにドヤが高齢者向けの老人ホームとバックパッカー向けのゲストハウス、そしてこれまでのように手配師ではなく、携帯やフリーペーパーで仕事を探すフリーター向けになってきているとのこと。それにしても部屋が埋まっている割合が「全盛期と変わらない」というのが厳しい。高度経済成長からバブルまでを支えた人々が消え、今度は不景気時代の若い人たちが吹き溜まり始めている。山谷の歴史は古く、元は吉田松陰が殺された処刑場があり、忌み嫌われていた場所を震災後(もちろん、関東大震災だよ)の避難民が立てたバラック街となり、同時に復興の日雇い人足集めの場ともなった。それが戦後まで続く。戦後の復興期には家族連れが福祉政策でいなくなり、単身男性の日雇いの街が生まれ、ほぼ原型が生まれる。高度経済成長には何度も暴動が起こり、バブル期では日給7万円のトビ職までいた。もちろん、みんな賭博とお酒に消えてしまったけど。バブル崩壊を経て団塊世代の労働者が高齢化して生活保護受給者に。そしてロストジェネレーションの団塊ジュニアが新しい顧客。

 江戸時代から続く呪われた場所に震災や戦争、不景気で行き場を失った独身男性が吹き溜まるって構図は今も同じ。泪橋交差点の地名となった泪橋とは、処刑される人々があの世とこの世を越えていくために泪を流した境界。近くには永井荷風が「隅東奇譚」で描いた街もある。装いは変われど、見事に何も変わっていないこの世の中。進歩って何だろう?なんとか、ここに吹き溜まった若い人たちが暴動やら路上生活を強いられることが無いといいんだけど。歴史は繰り返して欲しくないものだ。



コメント(3)

 
 確かに未だ問題もあるのかもしれませんけれど、それにしても。

 不適切かもしれませんが、ここにはスラムともまた違う <文化> がある気がします。
肯定してさえいいような部分もあるように感じます。
エリア独自のシステムがありながら、都市機能を下支えする役割もあり。

 行ったことはないんですけど、矢吹丈 / さっちん / ガタリとかのイメージがかすめます。
 
私はこの『泪橋』、角川書店が制作の映画を見てから何となくこの周辺『泪橋』の響きと映画で見た背景から、探索したいと思っていました、後に台東区に仕事で通勤するようになり、まずビックリしたのが少し離れた入谷辺りでも夜になると店舗の軒先に寝る場所を求める方が多く、周りや地元の方は気にもかけてなく、本当に普通に生活している事です、そして車道には『子供の飛び出し注意!』ではなく『寝ている人がいるから注意!』と書かれていて、地元の行政や町会とかのコミュニティはどうなのか?と不思議に思いました、これからも色々と回ってみます。

長々と失礼しました。

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