「mixi」の中に「ホームレス」やホームレスが販売する雑誌「ビッグイシュー」のコミュニティはあります。 しかし大阪の釜が崎で呼称されている「野宿者」や「路上生活者」についてのコミュニティが検索してもありませんでした。
そのために1支援者として「野宿者・釜が崎・炊き出し」を立ち上げました。 本来の釜が崎で活動されている団体や個人の方々をさしおいての立ち上げをお赦しください。
しかし釜が崎で活動されている方々とは違った視点で私は活動していますので、どうぞ本来の活動家の方はまた独自のコミュニティを立ち上げていただければと思います。
誤解されることの多い野宿者ですが、私の通信「いのちの風」に記載しています文章から転載して、それを中心に日記を書いていきます。
それについてご感想などのやり取りで、このコミュニティを豊かなものにして行きたいと思います。 また野宿者に対する誤解を解消して、支援の輪が広がることを祈っています。
そしてこの国の現状を変えていくのは国や行政以上に、一人一人の国民の「額に汗する行動」に掛かっていると信じています。 この国を美しい国家に再生したいと思います。
聖徳太子は病人や未亡人、孤児、貧しい人々のために大阪の四天王寺に「施薬院」や「悲田院」を作られました。 日本の伝統のなかにも「貧しく小さくされた人々」を救済する精神がありました。
その精神を復興させる活動の一環として、このコミュニティを立ち上げました。 皆様のご参加をお待ち申しております。
【なお新しいトピ立ては歓迎ですので、どんどん行なってください】
【私が関わっている炊き出し、などは】
【1】「大阪駅前毎週月曜夜9時からの炊き出し」
毎週月曜夜9時から、JR大阪駅前の御堂筋南口(阪急との交差点を挟んで西側。献血車が止まる所。バス停前)で、野宿者50人ほどにおにぎりと衣類、洗面道具などを配っています。
(炊き出しに一部道路使用をしていることに対してJRから苦情がきて、今年の夏前から50mほど南へ移動しています。見えにくい所ですが、炊き出し禁止をまぬかれただけでも幸運でした)
炊きだしが終わったあと9時20分頃から30分間、野宿者5人ほどと駅前清掃をしています。 そのあとで掃除をしてくれた野宿者たちと一緒にコーヒーやお菓子を食べて路上喫茶店を楽しんでいます。
過去にここの炊きだしの列に並んでいて、自立して行った人々が時々訪問してくれて
「ここは私の原点です。ここで皆さんと一緒に話ができて、それも自立のきっかけになりました」と喜んでもらっています。
「私、渡す人、あなた、受け取る人」だけの支援状態では自立のきっかけにはならないと思うのです。
ここの炊き出しはカトリックのシスターが20年前に始めた後を、私たち非クリスチャンが引き継いでいます。 もっともおにぎりを昼間に北野教会で作っているくれているのは女性のクリスチャンですが。 連携してやっています。 この費用は一般からのカンパでやっています。
お米は長野県の社会福祉協議会が長野県の農家から集めていただいた、毎年トラックで運んできてくれます。 また衣類は私の要請を聞いて全国から送られてきます。
【2】 「カレーの炊き出し」
1200食のカレーを皆が持ち寄った食材で朝から作り、13時に釜が崎「あいりんセンター」(JR・南海・新今宮駅すぐ)で配ります。 連絡先は(樋口さん090―3978―2524)
毎月月末25日ころの日曜日に30人ほどが集まって行われます。 人手不足のときが多いのですが、人手が足りていたら、炊き出しの横でギターを弾いて唄をうたって楽しんでもらったりする時もあるのですが。
樋口さんは毎週日曜日に百個のおにぎりをここで配っておられます。
釜が崎ではこれが初心者の方にとっては行きやすいです。 200mも一直線にならぶ野宿のオッチャンの列の姿に圧倒されるし、なかにはショックで涙を流す人もいます。
【3】「 三角公園での炊き出し」
三角公園の炊き出しは毎週火曜日と土曜日の11時半から1000食の丼物などを配布しています。 労働者が早朝から自主的に調理を始めて、カンパで買った野菜やご飯で野菜丼などを作っています。
1時間前くらいからボランティアの人々が集まってきます。 夏休みには全国から学生がたくさん集まります。
食事時には公園に一杯の人が集まり、圧倒されます。 私は最初ここに参加しましたが、最近は行っていません。
詳しいことは主催している「勝ちとる会」へ電話してください。 06−6634−8584。
【4】 「寝袋配布」
11月からは寝袋の配布をします。 カンパで買った1000円の中国製のものを車で運んで10〜3月まで大阪市内あちこちの路上で寝ている野宿者に渡していきます。 8年で約8000個配りました。
「いのちの風」通信で8年間、野宿者支援のかたわら野宿者の実態を書いてきて、彼らへの誤解を解こうとしていきました。 その実績を評価されて通信仲間から毎年約100万円のカンパが集まります。 それで寝袋が買えるのです。 行政からの支援はもらっていません。
【新宿の津田政明さんについて】
津田さんはアフリカの難民支援していた時に、日本のビデオ映像に映っていた日本のホームレスの姿。 それを見て、彼らの支援の方を先にしろ、と難民支援関係者に言われて帰国されました。 そして新宿中央公園で炊き出しを始め、今は公園の清掃を野宿のオッチャンと一緒にやっておられます。 このコミュにも時々彼のことを書いています。 大阪駅前で野宿者と清掃をしようと思い立ったきっかけを教えてくれた方です。 「ボランティアオヤジ」という本も出しています
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【釜が崎「こどもの里」について】
私の「いのちと出会う会」でお話をしていただいた荘保共子さんが代表をしておられる釜が崎の「こどもの里」のことをお知らせします。
釜が崎には高齢野宿者だけでなく、恵まれない子供たちもいます。 その子供たちの面倒を見ているのが「こどもの里」です。 「こどもの里」にはホームページがないので(見つかりました)、以下の北海道、恵庭市(民主党)市議会議員 藤岡のぼるさんが書かれた「こどもの里」の訪問レポートをお読み下さい。
「こどもの里」の家の中も映っていますし、子供たちが釜が崎周辺で野宿しているオッチャンたちのために「こども夜回り」している姿も映っています。 ここも善意のカンパで運営されていますので、日本の多くの方々からの支援を要請されています。
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【釜が崎の「高齢日雇い労働者憩いの家・ふるさとの家」の本田神父について】
これも私の「いのちと出会う会」でお話をしていただいた釜が崎の「高齢日雇い労働者憩いの家・ふるさとの家」の本田神父 の検索も以下に転載しました。
「ふるさとの家」でもは少しは出ますが、「本田神父」での検索の方が多くの釜が崎の事情がわかります。 神父の説教も載っていますし、偶然ですが「縁の花」さんが作っていただいたサイトに載った私の通信も「本田神父」のことを書いたために、ここに載っていました。
2年前に1年間ほど本田神父の日曜ミサに毎週通いました。 神父は左派の解放の神学的な考え方をしておられたので、少し違和感がありました。 イラク戦争反対などをミサの時にも話しておられました。
釜が崎は元・左翼活動家が支援に動いていてキリスト教関係者も左派が多いのです。 「ふるさとの家」の前の三角公園での土曜日の炊き出しを手伝っていた時に親しくしてもらっていた中年のオヤジさんも左派のクリスチャンでした。
それ以来クリスチャンでない別の組織がやっている「カレーの炊き出し」に時々参加する以外は釜が崎には行っていません。
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【野宿者ネットワーク】
釜が崎で活動している団体です。 釜が崎や野宿者の実情がよくわかります。
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【ビッグイッシュー日本】
また以下は野宿者の自立のために彼らが路上販売している雑誌のホームページです。 大阪と東京の繁華街で販売されています。
1日中猛暑や酷寒のなかで立ちっぱなしで中年のオッチャンたちががんばっています。 300円でそのうち百数十円が彼らの収入になります。 1日働いても2000円ほどにしかなりませんが、ドヤに泊まらず野宿しながら貯金してアパート暮らしの自立をめざしています。 雑誌を買って支援してあげてください。
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【鍵山秀三郎氏について】
カー用品販売のイエローハットの元・会長として「日本を美しくする会」や「掃除に学ぶ会」をされている。 公衆便所や学校の便器を素手で洗っておられます。 街をきれいにすることは自分の心をきれいにすることという信念をもっておられます。 活動は国内にとどまらず中国や南米にも及んでいます。 私が大阪駅前での掃除を始めたきっかけとなった方です。
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【リンクのホームページ】
【1】 通信仲間の紫陽花さんがご自分の「縁の花」のホームページに私の通信の古いものを載せていただいています。
全部は載っていませんが、パソコンになってからのもの95%は載っています。 また新しい通信がその都度少し経ってから掲載されます。 お時間がありましたらご覧ください。
なお内容が見られない古い? のものがありますが、その分は私に直接ご請求下さい。 送信いたします。
「縁の花」は本物情報をもつ方々の紹介や、精神世界、歴史や科学などの大変な量の情報配信を長い間されています。 ぜひ見る価値がありますのでご紹介いたします。
石黒大圓情報 「縁の花」支縁サイト
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【2】 昨年東京の友人を通じてご縁をいただいた方の霊園会社のホームページに、私の体験談を載せていただいています。
美原ロイヤル・ニュース (平成16年冬季号 VOL.8の3ページ目) 「【シリーズ】別離の哀しみを乗り越えて 人と人との魂の絆に気づいて 野宿者救済運動を始める」 釜が崎の炊き出しの写真とともに私の体験と考えが掲載されています。 http://
(上記【3】の内容を短くまとめて、あるロータリークラブの月報に載せてもらったのが以下です。
『私は大阪・船場で父の代からの衣料卸業を営んでいました。 しかし平成元年に五歳の次男を、9年に妻を49歳でともにガンで亡くすという転機が次々訪れました。 その後会社を閉め、商店街の事務局の仕事に関わるようになってから、数々の社会活動が始まりました。
2人の死に直面して、「2人の人生は何だったのか」「2人の苦しみは何か意味があったのか」「次の世で2人は元気に暮らしているのか」など問いがかけめぐりました。
2人の早すぎる死、そして私たちの人生の意味を求めて学びつづけました。 私の体験が社会の人々の役に立つようにと、天王寺区下寺町の應典院で「いのちと出会う会」という「生と死を考える会」も立ち上げました。
また生老病死のいのちや野宿者支援、そして愛国の思いを綴った「いのちの風」通信も毎週知人200人に送信して日本再生をめざしています。 ここに到るまでには亡き2人の導きがあった、2人は死んではいなくて、今も私の中で生きて働いてくれていると感謝しています。
平成11年春のある夜、商店街の路上でオヤジ狩りに会いました。 殺されるかと思いましたが、その後の左肩の打撲痛の方がひどく半年間苦しみつづけました。 ある日その痛みがふと取れていると感じた時に、どっと涙があふれました。
痛みのないのが「当たり前」のように暮らしてきた。 その前の痛みのない日々がどれだけ「恵み」に満ちたものだったことか。 妻子がそばにいることが、この腕が動くこと、毎日食事ができること、仕事があること、当然のことと思っていたことが「当たり前」ではなく、「天から恵み」そのものであると知ったのです。 それらがなくなった時どれだけつらい思いになるか。
妻子を亡くし、腕の痛みを体験してから学んだものは、人間の本質とは霊であり、人間だけでなく生きとし生けるものすべてに魂があり、お互いに結び付けられている。 神と人は一体であり、宇宙のすべてとも心の底でつながっている。 この考え方は日本の古来からの伝承にもあり、日本人の魂の復興にもつながる考え方と思いました。 そしてこれこそ生老病死に苦しむ人々の心が救われる福音(うれしい知らせ)だと考えたのです。
その学んだ福音とは。
「人は死んでも終わりではない。 人はこの人生でのすべての出来事を起こるべくして起こるように、前世で設計して生まれてきた。 だから偶然というものは人生にはない。 人生はすべて思い通りでないからこそ価値がある。 どのような苦しみにも意味があり、無意味な人生はない。 そして多くの試練を経験することにより、人は心の修行をして魂の向上をはかり、最後はもといた次の世界へ旅立つ。 人は自分で父母を選んで生まれ、生まれる日も死ぬ日も選んでくる。 死は不運でもなく突然来るものでもなく、自分の選んだ日に予定通りにやって来る」。
今、大阪で1年間に200人のおもに野宿者が路上で亡くなっています。 それを聞いた時、妻子の姿と重なりすぐに動きました。 5年ほど前から野宿者支援にかかわっています。 釜が崎に出入りして炊き出しを手伝い、今は毎週月曜夜9時から大阪駅前南口でおにぎりや衣類を野宿者に配っています。 真冬にはカンパで集まった金で寝袋を買い、大阪市内の冷たい路上で寝ている人々へ寝袋を届けています。 4年間で約4000個配ることができました。
当たり前のように恵まれて暮らさせてもらっている陰には恵まれない人々がいます。 闘病していた、かっての私たち家族もそうでした。 妻が亡くなる5日前の日記に震える手で「元気になったら、お世話になった方々に恩返しをしていくんだ!」とありました。 私の活動は2人が生きている間にいただいていた、この恵みへの恩返しを本人だけでなく他の人々へも、妻子に代わって行なっていくものなのです』
【別に立ち上げているコミュニティ】
「いのちと出会う会」
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「いのちの風」
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「野宿者・炊き出し・釜が崎・清掃」
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「神州正氣の會 応援団」
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「伊藤博文」(管理人交代の後を継ぎました)
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【お勧めコミュニティ】
「ラジオ深夜便(こころの時代)」
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「應典院ファン倶楽部」
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「キリストの幕屋」
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困ったときには