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一行で詠おう!自由律俳句コミュの好きな、一行詩人 俳人 その作品

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好みの作家とその作品をアップするトピです。

みなさん気軽にカキコしてくださいませ♪

コメント(11)

西東三鬼

近所の図書館で森 澄雄著「俳人句話 上」角川書店 平成元年9月25日初版発行と言うのがあったので借りてきました。その中で先ず昭和29年発表の「西東三鬼論」を読んでみたのでした。

森澄雄も西東三鬼も、俳句その魅力展に縁のものが展示されている作家です。

森澄雄の三鬼論はザクッと、

冒頭文より(p101)
− 彼の知性はあらゆる国において異邦人であり、またあらゆる国において親しいコスモポリタンであると。そしてこういうコスモポリタン的性格は俳壇において彼を措いて絶無であるし、また広く他の分野においてもその例を見ないのである。

それだけでも彼は特異な、また貴重な存在だと言っていいのだ。だが、僕はそういう感銘とともに、前記の彼の一文からも、どこか文学としての質の軽さを嗅ぎ取るのだ。

それを僕は大作家に必要な「真正面(まとも)さ」の欠如だといってよい。
それは彼の作品にも通じるのだ。−

水枕ガバリと寒い海がある の句の鑑賞風批評より(p103)
― 三鬼はよく「詩は感覚だ」という。(中略)僕はこの一句から感覚の消耗が感じられてならぬ。病者特有の感覚だといってしまえばそれまでだが、極言すれば僕にはかえって近代感覚を弄ぶ「のんきな患者」さえほの見えてならぬ。この消費的感覚は三鬼俳句を読むとき、何時も感じる技巧(レトリック)の浪費という感想に結びつく。―

三鬼の俳句鑑賞文を引用して、三鬼の唱えた根源俳句の解釈法にたいして(p120)
― ここに根源俳句の解釈法 − 合鍵があると言っているのだ。そして僕はこの見事な鑑賞法から不安を感じるのだ。

こういう鑑賞法あるいは文学的知性は、あらゆる作品に対して万能を発揮する一種のメカニズムをもつからだ。また時に愚作をも傑作と化しかねまい。しかも、ほとんど誤解というものの成立しない見事な鑑賞法、万能のメカニズムを持つ知性、そこにはどこかやがて軽薄につながる陥穽がある。

要するに薄手という印象を僕に与えるのだ。これは鑑賞文だけではない。そういう鑑賞法を背後に持つ氏の作品そのものにもつながる。文学の質として、僕はそのことをこの作家のために酷く惜しんでいる。−

一方

冒頭文書き出しより (p97)
― 西東三鬼というペン・ネームがすでに彼の作品である。錬金術師のような幻妙なレトリック、鋭く怜悧な即物性、虚無的な先鋭な感覚、当等、そういう定説のうちにある彼の作品のふくむ一切の正確をこのペン・ネームがすでに語ってくれる − 

4章の鑑賞風批評文より(p117)
― 三鬼俳句の魅力は一種濃厚な人間的体臭の魅力だ。思想というものではない。無論、この体臭を思想と言えば言えようが。

だが、楸邨、破郷、草田男と当代一流の作家の名前を挙げてみても、体臭と言う言葉でその魅力を表現できる作家は他にいないのである。三鬼俳句は俳壇の一角に一種異様な堅さと孤独さで、物のような確かさである。そのあることを最早否定できない。そういう形で三鬼俳句は存在する。― 

とも書いています。

また最期に中村草田男と三鬼の対談を引用して、「三鬼は句作の態度にスキがあり、それは三鬼の習慣である」というニュアンスで終わっています。

森澄雄さんの言うことにゃ、三鬼君は特異な感覚、人間的体臭の魅力、類希なる技巧を持っているんだけどねぇ、その作品にはちょっと、文学としての軽薄さ、質の軽さを感ぜざるを得ないだよねぇ。

それは三鬼君の句作の態度に「真正面さの欠如」と言うスキがあるんだよ。そしてそれが習慣になっちゃってるんだよねぇ。そのことを僕は三鬼君の為にまことに惜しんでいるんじゃよ、って感じですかね。

まぁ、森さんから見れば欠点や限界はあるかもしれないけれど、やっぱりおいらは三鬼俳句が大好き。

錬金術師のような幻妙なレトリック! 鋭く怜悧な即物的象徴! 虚無的な先鋭な感覚!人間的体臭の濃さ! どれをとっても喉から手が出るほど欲しい才能じゃぁあ〜りませんかぁ!!

水枕ガバリと寒い海がある

三鬼は32歳で俳句を始めたということです。

当代一の俳句評論家、山本健吉さんは「彼の俳句にははじめから青春性がない。― 俳句ははじめから彼にとって限定されたものであって、中年の文学、あるいは老境の文学として、もっと極端な言い方をすれば、絶望の文学、虚無の文学として、彼の日常市井の生活のうちに所を得ることとなった」と、「定本現代俳句」という素晴らしい俳句鑑賞本の中で述べていらっしゃいます。

おいらも俳句を作り出したのは35歳の頃。いまは見る影もなきニフティーの文学フォーラムに投稿などしたりし始めたんですね。

私生活的にはちょっと前に離婚も経験し、瑞々しい純粋な希望や恋愛に憧れながらも、それはすでに手の届かない遠いものだったんですよねぇ。

才能は無いけど、「中年の絶望、虚無」その点だけは似ているかもしれないっすw。

きっと無意識のうちに、その当時おいらも自己表現のとっかかりとして、ドライな虚無的な気持ちを表現できる器として一行詩を選ぼうとしたのかもしれません。

ある日の昼休みに会社の先輩から受け取った新聞に、大岡信の「折々の歌」という詩歌に関するショートコラムが載っていました。そこで紹介されていたのがこの水枕の句でした。

「面白い!」読んだとたん激しく惹かれるものを感じました。
そのあと直ぐに、俳人集成句集などで調べることまではしなかったけれど、三鬼の名前と句は自分の中に住み着いてしまったのですね。
自分と俳句との本当のキッカケの句といって良いかもしれないです。

あとちょっと三鬼の句を挙げてみますか。

算術の少年しのび泣けり夏 三鬼

この句は、575のリズムで読みますと、算術の 少年しのび 泣けり夏 です。
文脈的に切れば、算術の少年 しのび泣けり 夏で、そのまま読むと575とは全くかけ離れた印象になっちゃいます。

でもこれは575の俳句として巧妙に計算した上でわざとそういう風に作ってある句なんですねぇ。

この奇異なギャップがその当時は無類に斬新だったらしいけど、やっぱ今でもすごいわぁー! いわゆる句跨りという技巧をつかっているんですけどね。

さらに、最期にとってつけたような「夏」の語であるにもかかわらず、それが不思議な響きとイメージの喚起を作動させているところに凄みがあるとおもいます。
ん〜、まさに鬼才。

中年や独語おどろく冬の坂 三鬼

これはもう、自分で意識しないうちに独り言を言っている。その自分の声に驚いちゃっているんですね。うわぁっ、俺イヨイヨやばいじゃん!汗。みたいな。
冬の坂は人生の坂を象徴しているとも言えますね。独身中年の終わりは孤独な冬なんですねぇ。

中年や遠くみのれる夜の桃 三鬼

もうシミジミ感じ入ると同時に、こんな句を読めたら中年としては凄いよなぁっていう憧れの句。夜の桃は若い女性のこと。自分がもう若くなく、瑞々しい桃のような女性とは釣り合いが悪い。ある意味中年には手の届かない存在への憧憬なんですね。

もちろん歯科医でファッショナブルで知的でスマートな三鬼は、実際には若く魅力的な女性を銀座赤坂六本木と連れ回して遊びまわってたと言う話なんですけど。

したがって、肉体関係を持つことは簡単かもしれないです。
でも、この娘と本当に魂を共有するようなパートナーとしての付き合いや、中年の孤独を忘れさせる本当の幸せを築くことができるだろうか?いや出来まい。それは手の届かない夜の桃のように夢幻だろう、という感慨を感じているだと思います。

もう一歩踏み込んで読むと、桃は単なる高嶺の花ではなく、遠い幸せの象徴なのでしょう。

まぁ、こういう句に出会いながら、やがて今の俳句結社「海紅」に出会い、自由律俳句ってのにハマることになったんですけどね。
葡萄あまししずかに友の死をいかる    西東三鬼

三鬼はその頃、昔ながらの季語を昔ながらの解釈で取り入れ、575に詠む伝統的俳句の流れには満足していませんでした。詩としての新しい表現、現代の俳句というものを目指していたのでしょう。

そのような志を同じくする俳人達が全国におりました。一流は一流を知る、的な出会いをしていったのですねぇ。そういう人たちの一連の俳句の傾向は、だんだん新興俳句運動と呼ばれるようになりました。 

その中には季語なんか抜いたって俳句は俳句として(文学として)成り立つんだと主張する作家たちも登場してきました。

高浜虚子という俳句会の大御所がいました。正岡子規の創始した「ホトトギス」という俳句結社を受け継いで主催していました。

いまでいう2ちゃんねる用語ですと、神ですね。その神、高浜虚子の定めた俳句の定義は逐語ではありませんが、「俳句は季語を入れて花鳥を詠む575の詩形である」というものでした。
その当時、この定義は俳句をするものの掟でした。
この掟からはみ出してでも、俳句の文学の可能性を追求しようとする人達のなかに篠原鳳作という新進気鋭の俳人が居たのです。

掟ポルシェが、ふんどし一つで怒涛の大河に泳ぎだしたように、新興俳句作家たちも伝統俳句の奔流に立ち向かったのでした。って、ちょっとずれたか。

この、三鬼の「友の死」というのは、新興俳句のなかでも先鋭的な無季俳句を実践していた、沖縄の宮古島の篠原鳳作という優れた俳人の死をさして詠まれました。

しんしんと肺碧きまで海の旅 篠原鳳作

無季俳句不朽の名作といわれるこの句を生み出した鳳作は29歳で結婚し、わずか30歳で病死します。

ほんとうにこの無季派の最先端を走っていた俳人がもっと生きていたらどんな句を残したのだろうと思います。

鳳作は宮古島で、三鬼は本土で、それぞれ離れて活動していましたが、文通して切磋琢磨していたのですね。俳句革新の良きライバルであり戦友でもあった鳳作の突然の死。
三鬼にはさぞやショックだったことと思います。

もしこの句を新興俳句の戦友と目していた篠原鳳作の死だと知らないで純粋鑑賞したとしたらどうだろう? そんなことを考えてみました。

しずかに友の の中7 死をいかるの下5の措辞はやはり非凡です。
友を失った悲しみ、どうしようもない理不尽な別れへの怒りが、そくそくと響いてきます。

追悼の句としては、忘れられない一句ですね。
西東三鬼については、わたしも彼のファンです。
森澄雄さんは、そんなアホなことをいってらっしゃるンですか。
三鬼はまじめに逸脱してるんだとおもいます。
精神が無国籍だ、といった人がいます、偏見がない、と。反面、筋がないという人も。
  広島や卵喰うとき口開く 三鬼
これなんか、なるほどどっち向きにもとれるような句をつくってますね、そういうコスモポリタンが自由に動けるのは、戦前ではなくまぎれもない「戦後世界」だったとおもいます。が、あまり自由主義なので、GHQなんかは、この句が反戦と採られることを警戒したのではないでしょうか?
金子兜太さんなんかは、あきらかに反戦句や平和主義、だったともいますが。三鬼は、あくまで境界的で、そこがたいへん魅力です。どっか虚無感があったのでは?。おおまじめにいきた人ですよね。
→徘徊少女さん

コメント有難うございます♪

三鬼は言葉の魔術師と呼ばれただけあって
やっぱり言葉の組み合わせや、言いたい核心の
省略と転換が天才的に巧いなぁと思いますです。
「俳句その魅力展」

神奈川近代文学館「俳句その魅力展」へ行ってきました。
文学館の会議室で自由律俳句の会「層雲」と自分が所属している「海紅」の合同句会への参加もともなっての鑑賞でした。

文学館へは層雲筋から約一万五千点に上る資料が渡されたということです。現代俳句史をざっと通覧することの出来る企画展の後半コーナーに、自由律俳人の荻原井泉水、山頭火、放哉らの貴重な資料が展示されていました。海紅の赤表紙の古い冊子も展示されてありました。

定型俳句コーナーも、その主だった流れを通覧できました。
普段は集成句集や俳句鑑賞本でしかお目にかかれない有名句直筆を軒並み見ることが出来て興奮!勉強になりました。

拙劣ながら、俳句発展の流れを作風や傾向的にザクッとまとめますと、

○子規の日本派(明治時代の旧派に対する新派)→虚子のホトトギス派(花鳥諷詠)。

○夏目漱石、久保田万太郎、芥川龍之介、寺山修二などの文人系俳句。

○飯田蛇笏・龍太親子の雲母。

○角川俳句の角川源義・春樹親子。

○虚子→日野草城→富澤赤黄男→高柳重信の前衛俳句派(現代詩的アプローチ)。

○虚子→水原秋桜子(馬酔木派新興俳句)→加藤楸邨・石田波郷(人間探求派)→金子兜太(社会・共産主義的前衛俳句派)

○高屋窓秋・渡邊白泉の新興俳句。虚子→吉岡禅寺洞→篠原鳳作(無季派)・芝不器男(夭折の天才有季定型俳人)。

○虚子→山口誓子(天狼)→平畑静塔・秋元不死男・永田耕衣(根源俳句・実存主義俳句派)鷹羽狩行・橋本多佳子・西東三鬼(無季容認の新興俳句・一元俳句)→三橋敏雄。

などなどとこんなところでしょうか?(複雑すぎるため、漏れもありますがご容赦ください)。

他にも、松本たかし、川端 茅舎など、独自の光芒を放った俳人の句もありまして感激。

いやぁ、自分としては、西東三鬼の「水枕ガバリと寒い海がある」の直筆が見られただけでも満足でした。

それから、中村草田男句や、森澄雄さんの句もありました。
山口誓子の「炎天の遠き帆やわがこころの帆」も良かったですなぁ。

そして、自由律系統の流れとしては、
○河東碧梧桐・大須賀乙字(新傾向俳句)
○碧梧桐→荻原井泉水の層雲系自由律・
○碧梧桐→中塚一碧楼の海紅自由律。

碧梧桐は短詩まで行き着いて引退します。

自分としては、このように通覧が出来たのでした。
モノの本によれば、子規は存命中既に、虚子には保守安定的傾向を、碧梧桐には革新と前衛の傾向を見ていたそうです。企画展ではそれが如実に出ていると思いました。

虚子からは、有季定型花鳥諷詠の保守の流れを守りながらもゆっくりとした分化を展開して行きます。やがて、その枝葉から無季・現代詩的前衛・社会性前衛まで進展していきました。

一方新傾向に始まり、「鼎の沸騰する如き猛烈さ」で俳句の詩的領域を限界まで突き詰めた碧梧桐。自由律からルビ俳句を経て、最期に自らの句を「短詩」と呼ぶに至ります。
100年ほど前に、現代やっと喧伝されだした事を行っているのは、やはりものすごい先進性だと思いました。

新傾向派からは、ヨーロッパの文学エッセンスをたっぷり吸い上げた井泉水によって、モダンな自由律運動が生まれます。俳論や文学論文は数百稿におよび理論的にも貢献した俳人です。人口に膾炙される俳人の山頭火、放哉を筆頭にその他多くの優れた自由律俳人を育てた井泉水は偉大だと思いました。

この企画展では海紅自由律の資料がずっぽり抜け落ちていたのが残念でした。が、まぁ、自分の属している結社のことはそこそこ分かっているわけですから良しとします。

それに、この展示会自体を企画したキュレーターさんも句会にお見えになって、海紅系列の資料もフォローしたいと仰っていたので、今後こういった展示会がある場合は徐々に一碧楼を筆頭に海紅系の俳人も加えられていくことと思いました。

一碧楼は、連続して巻頭を取ったほど定型俳句も上手でした。しかし最後には、自分の作品が人になんと呼ばれようと(俳句じゃないと言われようと)、どうとも思わないと言い放っています。「短詩だ」とさえ言っていないのです。また、作品によって立ち、自分の作品が文学的形骸化に陥ることを一番戒めていました。大げさな俳論というものは著しませんでした。    
この孤高性と革新性はやはり偉大だと痛感します。文学館の企画展を見るにつけこのような感想をもったわけでした。

句会も楽しく、親睦会でお酒も飲むことが出来てw 充実の一日でした。
良い企画のようでしたね。近くならば行きたいです。
自由律も枝分かれがあるのですね、イマノトコロ、本質的な違いがよくわかりませんが。あんまりこだわっていないのです。




夜の桃食ふぶ密かに笑ひをる




★★★  『 夜の桃を私かに食べて笑い転げた 』
♪♪♪   http://mixi.jp/view_diary.pl?id=497132725&owner_id=4521611

西東三鬼という人に大変興味を抱きました。とても勉強になります。自分でも調べてみたくなりました。

水枕の句、いいですね。『ガバリ』が効いてます。私は子供の頃に扁桃腺を腫らして寝込むことが多かったので、寝返りするたびに「ガバリ」と聞こえた水枕の音は耳に残っています。この句には、ちょっと熱も下がって、寝る姿勢を変えた瞬間の「動き」を感じます。こういう句もあるんですね。。。

 勉強になりました。ありがとうございます。
鉄鉢の中にも霰

…やはり私は山頭火が好きですね。放哉もまた然り。

ですが、あえて読み込みません。私も私の句風、歌風を追っていますから、山頭火もどきや放哉もどきのようなものは私は詠みたくはないのです。

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