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英文読解?コミュの英文精読講義[基礎]

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これまでこの英文読解Xのコミュニティでは、「英文精読講義」というトピック板で、比較的高度な英文を読む訓練を行ってきましたが、参加してこられる皆さんのレベルが高いこともあって、出題英文の難度がやや高くなりすぎてしまったキライがあります。そういった現状を受けて、もう少し易しい英文精読のコーナーも設けようとかねてから考えておりましたが、今回、大学院受験を考えておられる方が一から英文読解をやりなおすことのできるようなトピック、ということを目安にこの「基礎」版を作ることに致しました。「基礎」版なので、普段「英文精読講義」に参加しておられる、あるいはこれまで参加されたことのある方には簡単すぎると思われます。出来ればここでは、あまり英文読解に自信のない方にも参加してもらいたいので、上級者の方は温かく見守っていてください。

最初の問題はGeoffrey Leech "Meaning and the English Verb"の第三版のイントロの書き出しからとったものです。

Every language has its peculiar problems of meaning for the foreign learner. Many people would agree that in the English language, some of the most troublesome yet fascinating problems are concentrated in the area of finite verb phrase, including, in particular, tense, aspect, mood, and modality. The goal of this book is to describe these fields of usage systematically and in some detail for teachers and advanced students of English as a foreign or second language.

コメント(35)

どの言語も、外国語学習者にとって特有の意味における難題を抱えている。英語において最も厄介でありながら興味深い問題のいくつかは、特に、時制・相・法・法制などを含む定形動詞の分野に集中することに同意する人は大勢いるだろう。本書の目的は、外国語・第二外国語として英語を教える教師や、上級学習者のためにこれらの分野の語法を系統的かつ詳細に記述することである。


早速基礎編を作っていただきありがとうございます!!
寝起きでやってみましたが、チーンでした。
よろしくお願いします。
 あらゆる言語にはそれぞれ、外国語としてそれを学ぶものにとっては、なかなか理解するのが難しい独特の諸問題がある。多くの賛同を得られると思うが、英語の場合は、それらの難解だが魅力的な問題は定形動詞句のあたりに多くみられ、特に列挙すれば、時制、相、法、法制である。本書の目的は、それらを系統的かつ詳細に述べることにあり、外国語や第二外国語として英語を学ぶ教師や有望な学生の役にたてば幸いである。

意訳しすぎですかね?「読んだときの感覚」を優先して訳書いて見ました。

みなさん、ご参加ありがとうございます。みなさんの解答が非常によくおできで、初回とは言え、問題が簡単すぎたかもしれないと思っています。ですので、少し細かいところから見ていきましょう。

・第一文

これはpeculiarの訳し方が問題ですね。「特殊な/特別な/奇妙な」という意味で
覚えている人も多いですが、peculiar to X = unique to Xという用法のほうも覚えておかねばなりません。Cobuildの英英辞典によると、

1.If you describe someone or something as peculiar, you think that they are strange or unusual, sometimes in an unpleasant way.
= odd, strange

2.If something is peculiar to a particular thing, person, or situation, it belongs or relates only to that thing, person, or situation.
= unique

と二つの意味がしっかり記載されています。1の意味では「不快な」という含意が入る傾向もありますが、2ではそのような意味は全くない。単に「あるものが
特定の物や人物にだけにあてはまる」というだけです。

さて、この第一文のits peculiar problems of meaningのpeculiarはどう解釈すべきかと言うと、peculiar toとはなっていませんが、やはり、ここは2の意味で捉えるべきですね。要するに、この部分をもっと冗長に書くと、

Every language has its problems that are peculiar to it/them.

という感じでそれが凝縮されているわけですね。私の語感だと最もいい訳は
「特有の諸問題」くらいではないかと思います。

さて、これを押さえた上で、この第一文を訳すとなるとどうなるのか。なかなか、of meaningやfor the foreign learnerなど面倒くさい句がありますが、大胆に、

「どのような言語にもその言語特有の意味の問題というものがあって、外国人学習者はいつも悩まされるものだ」

などとしてしまっても許されるかもしれません。元の英文がやや節約的な書き方ですから。でもこれは翻訳の域です。あくまで逐語的読解に拘るなら、

「どのような言語にも、外国人学習者にとっての特有の意味の問題というものがある。」

となり、これは十分理解できる日本語です。しかし、ここで、この第一文をとことん掘り下げてみましょう。ひょっとしてみなさんの中に、

「外国人学習者にとって(厄介な)」

というふうに、(厄介な/問題となる)というような言葉を付けたしたいという誘惑に駆られた人はいないでしょうか。もしそういうふうに感じたとすれば悪くない直観だと思います。
といいますのも、何でも名詞として個物として捉えたがる英語は、problems for the learnerで事足りるのですが、日本語は「外国人学習者にとっての問題」とするより、
「外国人学習者にとって厄介な問題」/「外国人学習者にとって問題となる諸側面」というように、述語を補ってやるほうがわかりやすい感じがするのです。実際、
problemsをあえて分解すると、problematic things/aspects→things/aspects which are problematicとなり、日本語としては、be problematicのほうがfor the learnerとのつながり
がよい。これを踏まえて訳すと、

「どの言語にもその言語特有の、外国人学習者にとって厄介な意味の領域/側面がある」

としてもいいですね。
・第二文

ここは比較的文法構造が複雑ですが、みなさん無難にこなされていて頼もしい限りです。finite verb phraseは「定動詞句」でいいのではないかと思います。

some of the most troublesome yet fascinating problems

というthat以下の主語をどう訳すかが少し面倒ですね。someを活かすとしても、「最も〜な問題のいくつかは」とするとちょっと逐語訳ポイ。まあそこに哀愁が
漂う感じもするのですが笑 これは「一部」というくらいにしてみてはどうでしょう。

「最も厄介だが、同時に魅力的でもある問題の一部が定動詞句の分野に集中している」

including以下も少し節約的な書き方の気がしますが、意味的には「時制や相や法や法性(の問題)を特に含んでいる」という感じですかね。

「英語について言うと、最も厄介だが、同時に魅力的でもある問題の一部が定動詞句の分野に集中しており、とりわけ、時制、相、法、法性といったことが
重要になるということに賛同する人は多いだろう。」



・第三文
ここも最後の、for teachers以下をどう処理するかが難しいところですね。for〜「〜にとって/〜のために」に絶対的に拘る必要はないです。たとえば、

He pushed the cart into the room.

という文の訳として

彼はカートをその部屋に押した。
彼はカートを押してその部屋に入れた。

ならば、普通下のほうを選びますが、これもintoを「入れる」という動詞で解釈しているわけです。おなじことを少し応用的にやれば、どうなるでしょう。

「この本の目的は、これらの分野の語法を体系的かつ、ある程度詳細に記述し、英語を外国語や第二言語として教えている教師や上級の学習者に
役立ててもらうことである」
「本書は、これらの分野の語法を体系的かつ、ある程度詳細に記述し、英語を外国語や第二言語として教えている教師や上級学習者に
役立ててもらうことを意図して書かれたものである」

というような訳でも問題ないでしょう。in some detailはsomeの意味をとらえて、「ある程度詳細に」と訳しました。



→にっしーさん

基本的構造は捉えられていますし、大きな誤訳というものも見当たりませんが、単語の辞書的な意味や定型的な訳し方に拘泥しすぎている
部分や、日本語の組み合わせ方で少しミスをしている部分があったと思います。しかし、基本はおさえられていますので、安心してください。

→わぴ子さん

忠実で無理のない訳ですね。英文読解としてはモデル的な訳だと思います。この調子で頑張ってください。

→ヨッシーさん
ヨッシーさんの訳は確かに意訳ですが、意訳として十分、優れていると思います。日本語も読みやすいですし。少し今回の問題は易しすぎたかもしれませんね。
次の問題です。『』で括ったところを和訳してください。出典はBertrand Russellの"The Scientific Outlook"です。

One hundred and fifty years of science have proved more explosive than five thousand years of prescientific culture. It would be absurd to suppose that the explosive power of science is exhausted, or has even reached its maximum. 『It is far more likely that science will continue for centuries to come to produce more and more rapid changes. One may suppose that a new equilibrium will ultimately be reached, either when so much is known that a lifetime is not sufficient to reach the frontiers of knowledge, and therefore further discovery must await some considerable increase of longevity, or when men become bored with the new toy, become weary of the strenuousness required in the making of scientific advances, and become content to enjoy the fruits of former labours, as the late Romans enjoyed the aqueducts built by their predecessors.』

aqueduct:水道橋
>K−youngさん

興味深いご指摘をありがとうございます。

2.の点についてですが、確かに訳しにくいですね。someを無視するのも
一つの手ですが、some of the most troublesome...のところでそれを
やると、

「最も厄介な問題は〜に集中している」

となり、「定動詞の分野に英語の最も厄介な問題がある」と断言することになるのでそれも言いすぎかと思います。

in some measureは確かにsomeを飛ばしてもよさそうですが、このsomeには自分は詳細だと思っているけど、そうあからさまには言いたくない、という謙遜の意味があるような気がするので、「少し立ち入って」とか「少し詳細に」とするといいかもしれません。もちろん、「少し」はここでは「かなり」に近い意味です。

3.は「多くの人が賛同するだろう」は確かに日本語として微妙ですが、
「賛成する(納得する)人は多いだろう」にすると、だいぶ、マシになります。
さらに、このwouldを活かして、実はthat節に仮定が隠れている、というように
考えたら、

「〜の問題は定動詞句の分野に集中していると言えば、納得する人も多いんじゃないか」

しても許されるでしょうね。


4.attractiveというのはfascinatingのことだと思いますが、これは筆者にとって
「魅力的」であるのは当然で、その見解を読者にも促す感じだと思いますね。つまり、「最も厄介な問題は(でも同時にそれはとても魅力的な部分なんだけど)」という感じで言いたいんじゃないかと思います。その節約的な表現として、

「最も厄介だが、同時に魅力的でもある問題」

は私の感覚ではOKです(そもそも「魅」というのは結構妖しい字ですしね笑)。ただ、「魅力的な問題」というのが、日本語のコロケーションとしてどうしても違和感がある場合には、

「最も厄介だけど、取り組みがいのある(やりがいのある)問題」

というように、fascinatingをchallengingの意味でとってもいいでしょう。

6. ESL,EFLのことだと思いますが、どうでしょう。微妙なラインですね。


というふうに易しい英文も追求していけばいろいろな問題が浮上してきますが、
ここではまず骨格をおさえることを重視し、かつ、細かいところにも
配慮することが理想的であるという感じで取り組んで頂ければと思います。



科学より前の文化5000年の年月と比べて、科学の150年の年月は爆発的な影響力を持っている。この科学の爆発的な力が尽きてしまったと考えたり、それともついに頂点にさえ到達してしまったのだと考えたりするのは、どちらにしても間違っている。それよりもずっとありそうなのは、科学はこれからも何世紀にわたってますます多くの急速な変化を生み出し続けるということだ。次のようなときに(科学が進歩をやめて)最終的に新しい平衡状態になると考えるものもいるかもしれない。未知の世界へと到達するに人生があまりにも短く、それゆえに更なる発見にはある程度の寿命の延長を待たなければならないほど、あまりに多くのものが知られるようになるとき。あるいは、人は(科学が生み出す)新しいおもちゃに飽き、科学的進歩を達成するために必要な苦労を疎み、ちょうど後期のローマ人が、彼らの先祖たちが打ち立てた水道橋を楽しんだように、今までの業績から得られる成果を楽しむことに満足するようになる時、である。
それよりも、科学は今後何世紀にも渡ってより一層急速に変化していく可能性の方がはるかに高そうである。次に挙げる二つの状況に陥った際、新たな均衡状態が結果として生まれると考える人もいるかもしれない。それはつまり、あまりに多くのことが知られてしまったことで、我々の寿命では科学的知識の最先端に行き着くには足りなくなり、そのため更なる発見をするためには我々の寿命が相当に伸びるまで待つ必要が出てきた時か、もしくは人間が科学という玩具に飽き、科学の進歩に必要とされる熱心な努力をすることに疲れきった結果、後期のローマ人が祖先の建てた水道橋に甘んじていたのと同じように、過去の努力によって得た成果を享受することに甘んじるようになった時である。



バイト中に考えて訳しました。よろしくお願いします。
1番目の問題に関して、詳しい説明をありがとうございました!
訳すのが難しい単語は、英英辞書を引くと糸口がつかめそうだと思いました。
少し、時間があいてしまいましたが、解説にうつろうと思います。

It is far more likely that science will continue for centuries to come to produce more and more rapid changes.

ここは基本としてitが形式主語、that以下が真の主語ですね。補語になっているfar more likelyは「よりはるかに可能性が高い」ということで、「これから先(これからやってくる)数世紀の間、科学がますます多くの急速な変化をもたらし続けるであろう」ということが「はるかに可能性が高い」と言っているわけです。何と比較して「より可能性が高い」のかと言うと、前文のthat節にある、

the explosive power of science is exhausted, or has even reached its maximum.

という内容。つまり、「科学の爆発力が尽きてしまっている、とかその頂点に達してしまった」ということよりも「はるかに可能性が高い」と言っているわけです。ですから、珈琲氏やわぴ子氏のように、この部分は「それよりもはるかに可能性が高いのは」と前から訳したほうが全体としての通りはいいかもしれませんね。

次の文はやばいくらいに長いので少しわけて考えましょう。

One may suppose that…

ここは単純な箇所ですが、supposeの目的語となるthat節がこの文を最後まで支配しています。Oneは一般の人を表す[総称人称]であえて訳す必要もないくらいです。「〜と考えてもいいかもしれない/〜と考えることができるかもしれない」というくらいでとりあえずOKとしておきましょう。

さて、このthat節の中にまたまたいろいろな副詞節なり副詞節なり副詞節なりがまじりあって、K-youngさんが指摘されるとおり、四重階層くらいになっているわけですが、that節の中の主節は

a new equilibrium will ultimately be reached,

までです。equilibriumは私自身、受験生時代の終盤に覚えたかなり難度の高い単語ですが、Stephen Jay Gouldらが提唱したダーウィンの自然淘汰論に対する強力な修正案の一つである、Punctuated Equilibrium(断続平衡仮説)のことを知っている人ならば、そこから推測がついたかもしれません。この語自体は「均衡状態・平衡状態」というくらいの意味ですね。つまり、「新しい安定状態が最終的に到達されるであろう」「新しい均衡状態に最終的に到達するだろう」が直訳となります。勿論、これだけでは意味をなさず、「いつ」「どういう場合に」新しい均衡状態に到達するのかが明示されなければなりません。それを説明したのが、以下の長い長い二つのwhen節なわけです。以下の構造は公式的に書くと

either when X or when Y「Xか、Yのいずれかの場合に」

というものとなっています。そのXとYにまたまた複雑な構造が埋め込まれています。では、まず、Xのほうを見てみましょう。

X =so much is known that a lifetime is not sufficient to reach the frontiers of knowledge, and therefore further discovery must await some considerable increase of longevity,

文頭にso muchがきて、それにis knownという受動態の動詞句が続いていることから、so muchがここでは主語として機能し、muchが代名詞的な意味で用いられていることが把握できます。

さらにso〜thatの対応を看過しないことです。いわゆるso原因that結果の構文ですね。つまり、「非常に多くのことが知られているため、その結果that以下」ということになるわけです。

そのthat以下の内容も訳すのに少し注意が必要です。S is sufficient to Vは「SはVするのに十分である」が直訳ですが、「一生が知識の最先端に到達するのに十分ではない」とはどういうことなのか、少し噛み砕いた理解が必要ですね。同じく、therefore以下のところも、「さらなる発見は相当の寿命の増加を待たねばならない」というのも、直訳で言いたいことはわかるかもしれませんが、すんなりと伝わる日本語にするのはもう少し修正したほうがよさそうです。

『あまりに多くの知識が集積された結果、一生かかっても知の最先端と言うべき場所にたどりつけなくなり、ゆえに、人の平均寿命が相当に延びるというようなことがない限り、新しい発見というものができなくなる』
では、次にYの部分に眼を向けてみましょう。

men become bored with the new toy, become weary of the strenuousness required in the making of scientific advances, and become content to enjoy the fruits of former labours, as the late Romans enjoyed the aqueducts built by their predecessors

ここも結構長いんですが、

become1,
become 2
and
become 3

という等位接続詞で結ばれた動詞の連なりはすぐに判断できると思います。等位接続詞のand/orが3つ以上のものを結合する場合には、最後を除いて後のandは全てカンマで代用される、という原則どおりの美しい構造です。最初のbecomeの後に続く、the new toyというのは科学が生み出す新しい装置や道具、機器のことですから、「(科学によって生み出される)新しいおもちゃ」でそのままでいいでしょう。

二つ目のbecomeの後に出てくる、strenuousnessは少し難しい単語かもしれませんが、make strenuous effortsなんかは「必死の努力をする/奮闘をする」という意味の成句で覚えておくと英作文の時に便利です。ここでは「熱心さ・必死さ」くらいの意味ですかね。「科学の進歩に必要とされる熱心さ」という感じ。

最後のbecome content to Vのところは、be content to V「Vすることに満足している/満足を感じている」というのが下敷きになっており、「Vするのに満足するようになる」という意味ですね。最後におまけのように付されているas節はbecome content to enjoy…以下の部分を比喩的に説明したもので、the late Romansは「後期帝政ローマの人々」という意味でしょう。

『科学の生み出す新しいおもちゃに飽き、科学的進歩につきものの勤勉さを厭うようになり、後期ローマ人たちが、先人たちの建設した水道橋の恩恵にあずかったように、先達の努力の結晶を享受することに満足を覚えるようになる』

さて、これで、一応パーツ的には全て説明したわけですが、a new equilibrium…reachedとeither when X or Yのつなぎに関してすこし触れておきましょう。受験的なルールから考えるならば、when節やbecause節といった従属副詞節は日本語では前にもってきて訳す「訳仕上げ」が基本なわけですが、今回のようにやたらと従属節が長いときに、このルールをそのまま適用するとなると、どうしてもわかりづらい日本語になりがちです。にっしー氏が日本語がどうも意味不明と告白されている所以です。そこで、わぴ子氏や珈琲氏はwhen節以下について、「次のような場合に」と先に予告する語を追加することで、何とか英語の語順を保とうとする工夫をしています。これは翻訳をする上での重要なテクニックですが、「次のような」という文句を追加するのは少しぎこちない気もします。私としては、

(考え方によっては) 次に均衡状態が訪れるのは、あまりに多くの知識が集積され、一生かかっても知の最先端とも言うべき地点にたどりつけなくなったため、人の平均寿命が相当に延びるというようなことがない限り、新しい発見というものがおあずけになるといった場合か、あるいは、人間が科学の生み出す新しいおもちゃに飽き、科学的進歩につきものの勤勉さを厭うようになってしまって、後期ローマ人たちが、先人たちの建設した水道橋の恩恵にあずかったように、先達の努力の結晶を享受することに満足を覚えるようになった場合かのいずれかである、(と言ってもいいかもしれない)

という感じに英語の「超長文」の雰囲気を活かすほうが好きですね。
みなさんの力があまりにも素晴らしいので、ついつい難しい問題を選んでしまいましたが、基礎編のコンセプトに基づき、次は大学入試問題から出題しようと思います。以下の英文の『』でくくった部分を和訳してください。全体の文は長いですが、訳として問うている部分は一文だけなので、少し根気よく解いてみてください。後、わぴ子氏、バイト中に英文読解Xに熱中しすぎて、怒られても知りませんよ笑 

Every day journalists take information known only to a small group of people and publish it to a wide audience, invoking professional decisions about public interest, reliability of sources and invasion of privacy. Journalists constantly find a balance between the way they want to write the story, the way to write the story to get the biggest audience, and the way to write the story while doing the least harm to the fewest number of people. Often there are dilemmas to resolve because the things that journalists write about are real. The people and places are real and so are the consequences of published journalism. While the scale of the dilemmas encountered in deciding what should be published varies, the potential for harm remains unchanged. 『The decision whether to publish details of a murder for fear of prompting similar crimes may be, in practice, no more crucial than the decision whether to publish the name of a person arrested for a minor crime whose elderly mother has just had a stroke.』 Somebody could die. Somebody’s family could be permanently broken up.
同じような犯罪が起きるきっかけとなることを恐れて殺人事件の詳細を公表するかどうかを決めることは、実際には年老いた母親が卒中を起こすという些細な罪で逮捕された人の名前を公表するかどうかを決めることと同様に重要ではないことかもしれない。



今回もバイト中に考えました!!!ふっふっふ
正編の精読講義のほうで出題したバークリの英文についても言えることですが、こういう英文を理解できるかどうかというのは、まさに、英文法をどこまで本質的に理解しているかにかかってくると思われます。本問は前述の通り、入試問題であり、単語的にも構文的にも一見難しいとは思われない。しかし、いざ訳す段階となると、意外に手ごわい。本問の、特に『』部分が、パターン暗記や熟語知識によらない、原理的理解、を問うているからだと言うことができるでしょう。

では、まず、全体の流れから見ていきましょう。
[第一文]
Every day journalists take information known only to a small group of people and publish it to a wide audience, invoking professional decisions about public interest, reliability of sources and invasion of privacy.

ここは、報道記者たちの仕事を解説した部分。『少数の人間のみが知る情報を、その情報の信憑性や大衆の関心などを考えながら、大勢に向けて発信する』ということが書かれています。


[第二文]
Journalists constantly find a balance between the way they want to write the story, the way to write the story to get the biggest audience, and the way to write the story while doing the least harm to the fewest number of people.

そのような情報伝達の仕事において、ジャーナリストの取らねばならない選択の話です。具体的には『人に実害をできるだけ与えずに、自分の書きたい記事を、人に読んでもらえるようにいかに書くか』というようなことが問題になるということが述べられています。

[第三〜五文]
Often there are dilemmas to resolve because the things that journalists write about are real. The people and places are real and so are the consequences of published journalism. While the scale of the dilemmas encountered in deciding what should be published varies, the potential for harm remains unchanged.

『報道記者が書く記事というのは現実の事柄であるため、それがもたらす結果も現実に影響を与えるものとなる。そういう意味で報道の仕事には常にジレンマがあり、そのジレンマの規模は多種多様だが、報道が人々に害をもたらす可能性というのは本質的に常にあるものだ』ということが書かれています。
[第六文]
それでは、問題の『』部分の解説に入りましょう。

『The decision whether to publish details of a murder for fear of prompting similar crimes may be, in practice, no more crucial than the decision whether to publish the name of a person arrested for a minor crime whose elderly mother has just had a stroke.』

まずは、直前の『報道が有害な結果につながる可能性』について、その具体例を挙げている文であることをおさえる必要があります。一読して、この文の前半部分が、『殺人事件の詳細な報道が同様の犯罪を誘発する危険性』について述べられていることは掴めたと思います。これが『報道が有害な結果につながる』一例であると言うことができるでしょう。次にこの文全体の構造が、X is no more A than Yという構造、すなわち、鯨構文(a whale is no more a fish than a horse is)に類する構造となっていることに気付くと思われます。そうすると、この文は

X=The decision whether to publish details of a murder for fear of prompting similar crimes
Y= the decision whether to publish the name of a person arrested for a minor crime whose elderly mother has just had a stroke.

という二つのdecision『決定』について、そのcrucialな度合い、すなわち『重大さ』を比較している文であるということができます。Yにあたる部分が少しむずかしかったようですが、
『年老いた母親が発作を起こす』ということが息子/娘の『罪』になるということはまず考えられないので、a person arrested for a minor crime whose elderly mother has just had a stroke.における、arrested…crimeとwhose…strokeは全く異なる二つの限定要素で、crimeとwhose以下の内容につながりはない、と考えるべきでしょう。つまり、

a person <arrested for a minor crime><whose elderly mother has just had a stroke.>

という二重限定の構造であり、『ささいな罪で逮捕された、そして、その母親がつい先ほど発作を起こしたばかりの人間』ということになります。

さて、とりあえず、これで各要素は出揃いました。後はこれを鯨構文の『YがAでないのと同様に、XもAでない』というお決まりの訳に代入してはい終わり…、とはいかないところに本問の本当の旨みがあります。仮にこの定訳どおりの訳を書いてみると、


『ある殺人事件について、同類の犯罪を誘発する可能性を考慮した上で、その詳細情報を公表するかどうかを決定するということは、ささいな罪で逮捕された、そして、その年老いた母親が発作を起こしたばかりの人間の名前を公表するかどうかを決定することと同様に重要ではない』

というような文になります。しかし、これはちょっと理解しにくい。そもそも『殺人事件の詳細の公表が重大ではない』というのは、『報道が害を招く危険性』を論じている本文の流れから言っても、また、常識から考えても、ちょっと変な感じがするでしょう。

ここで、構文の基礎に立ち返って、少し考えてみましょう。鯨構文というのは、

A whale is no more a fish than a horse is.

という例文に代表される構文で、than以下を否定的に訳し、『馬が魚ではないのと同様に鯨も魚ではない』と訳すのが基本であると説明されている場合が多いですね。しかし、なぜ後半のthan a horse isのところに否定の意味が入るのか、ということを疑問におもったことはありませんか?普通に文字通りの意味なら、

『馬がそうである以上に、鯨が魚であることはない』

という意味に解するのが普通の訳のはずでしょう? もしこのような疑問を感じたことがあるとすれば、その直観は正しい。事実、鯨構文X is no more A than Y (is)というのは本来、『XはYがAである以上にはAではない』という意味しか持ちません。それが『YがAでないのと同様に』と訳されるのは、Y is Aが100パーセント正しくない内容であるという前提理解が存在するからです。つまり、本来A whale is no more a fish than a horse is.というのは『鯨が魚である度合いが、馬が魚である度合いと同じである』ということを言っているに過ぎないわけですが、しかし、一般の前提知識として『馬が魚である度合い』=0パーセントという理解が存在するため、結果的には『鯨が魚である』という命題も否定されるということになるわけです。

この証拠に鯨構文X is no more A than YはY is Aの度合いが0パーセントである、という理解が成立していない場合には、『YがAでないのと同様にXもAではない』という訳は成立しません。例えばある場面でSmith is not intelligent『スミスは知性的ではない』という理解が話者間で共有されている場合に、

Mary is no more intelligent than Smith is.
と言うと、

『スミスが知性的でないのと同様に、メアリーも知性的ではない』

と解釈してよいですが、そのような前提理解のない場合には、上の文は、

『メアリーはスミス以上に知性的であるということはない』

という意味を持つに過ぎません。鯨構文の理解にはまずはこの基本的事実の把握が重要になってきます。つまり、いわゆる『鯨構文』というのは以下のようなものとして定義できます。

〔鯨構文〕
X is no more A than Y isという、二つの命題形式〔X is A〕と〔Y is A〕の度合いが同程度であることを表現する構文において、後者の命題形式〔Y is A〕の部分に、100パーセント成立しない命題を代入することで、前者の命題〔X is A〕もまた成立しないということを強調する、一種のレトリカルな構文。これゆえに、当然のことながら、〔X is A〕という命題が議論の焦点となっている場合に用いられる。
この理解を踏まえると、実は、このX is no more A than Yという構文形式にはさらなる応用法があることに気付きます。つまり、Y is Aの部分に成立しない命題内容を代入することで、

Xは、YがAである度合い以上にはAではない。

YがAである度合いは0パーセント

よってXはAではない

という論理が成り立つとするならば、発想を逆転させて、前者の命題形式であるX is Aの部分に100パーセント成立する命題内容を代入してやると、

Xは、YがAである度合い以上にはAではない。

Xは100パーセントAである

よってYも完全にAである

というようなことが表現できて何らおかしくありません。例えば、以下のような文を考えてみてください。

A dog is no more a mammal than a whale is.

これは文字通りには『犬は鯨が哺乳動物である以上に哺乳動物ではない』ということになりますが、当然『犬が哺乳動物である』ということは通例100パーセント明らかなことなので、この文が言いたいのは

犬が、鯨が哺乳動物である以上に哺乳動物であるということはない

犬は100パーセント哺乳動物である

よって鯨も100パーセント哺乳動物である

という内容であり、『犬が哺乳動物であるとしたら、それと同じくらい、鯨だって哺乳動物なんだ』という内容であると考えることができます。この鯨構文の形式は以下のように定義できます。

〔鯨構文・改〕
X is no more A than Y isという、二つの命題形式〔X is A〕と〔Y is A〕の度合いが同程度であることを表現する構文において、前者の命題形式〔X is A〕の部分に、100パーセント成立する命題を代入することで、後者の命題〔Y is A〕もまた完全に成立するということを強調する、一種のレトリカルな構文。これゆえに、当然のことながら、〔Y is A〕という命題が議論の焦点となっている場合に用いられる。


さて、〔鯨構文〕は、〔鯨構文・改〕よりも圧倒的に数が多いので、通例『YがAでないのと同様にXもまたAではない』という訳で間に合いますが、今回のようにその訳では意味が通じなくなるような場合には、この構造の基本的特性を原点に立ち返り見直すことが重要です。今回の英文を

X=The decision whether to publish details of a murder for fear of prompting similar crimes
Y= the decision whether to publish the name of a person arrested for a minor crime whose elderly mother has just had a stroke.

というそれぞれのX、Yについて、〔X is crucial〕と〔Y is crucial〕という命題の度合いを比較していると考えた場合、ここではどちらの命題が議論の焦点となっているのか、あるいは、どちらの命題が100パーセント成立する/しない、前提内容とされているのかを吟味して見る必要があります。この『』部分の直前で、『報道にともなうジレンマの規模は様々に異なるが、人々に害をもたらす可能性というのは常に一定して存在する』ということが書かれていました。そうすると、この英文における『殺人事件の詳細の公開をどうすべきか』は規模の大きなジレンマに属し、一方、『発作を起こした母親を持つ人間のたいしたことのない犯罪を公表すること』は規模の小さなジレンマに属すと考えることができます。そして、『殺人事件の詳細情報の公開』が極めてcrucialな問題であるのは明らかです。ここで筆者が言いたいのは、それに負けじと、『ささいな犯罪をおかした人間の名前を公表することもcrucialになりうる』ということではないでしょうか。つまり、この『』部分の英文は〔X is crucial〕という命題が100パーセント近く成立するということを前提に、それと同程度に〔Y is crucial〕も成立するということを述べることで、〔Y is crucial〕の度合いを強調する、一種の〔鯨構文・改〕であると言うことができるわけです。

【解答例】
ある殺人事件について、その詳細情報を公表すべきかどうかということは、その情報が同種の犯罪を誘発する危険性があることを考慮すると、もちろん重大な結果を招きうる事態であるが、大したことのない罪をおかした者の名前を公表すべきか否か、というような選択であっても、その者の年老いた母親が発作を起こしたばかりである、というような状態では同様に重大な結果につながる危険性があるのだ。
Kazumaさん

非常に丁寧な解説ありがとうございました!
とても分かりやすかったです。
鯨構文は反射的に「〜でないのと同様に〜でない」と訳してしまっていて、本質を考えたことがなかったです。訳してておかしいなぁとは思ったのですが…

一つ質問があります。
解答例で、後半「その者の年老いた母親が発作を起こしたばかりであるというような状況では」という部分がありますが、これはどのような意味を持っているのでしょうか。同情の余地があることでしょうか?

よろしくお願いします。
>解答例で、後半「その者の年老いた母親が発作を起こしたばかりであるというような状況では」という部分がありますが、これはどのような意味を持っているのでしょうか。同情の余地があることでしょうか?

これは『同情の余地がある』ということではありません。ここで議論されているのは、あくまで、ある事件や犯罪についての「報道」の問題です。

上にも書いたことですが、〔殺人事件の詳細〕について報道を行うか否かという選択は、それが同種の犯罪を誘発する可能性を考えると、どこからどうみてもcrucialなものと見なすことができます。

これに対して、殺人などに比べると重大性を欠く罪(たとえば〔万引き〕)などで捕まった人間の名前を公表するかどうかというのは、その選択が世の中に重大な結果を与えるとは一見考えにくいということが言えるでしょう。

しかし、後者のケースであっても、もし罪をおかした人間の母親が病気で体が弱いというような場合だと、その母親は、自分の子供が犯罪者として報道されることでショックを受け、死期を早めてしまう可能性がある。つまり、報道の仕方がやはり人命に影響を与えうるというわけです。

ここから、どのような事件に関するものであれ、報道が世の中にcrucialな影響を与えうるということに本質的にかわりはない、という議論が出てくるわけです。
なんだかんだいって、また難しい問題になってしまいましたね。しかし、わぴ子さんもにっしーさんもよくついてきてくれています。次も入試問題から出題しますが、前回ほどは難しくないと思います。

Every secondhand bookstore is a perennially undiscovered land, full of new peaks to scale and promising subterranean caves to explore. Every visit to the secondhand bookstore is an adventure and an excitement that never fail, an expedition into unexplored territory that is bound to turn up some new treasure ― treasures one had never dreamt of, and what is more, would never have known existed had one not adventured into this exciting world of the mind of man.
全ての古本屋は、登るための新たな頂上や探索するのに有望な地下の洞窟で溢れている未開の土地のようなものである。古本屋に訪れることはいつも冒険であり、衰えることのない興奮を手にすることであり、それは、新たな宝物を発見する運命にある未開の地域への探検である。その宝物とは人が夢にも見なかったものであり、この人間の知性の素晴らしい世界へと冒険をしなければ存在すら知らなかったものなのだ。


出遅れました。修飾部分が長いときはどうやって訳すかとても困ります。
よろしくお願いします!
実力不足は分かった上で敢えてやってみます。
全ての古本屋は、登攀すべき新たな頂きと期待を抱かせるような、探索すべき地下洞窟で満ちている、永遠に発見され尽くす、ということのない大地である。古本屋へのおとないは全て、決して駄目になることのない冒険と刺激であり、いくつかの新たな宝物-もし人類がこの人間の知性という心踊る世界へと足を踏み入れてこなかったとすれば、決して考えてみることもなく、それどころか存在することさえ知ることのなかったであろう宝物-を生み出すに違いない未開の領域への探索なのである。
ずいぶん、放置してしまいました。すいません、管理人がいい加減なもんでみなさんには迷惑をおかけします。

Every secondhand bookstore is a perennially undiscovered land, full of new peaks to scale and promising subterranean caves to explore.

まず第一文目から説明します。Every ~ landは単純なSVCの文型なので構造的には問題ないと思います。ただ、a perennially undiscovered landはやや難しいですね。まず、文法のルールとして、[副詞+形容詞+名詞]というパターンに出くわした場合、副詞は原則的に名詞を修飾できませんから、形容詞を修飾している場合が殆どです。ですから訳し方は

「[副詞的]に[形容詞]な[名詞]」

とすべきです(あくまで一例ですが)。にっしーさんの訳では「永遠の未開の土地」となっていますが、これは日本語としては通じる感じがするものの、「永遠の」が名詞である「土地」を修飾する構造になってしまいますから、構造把握ミスと判断される恐れがあります。

さて、このことを踏まえた上で、この部分を直訳すると「永遠に未開の土地」ということになりますが、これは一見よさそうに見えて、よく考えると少し奇妙な気もします。一度もいったことのない場合は、どんな古本屋も確かに「未開の土地」でしょうが、少なくとも、そこにいって掘り出しものを探し当て、それを購入して店を出た直後に、「未開の土地」という感覚は残りません。そういう瞬間には「征服感」が生じているはずです(もちろん、この「征服感」はすぐに消えてしまうことが多いですが)。ですから「永遠に未開の土地」とすると、いつまでも征服感が味わえないみたいで変な気がします。

こういう風に、少しでも「あれ?」と思った場合はとにかく辞書を引くことです。ジーニアス英和大辞典のperennialの項には「永遠の/絶えることのない」に加えて「繰り返し現れる」という訳語があります。Oxford英英辞典でもcontinually recurring「繰り返し生じる」という語義が載せられています。そこで、今回のperenniallyの意味を「繰り返し」に近い意味でとり、 perennially undiscovered を「繰り返して未知の」→「何度いっても未知の要素に遭遇する」というくらいの意味に捉えてはどうでしょう。

ペイソンさんもここを「永遠に未開の土地」とすることに違和感を覚えたらしく、「永遠に発見しつくされることのない」と少し言葉を補って訳していますが、これはなかなか正しい判断です。

後半のfull of…以下は、be full of…「〜で満ちている」という表現が分詞構文化して、

being full of…

となり、さらにそのbeingが省略されてこのような形が出てきていると考えてください。一般にbeingからはじまる分詞構文では、beingを省略するのが普通です。new peaks to scaleや、promising subterranean caves to exploreは素直に訳せば、わぴ子さんや、ペイソンさんのような訳になりますが、「登るべき新たな頂き」というのは言い換えれば、「未だ誰も踏破したことのない頂」、「誰も登りきったことのない新たな頂」ということですね。同様に、後半も「未だ誰も踏み入ったことのない、期待のもてそうな地下洞窟」としてかまいません。

このようにto−Vで否定を出すことには少し違和感があるかもしれません。しかし、to Vというのは常に「未然」のニュアンスを含んでいます。だって、the problem to discuss「議論すべき問題」って、「未だ議論されていない」から「議論すべき」なわけでしょう。もっと直接的に否定の意味が出る表現もあります。つぎの例文、どういうふうに訳しますか?

Whether he can handle the problem remains to be seen.

「彼がその問題にうまく対処できるかどうかは、まだわからない」と否定で訳しますよね。実は、このto be seenもto 不定詞の形容詞用法で、形容詞を補語にできるremain(remain unchangedなど)につながっていっている。「未だ理解されなければならない状態のままである」→「今のところはまだわかっていない」となるわけです。

というわけで、第一文は、

古本屋というものはみな、訪れるたびに未知の要素が現れてくる土地であり、そこには必ず未だ誰も踏破したことのない未知の頂や、冒険心を駆り立てる、前人未到の地下洞窟といったものが満ちている。

という感じでどうでしょうか。
Every visit to the secondhand bookstore is an adventure and an excitement that never fail, an expedition into unexplored territory that is bound to turn up some new treasure

次の文は長いので、ダッシュを境界にして分けましょう。最初からfailまでは、やはり簡単なSVCですが、that never failは動詞の形態から見て、an adventureとan excitementの両方を修飾しているとみなすべきでしょう(わぴ子さんのように解釈するならfailsとなっているべきです)。直訳すれば、「古本屋へのあらゆる訪問は、決して失敗に終わることのない、冒険であり、刺激的経験である」となります。多分、an excitementをどう訳すか、頭を捻られた方が多いと思いますが、抽象名詞や感情名詞などでは、可算名詞と不可算名詞の両方の用法をもっていて、しかも意味が異なる、ということが結構あります。例えば、philosophyは「(学問としての)哲学」で、不可算名詞ですが、a philosophyとなると、「一冊の哲学書」という意味になりますね。可算名詞は「具体物」を指すことが多い、ということは、覚えておいて損はないでしょう。今回のexcitementも「(精神的)興奮」では不可算名詞ですが、可算名詞で「興奮させるもの・刺激物」を意味することもできます。ここでの「刺激物」といえば、「冒険」と並列されているのですから「刺激的経験」くらいでしょう。

後半のan expedition into unexplored territory that is bound to turn up some new treasure
は、an adventure and an excitementの同格的言い換え表現とみなして問題ありません。名詞と名詞がカンマをはさんで並列されたらこの文型の可能性が高いですね。さて、ここの部分のthat is bound to…ですが、この関係代名詞の先行詞は何でしょうか。文法的にはterritoryでも、expeditionでもよさそうですが、やはり、「人間が未知の領域に踏み込んではじめてお宝が出てくる」という物事の順序を考えると、an expeditionを修飾していると考えるのが正解ですね。また、turn up「発掘する」から考えても「土地(territory)が発掘する」というのは変です。

「すなわち、何かしらの新しい宝を必ず掘り当てることになる、未知の領域への探検なのである」

というくらいでいかがでしょうか。
では最後のダッシュ以下の部分にいきましょう。構造的にはここが一番注意すべきところです。
このダッシュ以下はtreasuresを核とし、そこに長い関係代名詞節がかかっていっている形です。この関係代名詞節の中で、

one <had never dreamt of()>,
  and
  <would never have known()existed >

という共通関係を看破する必要があります。()はもとの先行詞があった場所です。二つ目の動詞句である、would never have known existedは「連鎖関係詞」(あるいは「挿入」としても説明される)の構造に気付きましたか?
これは、例えば、

You should do what you think is right.

などとも同じもので、

You think X is right.

という文からXが抜き出されて先行詞となったため、

X which you think is right
What you think is right

のような構造が生まれる仕組みです。複雑な関係代名詞の構造の一種ですね。今回の問題では、

one would never have known X existed

X (which) one would never have known ( ) existed

という変形です。「存在していると知ることなど決してなかったであろう・・・」となりますね。

そして最後の部分ですが、ここもif節におけるifが省略されて倒置が起きていることを見抜く必要があります。みなさん、しっかり見抜いていますね!

had one not adventured into this exciting world of the mind of man.

if one had not adventured into this exciting world of the mind of man.

ただ、ここまできてもまだ安心はできません。最後に確認しなくてはならないのは、このif節はどこまでを修飾しているのか、ということです。意味から考えて関係代名詞以下の動詞句を二つとも修飾している、としてしまいがちですが、残念ながら文法はそうは言っていません。ここのif節は明らかに仮定法過去完了、だとしたら、主節にも仮定法過去完了のしかるべき形がこなくてはなりません。よって、やはりここのif節は後半の、would never have known…のみを修飾しているとみなすべきでしょう。

ここは、わぴ子さんが、しっかり、捉えていますね!


古本屋に足を運ぶその一回一回が、いわば、失敗に終わることの絶対にない冒険であり、刺激的経験である。必ず何か新しいお宝を掘り当てることになる、未知の領域への探検である。そのお宝とは、かつては夢見たこともないような、さらに言えば、人間の精神が織り成すことの刺激溢れる世界へ足を踏み入れなかったならば存在するということも知らなかったであろうような宝なのである。
次の英文を和訳してください。出典はTimeです。

The British have always been good at silence — at family meals spent wordlessly; intense emotions expressed through a hand on the shoulder — but on Sept. 6, 1997, they surpassed themselves. London, the big, braying capital, was stilled as over a million mourners of Diana, Princess of Wales, kept vigil along the route to Westminster Abbey. The hush amplified the sounds of the cortège as it set out from Kensington Palace: the rumble of wheels on tarmac, the clopping of horses' hooves, and a bell that tolled at listless intervals. But as the procession came into view, turning out of the palace gates onto the public road, a shriek pierced the morning air: "Diana, my Diana!" and then a despairing wail: "We love you, Diana!" Britain's customary stoicism had been overwhelmed by raw, unbridled grief.

It has become commonplace in the decade since Diana's death on Aug. 31, 1997, to say that the festival of mourning which culminated in her extraordinary funeral marked a transformation — the moment when the old British virtues of reserve and silent suffering, of "mustn't grumble" and "could be worse," gave way to publicly expressed catharsis. The People's Princess had unlocked hearts, reordered values, presided at the triumph of emotional intelligence over cold intellect, of compassion over tradition.
イギリス国民はいつも沈黙を守ることを得意としている。たとえば、言葉なく過ごす家族の食卓や、肩に置かれた手を通じて表現される強烈な感情。しかし1997年の9月6日、彼らはかつてないほどに静まりかえっていた。巨大で、ラッパの鳴り響く首都ロンドンは、ウェストミンスター・アベイに沿って執り行われたウェールズの王女・ダイアナの通夜に参加した百万人以上の参列者の静かな嘆きに満ちていた。葬列がケンジントン宮殿から出発すると、彼らの沈黙は、葬列のだす音を何倍にも強調した。舗装された道路をがたがた鳴らす車輪。馬の蹄のパカパカっという音。間断なくなる弔いの鐘。しかし、宮殿の門から公道へと出て、行列が皆の目に見えるようになると、鋭い叫び声が朝の空気を貫いた。「ダイアナ、私のダイアナ!」それに続く絶望的な泣き声。「私たちは貴方を愛しています、ダイアナ!」イギリス人の禁欲主義の習慣は、生々しい抑えることのできない悲しみに、圧倒された。
1997年8月31日のダイアナの死から10年、普通ではない葬式で頂点に達したこの喪の儀式がひとつの変節点であったことは、よく言われる。変節点つまり、慎み、そして静かに苦しみを耐えること、「嘆いてはいけない」、「もっと悲惨だったかもしれない」と思う古いイギリスの美徳が、人々の前で(ためらいもなく)表現されるカタルシスへと道を譲った瞬間である。イギリス国民の王女は、人々の心を開き、価値観を作り直し、そして、感情的な人間の知性が冷静な理性に、共感が伝統に勝ることを示した。

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