ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

福音主義 ローザンヌ誓約コミュの言語十全霊感

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
十全霊感 Plenary Inspiration

十全霊感は部分霊感に対しての概念。
聖書だけでは不十分だと考える者がいる。その立場を部分霊感と呼んでいる。
自然科学、医学、心理学を学ばなければならないという意味ではなく、 神の啓示が旧新約聖書66巻では十分でなく、これに付け足されるという考えが問題となる。
だが、聖書は神のことばとして、私たちにとって必要なことをすべて私たちに教えてくれている、これが十全霊感である。

言語霊感 Verbal Inspiration

言語霊感は思想霊感に対しての概念。
この「思想霊感」とは聖書のことば一つ一つが霊感されていると認めず、 思想のみが霊感されているとする間違った霊感説である。
「部分霊感説」は、神の天地創造を信じられず、進化論を信じて、聖書にも間違いがあるのではないかと考えるような所から起こっている。

新正統主義や自由主義(リベラル)に立つ人は、言語霊感(Verbal Inspiration)を「逐語霊感」と否定的な意味合いを持って呼ぶ事がある。彼らはこれを天理教の「お筆先」のごとき「機械霊感」と同様なものとみなしているのであるが、神は聖書記者に有機的に働いて、聖書記者の機能をそのまま活用され、聖書の各書には、聖書記者の性格、個性、背景、教養、人格が表れているのであり、言語霊感を信じるという時に決して「機械霊感」を意味するものではない。ただし、誤解をさけるため逐語霊感より言語霊感の表現の方がよいのかもしれない。現在この逐語霊感という語は、神のことばを信じないリベラル側によって言語霊感を信じる聖書信仰の立場を否定するために用いられる事が多いようである。
Verbal Inspirationはヘンリー・シーセンの『組織神学』の翻訳(1961)でも言語霊感と訳されている。

人間と聖霊の共同の働き concursive

新約聖書が書かれたギリシャ語でみると、13の手紙を書いた使徒パウロ、3つの手紙、黙示録を書いた、福音書記者ヨハネ、
それぞれの個性があることがよくわかる。
マルコによる福音書はアラム語の影響を受けたギリシャ語で書かれている。
ギリシャ人医師のルカの福音書のギリシャ語は見事である。またルカは女性に対する思いやりを持った女性の姿がよく書かれている。
神はその人たちの個性、能力、関心を用い、しかも彼らを誤りから守られ、
聖書記者は意識もはっきりした状態で自由に行動し、書きながら、同時に神が働かれ、聖書が書かれたのである。
イエス・キリストが真の神にして、真の人でいらっしゃるように、聖書には神的側面と、人間的側面がある。
人間と聖霊の共同の働き(concursive)で聖書は生み出された。

参考
『神の言葉である聖書』 内田和彦著  近代文芸社

コメント(2)

逐語霊感説を我々は信じるか
DO WE BELIEVE IN VERBAL INSPIRATION?
 
『現代における基督教信仰』メイチェン著より
"The Christian Faith in the Modern World" byJ. Gresham Machen
http://www.christianbeliefs.org/books/chrfaith/ChrFaith-Machen-00.html

改革派の角田桂嶽牧師による古い翻訳になるが、
『現代における基督教信仰』メイチェン著 活水社(昭和29年)の
第五章「逐語霊感説を我々は信じるか」の中で、 メイチェンは十全霊感を擁護し、逐語霊感(verbal inspiration)を信じるとはっきりと言っている。
しかし、断じてこれは機械霊感を意味してはいない。

メイチェンは「私は確かに聖書の逐語霊感を信じる。神がもし超自然的指導を持って聖書の言葉を誤謬から護り給うことをしなかったならば、私は(略)聖書を決して超自然的著作とは考えぬだろう。」と言う。
"I certainly believe in the verbal inspiration of the Bible. I quite agree with you when you say that unless God provided in supernatural fashion that the words of the Bible should be free from error we should have to give up our conception of the Bible as being, throughout, a supernatural book. "

「事実のない所には福音がなく、福音のないところには希望がない。
聖書が事実の記録でないならば、それは全く無用のものである。」
"no facts, no good news; no good news, no hope.
The Bible is quite useless unless it is a record of facts."

聖書が神のことばを含むものであるということは恐ろしい誤謬であり、聖書は神のことばである。それは事実を記録し、我々のなすべきことを告げることにおいて、神の言葉である。
"What a dreadfully erroneous thing it is to say merely that the Bible contains the Word of God. No, it is the Word of God. It is the Word of God when it records the facts. It is the Word of God when it tells us what we must do."

この「聖書が神のことばを含む」とはバルトら新正統主義者の主張となる。これに対して正しい聖書観は私たちの主イエスがそうであったとおり、聖書信仰である。
『現代における基督教信仰』メイチェン著 角田桂嶽訳 活水社(昭和29年)
"The Christian Faith in the Modern World" byJ. Gresham Machen
http://www.christianbeliefs.org/books/chrfaith/ChrFaith-Machen-00.html

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

福音主義 ローザンヌ誓約 更新情報

福音主義 ローザンヌ誓約のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング