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カーペンターズコミュのカーペンターズをリアルタイムで体験した方!話を聞かせてください!

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1970年代。日本でのカーペンターズ人気は凄まじかったと聞いております。

カーペンターズをリアルタイムで経験された諸先輩の皆様。皆様が経験されたカーペンターズにまつわる話を聞かせてくださいませんか?当時の雰囲気を教えて頂けませんか?なんでも結構です。

私は当時を知りません。

1972年、1974年、1976年のコンサートに行かれた方はいらっしゃいませんか?

ファンクラブに入っていた方はいらっしゃいませんか?

近年、USAやUKで制作されるカーペンターズのドキュメントでは、世界の中でも【特にカーペンターズは日本で支持されている】という描き方がされており、もはやそれは世界的な評価になっています。

でも、肝心の日本国内で、当時の雰囲気を伝える本や映像が多くあるとは思えません。どうかリアルに経験された方のお話を聞かせて下さい。

よろしく御願いいたします。


私がアップロードしたカーペンターズ動画です。
       ↓
http://jp.youtube.com/user/shinjunks

コメント(32)

76年の福岡公演に行きました。
私にとって初めて観た海外アーチストのステージでした。
オープニングにナレーションが入ったりしてアメリカナイズされたショーみたいでした。
あのツアーの武道館のステージは有名ですよね。

当時のパンフレットを今でも持っています。
Coo'sJB様。コメントありがとうございます。
3月31日福岡・九電記念体育館ですね。私もパンフレットはオークションで持っております。

76年ツアーの武道館ステージは有名なのですか??
オープニングにナレーションが入る、と言いますのは、スライドショーの途中で『レディース&ジェントルマン!ザ・カーペンターズ!』とナレーションされてカレンとリチャードが登場する形のショーでしょうか?

私、76年の大阪公演の非公式なDVDはもっております。ユーチューブにUPロードしておりますので、御時間がある時にでも、さわりだけでも見ていただけませんでしょうか?同じでしょうか?

開始からカレンの歌が始まるまで何秒間か真っ黒ですが動画は正常です。


74年の武道館公演行きました。

何十枚もハガキを書いてやっと抽選券を2枚ゲット・・・。
都内のプレイガイドか何かで初日と最終日のチケットを手に入れました。
確かに当時は異常までの人気ぶり、
良くビートルズの来日公演と比較されましたが、
遜色ないどころかそれ以上の人気ぶりと報道されておりました。

初日は私が、最終日は弟が2階席の後ろの方で見ましたよ。
非常に落ち着いた雰囲気で曲をしっかり聴くって言う感じのコンサートでした。
あのときはNow & Thenのアルバムがヒットしていた時だったので、
それを中心にヒット曲を披露しておりました。
印象としてはカレンがジーパンを履いていたのですが、
その立派な腰回りは流石”ガイジン”って感じがしましたよ(笑)。

当時私は中学3年生、弟は小学5年生でしたが大ファンでした。
今や50に手が届きそうな年齢になりましたが・・・ネ(笑)。
ki-yo様!詳しくお聞かせ頂いて有難う御座います!! 

何十枚もハガキを出してやっと2枚ですか。。。。!
74年の武道館コンサートのDVDの冒頭に、空港でモミクチャにされるカレンや、待ってる女子学生が『ハガキを100枚出しました!』とか言ってるドキュメントが入ってますが、正にその通りですね!

カレンはジーパンでステージをしたのですね!!
74年のDVDを見てますと、この当時は、まだムチムチして健康そのものって感じでカワイイですよね。この頃のままで良かったんですけどね〜。
レイ・コールマン著の『カレン・カーペンター栄光と悲劇』によりますとカレンにとっては、この(大きなヒップ)は悩みの種だったそうです。

最終日の6月12日の武道館はファンの問い合わせが殺到して、急遽、昼、夜の2回公演になったと聞いた事があるのですが。。。覚えてらっしゃいませんか??

そう言えばki-yo様が御覧になった初日の武道館は、当時テレビ中継されて、今現在、DVDで発売されてる5月31日のものですね。あれを生で御覧になったとは羨ましい限りです!!

貴重な御意見、ありがとうございました。

中一でyesterday once moreに出会い、大、大ファンになり、
ピアノの練習そっちのけで、carpentersの曲を
弾き語りまくっていた中二のころ。
何年のコンサートだったかは正確には思い出せないのですが、
多分76年だと思います。
母と名古屋公演に行きました。

緑の地平線が出た後、カレンの病気で公演が
延期になり、その後彼女の体調が少し良くなって
ワールドツアーを再開して、そしてそれが最後の
2人での公演になったコンサートでした。
(there's a kind of hushの発売後だったかな?)
カレンはシフォンのパンタロンスーツで
コンサートの構成はほぼ前回のレコード(当時はね〜)
になった武道館のライブの内容プラス新アルバムから
数曲、だったと記憶しています。
やはりすでにかなり痩せていて、顎がとがっており、
腰回りも細かったですよ。(双眼鏡かぶりつきでした)
コンサートの冒頭にカレンが日本語で「ニホンノミナサン。
ワタシハゲンキデス」と挨拶してくれました。
歌声は相変わらず素晴らしかったことを思い出します。
息遣いが伝わってきて、決して口パクではありませんでした。

当時はラジオでもcarpentersファンの為の番組があり、
毎週必ず聴いていました。そこでカレンの病気と公演
の延期、ツアー再開のお知らせ、さらにはファンクラブ日本支部の
会員募集などたくさんの情報をゲットしたものです。
DJは泉しこさんだったかな。違ってたらすみません。

あ。あと97年3/8にリチャードが来日したときの銀座ヤマハホール
でのサイン会とNHKホールのコンサートも行きました。
本当に偶然得た情報で、サイン会では「カレンカーペンター
栄光と悲劇の物語」の本にリチャードにサインをしてもらっています。
時間が押しているとスタッフが何度も言っても、彼は会場に来ていた
ファンに最後まで丁寧にサインと握手をしてくれていました。

コンサートは当時まだちっちゃかった4人のお嬢さんも
ステージに上がって、写真とリチャードのピアノで構成された
カレンに対するオマージュ形式でした。

なんだか記憶が曖昧で申し訳ありませんが、「あ〜。私は
彼らのライブを見ることのできた、幸せ者の一人だったんだな〜。」
と改めて思い出すことができました。ありがとうございます。



ピコパカさん

ジーパン、確かパンタロンっていう奴でラッパズボンでした(笑)。

singで子供たちと歌うシーンは”おうおう”って思いました。
確かにそうでした。

私が感心したのはDVDなどで見たかもしれませんがオリジナルに近い状況で演奏していた事、
よく色々なコンサートに行くのですが曲をアレンジしてしまって逆に”あれっ”って感じる事ってありませんか?

元々レコードで聴いていたわけですから余りにも変化される様にアレンジされると興ざめしますが、

出来る限りオリジナルに近い演奏をしていたのは好感が持てました。

まあ、何せ34年前ですから記憶も薄くなっていますが、
覚えている事も多いので今でもあの興奮が蘇りますね。
CIAKY様!詳細なお話を聞かせて頂いてありがとうございます。感激です!!

there's a kind of hushのシングル発売の後でしたら、CIAKY様が御覧になったのは1976年3月18日の愛知県体育館かと思われます。いいですね〜♪

実は私、この1976年の公演には、ひときわ興味があったんです。
と、言いますのも、70年代を生きた洋楽ファンの方のブログ等を拝見していますと、1976年ツアー時には(日本でのカーペンターズ人気は落ち目になってきていた)、と言うような意見が多く見られました。

そこで私のファン心理が刺激されまして、『そりゃ、1974年から比べると落ち目かも知れないけれど、それでも全国ツアーをやって、全ての会場で立ち見まで出るんだから人気は相当あったハズだ』と、当時を知る方の話を聞きたくてウズウズしておりました。要は、1976年当時でも、彼等は日本では人気があったと言う確証の話が聞きたかったのです(笑)(笑)^^!!

カレンのスピーチ!やはり名古屋でもあったのですね〜!
私、大阪公演の非公式DVDは持ってまして、ユーチューブにアップしてますので、お暇な時にでも、ぜひ覗いて見て下さい。大阪ではカレンは『みなさん、ご心配おかけしましたが、私はこの通り元気です。オオキニ!』と大阪弁を交えて挨拶してます。おっしゃる通りのパンタロンスーツです。

でも今見ますと、決して言葉通りには元気で無かった事が明確に判りますので、私、ちょっとウルル〜ンとなります。この7年後ですものね。死んじゃったのは。。。。。!

カーペンターズのラジオ番組!この存在は聞いた事があります。1976年の時点でもやっていたのですね。提供は森永ハイクラウンとかサントリーPOPだったのでしょうか?!

《時間が押しているとスタッフが何度も言っても、彼は会場に来ていた
ファンに最後まで丁寧にサインと握手をしてくれていました》

私がカーペンターズが好きなのは、音楽は勿論ですが、正に、こういった彼等の《誠実さ》ですね。私は当時を知らないのですが、色んな資料や映像を見て、
彼等を知れば知るほど、作り物でない本物の《誠実さ》が直撃してきます。日本のファンを大切にしていた、という事も良く伝わってくるんですよ。

97年のリチャードのコンサートは見てみたいです。私、一部しか見たことがありません。カレンの写真をバックにリチャードが(We've only just begun)をピアノを弾きながら歌ってる映像です。それだけウルル〜ンっってなりました。

リチャードの《コーリング・ユア・ネーム・アゲイン》もウルル〜ンとなりました。

当時、小さかったというお嬢さん。三女のミンディちゃんが10月15日と、昨日12月27日にBSで共演してましたね。大きくなってましたよ。

またお話聞かせて下さいね。ありがとう御座いました。

ki-yo様。返信ありがとうございます!

判りました(笑)^^!!
あの一見ジーパンのような裾幅の広いパンタロンですね(笑)
DVDでカレンがはいてるやつですよね。たぶん。

私もあのライブ映像を初めて見たとき、『確かにヒップはデカイなぁ〜』と思った記憶があります。何か。。。大柄な感じがしたんです。76年の日本ツアーの映像では別人のように細っそりしてますが。。。!!

コンサートでレコードと同じ様に演奏する、と言うのはリチャードのこだわりだったらしいですよ。レイ・コールマン著の評伝によりますと、

《観客の中にレコードを買ってくれた客がいるのだから、彼等を喜ばせるためにはどの曲も一音一音レコードと違わずに演奏されなければならない》

という持論をリチャードは持っており、アドリブ演奏は一切禁じていたそうです。そればかりか、MCの掛け合い、笑い、間の取りかたまで、彼等のショーは毎回毎回寸分違わず同じだったそうです。

。。。!!!!

広島公演は2回ありましたが、その2回とも見に行きました。
持っているパンフレットを久々に見てみましたが、74年6月4日と76年4月2日で場所は広島県立体育館でした。

1回目は高校3年生で、2回目は1年浪人した後の大学に入った年です。
大学は東京地区だったんですが、4月2日は広島にいたようです。

1回目は人生初めてのコンサートでした。2階席でしたが生で見て感激したのを覚えています。
2回目は1階席の前のほうの席だったので、ステージ前の席の無いところまで他の観客と押しかけて間近で見たのを思い出しました。

当時、カーペンターズのファンクラブにも入ってました。
会員証や会報は捨ててしまったようでもう無いです。

当時はロックが幅を利かせていました。
社会に不満を持っている若者、特に男性は必然的にロックファンが多かったです。
ロックも聴いていましたが、ファンクラブに入るほどカーペンターズは好きでした。
大学時代は、カーペンターズが好きというだけで、軟弱な印象を与えるようで、男友達には不評でした。
そのため、ファンクラブに入っていることを他人に言うことは無かったです。
まるで隠れファン状態ですね。
むしろ当時は、平均的に社会に不満を持っている思想を持っていたんですけどね。
音楽だけは、カーペンターズが一番好きでした。

東京に移ってから、たぶん、会費の支払いに行き違いがあり、脱退したみたいです。
ファンクラブのことはあまり覚えていませんが、運営している方たちが、未成年の女性が多かったので、驚いた記憶があります。
ボランティアだったんですかね。勘違いかもしれませんが。
それから一時人気が落ちたときだと思いますが、リクエストの催促の案内が来たのを覚えています。これにも少し驚きました。

もうかれこれ30年前のことなんですね。
タカ様。貴重なお話をありがとうございます。

お話を伺ってますと、やはり日本でも、当時カーペンタースを好きだと言うのはファッショナブルでは無いという空気が存在していた事が良く判りました。
日本でこれだと、アメリカやイギリスでは、もっとそうだったんだろうと思えました。

実際、レイ・コールマンの評伝には、本当にそうだったのか?大袈裟に言い過ぎてるのではないか?と思える程、アメリカやイギリスでのファッショナブルで無いカーペンターズに対する侮辱が存在した事が書き込まれていました。
これで納得できた気がします。

ファンクラブの運営を未成年の女の子がやていたというのは驚きです。法的に良かったんでしょうか(笑)!
ファンクラブでは下敷きやバッジが貰えたと言う事を聞いた事があります。アイドルの要素も持っていたのかなぁ〜なんて想像してます。

人気が落ちたのはパッセージの頃でしょうか?あれは洋楽アルバムとしては4.8万枚のセールスで決して悪くないと思うのですが、それまでのカーペンターズのアルバムからすると、著しく売れなくなったアルバムですものね。

一階席で舞台に押しかけた、と言うのが羨ましいです!!^^
76年大阪のライブ映像では、カレンとリチャードは、それぞれ舞台の右と左に別れてファンからプレゼントを貰ったり握手したりしてます。

羨ましいですね^^!!
ピコパカ様

ファッショナブルでないというのは、少し違うかもしれないです。
人気は絶大なものがあったと思います。
音楽としても十分ファッショナブルだと思います。

でも音楽には大きく2種類あって、メッセージ性が強いものとそうでないものがあって、
私の学生時代の特に男は、美しいだけの音楽を好きということがはばかられただけだと思います。
コンサートでも女性ファンのほうが多かったと思います。

ファンクラブで、バッジはもらった記憶はありませんが、下敷きは覚えています。
もうどこかにいっちゃいましたが.....

学生時代からのファンであることは今でも変わりません。
日本でコンサートが行われれば、必ず見に行ったと思います。
それができないのがとても残念です。
1976年の3月、神戸中央体育館でのコンサートに行きました。
まだ子供だったし、今のように情報が簡単に手に入る時代ではなかったので
チケットを取るのにも一苦労した記憶があります。
(まずどうやって買えばいいのかがわからなかったです。チケットは、神戸では大丸かそごう…百貨店で取り扱ってたかな?)

席はやや右よりでしたが前から4列目。肉眼でも良く見えました。
内容とかはもうほとんど覚えてないのですが、小学生のころからカーペンターズが大好きだったので
ものすごく感動してみていました。

ファンクラブにも入っていました。
あのころ日曜の朝(多分)カーペンターズのラジオが放送されていて、その最後にファン倶楽部の
住所が流れたのであわててメモを取って入会しました。
会報などは今では全く手元に残ってないのが残念です。

下敷きやバッジの記憶はないのですが、会報がやけに豪華だったのを覚えています。
表紙は白地、金文字でカーペンターズのロゴが入って、中は写真満載な会報が来たことがあった様な…
運営を未成年の女の子がやってたというお話が出てますが、素人さんが作れるようなものだったのかなぁ。。。
私が入っていたのは上で出ているファンクラブだったんだろうか…?といま思ってます(^^;)
タカ様。

《人気は絶大なものがあった》exclamation ×2

この言葉を当時を知る方の言葉で確認できてとても嬉しいですexclamation ×2
カーペンターズのドキュメントや伝記を見ていると、彼らが本当に誠実に日本のファンを大切にしていたというのが伝わってくるんです。湯川レイコさんがリチャードにインタビューした話ですが、カレンは死ぬまで(日本は特別、カーペンターズを支持してくれている)と言う意識を持っていたそうです。
けれども、76年あたりから日本でも人気は下火になっていた、と言う話を結構聞く中で、それでもレコードセールスは落ちたかもしれないけれど、潜在的な人気はあったのだ、という確認がしたかったんです。

日本のファンはカレンが死ぬまでずっと支持し続けていた、と思いたいんですね。おかしなファン心理ですね(笑)わーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)
hiro様。貴重なお話をありがとうございますわーい(嬉しい顔)exclamation ×2

行かれたのは1976年3月19日のコンサートかと思います。
会報誌って、こんな感じでしょうかexclamation & question
ある方のブログから写真を無断拝借してきました。ゴメンナサイ(笑)

やはりラジオは日曜の朝にやっていたのですね。これは他の何人かの方の情報と一致します。写真を拝借した方のブログによりますと74年当時は提供は森永ハイクラウンだったそうです。それでナレーションがあって、『カーペンターズが歌う、ハイクラウンチョコレートの歌』

《フロム・ザ・ハート〜♪カムズ・ソウル〜♪》

って流れたらしいです(聞いた話です)

76年のツアーでは、全ての会場で立ち見席が出たそうなんですけど、神戸では立ち見の状況はどうでしたか?覚えてらっっしゃいませんか?(←満杯だったと思いたい心理です笑)わーい(嬉しい顔)

それと76年のコンサートは大阪公演の動画を上にUPしてますので、もし宜しければ、お暇な時にでも覗いて見て下さい。懐かしいかもしれません。上に張ってるのはカレンの日本語スピーチからドラムパフォーマンスまでですが、私のユーチューブサイトには全部あります。非公式映像なので画像は悪いですけど。。。。あせあせ(飛び散る汗)
私もファンクラブに入っていましたが、残念ながら、手元には何も
残っていません。FCからはキャンパス地の
四角いテーブルセンターのようなタペストリーの
様なグッズが入会すると送られてきました。
会報もタカ様と同じ感じの写真たっぷりの
結構上等なものだったと記憶しています。

森永ハイクラウンの歌は、
from the heart comes the soul
ミファレ〜   ミファソ〜
from the flowers they comes the smile,
ラシド〜    ドシラシ
from the heart comes the soul
ミミドー    ミレドー
from the love comes the child
シドドー    ミレドー 
from the heart the heart
ドレミファレ
comes the soul(smile)
ドシド
というような歌詞でした。メロディーは
聞き書きです。歌詞は定かではありませんが。
carpentersの二人が野原を歩いていて、
カレンがデイジー系の花を見つけ、かがんで
花に触っていると、リチャードが
「とっちゃだめだよ」とでも言うように
首を振り、カレンも「とらないわよ。
さわるだけ。」と言っているような
映像が流れて、最後に「野に花、人に愛」
というテロップで終わるCMだったと記憶しています。
歌詞等間違っていたらすみません。m(--)m
30年前の記憶なので。
サントリーPOPのはヨットの上で、
top of the worldをBGMにカレンが
「it's pop」といったあと、兄妹そろって
ニカ〜と笑う明るいCMでしたね。
当時は女子は洋楽なら、ベイシティローラーズ
男子は渋い人はビートルズ、ロック系ならKISS
とかQUEEN。確かに大声で、carpenters大好き!
というには、ピークが過ぎていたかもしれません。
コンサートの話からずれてしまって、すみませんが
懐かしくて。。。。。。
ピコパカ様。トピックをありがとうございます。

CIAKY様ハート達(複数ハート)わーい(嬉しい顔)(ハートが気持ち悪かったらスミマセン笑!)


私、このハイクラウンのCM大好きなんですexclamation ×2
カレンの表情が凄く自然で可愛いんです。当時、24歳だったハズなんですけど、女の子してますよね。

これもユーチューブにUPしたんですが、あまりに可愛くて、動画タイトルに、『kren carpenter's very cute commercial』って付けてしまいました。

サントリーPOPもハイクラウンもドキュメントDVDの映像特権でついてるんですが、私は両方好きですけど、どちらかと言うとハイクラウンの方が好みです。

ハイクラウンは当時、パッケージを集めて応募すると抽選で額縁ポートレイトが当たったそうなんですが、今、それを持ってると言う方が探してくれてます。無いかもしれませんがわーい(嬉しい顔)
自分もファンクラブ入ってました。
田舎にきっちり保存してあるので、帰省したら発掘してきます。



当時のファンクラブは有志によるボランティア。確か中野さんという会長さん(大学生男)で、キングレコードが場所その他を提供して運営されていました。

A&Mの日本扱いが他社に移って雲散霧消してしまい残念な終わり方でした。
こういう部分も引き継げなかったかと、今も思ってます。
たれうやや様。コメント有難う御座います。
帰省の後、ぜひともUPして下さる事を期待しております(←厚かましくてスミマセンあせあせ(飛び散る汗))

大学生が運営していたのですかexclamation ×2凄いですね。中野さんexclamation ×2
ボランティアと言う事は、集まった会費の殆どを、きっと会報誌を豪華にしたりする費用にあてて会員に還元してたんでしょうね。だから会報が豪華だったという印象を皆さんがお持ちなのかも知れませんね。正に手作り。幹部の誰かが、資金繰り、製本業者の手配など、一生懸命やってたんでしょうね。想像すると凄いですexclamation ×2

《メイド・イン・アメリカ》からアルファレコードになったんですよね。


※動画は全く関係ないんですが、先日27日にNHKBSでOAされた最新リチャードINジャパンです。

ピコパカ様

取りあえず「引き出し」ました。会報から連絡ハガキに封筒、カレンダーまで一式��
さて、どこから手をつけたらいいのかなな分量です。

取り急ぎ写真をご覧くださいね。


会長さんの名前は小室さんでした。
人間の記憶なんて曖昧だなと…すみません。



そうそう会報にハイクラウンとサントリーポップの譜面もありますから、後日画像にて。著作権大丈夫でしょうか?
たれうやや様わーい(嬉しい顔)exclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2興奮ですexclamation ×2exclamation ×2
ありがとうございますexclamation ×2
これは私が見たくて見たくて、たまらなかったものばかりです。
これが会報誌なんですね。凄い!貴重な写真が満載な感じがします。
表紙を見る限り、アメリカのファンクラブの会報誌の日本版みたいな感じですね。あっ!でも真ん中の写真はサントリーPOPですね。これはアメリカでは出そうに無いですね。と、言う事は日本独自編集。凄い!!

右端の写真の中に74年の記者会見っぽい表紙がありますね。リチャードしか写ってませんが、この服と、後ろの屏風っぽい背景からそんな感じがします。74年の来日大フィーバーの真っさ中も会員でいらっしゃったのですね。凄い!凄い!この写真自体が初めて見るものです。

一番右の写真はたぶん75年の延期されたチケットですね。S席っていうのが存在して2800円だったのですね。私は全て2500円と2000円の組み合わせかと思ってました。

その上は、チャリティソフトのチケット!!凄い!これは雨で中止になったやつですよね。でも、リチャードが日本のDJ達と一緒に写真に写ってる写真が、76年のパンフに載ってました。これがチケットなのですねexclamation

たれうやや様。さぞお手数だったかと思いますが、写真をUPして下さいまして。ありがとうございます。感謝感激です。

でも、。。。他のも見たいです笑(すみませんあせあせ(飛び散る汗))74年の大フィーバーの時の雰囲気とか(ド厚かましい、スミマセンあせあせ(飛び散る汗))

著作権は。。。多分。。。普通に考えればダメたと思うのですが、私は動画などをUPしちゃってるんです。。。その。。悪用はしてませんし、それでお金儲けもしてませんし。。。愛好者の中で語るくらいなら大目に見てくれるだろう、と勝手に解釈してます(笑)

※動画は全く関係無いんですけど『ファースト・テレビジョン・スペシャル』をアップロードし終えたので貼っちゃいます(笑)



正月の夜。暇なので貼ってみました。これ良い曲ですね。歌詞が泣けます涙
リチャードのコーリング・ユア・ネーム・アゲイン。

「Calling Your Name Again」 Richard Carpenter

僕は暗闇の中で目覚める
静けさが僕の感覚を研ぎ澄ます
君がどこにいるのかと考えると
僕は心に痛みを感じるんだ
だって僕は君の愛のないまま生活しているのだから
僕が一人ぼっちでいるなんて初めてのことなんだ
終わりの無い夢を見ているようだ

君の言った言葉を全て思い出してみても
この心の痛みをごまかせなかった
君のことを思い出してみても
僕の心の動揺を止めることはできないんだ
だって僕は君の愛のないまま生活しているのだから
もしかしたらこのまま続くのかもしれない

僕は自分がどれだけ抱えられるのか分からないけれど
希望は膨らむばかりなんだ
さあ始めるぞ!

もう一度君の名前を呼ぶんだ
僕たちが以前分かち合っていたもの全てを思い出しながら
分かち合うものがもっとあるはずなんだ
もう一度君の名前を呼ぶんだ
君が僕に与えてくれた愛と
僕たちが以前どうだったのかを思い出しながら

僕はこれからのことを考えながら
振り向いて君の写真に目をやる
涙がこぼれはじめたが
泣いてもしょうがないことを僕はすぐに理解する
だって僕は君の愛のないまま生活しているのだから
今度は上手くいくことを期待しながら

これで終わることはないと僕は感じる
僕が上手く取り繕えれば良かったのに
でもまた始めよう!
皆様。明けましておめでとうございます。
もう遅いですが、書いてなかったので一応。。。。わーい(嬉しい顔)

1970年代に放送されていたカーペンターズのラジオ番組について情報を入手しましたexclamation ×2以下に引用します。皆さんの記憶と一致するでしょうか?

これは、ある40代カーペンターズファンのブログから許可を貰って持ってきた文章なんですが、それによりますと、当時、カーペンターズのラジオを放送していたのはニッポン放送だったそうです。本人メッセージも流れたそうなのですが、心あたりのある方はいらっしゃいませんか?

******************
野沢那智さん進行の『カーペンターズ物語』(? 番組名は完全なうろ憶え)という週1度の帯番組が放送されるほど人気があり、私も毎週楽しみにこの番組を聴いていた。アメリカで制作されたものに日本語をかぶせていたと思うのだが、ときどき特に日本のファンへ向けた二人の肉声メッセージも流れた。
******************

※写真は最後の日本のテレビへの出演となった、1981年8月23日放送《24時間テレビ》。停電でタッチ・ミーが途中で演奏ストップしちゃった時のものです。
去年の末にこのトピックを立ち上げまして。経験者の皆様から色んな話を教えて頂きました。あらてめて有難う御座いますexclamation ×2

そしてネタが尽きてしまったのか、今、このトピックは一段落しております。

しかし、私。その後も、日常的にカーペンターズの来日記録を調べております。

もはや日課です(笑)あせあせ(飛び散る汗)exclamationあせあせ(飛び散る汗)

そしてついに、久々に新ネタを獲得しましたわーい(嬉しい顔)exclamation ×2

1976年 宮城県スポーツセンターでの話しです。

カレンがとても慕っていたという伝説のプロモーター永島達司さんの話。

と、いうより、当時部下であった現キョードー横浜社長の岡本哲さんの話です。

岡本:カーペンターズの仙台公演のときに、アーティスト側が追加公演で昼もやりたいと言ってきたんですね。その当時からなんですが、ギャラで買う場合と相手と一緒にリスクを背負いながらやる場合とがあるんです。後者においては80%までは我々が外タレに対してギャラを払い、残りの20%はチケットの売り上げからアーティスト側が8割、我々が2割取るという決めごとでやっていくわけなんですが、そうすると席数というのが重要になるわけです。それで仙台の会場は宮城スポーツセンターというところだったんですが、夜の公演もありますから昼の公演はチケットが1,000枚くらい売れ残ったんですよ。そこで1,000席をカットしようかなと考えたんですが、昼と夜の公演の間が2時間くらいしかなかったので、入退場の時間も考えると席は昼の間にセッティングしておいて黒幕をかけておけばいいかなと思っていたんです。

−−2時間ですと1,000席のセッティングも大変ですものね。

岡本:そうしたらアーティスト側のアカウンター(会計士)が来て、「昼の公演の席数が申告している数と違う」という話になったんです。そこで永島さんが「変に疑われるのはよくないから、カバーをかけるのではなくて席をカットしろ」と指示したらしいんですが、現場の僕にまで指示がおりてこなかったので特に何もせずにいたんです。そうしたら永島さんから「何やってるんだお前は!!」っていきなり怒鳴られまして、僕もカーッとなって「何がですか?」と何度も聞き返したら、その態度が気に入らなかったようでその場で殴られました。それで「言った通りにやれ!」と怒鳴って行ってしまいました。その直後に椅子をカットしなきゃいけないことを藤村さんから聞いたんですよ(笑)。

−−「先に言ってくれよ!」という感じですね(笑)。

岡本:「俺が何をしたんだ!」という気持ちですよね(笑)。

−−それは納得いかないですよね。

岡本:そのとき僕は30歳前くらいだったんですが、放送局の社長クラスとも対等に話をしていましたし、ちょっといきがっていたんですね。そこでこんな仕打ちにあって「もう辞めてやろうか」とも思ったんですが、要因がわかって「そういうことならしょうがない」と態度を改めて、開場15分前だったんですが、とりあえず椅子を脇にどかしてなんとかなりました。でも、永島会長とは一切目も合わせずに夜の公演が終って、会長たちはカーペンターズと先にホテルへ帰りました。僕も3時間遅れで12時くらいにホテルへ帰ったら永島さんがフロントで待ってたんですよ。それで「疲れたろ。飯を食おう」と12時までしか営業していないはずのホテルのレストランに、僕のためだけにテーブルを用意してくれていて、「何でも好きなもの食べろ」とおっしゃってくれたんですよ。

仙台公演はカーペンターズ側からの要望で昼公演をやったのですね〜exclamation ×2
やる気マンマンですね。
私も1976年4月1日の熊本コンサートに行きました。

今では考えられない、パイプ椅子(できるだけ多くの人数を入れることをねらったのでしょう)を並べた、
ただ広いだけで音響の悪い体育館でのコンサートでした。
当時中1〜中2の春休みでしたが、
とても真面目だった私は、校則に抵触しないように、
母の分と2枚チケットを小遣いで購入して「保護者同伴」してもらいました。

館内はたばこの煙がもうもうとしていたのを覚えています。

どこからがアンコールだったのか、今はもう覚えていないのですが、
ラストの方ではみんな椅子から立ち上がって、ステージ近くに集結して手拍子したのは覚えています。

「シング」では、熊本児童合唱団が出演したのですが、
私の仲のよい友人が出ていて、しかも、カレンから肩を抱かれながら一緒に歌ったのです!

コンサート終了後、彼女は自分の肩を守るようにして私の所に走ってきて、
真っ先にその肩を触らせてくれました。
あの頃、私の学校ではカーペンターズ派とオリビアニュートンジョン派がしのぎを削っていて(?)、
どちらかの派閥に所属していなければならないような雰囲気がありました。
その他、ベイシティローラーズとかも人気で、ニューミュージックのほかに、
なにがしかの洋楽をみな好んでいましたね。
わたしはもちろん、カーペンターズ派の急先鋒でしたが。

今思えば、本当にあの時に行っていてよかった。
今は、高校生の息子がカーペンターズをよく聞いてくれています。

私もつい懐かしさがこみ上げてきてしまいました。
長文、ごめんなさい。
はじめまして!

このトピ、気付きませんでした(^^;;

74年の武道館コンサートに行きました。
葉書を何枚も出して、3枚当選。
親に無理を言って、全部に行くことができました。
一番いい席は、アリーナのど真ん中、前から5番目・・・というラッキーな席で、とてもうれしかったです(^^)

それと、、、初代カーペンターズFCの会長さんは、伊東さんという男性の方で、始めた当初、彼は高校生でした。
場所も伊東さんのご自宅。
文通のような形でいろいろお話しさせていただきました。
(伊東さんは当時からアメリカンポップスなどに造詣の深い青年でした)

FCのイベントで忘れられないのが、アルバム「A Song For You」が出たばかりの頃、護国寺のキングレコードの一室をお借りして、レコード鑑賞会が行われました。
参加者は30人くらいだったと記憶しています。
素晴らしいオーディオセットの部屋で、「A Song For You」1枚
を通しで聴き、その音の良さに感激しました。
その会に参加した方って・・・・いらっしゃらないでしょうか〜?(^^;;
ヒットチャ−トで、邦楽に混じって「イエスタデイ・ワンスモア」が上位に食い込んだ事が印象的です。
日本のファンクラブもアメリカのファンクラブにも入っていました。
コンサートは1975年カレンの体調不良で延期になった1976年大阪で見ました。
当時のものとしては会員証と、ロゴのバッジを持っています。(*゚▽゚*)
1976年3月来日したカーペンターズ御一行を羽田空港に出迎えた時の写真です。。
これは私が撮影したカレンです。
私は当時キングレコードのA&M部でディレクターをしており、初代カーペンターズ
担当の寒梅賢氏に代わり2代目として彼らの担当になりました。公演には和歌山・大阪・仙台と
同行しました。私が担当して発売した7枚目のLP「見つめ合う恋」は大体10万枚の売り上げで70万枚売れた「NOW & THEN]に比べてかなり苦戦でした。前作「緑の地平線」からセールスは落ちていましたね。
1976年当時カーペンターズのファン・クラブ会長さんは大学生の小室さん(男性)でした。ルックスも少しリチャードに似てましたね。護国寺天風会館のキングレコードには毎週必ず1−2回顔を出していましたよ。ラジオのリクエスト番組で、オリビア・ニュートンジョンとの一騎打ちがあった時は、カーペンターズのファン10名程がキングレコードに集まり、ラジオ局にリクエストしまくったものでした。お蔭様でカーペンターズがリクエスト数で完全に上回り勝ちました。良い思い出です。もう小室さんも今では還暦過ぎてますね多分。62−3歳かな?
1974年の武道館と1976年の神奈川県民ホールでのコンサートに行きました。

確か当時はファンクラブにも入っていました。

14歳だった武道館のときは皆さん同様、応募総数38万通からの3万人を抽選という超難関を乗り越えようと、カーペンターズファンの同級生と一緒に各自50枚づつ応募ハガキを出して、みごとラブシートをゲットして2階席の左側で観ました。

その年、修学旅行で関西へ行った際に、奈良公園の売店のテレビで、そのときの録画映像が放映されていたのを今でも覚えています。

1976年のときは1974年のときほどのフィーバーぶりではありませんでしたが、それでも大人気でした。

カレンの可憐な歌声は永遠に不滅ですネ!

あれから44年、今は北軽井沢で夫婦で希少なフラードームの宿をしています。

カーペンターズファンの皆さん、もしよかったらお出かけください。

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