ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

パレスチナ問題を考える会コミュのテロをテロと非難しないのはなぜですか?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
パレスチナ系のコミュでは、テロをテロとして非難せずに事実をごまかして、自爆テロを「自爆攻撃」とか「自殺攻撃」と言い換えることが、「中立」で、「パレスチナ人やムスリムの闘争を正しく理解する態度」という神話というか、卑怯なごまかしが散見されますね。

とっても違和感があります。

どうして、非戦闘員が、日常生活の中で、政治的動機により暴力で殺害されることをテロとして非難しないのでしょうか?

で、どうして、イスラエルによる1300人のガザ住民虐殺事件を「国家テロ」と一方的に非難できるのでしょうか?

巨人軍であろうが、阪神軍であろうが、ホームランはホームラン、ファールはファールだと思うのですが。

いくら戦力や軍事技術力に格差があろうとも、それは、資金とファンが豊富な巨人軍のチームと、弱体の阪神軍のチームの違いであり、ルールは等しく適応されることを求めるのが「正しい観戦と応援」のマナーだと思います。

あ、英語でsuicide attackだから、それを直訳すべしって意見は、私は認めません。

なんでも直訳が正しいってのは、あまりにも幼稚なので。

国際法の定めるテロをテロとして非難しないのであれば、いったいどんなルールで抵抗を正当化するのでしょうか?

知的強度の弱い洗脳されたムスリムたちがこれらを「ジハード」として正当化して、国際法を拒否するロジックは十分分かります(が、私は信仰者のムスリムとしてそれを非難しますが)。

が、非ムスリムの日本人は、国際法を拒否したら、いったい何をして「テロ」と「合法な抵抗」を区別して、抵抗運動を正当化するのか、教えてください。

弱者であれば、いかなるルールでも自分の都合のいい独自ルールを使ってなんでも正当化できるってことでしょうかね?

そのうち、洗脳されたムスリムたちが、米国の犬の傭兵部隊と成り果てた日本人に対して、日本国内で「自殺攻撃」をしても、弱者の独自ルールの抵抗運動として歓迎しますか?

(例)

●これイスラム女性は何と答えたらいいんでしょうね? 「自爆攻撃」しか選択肢を持てなかった人に、こんな言葉を投げかけられるんですね!

>あの最近イラクで流行の最先端のワッハーブ派女性による自爆テロなんですが、彼女たちは殉教者として天国に入るとして、やっぱ、永遠の童貞君たちととっかえひっかえな天国ライフ揺れるハートを楽しみにしてるんでしょうかね?つまり、永遠に進歩と学習のない永遠なる童貞君たちがかしづいたとして、女性はそれで性欲を満足できるんですか?

●彼は「自殺攻撃」しか選択肢のなかった女性たちの血を、
性的ジョークのネタにしています。

※ちなみに「イスラム女性」って何語でしょうか?初めて聞きました。どんな理由と根拠があって、こんな風変わりな用語を使ってらっしゃるのか、誰か教えてください。みなさん、パレスチナ問題に教養が深いってことは、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教についても教養をお持ちだと思うので、ぜひ、教えてください。

ちなみに、アラビア語では、

イスラム教徒(男性)=MUSLIM

イスラム教徒(女性)=MUSLIMA

ですけど。

「イスラム女性」って、信仰者としてのイスラム教徒(女性)のことですか?それとも、イスラム教が好きなイスラム教ファンの女性のことですか?それとも、ムスリムは絶対に正しい、かわいそうな被害者で抵抗しているだけだと正当化して、ムスリムを崇拝している非ムスリムの女性のことですか?それとも、とにもかくにも自爆テロが好きな女性のことですか?

※ただし、私は国際法で認められた「戦闘地における戦闘員に対する市民によるレジスタンス」を肯定して、特にムスリムによるレジスタンスを支持するムスリムです。

ですから、ヒズブッラーが、レバノン内戦にシオニストを支援するために介入した欧米軍に対する爆薬を積載したタンクローリー車による攻撃を支持し、彼らを、真のレバノン愛国者のレジスタントとして、殉教の信仰者として、心から尊敬し、彼らが天国に召されることを祈ります。

同様に、当初は侵略戦争であったものの、体勢が決して、純粋な防衛戦争になった段階での、悲壮な覚悟での米軍艦に対する特攻の英霊も尊敬します(が、その政策も、それを命じた政府も支持しませんけど)。

しかし、ハマスもファトハも、ましてアル・カーイダも、非戦闘地に侵入し、非戦闘員を大量殺害する暴力を行使しましたから、これらを自爆テロとして激しく非難し、ムスリムとして、彼らの暴力は決して「ジハード」ではないし、彼らが殉教者として天国に召されることがないことを主に祈ります。


では、みなさんのご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。

コメント(10)

群青さんの言う

民間人「も」巻き込む「悲劇的な」テロ

という言い方は、それだけですでに
正しいテロ
と言っているようなものです。

「自爆テロ」は「民間人も」「巻き込む」といったものではなく、「民間人を狙った」テロです。
その意味で、イスラエルによるテロと何ら変わりはない。

さらに、テロに「悲劇的」と形容詞をつけてしまうことは問題です。
悲劇的なことがあるとすれば、それはテロ自体ではなく、テロを行わなければならない彼らの情況そのものです。
(言っておきますが、「情勢」ではありません)
「戦争にルールは無い」というのが古代からの「戦争のルール」です。戦争では一切の道徳、宗教、良心、その他、一切の価値の全てが無視されるのです。戦争の最終目的は地上の一切の生物の絶滅に他なりません。

地上から一切の生物が絶滅した時、始めて全ての戦争は終わり地上は平和になるのです。「最終絶滅戦争」こそ戦争の理想なのです。

従って核兵器が理想の兵器、最終兵器と呼ばれるわけです。

しかしこのような考えはとうていイスラームの容認できることでは有りません。イスラームは戦争にもルールを持ち込みます。イスラームは「アッサラーム・アライクム」(あなたに平安有れ)と挨拶する宗教だからです。

結局、イスラームは戦争と戦う宗教にならざるを得ません。実のところイスラエルやアメリカなどイスラームにとって敵の内に入らないのです。イスラームにとって敵とは戦争そのものです。

イスラームにとってはイスラエルやアメリカは取るに足りない存在です。眼中に無いとすら言って良い存在です。イスラームの真の敵は世界を滅ぼしてしまう戦争そのものなのです。

核兵器を用いた世界最終戦争は何としても避けねばなりません。それに対するイスラームの解答が自爆攻撃なのです。イスラームが自爆攻撃を続ける限り、世界最終戦争に至ることは有りません。

イスラームが自爆攻撃を続けられなくなった時が危険なのです。イスラーム世界がキリスト教世界のように堕落し、遠い所からモニターを見ながら戦争を見物し、ただボタンを押すだけで戦争に決着を着けようとするようになった時が危険なのです。

その時は世界最終戦争は避けられないものとなるでしょう。
普段は饒舌にイスラエルの暴力を「国家テロ」と非難され、Suicide Attackの「正しい翻訳」や、戦力格差なんかについてたくさん語るみなさんが、なかなか発言していただけないのは残念です。

>3

ムスリムとして、ある種のロジックのある真剣なコメントをありがとうございました。

私はシリアとトルコの愛国者にして、イランを尊敬するムスリムとして反論します。

>イスラームが自爆攻撃を続けられなくなった時が危険なのです。イスラーム世界がキリスト教世界のように堕落し、遠い所からモニターを見ながら戦争を見物し、ただボタンを押すだけで戦争に決着を着けようとするようになった時が危険なのです。

いいえ、私たち、シリアとイランのムスリムは、イランが一刻も早く、核爆弾を製造し、シャハーブ弾道ミサイルを固形燃料化し、核弾頭を装備し、より正確な誘導装置と、生存率の高い指揮系統と格納装置を開発することを、心から主に祈っています。

無意味で、有害な自爆テロに頼る「抵抗」や「ジハード」は、まったく望みません。

自爆攻撃が有効なのは、「戦闘地における戦闘員に対する、市民もしくは正規軍による攻撃」だけですし、それも、組織的な戦略的な政治アジェンダの一部として実行されるべきです。ですから、レバノンからの一方的な撤退を実現したヒズブッラーの自爆攻撃による抵抗運動を支持します。

イラクでの自爆テロが、米軍の兵士だけに限定して行われているならば、それを非難しませんが、いかなる長期的な政治的アジェンダに基づいているのか、その戦略性がないならば、その政治的有効性に疑問を持ちます。

アフガニスタンは、もはや、遠い国のことですし、シリアやトルコにとっては、戦略的利害はほとんどないので、私は語る意味を感じません。しかし、戦闘地であることは事実だと思います。

非戦闘地での自爆テロは一切、ムスリムとして拒否します。

非戦闘地での敵性軍隊への自爆攻撃(イエメンのアデンでのUSSコール号への自爆攻撃が成功例ですね)は、非難はしませんが、その政治的戦略性の意味が分かりません。
>「戦争にルールは無い」というのが古代からの「戦争のルール」です。戦争では一切の道徳、宗教、良心、その他、一切の価値の全てが無視されるのです。

それは本質ではありますが、近代国家の成立以降、西欧は、国際法という法体系を、まさにその「ルールのない殺し合い」を「ルールに基づく殺し合い」にするために発展させてきて、現在のような「非人道兵器」や「戦争犯罪」など、殺し合いに一定の秩序を求める国際社会の理論を築いてきたのです。その「文明的な」努力すら否定されるのでしょうか?

>イスラームは戦争と戦う宗教にならざるを得ません。実のところイスラエルやアメリカなどイスラームにとって敵の内に入らないのです。イスラームにとって敵とは戦争そのものです。

いいえ、少なくとも、パレスチナとゴラン高原とシャバア農場を占領され、絶え間ないイスラエルと米国の軍事侵略にさらされるシリア地方のムスリム(とクリスチャン)にとっては、イスラエルこそ、戦うべき敵であり、それを支援する米国とも政治的に闘争しなければなりません。抵抗こそ、優先される第一の政治行動です。

イスラム教は、西欧社会が国際法という概念で殺し合いにルールを持ち込む努力をする以前から、聖法という概念で、同様に、殺し合いにルールを持ち込む努力をしていました。

しかし、近代西欧帝国主義の覇権により、イスラム教聖法による暴力のルールの秩序は否定され、ムスリムの国家も西欧の作り出した国際法に従って戦争を行うようになりました。

その一方で、このような西欧が押し付けた国際法の秩序に、イスラム教の聖法のロジックで対抗して、それを拒否する個人や集団レベルでの暴力活動が台頭しています。

ハマスは、かろうじて戦闘地での抵抗運動に踏みとどまっていますが、上記のとおり、イスラエル領内での民間人殺傷をイスラム法を持ち出して合法化するというミスを犯しています。

そして、スンニ派においては、最終的にジハードを命令するカリフと、カリフにより任命される最高宗教権威の不在により、無秩序な暴力が抑制できなくなったことが、今の無意味なテロの横行の原因となり、むしろ、その殺し合いにルールをもたらすイスラム教の聖法の努力すら失われつつあります。

この無秩序に秩序をもたらす第一歩は、イランの核武装だと思います。

なんだか最近、アブドゥさんの立ち位置がわからなくなってきました。
別にSuicide Attack 自爆攻撃という言い方でその行為が正当化されるとは思っていません。もちろんそれはテロです。しかし、戦闘機からのミサイル発射もパレスチナ人から見ればテロと同じなんじゃないでしょうか?テロの定義の話をしてもあまり意味はないように思います。要するに目的は攻撃・殺人なんだし。
文脈がよくわかりませんが、パレスチナ人が日本をテロ攻撃する理由はあまりないと思いますよ。言い方に違和感をお感じになってることはわかりましたが、ただの言葉遊びのようにも思います。「パラダイス・ナウ」っていう映画はご覧になりましたか?
かなりトピックずれしますが、

西暦30年前後に勃興したイエスを救世主とする宗教においては、約500年後にローマ教皇の権威が東ローマ皇帝の権威に肩を並べました。
そして、ローマ教皇の権威は約1000年後に宗教改革によって減衰します。
正法500年、
像法1000年とはよく言ったもので、
その後の状態はイエスから見れば末法ではないだろうか、と思います。

イスラム教においては、成立から500年前後に十字軍が来襲しています。
それから1000年は経過しておりませんので、今はフスの争乱あたりではないだろうかと感じます。
像法が末法になるまで、またその後も、多数の争乱が巻き起こるでしょうが、
今のイスラム教はイエスを救世主とする宗教に較べて、まだ正法に近いのではないかと思います。

イスラエルがイスラム教を信じる者の敵であるかぎり、この戦いには正当化が付き纏うでしょう。
イスラエルが屈服し、あるいは四散して滅亡した後で、末法化が進行していくのではないかと思います。
>パレスチナ人が日本をテロ攻撃する理由はあまりないと思いますよ。

ありえません。

ハマスは同じスンナ派イスラム原理主義集団であるアル・カーイダのパレスチナへの浸透を相当真剣に警戒しています。まして、今ハマスはヒズブッラーと同盟していますし、アル・カーイダはシーア派信徒を殺害することをジハードと信じている連中ですから。

私が想定している、というか実際に起きた事件ですが、アル・カーイダ系のテロリストの日本への浸透です。フランス国籍のアル・カーイダ幹部が日本に潜入して組織を構築していた事実はすでに公開情報です。

ただたんに、日本国内の母数のムスリムの数が少なすぎて、十分な数の協力者を確保できなかっったから、テロの実行に至らなかっただけです。ただたんにラッキーなだけです。

>戦闘機からのミサイル発射もパレスチナ人から見ればテロと同じなんじゃないでしょうか?

そうですよ。

でも主観と国際法の定義は異なるのです。これがパレスチナをめぐる差別的な状況なんです。

国家が、国家主権の発動たる戦争により、「結果的に」、非戦闘員を殺害しても、それは「人道上の罪」や「戦争犯罪」として告訴できるかどうか、それも非常に困難な場合が多いです。

しかし、国家ではない個人や集団が、政治目的で暴力を行使すれば、それは上記の「レジスタンス」の用件を満たしていなければ、すなわちテロと断定されます。

だからこそ、パレスチナ人は国際法上のテロの定義を十分に理解して、闘争がテロとならないように細心の注意が必要なんです。でも、それを分からずに、ありとあらゆる暴力を正当化しますけど。

ハマスが最低限、守っている原則は、占領地とグリーンラインの外での暴力は行使しない、それだけです。それ以外の暴力はすべて正当化しています。

とはいえ、私はロケット弾の「非人道性」を非難する意図は一切ないのですが。誘導装置のない推進弾を発射すること、は、もし国家であれば堂々と「戦争」と主張できる行為ですから。

私がロケット弾に反対していたのは、テロだから、とか非人道的だから、ではなく、政治的・軍事的に無意味、いや有害な結果しかもたらさないから、でしたが、今回のハマスのロケット弾を最大限の政治的武器として活用する戦略の政治的なロジック性は十分に理解しました。

問題は、その意図が、意図的な市外戦による、肉弾戦でのイスラエル兵の殺害、つまり住民を犠牲にすることを前提の「戦争」を選択した、その非人道性です。

ちなみに、「私の立ち位置」云々がありましたから、ここで自分のプロパガンダします。

「アルナのこどもたち」というパラダイス・ナウと同様の趣旨の、しかもドキュメンタリー映画のアラビア語翻訳に参加しました。

それで、少しは私の立ち位置が分かるかと思います。
まあ、4/1に立てられたトピですから。

ムスリムが自爆攻撃に向かう時、仲間達に「アッサラーム・アライクム」(あなた方が平和に、この世界に存続する為に、私は自分自身を消滅させる)と言い残して、「アッラーフ・アクバル」(神は偉大なり)と言って自爆するのを見るのは涙が出てきます。

自爆攻撃は自己犠牲であり敬意が払われるべきです。それは、あなた方の、つまりは我々の世界を存続させる為の自己犠牲なのです。彼らの犠牲無くしてはこの世界は存続できないのです。

もし我々が自己犠牲の精神を忘れ、ただ自己のことのみを考えて行動するならば、その行き着く先は最終絶滅戦争以外に有り得ません。

もし我々が自分だけのことではなく、子孫の存続を望むのであれば、つまりはイスラームの存続を望むのであれば、世界最終戦争こそ否定すべきものなのです。

ですから核を用いた戦争に反対するのです。それは核によるエルサレムとマッカ破壊を意味します。ムスリムとして容認できないことです。

ムスリムの自爆攻撃者達は、核によるエルサレムとマッカの破壊を防ぐために自らの身を犠牲にしているのです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

パレスチナ問題を考える会 更新情報

パレスチナ問題を考える会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング