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「光る君へ」感想コミュコミュの第15話「おごれる者たち」

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道隆(井浦新)は、強引に定子(高畑充希)を中宮にし、詮子(吉田羊)を内裏の外へと追いやった。
二年後、一条天皇(塩野瑛久)は麗しく成長。
道隆の独裁には拍車がかかっていた。
伊周(三浦翔平)らに身内びいきの人事を行い、定子のために公費を投じ始める。
道長(柄本佑)は兄のやり方に納得がいかない。
一方のまひろ(吉高由里子)は、さわ(野村麻純)と近江の石山寺へと出かける。
そこで思いもよらない人物との出会いが…

コメント(12)

長い大河ドラマの歴史において、時々起きるあまりにハマり役過ぎて、他のドラマに出演しても大河のその役の記憶が邪魔してどうしようもなくなる現象があります。

ちょっと遠くでは高橋幸治さんの織田信長。「太閤記」と「黄金の日日」で信長役を演じておりました。

割と近年では浅利陽介さんの小早川秀秋。「軍師官兵衛」と「真田丸」で。
残っている肖像画とも似ていらっしゃる。

「真田丸」の真田昌幸役の草刈正雄さんも、昌幸以降、どんなドラマで見かけても「あ…昌幸パパ」っていう目で見てしまう。

この系列に今回あらたに加わったのがファーストサマーウィカさんの「ききょう」清少納言であります。
「光る君へ」と同時期に「不適切にもほどがある」というクドカンのドラマを見ていたんだけど(超面白かった!)そこにもちょっと出演していたんだけど、もうききょうにしか見えなかった。

そして現代人が誰も見たことのない清少納言は、きっとこんな人だし、ウィカさん以外に考えられないし、ほとんどそれまで清少納言をイメージしてこなかった層にも「イメージ通り」の称号を得ている。笑

ここまでの当たり役だと今後の女優人生、ずっと清少納言のイメージで日本中の人々から見られるんだろう。
まぁ、そのキャラのせいで「そのようなイメージ、私はまったく意にも返しませんわ」で蹴散らしていきそうではありますが。


今回、道長がかっこ良かったっていうかかっこ良過ぎ。
地の底まで堕ちてしまったミチカネを励ます。「父上はもういないから自由に生きていいのです」
幼い頃、ミチカネに傷が残るほどの理不尽な暴行を受けているのにも関わらず。
「兄上にはこの世で幸せになって欲しいのです。できます。私が支えます」まで言う。

めんこくない(方言か?)甥っ子にムキになる。そうして道隆に止められる。

まひろとの約束でもある検非違使の改革。直秀の事がいつも念頭にある。
第一回だったか兼家も検非違使の改革を進言しているんだよね。
実資が兼家の事は「好きではないが」と、意見は良かったと称賛してた。

兼家の強引な所(ただし道隆と違って根回しはちゃんとする)は道隆が引き継いだ形に。

そして立場が上でも公費を好きに使ってはいけないなど、まつりごととして言うべきことはちゃんと言う姿勢は道長に受け継がれた。(実資が褒めるくらいに)

石山寺詣。
さわ→道綱
道綱→まひろ
まひろ→蜻蛉日記作者(道綱母、兼家の妾)

まひろは何もしていないのに、さわがまひろにツンツンになる。
ホントにまひろは何もしてないのに。
道綱が悪い。アホの子。笑

ってか今回、本編より予告が衝撃だよね。
・殿のお心にもうひとりおなごがいると気づく名探偵倫子。
・熱にうなされるまひろ
・必死で看病する道長




今回のを見て、言ってみたいセリフ。(言う機会がない)

「愉快である」

>>[2]

アハハハ愉快であるわーい(嬉しい顔)

ようやく見られましたー鳥

道綱さん、あれは空蝉のパロディですね顔(OK)
源氏物語で、光源氏は女性に恋をして、確か「今夜行きますよ」と、ちゃんと手紙を送ってたと思う(ここ、記憶があいまいですが)

でも、彼女は、もう私はトシだし、美しくないしなど、いろいろ考えちゃって、
一緒に寝ている姪っ子を残して、かぶっていた着物をふんわり脱いで逃げちゃう顔(OK)

光源氏は、姪っ子さんをあんなふうに抱き締めてから、
「あ、人違いあせあせ(飛び散る汗)」と
思うんだけど、姪っ子さんはさわさんみたいに寝ぼけて喜んでいるし、
「ここまで来て引いてはこの娘さんに失礼」と、
コトを進めてしまいますひよこ
↑ここが源氏物語とは違うけど、そこはNHKなのでしょうがないトコあせあせ

上地雄輔くん、コメディ要員だとは思ってましたが、なかなかのをやらされましたねウッシッシ
↑あ、書き忘れ
そうそう、そして、セミの脱け殻のように、ふんわりと着物を脱ぎ去っていった女性を「空蝉の君」と呼ぶわけですハーブ
つまり名前はわからないあせあせ
二人で寝ている女性に夜這いをかけるなど、なかなかのゲスである表情(やれやれ)でも、当時はあった話なのかなexclamation & question

それより、乙丸がいつも縁側で座って寝ているのが気の毒に思えてきましたよ象
彼一人で、すべてのゲスから姫様を守ることもできまいダッシュ(走り出す様)
あと、「藤原氏全盛のときに、一人で長年左大臣に在位した源雅信」
って言葉でアッと思いましたが、

光源氏が源氏であることも、大事なんですね顔(OK)
彼が藤原だったら、きっとお話が面白くない手(パー)後ろ楯のない源氏でありながら、美しさと誠実さで進んでいく光源氏だから、物語になるチューリップ

日本人は、義経が生まれる前から判官贔屓なんですね顔(嬉し涙)
今回印象に残ったセリフ
「不承知、不承知exclamation ×2

(みかりんさんのまね)
このサイトにきちんと書いてありました
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20240415-OYT8T50081/

 ――半ば冗談でしょうが、突然訪れてずいぶん身勝手なことを言っていますね。

 あげくに紀伊守の義母である空蝉を見つけて忍び入り、契りを交わすわけですから、今のモラルとはずいぶん隔たりがありますよね。空蝉は人妻ですが、夫に申し訳ないというより、自分が大切に扱われず、誇りを守れなかったことを悲しみます。源氏はこの後も空蝉のもとに赴いたり手紙を出したりしますが、空蝉は 逢あ うのを拒み続けます。

 空蝉も若く美しい皇子である源氏に心を 惹ひ かれているのですが、大きな身分の隔たりがあり、一人前の女性として関われない以上は拒むしかないというポリシーを貫きます。『源氏物語』以前にも、男性の求婚を拒む女性の物語、『竹取物語』のかぐや姫があります。でも、かぐや姫はこの世の人ではない月の世界の人で、やがて月に帰るという特殊事情がありました。この世の普通の女性が自分の誇りを守るため求愛を拒むという心情を、女性の側からこれほど細やかでリアルに描いたのは、『源氏物語』が初めてです。

 しかし、「好きだけれど一人前に扱ってくれないから拒む」のは、女性のナルシシズム(うぬぼれ)ととられかねませんでした。何しろ「拒む女」の登場は初めてのことですから、読者は空蝉を「拒むことで相手の自分への思いをかき立てようとしている気位が高いだけの女」と思ってしまうかもしれない――。そう考えた式部は、“助っ人”として歌の力、「歌ことば」の力を物語にを導き入れようとしました。それがまず、帚木だったと思うわけです。

 ――帚木は、「遠くから見るとほうきを立てたように見えるけれど、近づくと消えてしまう木」で、今も長野県阿智村の 園原そのはら にありますね。

 平安中期の歌人、 坂上是則さかのうえのこれのり (?〜930)が帚木を詠んだ歌が、『新古今和歌集』にあります。

 園原や  伏屋ふせや に生ふる帚木の ありとは見えて 逢はぬ君かな
 (園原の伏屋に生えている帚木のように、いるとは見えながら逢えないのがあなたなのですね)

 「伏屋」はこの歌では、園原を通る東山道にあった宿泊施設を指しますが、一方で「粗末な家」という意味もあります。式部は「園原の伏屋」を歌ことばとして『源氏物語』に取り込んでいます。帚木の帖の後半で、源氏は空蝉に、

 帚木の心をしらでその原の 道にあやなくまどひぬるかな
 (園原の帚木のように、近づくと消えてしまうあなたの気持ちも知らずに近づこうとして、私は道に迷っています。あなたは逢ってくれないのですね)

 という歌を詠みます。空蝉は、

 数ならぬ伏屋に 生お ふる名のうさに あるにもあらず消ゆる帚木
 (ものの数にも入らない卑しい家に暮らす私のつらい心持ちゆえ、本当にいるのかどうかそれもわからず、はかなく消えていく帚木のように、私はただ悲しくて……)

 という歌を返しています。「伏屋」を「粗末な家」の意味に切り返して使い、そこに住むわが身も卑しい、と身分の差を示しつつ、慰みもののように私のところに忍び込まれたことが悲しい、という胸の内を表現しています。深々とした森に立つ帚木を「遠くから見れば確かにあるのだけれど、近づくと消える」はかないものと詠む歌の伝統と、「伏屋」に二つの意味を重ねる歌ことばの奥行き、切なさが胸に迫ります。これなら読者も空蝉を高慢ちきな女性とは思わないでしょう。

 さらに空蝉の帖では、再度源氏が忍び入ると空蝉は気配を察知して、 小袿こうちぎ を脱ぎ捨てて逃げたという「空蝉」の由来になった逸話が描かれ、最後にこんな歌が出てきます。

 空蝉の 羽は に置く露の木がくれて 忍び忍びにぬるる袖かな
 (セミの羽の上に乗るはかない露のような身の上の私は木の陰に隠れて、ひとり忍んで涙に袖をぬらしています)

 これは『伊勢集』西本願寺本にある女流歌人の伊勢(875?〜940?)の歌で、セミの羽に置く露が夏の光にきらめくイメージが静かに広がる美しい歌です。あえて古歌を空蝉の帖の最後に置いたのは、美しいイメージを浮かび上がらせることで、空蝉は高慢ちきな女ではないことを強調する式部の工夫ではないかと思われます。

 式部は歌ことばを駆使して空蝉の帖に華やかさや奥行きを導くことで、切なくもはかない「拒む女」を創造したのです。『源氏物語』にこの後登場する朝顔の姫君と 大君おおいきみ も、空蝉と同じく拒む女として描かれます。空蝉で確立したパターンが3度も繰り返されます。
光源氏が、空蝉の君に手紙を書いたのは、最後に着物を脱いで逃げられた晩で、

初めて会った日は、たまたま訪ねた家で「女の用意はないのか」と、無理やり寝所に押し入ったあせあせ
高貴な身分の犯罪者状態でありますあせあせ(飛び散る汗)
ツイッターで良いと思ったコメント集

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道綱くん、道隆兄のことで不機嫌な弟を和ませようとして
「こないだ母上と出掛けたらまひろという俺に色目使ってくる(勘違い)女に出会って、まあまあ可愛いかったし夜這いしに行ったら人違いで超ビックリしたんだよね〜アハハハ☆」
だとか笑い話にして道長に話しそうである。
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推しとの衝撃的な出会いに言葉を無くすオタクと、
愛読書の作者に出会えて感想が止まらないオタク。
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サイコパス道兼殿が劇場版ジャイアンみたいなカッコ良い事を言い始めた...!
次回予告「汚れ仕事は 俺の役目だ」
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「清・少納言」とあなた私を呼んだから
今日が「清・少納言」記念日
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そういえば、
定子のお母さんが知的なサロンを好んだからこそ清少納言が見出だされて、
そこから、道長もサロンを作るという発想になり、まひろの人生がひらけていくんですねぴかぴか(新しい)

あの、コワソーな奥さんの、お陰なんだわるんるん
[8]にリンクを貼ったサイトに、
「紫式部の身分だと、道長にあいされても妾にもなれず、召人にとどまった可能性がある」

「しかし、曾祖父は兄弟なのだから、紫式部もプライドは高かったであろう」
と書かれていて、なるほどなぁと思いました。

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