1985年2月19日、台湾の台北空港から米国Los Angeles空港へ向かっていた中華航空6便(B747-SP型機、N4522V)は7amに太平洋上で朝食を配膳していた。FL410で乱気流があり、seatbelt装着サインが出されたため、配膳は中断された。突然、#4エンジンの出力が低下し、flame-outした。対気速度も低下して240ktに落ちた。休憩室で休んでいたM.M.Ho機長は早めに操縦室へ戻っており、Oakland管制センターへ降下をリクエストした。また機長はWei航空機関士に#4エンジンの再スタートを指示したが、反応しなかった。Ho機長はauto-pilotを解除したところ、機体は一気に右側へ傾き、そのまま失速して錐揉み状態に陥った。客室内はポップコーンのように持ち物が飛び散り、銃弾で撃たれるように機体のボルトが外れる音がした。他のエンジン3基も出力が低下し、乗員は必死で機体姿勢を立て直そうとしたが、重力が5Gもかかって、操作スイッチへ手が届かず、エンジン再始動は出来なかった。FL235付近でgear-doorsが剥がれ落ち、衝撃でgearが展開した。FL110付近で機体は雲底から出て水平線が確認でき、9,500ftで水平飛行に復帰させることが出来た。ADIが正常に作動し、#1-3エンジンも再始動できた。その後#4エンジンも再点火できた。Ho機長はLAXまで飛ぶことを一旦考えたが、ATCからSan Franciscoへのdivertしなくて大丈夫か問われ、Landing gear down and lockedで油圧が抜けてないことを考慮し、divertすることに変更した。ATCからDo you declare emergency?との確認にも即答しなかったが、結局SFCへ直行するためemergencyを宣言した。同機は無事にSFC空港へ着陸できた。 事故機は左右eleatorの外側がちぎれ、APUも脱落して、空中分解寸前まで損傷していた。 NTSBのBarry Strauch調査官らは損傷した機体の内外をくまなく検証し、急降下につながる異常を認めなかった。当初トラブルを起こしたE/G#4は以前に修理歴があったが、valveの不良があったものの、修理は問題なく完了していた。乗員を個別に聞き取り調査すると、高度12,000mで#4E/Gの再始動を試みていたことが分かった。これはエンジンの性能上9,100m以下でないと無理な事であった。左席と中央部のADI(姿勢儀)が故障していたが、これは極端な異常姿勢が続いた結果による故障と考えられた。Wei航空機関士への聞き取りで、エンジンの再始動時にブリードAirバルブをOFFにしていなかったことが分かった。これは上空12,000mで機長から指示されると思っていなかったため、失念したものと想像された。Ho機長への聞き取りでは、auto-pilotが補助翼と水平尾翼のコントロールだけで垂直尾翼のコントロールは含まれていないことを理解していなかった。このためA/P-ONでもrudder修正をかけなかったため右旋回し、OFFにした途端に失速して錐揉み状態に入ってしまったことが分かった。二人ともIASの速度表示に気を取られて、ADIの異常姿勢を見逃していた。E/G#1-3が不調となったのは、錐揉み状態でthrottleをidleへ引いたため、動作不安定となっただけで、操作異常はなかった。乗務員は雲中の急降下で空間識失調に陥っていた可能性があった。 NTSBは乗員のバイオリズム(サーカディアンリズム)にも言及し、台北出発が2amでrest bayで2時間休んだだけであったので、操縦能力が下がっていた可能性を指摘した。