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初心者の為の創価学会同志の集いコミュの御書

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P.766『末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり、円理とは法華経なり』
深く法華経という円理を覚ること、之を名づけて仏と為す、との御文に基づけば、大聖人という究極の一人を手本として、妙法による一切衆生の救済を誓い、行動する凡夫は仏であり、僧である、というのが御義口伝の教えです。

コメント(3)

たとえば、今200円しかなくても、心は自由だから、二百億円のイメージをすることもできる。
法華経を読んでいると、菩薩たちが無数にいるといったような、夢のような世界をイメージできる。
こんなに人材がいたらすごいな、などと心に自由に豊かに思い描くことができる。
御書に、心はたくみなる芸術家(絵師)のごとし、とあるが、
絵を描くにはけっこうな時間がかかるが、
心に思い描くイメージは、「一瞬で」できる。
心の方が圧倒的にコスパがいいね!
なぜ戸田先生が虚空会の現場を体感できたか、それまでに法華経を何度も読んでいたから、イメージの蓄積があった。
このように、心を豊かに自由にするための、修行と勉強をする必要があるかと思います。
南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、
もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって源とす。
(御書新版2088ページ8行目〜10行目、御書全集1244ページ14行目〜15行目)


南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、私たち一人一人にそなわる
仏の生命境涯を湧現させ、成仏することができます。



「この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり」
(御書新版2088ページ・御書全集1244ページ)

信仰の根本となる御本尊は、自分の外側にあるのではなく、
題目を唱えている私たち自身の内側にあるとの仰せです。

姿としては、目の前にある御本尊に祈っていても、実は、自分自身の中にある
御本尊に対して祈っている。それによって、
尊い仏の生命境涯を自分の中から開くことができます。

しおのひるとみつと、月の出ずるといると、夏と秋と、冬と春とのさかいには、必ず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり。

意味

潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏と秋、冬と春という変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くというのはこのことである。


具体的には「あなたは退転するだろう。その時、地獄で日蓮を恨まないように」
「あなたは目の前のことにとらわれた浅はかな考えから父親につくだろう。
そうすれば、ものの道理が分からない世間の人々はそれをほめるだろう」

「どう考えても、今度、あなたはきっと退転するに違いない」
このように言っても、無駄な手紙になるであろうと思うと、書くのも気が進まないがあと後に
思い出すためにも残しておこう」などと厳しくいさめられています

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