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真説魏志倭人伝研究会メンバーズコミュの雑談

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昨日、NHK-BSのドキュメンタリー「秘境中国 謎の民 天頂に生きる〜長江文明を築いた悲劇の民族」を見ました。ご覧になった方もおられるでしょうが、興味深いところがあったので報告します。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92393/2393148/index.html
主人公の「イ族」(昔は夷族と書いたらしい)は四川省の山奥に住む民族で、周代や蜀の諸葛孔明らに追い払われた「古蜀」の住人、実際は揚子江上流の支流「馬牧河」で揚子江文明の一翼を担った人々の末裔らしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%9F%E5%A0%86%E9%81%BA%E8%B7%A1

筆者は、六千年前に揚子江中下流域で始まったジャポニカ種の稲作が、半島を経由するよりも、南西諸島か済州島辺りを経由して直接、九州に入ってきたと考えています。今回放送されたイ族の風習に、倭人伝の記述や現代の日本の習俗に通じるものを見つけて、感心しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

1. イ族では昔シャーマンが王を兼ねた。
2. 葬儀は村を挙げて盛大に行い、香典を集めている。
3. 酒をよく飲む。
4. 現・村長曰く「和をもって尊しとなす」。
5. 祭りの時、鶏を棒の上に掲げる。
6. 祭りの時、木で枠のような門を作り、くぐって穢れを払う。
7. 現在は蕎麦の生産と牧畜で生計を立てる。
8. 独自の文字を持ち(シャーマンが所有する経文に残っている)、三星堆などの遺跡から出た青銅器に記された文様と符合するものがある。

1は卑弥呼のようですが、現在のシャーマンは男で、昔から男だったようです。
5と6は鳥居の原型のようですね。
7の蕎麦に関しては、九千三百年前の高知県の縄文遺跡から蕎麦の花粉が見つかったそうですから、イ族が伝えたとは言えません。蕎麦の原種は雲南省にあるようですが、かなり昔に縄文人に伝播したか、日本原産でしょうか。
http://www.10soba.net/index.php?%E5%8F%A4%E3%81%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%81%B0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
8は日本にはありません。日本の土器や銅鐸の模様と符合するものがあったら驚天動地ですね。

ご興味のある方は再放送を確認して下さい。

コメント(4)


新聞に興味深い記事がありました。
テスト航行しているのですね。
とても楽しみです。

石器時代 日本人の顔に迫る
石垣島 最古の全身骨格 分析進む

国内最古、2万7千年前の全身骨格が、沖縄県・石垣島の遺跡から見つかった。人骨千点余りから、これまでに19体分が確認され、頭骨も4体分含まれていた。特に期待されているのが、人の特徴がもっとも現れる顔の立体的な復元だ。旧石器時代、沖縄・八重山諸島にいた人はどんな顔つきだったのか。作業が進められている。

5月に発表された、石垣島・白保棹根田原洞穴遺跡の旧石器時代の人骨数は、少なくとも19体分とされたが、今後の研究でさらに人骨数が増える可能性もある。ここでは、2008年に、初めて人骨が見つかり、昨夏まで発掘が続けられてきた。大腿骨や歯、肋骨など、見つかった骨片を元に、病気やけがの痕跡、食生活などについて、専門家が現在分析を進めている。研究を率いる土肥直美・元琉球大学准教授は特に顔の復元に期待する。「今回の発見で、違う場所に住んでいた人の顔つきを比べられるようになる」と話す。日本列島で見つかった旧石器時代の頭骨はこれまで、沖縄本島の港川フィッシャー遺跡のみだからだ。慶応大の河野礼子・准教授は現在、頭骨の復元を進めている。破片をつなげてCT撮影し、立体的な形をデータ化。左右どちらかが欠けている部分は片方の骨を反転させて補った。このデータをもとに、3次元プリンターで造形した。河野さんによると、「港川人」の頭骨は三つとも似ており、現代の東南アジアやオーストラリア先住民に見られる特徴があったという。国立科学博物館が10年に発表した港川人の顔の想像図には、その特徴が反映されている。一方、今回の「白保人」の頭骨には違った特徴があり、それぞれの顔つきも異なる可能性があるという。国立科学博物館の篠田謙一・人類研究部長らが白保人の骨の一部のDNAを解析したところ「これまで解析できたDNAでは、東南アジアや中国南部に特徴的な遺伝子型を持っていたことがわかった」と話す。こうした解析も参考にしながら、肉や皮膚を模した材料を使って、立体的な顔の復元を目指す。河野さんは「皮膚の色や髪形、目つきなど、骨からわからない部分をどうするかによっても、顔つきは変わるため、慎重に進める必要がある」と話している。

台湾から八重山諸島 どうやって?
草舟・竹舟・・・渡航実験

旧石器時代に、石垣島へどのように人が渡ってきたのかも、大きな謎だ。科博の篠田さんらによる白保人のDNA解析の結果、南方から北上した人たちが到達したと考えられている。日本列島周辺の海面は、現在より50〜60メートル低かったとされるが、石垣島や与那国島など八重山諸島は当時も島だった。そのころは大陸と陸続きだった台湾と、最も台湾に近い沖縄県の与那国島でも最短距離は約110キロ。間には黒潮が流れている。科博の海部陽介・人類史研究グループ長は白保人について「舟で台湾付近から渡ってきたとしか考えられない」と言う。その説を実証するため、3万年以上前に現地で調達できた草などの材料と、当時の道具を使って古代の舟を再現し、海を渡る実験を続けている。昨年は、再現した草舟で与那国島から東に約75キロ離れた西表島への航海を試したが、潮に流されて途中で断念した。現在は、2年後に台湾から与那国島への航海を計画している。その前段階として6月、竹で作ったいかだで台湾沖をテスト航海したほか、10月には復元した縄文時代前期の丸木舟で、舞鶴市と沖合10キロの島の往復を試した。海部さんは「どういう舟で渡った可能性が一番あり得るのか、材料や道具も検証しながら実験を繰り返したい」と話している。
試行錯誤が続いているようですね。
古代人が何百年(もっと?)、何世代にもわたって編み出した航海技術を再現しようというのですから、一筋縄ではいかぬでしょう。
倭人伝の記述と比べて、1〜8のようにこれだけの共通点があると、やっぱりここが源流なのかと思いますよね。少なくとも源流の一つですね。しかも「天頂に生きる」とか言われると、これこそ高天原では!?とワクワクします。「夷」と「倭」の音は似たようなものですしね。揚子江文明は確実に日本に受け継がれていますね。
全邪馬連関係のイベントは、
11日(土)は文化シャッターBXビル
19日(日)は東大寺 ですか。
なかなか忙しそうですね。

11日は行ってみようと思います。
奈良は遠慮しておきます。
皆さま、いってらっしゃいませ。

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