ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

哲学 Φιλοσοφιαコミュのクレーマーは神か?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
野田市で起きた、児童虐待死事件の特徴は、被害児童が救いを求めたにも拘らず、大人たちが保身に走り、その挙句が被害児童の告発をその加害者に知らせるといった、絶対にやってはならないことをしました。

恫喝を受けたとしてもです。

なら逆にそんな親に情報を開示することは、被害者に更なる仕打ちを与えるに等しく、今回の結果は予想の範囲内と言えます。

その一方で、行政は市民に中々情報を開示しませんし、隠ぺい、改ざん、手抜きなどを平気で行います。

これをどう読むべきか?

クレーマーを恐れることは、日本人の特徴とも言われていますが、本当なのだろうか?

海外ではクレームをつけると、途端に問題になるそうですが、もしそうなら、何で日本は問題にしないのか?

あるいは、土下座店長問題に見るように、加害者がわざわざその様子を動画にしてネットにアップするなど、常軌を逸しています。

自分が行った人権蹂躙行為を、自らその証拠を記録して全世界に拡散するなど、もはや常識が無いというレベルではないでしょう。

となると、むしろこれが無法者の常識であり、人間の本性になりますが、では理性は働かなかったのか?

ここでは、クレーマーとは何か?

何故、クレーマーを優遇する社会が成立しているのか、考察をしたいと思います。


小4女児死亡事件 逮捕の父親は校長に情報開示を約束させる - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/15956363/

尼崎児童暴行事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/尼崎児童暴行事件

女子高生コンクリート詰め殺人事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/女子高生コンクリート詰め殺人事件

万引き少年踏切死:古書店長が再開検討 相次ぐ激励きっかけに [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/2003/nihon3/msg/234.html

怨霊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/怨霊


コメント(217)

東京都は家庭内における、児童に対する体罰を禁止する条例を制定するようです。

受動喫煙の次は児童ですが、ある意味で画期的な条例です。

ただ、運用を始めると最初は行き過ぎるので、そこは注意が必要でしょう。


いきなりの投稿すいません(^_^;)

クレーマーとは?
これは意義を申し立てる人と言うことでいいんじゃないでしょうか。

クレーマーが優遇されている?
これについては個別にみていく必要があると思います。今回の児童相談所の件については、想定可能であった事態に対し、マニュアルを作成しておらず、現場の人間が独断で判断したのが原因だとわたすは思います。
>>[179]


>クレーマーとは?
>これは意義を申し立てる人と言うことでいいんじゃないでしょうか。

異議を申し立てる方ではなく、理不尽な要求をする方と定義しています。

>クレーマーが優遇されている?

そうです。実際、クレームがくると、すぐに過剰に反応します。

>これについては個別にみていく必要があると思います。今回の児童相談所の件については、想定可能であった事態に対し、マニュアルを作成しておらず、現場の人間が独断で判断したのが原因だとわたすは思います。

この場合、個別に見ても仕方がありません。

個別にみると、必ず個人に焦点が当たるからです。

もっと、大きく見ませんか?
>>[180]


では、もう少し端的にお願いします。

船戸結愛ちゃんと栗原心愛ちゃんの両事件で、想像力が必要だというのは、どうして同じようなミスが立て続けに起こったのかということ。どちらも相談所は虐待のリスクがあると知りながら、父親と被害児童の同居を黙認してしまった。もちろん、被害児童が死に至ると分かっていれば、非難されるのは分かっているので同居を黙認する筈がない。

2017年度の全国の児童相談所が対応した虐待問題は13万件にも達するという。おそらく、それらのほとんどがハッピーに解決したとは考えられない。結愛ちゃん、心愛ちゃんの件のような場合は、加害者の精神状態がよほど好転しない限り同居をさせるべきではないでしょう。

児童相談所はその気になれば児童福祉法第28条を家裁に申し立てることができます。それが認められれば、親権者の同意なく被害児童を親から引き離すことができます。この2件についてはそうすべきであったでしょう。でもそうしなかった。なぜかというと、日常的なDVが伴うようなケースはすべて28条を適用するのが望ましいと考えられます。しかし安易に28条を申し立てると、児童相談所はすぐ満杯になって児童を収容できなくなるからです。引き取った児童をケアするスタッフも足りません。だから児童相談所は、加害者の精神状態が改善して親子が一緒に暮らせるようになったというシナリオを描いて案件を処理したがるわけです。

しかし、父親がDV加害者である場合、状況が改善して親子がまた一緒に暮らせるようになるというシナリオ自体に無理があります。まともに考えれば、被害児童が18歳になるまで児童相談所が面倒を見なくてはならなくなるでしょう。私は母子と父親を引き離すのが良いと考えています。問題は母子の生活のめどを立てるためにどうすればよいかということになってくると思います。

私が、警察を介入させるべきではないと主張していると受け取る人もいるようですが、そうではありません。むしろ、加害者との直接交渉は全面的に警察が担当すればよいとさえ考えています。余分な業務はできる限り他の役所が負担して、児童相談所を身軽にすることが必要であると思います。できれば児童福祉士は児童相談所から独立させて、支援プランを自律的に立てることができるようにすれば児童に最適な支援プログラムを作ることができると思います。しかし、それをやると現実には日本の福祉政策が貧弱すぎて、実行不可能であるという実態が浮き彫りになってしまいそうです。




>>[181]
一言にクレームといってもその内容は多種多様であり、考察するためにはやはり個別にみていく必要があると思うのですが…
個人に焦点が当たると何か問題が?
大きく見るとはもう少し具体的に言うとどういうことでしょう?
大きく見ることでどうしたいのですか?
>>[184]


個別にみると、そこに焦点が当たり過ぎてしまい、最後はパーソナリティの問題に集約されます。

そしてトピックの主題は、そもそも何で日本人はクレームを恐れるのか?

それこそ、神のごとくにです。

そして神とは、怨霊に他なりません。

平将門しかり、菅原道真しかり、崇徳天皇しかりです。

いじめ問題もそうで、文科省がいくら通知を出しても、隠ぺい体質は変わりません。

安倍政権はついに、罰則付きのいじめ対策基本法の改正に踏み切ります。

隠ぺいしたら、処罰すると。

ここまでしないとダメなのは、それは学校関係者が恐れているのが、政府よりもPTAであり、クレーマー諸氏だからです。

そこを見ませんか?
>>[185]
学校関係者の場合を個別に考察してみますね\(^o^)/
これは想像になりますが、距離感がポイントなのではないかと…
文科省とPTA、クレーマーとでは現場の人間にとって後者の方が明らかに近い位置にいて、それらの要望を受け入れてしまいやすい傾向があるのでは?

世の中の制度やマニュアルは爪が甘いことが多いんですよね…
人間性善説で考えてるというか…
人間性悪説を根本に考え直すべきですね\(^o^)/
いじめ対策基本法改正は当然必要でしょう\(^o^)/

本来クレームは自身のいたらなさやミスなどが原因で発生しますので、本質的には恐れるべきものであると言うのは正解だと思います\(^o^)/
それに、いきなり怒鳴り散らされたら誰だって怖いでしょうに…
クレーマーには恐怖の対象となる点が複数あり、それゆえ対応者は感情的になりやすく、結果的に誤った判断をしてしまう場合が多い…といったところでしょうか\(^o^)/
>>[185]
それら怨霊は理不尽な仕打ちを受けたがゆえに怨霊化してますね
それを恐れるとは、恐れる側にそもそもの非があるということでしょう
>>[187]


感情的になるという点は、まさにその通りです。

問題はその感情を全面に出してしまうかです。

例えば、対象者が自殺したら、世間から叩かれ、場合によっては社会的に抹殺される危険性があります。

何で、ここまで考えが至らなかったのか?

逆に言えば、社会的に抹殺されるよりも、恐ろしい存在があると。

例えば山本七平は、空気に逆らう者を悪と判断するのが日本人であり、憲法よりも上位概念として、抗空気罪があると主張しました。

そこはどう思われますか?
>>[188]


>それら怨霊は理不尽な仕打ちを受けたがゆえに怨霊化してますね

果たして平将門は理不尽な仕打ちを受けたのだろうかと、そう思います。

あるいは、むごい目にあった吉良上野介は、なんで怨霊にならなかったのかと、そこにポイントがあると思います。

>それを恐れるとは、恐れる側にそもそもの非があるということでしょう

例えば菅原道真の場合は、彼を追い落とした藤原4兄弟が立て続けに亡くなりました。

これを庶民は菅原道真が怨霊となって、復讐を果たしたと認識していますが、庶民は別に菅原道真を恐れる理由はないはずです。

クワバラ、クワバラと、そう唱えるのも、巻き添えを食ったと判断したから唱えます。

逆説的に言えば、怨霊は見境いない存在であると、そう認識していたのではないでしょうか?

そこに理非がないから、仮にクレーマーが理不尽な存在でも、あっさり受け入れてしまうのです。
>>[190]
>果たして平将門は理不尽な仕打ちを受けたのだろうかと、そう思います。

そこは微妙ですが、将門に朝廷への謀反心があったのかどうか?
ことの成り行き上、謀反人として扱われて討伐されたことを恨んでの
怨霊化なのかもしれません
これも大きな政治の中で起こった悲劇でしょう

>これを庶民は菅原道真が怨霊となって、復讐を果たしたと認識していますが、庶民は別に菅原道真を恐れる理由はないはずです。

怨霊は無差別無分別に祟っているわけではない
目的があって祟っているので
庶民はお上の恐れの信仰に便乗しただけとも見ることができます
>>[189]
空気どうこうの話はクレーマーの話からそれるような気がするのですが…

抗空気罪…あると思いますよ…赤信号みんなで渡れば怖くないみたいなことじゃないですか?100人が信号無視しているのに1人が信号を守っていたら、「あの人変わってるね」って言われるみたいな…

というか憲法の内容を詳しく理解している日本人なんてどのぐらいの割合でいると思います?理解すらしてないんだから上位も下位もないでしょう?山本さんは比喩的に言ってるだけかな?
>>[191]


問題は、人々がどう見るかです。

つまり、集合的無意識が怨霊を産み、そして人々はその呪縛から逃れられません。

つまり、平将門は怨霊になったが、吉良上野介は怨霊にならなかった、あるいは怨霊と認識されなかったとなります。

文化とは共通の価値観、あるいはその民族が感じる空気のようなものがあるからであり、その見えない呪縛を呪縛とすら感じません。

しかし、例えば福沢諭吉が少年時代、実験で御札を足で踏んで試した時のように、その日の夜は神罰が下りることを恐れていました。

本当に恐れているなら、そもそも足で踏むなんて真似は出来ないはずですし、そもそも実験なんてしようとは思いもよらないからです。

舞台で東海道四谷怪談を上演するとき、わざわざお岩さんのお墓詣りをするそうですが、実際のお岩さんは田宮家復興の貞女で知られ、怨霊ではないはずです。

しかし、舞台で何かトラブルが起きると、お岩さんの祟りだと思い込むものです。

それは誰かがそう認識せよと強制されたわけもなく、日本人なら当たり前の感情と言えます。

その延長上にあるのが、クレーマーに対して過剰に扱うことと思われます。
>>[192]


>空気どうこうの話はクレーマーの話からそれるような気がするのですが…

日本人とは何かですから、そんなには逸れてはいません。

むしろ、本丸です。

>抗空気罪…あると思いますよ…赤信号みんなで渡れば怖くないみたいなことじゃないですか?100人が信号無視しているのに1人が信号を守っていたら、「あの人変わってるね」って言われるみたいな…

それがノリと空気で、しかしそれが行きすぎると企業の不祥事になりますのいで、ただ一人信号を守る方を称賛できる社会がいいと思います。

それには空気を読んでなお、逆らえる人こそが求められます。

>というか憲法の内容を詳しく理解している日本人なんてどのぐらいの割合でいると思います?理解すらしてないんだから上位も下位もないでしょう?山本さんは比喩的に言ってるだけかな?

あくまでも比喩です。

実際、今でも村八分問題がありますが、それは法や条例よりもその場の風習や空気こそが、法よりも上位にあると認識しているからと思います。

すなわち、違法行為により罰せられるよりも、もっと守らなければならない何かがあります。

それが反転すると、クレーマーを神と誤認します。
>>[193]

>災難が続くことにより怨霊伝説が生じることと、クレーマーを怨霊に見立てることの整合性には無理がありますな。

な、ですか?

確か崇徳天皇は、朝廷を滅ぼすと遺言を残して憤死したので、のちの明治維新時の政府は謝罪使を送って御霊を京に還幸し、神社の祭神に祀りました。

元々経文の奉納をお願いし,それを朝廷が蹴ったので、崇徳天皇は怒ったそうです。

更に言えば、後鳥羽天皇は最初は確か顕徳天皇という諡号でしたが、おおいに祟ったので後鳥羽を諡号と直したそうです。

ようは、要求を聞き入れなければ暴れるという点では、まさにクレーマーと同じと思いますが、別にクレーマーを怨霊に見立てたわけではありません。

他に怨霊に代わる何かがあれば、別になんでもいいのです。

そうではありませんか?

>>[194]
>問題は、人々がどう見るかです。

そうです
怨霊など、じつは人々が妄想した虚像、藁人形である可能性大です
が、その虚像を、藁人形を信じる心があるところで宗教と言えます
が、その理屈で言うとクレーマーはまだ「神さん」になっていません
なぜならまだ生きているからです
むしろ今回のケースで言えば、親から理不尽な虐待を受けて
助けを求めた行政側の人間からは裏切られ
無念にも死んだ子供の方が怨霊化の対象でしょう
>>[197]


>怨霊など、じつは人々が妄想した虚像、藁人形である可能性大です
が、その虚像を、藁人形を信じる心があるところで宗教と言えます

そしてそれを洗い出すのが、哲学です。

>が、その理屈で言うとクレーマーはまだ「神さん」になっていません
>なぜならまだ生きているからです

生霊という概念もありますし、そもそも怨霊を認識している方は皆無です。

だからこそ、クレーマーを過剰に恐れています。

>むしろ今回のケースで言えば、親から理不尽な虐待を受けて
>助けを求めた行政側の人間からは裏切られ
>無念にも死んだ子供の方が怨霊化の対象でしょう

吉良上野介が怨霊にならなかったように、心愛ちゃんは怨霊にはなりません。

だからこそ、心愛ちゃんは切り捨てられたのです。

あるいは、生け贄とも言えます。

僕が出した三大怨霊も、普通の人間ではありません。

例えば麻原彰晃の遺灰について、扱いが難しいのは、それ自体が信仰の対象に出来るからです。

ただの灰とは、思わない人が居るからです。

>>[198]
いいえ、あなたが言った通り
「問題は、人々がどう見るかです。」
まさにこれですよ
怨霊だと「人々」が「見る」には前提条件があります
それは、非がないのに理不尽な仕打ちを受けて無念の死を遂げた者だけが
怨霊化の候補になる
人々はこの前提条件をクリアした怨霊化候補がその後
祟りを対象者に対して成就させたと見れば
「ああ、このオチはあの人が怨霊となって祟った結果なのだ」
と思う、怨霊を信じるわけですよ

で言うと、今回の「悪質クレーマー」な父親も吉良も麻原も
上記の怨霊信仰の前提条件をクリアしていませんね

ちなみに、そう言えば
庶民に人気絶大な源義経は怨霊化候補の条件をクリアして
そして実際にそれらしきオチもついた
兄頼朝の落馬死の定説には不審点もあるそうです
なのに義経は怨霊として世間から見られることはありませんでした
不思議ですね^^
>>[195]
違法行為よりも守らなければならない事があるということは、厳罰化や周知に力を入れる必要があるるということで…要はガバナンスの問題か…
>>[200]


論点がずれているので修正しますが、怨霊とは何かを論じるためのトピックではありません。

怨霊の定義についてお付き合いしたいところですが、コミュずれにもなるのでご容赦ください。

例えば怨霊の存在を認識するのは、その怨霊の存在の可能性を疑わせる事象があり、その上で原因を探ります。

まず考えるのは、為政者の徳が失ったと思うことになりますが、ここではそれは置いておきます。

それ以外だと怨霊以外になく、そして怨霊の可能性を考えるのは、観測して存在を認識しますが、実際には存在しません。

しかし、人々は怨霊は存在することを前提にして観測するので、ここでは因果が逆転しています。

これは集合的無意識が作りだした幻想ですが、しかし集団意識が幻想を実存させます。

大事なことはそれが怨霊かどうかではなく、人々が何を恐れているか、何を原因と思うか、そして何を恐れ原因と思うように訓練されているかになります。

怨霊を認識しない人に、本物の怨霊を出しても認識はおろか、観測すらされません。

それが人間の認識なんです。

今回の事例での説明は、法令違反を犯してまで容疑者の父親に便宜を図りましたが、それは何故かとなります。

あまり知られていませんが、児相は刑事案件もよく扱うのですよ。

むしろ、今ではそっちが本業でしょう。

だからこそなんで、あんな父親を恐れたかです。

これは日本人の文化にも関わり、それを言語化すると、怨霊を恐れたとなります。

そして怨霊を恐れよと、物心つく前から我々は学び、そこになにかがあると、ある瞬間に思い出すのですが、その時はもう、怨霊自体を言語化出来なくなっています。

言語化出来ないゆえに、対峙も対決も出来ません。

それが、真の信仰の姿です。



>>[201]


>違法行為よりも守らなければならない事があるということは、厳罰化や周知に力を入れる必要があるるということで…要はガバナンスの問題か…

最初は過剰に反応しますが、例えば大津では、来年度からいじめ対策にAIを用いるそうです。

人間は間違える、バイアスに掛るモノですので、いっそAIに判断してもらうのが適当でしょう。

いずれにせよ、人権感覚を養えれば、守るべきはクレーマーではないと理解出来るはずです。

今はそれが無いゆえに、こうした悲劇が起こります。
>>[202]
つまり共同幻想の話ですね
それも恐怖を共有する場合の話である、と
>>[202]

>怨霊を認識しない人に、本物の怨霊を出しても認識はおろか、観測すらされません。それが人間の認識なんです。

上の表現は意味不明です。観測はするが認識しない人というのはいないのでしょうか?  また、「本物の怨霊」という言葉を使用していますが、「偽物の怨霊」との違いについての説明も必要であると考えます。

揚げ足を取るつもりはないのですが、一応、哲学のコミュですので‥てん。
>>[206]
観測が感覚器官でとらえることだとすれば、そのような意味になると思います。だとすると、「認識しない人は観測しない」という表現は理解しがたいですね。
>>[204]


>つまり共同幻想の話ですね
>それも恐怖を共有する場合の話である、と

この場合、共有しない者を、恐らくはKYと呼ぶのでしょう。

つまり、日本人は日々、いざとなれば怨霊を恐れるように訓練されていると言えますが、怨霊を無かったことにしているので、どうにもならないのです。

それゆえにクレーマーが,跋扈する世の中になりましたが、いい面もあります。

それが、お・も・て・な・しになります。
>>[205]


>上の表現は意味不明です。観測はするが認識しない人というのはいないのでしょうか?  

そもそも、認識が無ければ観測は出来ません。

あるだろう、あるかもしれないといった前提がなければ、観測しても実質的には観測をしていません。

>また、「本物の怨霊」という言葉を使用していますが、「偽物の怨霊」との違いについての説明も必要であると考えます。

ただの例えです。

我々が考える怨霊は存在しませんが、もしかしたら本当に存在するかもしれません。

それは観測されないからか、期待しているような存在ではないからなのか?

ただいるだけで、何もしない、見えもしなければ、これが本物の怨霊ですと言われても、僕だって信じません。

>揚げ足を取るつもりはないのですが、一応、哲学のコミュですので‥てん。

はい、ありがとうございます。
>>[207]


心理学でいう、認知バイアスのようなものでしょう。

ちょっと乱暴ですが、これが一番近いと思います。

ログインすると、残り189件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

哲学 Φιλοσοφια 更新情報

哲学 Φιλοσοφιαのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング