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アベ政治を許さない!コミュの金子兜太さん死去

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毎日新聞> 前衛俳句の旗手として活躍し第二次世界大戦後の俳壇をリードした俳人の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営む。後日お別れの会を開く。

 埼玉県生まれ。1937年、旧制水戸高校在学中に俳句と出合い、加藤楸邨に師事した。

 太平洋戦争下の43年に東京帝国大を卒業後、日本銀行に入るが、すぐに海軍へ。主計中尉として南洋のトラック島へ赴任し、同島で終戦を迎えた。捕虜生活を経て46年に復員。戦後は日銀勤務の傍ら、俳誌「寒雷」「風」を舞台に活躍を開始した。

 思想性と方法意識に富む作品から、「社会性俳句」「前衛俳句」といった新潮流の代表と見なされた。俳句造型論の提唱など、自らも積極的に論争に参加。同時代の短歌などにも影響を与えた。

 56年、現代俳句協会賞を受賞。62年、同人誌「海程」を創刊した(のち主宰)。83年、現代俳句協会会長に就任するなど後進の指導にも努めた。2000年から同協会名誉会長。

コメント(6)

「アベ政治を許さない」の揮毫をされていました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
毎日新聞>俳壇のトップランナーとして70年以上、走り続けてきた前衛俳句の巨人、金子兜太さんが白寿を前に「他界」へと旅立った。

 金子兜太さんは反戦や憲法9条を守る活動に力を注いだ。安全保障関連法案への反対が広がった2015年には旧知の作家、澤地久枝さんに頼まれて「アベ政治を許さない」と揮毫(きごう)した。この極太の文字を掲げた市民が国会周辺や全国各地で声を上げ、今も安倍晋三首相や現政権を批判する人たちのシンボルになっている。

 澤地さんは21日朝、毎日新聞の取材に対し「今は何も言いたくありません」と語った。【神保圭作】
時事通信
誤報記事を配信 1時間後に全文取り消し─毎日新聞2018年2月19日 11時36分

https://mainichi.jp/articles/20180219/k00/00e/040/238000c

時事通信社は19日朝、俳人で文化功労者の金子兜太さん(98)の死去を報じる記事を配信し、約1時間後に誤報として記事全文の削除を連絡した。

 同社は同日午前6時44分に契約社などに速報記事を配信したが、のちに公式サイトなどに掲載された誤報記事にも削除の措置がとられた。

 同社は「事実関係の確認が不十分でした」と誤報を報じる記事も配信。境克彦編集局長名で「金子様、ご家族をはじめ、皆さまに多大な迷惑をお掛けしたことを深くおわびします。経緯を厳重に調査した上で、再発防止に努めます」とのコメントを発表した。
俳句をかじっている私としてもただただ呆然です。ご冥福をお祈りします。
東京新聞社説>俳人の金子兜太さんは平和の尊さを訴え続けた人だ。貫いた反戦には自らの戦争体験がある。戦後七十年の二〇一五年から本紙「平和の俳句」の選者であったのも、危うい世相への抵抗であろう。
 <水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>
 一九四四年に海軍主計中尉として西太平洋のトラック島(現在のチューク諸島)に派遣され、終戦を迎えた。捕虜になり、四六年に復員する。島を去るときに詠んだのが冒頭の句である。
 旧制水戸高校時代から本格的に俳句を始め、東大時代に加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。四三年に日本銀行に入行するも、直後に海軍へと。「炎天の墓碑」とは、何とも虚(むな)しい光景であることか。
 金子さんのそれまでの人生が軍国主義の時代の中であることは間違いない。たとえ詩歌の世界であっても、安易に国家や軍を批判することはできなかった。
 日本国憲法ができ、戦後社会はがらりと変わった。その最大の動力となったのは「表現の自由」である。文学はもとより、社会科学や自然科学の世界も自由の力で、戦後日本は躍進を遂げ、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のにぎわいをみせたのだ。
 金子さんもまた、戦後の俳句改革運動の中心になった。「社会性俳句」「造形俳句」を提案、前衛俳句運動をリードし、理論的支柱となった。社会性や抽象性に富んだ無季の句を提唱したのだ。
 見逃せないのが、平和運動に尽力したことだ。四七年に日銀に復職し、被爆地の長崎で勤務したこともある。
 <彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン>
 日銀時代に詠んだ句である。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は「体を張って権力に対抗する人という印象を持っていた」と共同通信に答えている。
 確かに戦後日本のありようが変わりつつある。特定秘密保護法や集団的自衛権の閣議決定、安全保障法制、憲法改正への動き…。
 三年間で十三万句以上が集まった「平和の俳句」は、あたかも“軍事”へと向かう権力への庶民の対抗だったと思う。その意味でも選者の金子さんはまさしく「権力に対抗する人」だった。最後に寄せた自身の句は
 <東西南北若々しき平和あれよかし 白寿兜太>
 戦争を知らず平和を鼻で笑う政治家が跋扈(ばっこ)する世の中だ。「若々しき平和」を詠む俳人の死は高齢といえどあまりに惜しい。

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