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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第93回 かとう作 「海(仮)」5

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「無理」
 あさひはあの日と同じ言葉を、暁に言った。
「なんで?」
 しかし、暁は今日は出ていったりせずに、ただあさひを見つめ返して言った。あさひは理由を問われても、わからなかった。無理なものは無理なのだ。それで結局、理由を探してあげつらうしかなくなる。
「だって、彼女いるんでしょ?」
「だから、別れる」
「ていうか、私地元には帰ってこないし」
「だって隣の県じゃん。別に、会いに行けばよくない?」
「なんで今更?」
「なんで? 関係なくない?」
 逆に問われて答えに窮してしまう。そもそも、このやりとりに意味があるように思えなかった。
「でも、無理なものは無理」
「なんで? 理由教えてよ。おれのこと嫌い?」
 そう聞いた瞬間、それまであさひを強く射抜いていた暁の目が、急に悲しみに翳った気がした。
 この、哀願するような暁の目。あさひはこの目に弱かった。
 泣きそうな顔で小さな暁に「あさひちゃん」と言われると、あさひはなんでもしてあげたくなってしまう。それは、今でもあさひの中に存在する習性として、疼いた。
 それに、暁のことを嫌いなわけがない。むしろ暁は父親の次に、いやそれ以上に、あさひが愛する異性だった。あさひは絞り出すように言う。
「嫌いなわけないじゃない」
「じゃあ付き合って」
「だから、無理だよ。だいたい彼女いるんでしょ?」
「じゃあ別れる。今別れる」
 そう言って暁は尻のポケットからスマートフォンをとりだした。そして画面を見て「あ」と声をあげた。
「彼女、部屋に来るって」
 暁がそう言ったころにはもう玄関のドアが開く音がして、足音がこっちに近づいてきた。
「さとるぅ」
 玄関ホールとリビングを隔てるドアが開き、そこに若い女性がいた。
「あっ」
 暁の恋人らしき女性と目が合って、つい声が漏れ出る。彼女の顔から、笑みが萎むように消えていった。急にあさひを見下ろし睨みつけるような険しい顔になる。
「あんた誰」
 怒りに満ちた、さっき暁を呼んだ甘い声とは違う、腹の底から響くような低い声。しかし、その顔でさえあさひは美しいと感じた。
 この距離からでもわかる、白くてキメの細かい肌は、発光しているようだ。ぱっちりとした目に長いまつ毛、薔薇が咲いたような唇。ゆるくカールさせた茶髪はつやつやと光っている。メイクも服装も雑誌から飛び出してきたような完璧さだ。そしてなにより彼女が細くて華奢なことにあさひは驚いた。
 この人は見たことがある。
 あさひは確かにそう思ったが、すぐには思い出せなかった。彼女がずんずんとあさひのほうに駆け寄ってきて、あさひの胸ぐらを掴む。あさひは急に引っ張られて、思わず立ち上がった。
「あんた、人の男の家で何やってんのよ!」
 いい匂いがする。
 あさひは意外なほど強い力で引っ張られ首の後ろに強い痛みを感じたときでさえ、そんな感動を抱いたが、すぐに誤解を解かないといけないということに気がついた。
「違います、誤解です」
「は? なにが違うのよ」
 しかし、どう説明をしたらいいのかわからない。
「離せよ」
 暁がそう言って二人を引き離しにかかる。
「お前なにやってんだよ」
 暁に思い切り押されて、彼女は床に尻もちをついた。暁が初めて見せた粗暴さにあさひは一瞬ひるんだが、すぐにそれを怒りが塗り替えた。
「あんた、自分の彼女になにやってんの?」
 今度はあさひが立ち上がり、暁に詰め寄る番だった。平手打ちでもしてやりたい気分だったが、暴力を暴力で返すのはあさひの信条に反するので、ただ暁の肩をどんと叩き、告げる。
「女の子に乱暴すんな」
 自分で思った以上に鋭い声が出た。暁はまた不貞腐れた顔でソファにぼすんと座り込む。
「大丈夫?」
 あさひは暁の恋人に手を差し伸べたが、その手は無視された。彼女が立ち上がりソファに座るのを確認して、あさひもローテーブルを挟んで向かいの床に座る。暁の恋人は不機嫌な顔はそのままで、あさひの顔も見ずにソファの上のクッションをよこしてくれた。あさひは礼を言って受けとり、その上に座る。
 確かに見たことがあるのに、一体誰なのか思い出せない。しかも、ものすごく最近この顔を見た気がする。
 あさひは彼女の顔を観察しながら考えたが、どうしてもわからなかった。
「あのう」
 そのとき、ドアのほうで男の野太い声が聞こえたので、あさひは飛び上がりそうになるほど驚いた。
「ああ、よっさん」
 暁が言った。客は一人ではなかったらしい。小太りというよりいかにも固太りという体型の、坊主に近い髪の短い男が、部屋に入ってあさひと暁の恋人の間に座る。年齢は三十代後半といったところだろうか。
 よっさんと呼ばれた男が口を開く。
「なにこの状況? 浮気?」
「この人があさひちゃんです」
 なぜか得意げな様子で暁が答えた。男はあさひを見て、笑顔で手を差し出してきた。
「ああ、あなたが。中村あさひさん?」
「そうですけど」
「加賀屋です。みんなよっさんって呼んでるから、よっさんでいいよ」
 あさひはとりあえず加賀屋の手を握るが、状況がよくわからない。あさひの不思議そうな顔を見て、加賀屋が続ける。
「あ、おれ暁の会社の同僚。一応上司。下の名前が佳和(よしかず)だから、よっさんね。あさひちゃんのこと、暁がいっつも話してるからさ」
「それで、なんなの?」
 口を挟んできたのは美海だった。
「中村あさひがどうして、暁の家に上がり込んでるの? あんた地元出たんでしょ?」
 美海の口ぶりでは、彼女もある程度あさひのことを知っているらしい。加賀屋が口を開いた。
「暁さ、飲んで酔っ払うと大体最後はあさひちゃんの話になるから、おれもミウミも覚えちゃって」
 ミウミというのが暁の彼女の名前らしい。珍しい響きの名前だ。漢字はなんだろう、と考える前に、あさひの脳に”美海“という字が浮かんだ。テレビ画面にいつもピンクのテロップで出てくる、”美海“という字。
「ああ!」
 目の前の彼女の顔とミウミという名前の響き、そしてそれを表す美海という漢字。それらがあさひの記憶を完全に繋いだとき、あさひはその快感でつい声を上げてしまった。
 美海が怪訝そうにあさひを見る。
「なに?」
「長谷川美海さんじゃないですか? 朝いつもお天気読んでますよね? テレビで」
 今朝、あさひは思いの外早く目が覚めてしまって、リビングのソファでごろごろしながらテレビをつけた。なんとなく地元のローカル局にチャンネルを合わせると、ちょうど週末のお天気コーナーを放送しいるところだった。
 こんな地方のテレビ局で、ものすごく可愛い子がお天気を知らせている。
 それが、あさひの率直な感想だった。そのことに気がついたのは去年の年末年始の帰省だった。どこのアイドルか女優だろうかと驚き、あさひはついネットで彼女のことを調べてしまった。
 名前は長谷川美海。中学生で気象予報士の資格をとり、地方新聞に掲載された。高校卒業後東京の大学に進学し一般企業に就職するが、地元を盛り上げたいという気持ちで二年勤めた会社を辞め、Uターン。その後地元のプロダクションに入社し、県内のテレビ局のお天気キャスターに就任した。
 そのようにネット記事に紹介されていた。
 それ以来、あさひは帰省のたびに、朝はローカル局の帯番組にチャンネルを合わせ、天気予報を知らせる美海の姿をぼんやりと見ていた。なぜか美海は、盆正月関係なく、テレビの中で天気を伝えた。テレビ局も美海の美貌は重宝しているらしい。平日の気象予報のコーナーに留まらず、週末のお出かけ情報や県内の旬のスポットの紹介、大型連休のイベントのレポートなど、いろんなところに美海を駆り出していた。
 この子可愛いよね。
 どうしてこんなところで気象予報士やってるのかな。
 母とそんな会話を、一度ならずしたこともある。その彼女がまさか、暁の恋人だったとは。
「暁、美海さんと付き合ってるの? どうして教えてくれなかったの? ねえ、どこで出会ったの?」
 暁を問い詰めながら、あさひは顔がにやけるのを止められない。身内に芸能人が嫁いできたようで、あさひの心は場違いに高揚した。
「関係ねぇし。もう別れるもん」
 あさひに対し、暁は今までになく不機嫌な顔で吐き捨てた。美海が横で、「別れるってなに?」と暁の腕を掴むが、暁はそれを振り払う。
「なんでよ。こんなに可愛くて頭のいい子が彼女なんだよ? あんたにはもったいないくらいだよ。なんでそんなこと言うの?」
「なに言ってんの? あさひちゃん馬鹿なの? ただのローカルのお天気キャスターだよ。大したことないじゃん」
「はあ? 誰が馬鹿だ。あんたのほうが馬鹿野郎じゃん」
「ぶすは黙っとけよ」
 一瞬喧嘩腰になったあさひと暁を、さらに不機嫌な声で制したのは美海だった。暁が美海を肘でこづく。
「いたっ。なにすんの?」
「あさひちゃんにぶすとか言うなよ。お前のほうが不細工だよ」
「はあ!? どう見てもぶすだし。美海の方が百万倍は可愛いじゃん。あんなに暁が言うからどんな美女かって思ってたのに。ただのぶすな上にババアじゃん!」
「おまえいい加減にしろよ」
「痛い!」
 今度は太ももに蹴りを入れられ、美海が叫んだ。暁は手加減したように見えたし、美海も痛みというより蹴られた怒りで言葉に力が入っていた。それでも、あさひには女性に乱暴をする男が許せない。あさひは思わず中腰になり暁の二の腕を思いっきり叩きながら言った。
「美海さんに乱暴すんな」
 暁が驚いた顔であさひを見る。そのあと、折檻された犬のような、悲しげな目を向けてくるので、あさひはひるんだ。今度は美海があさひの体を軽く押した。
「暁に乱暴しないでよ! ババアは引っ込んでろって」
「ちょっと待ってちょっと待って」
 三人の間に割って入ってきたのは加賀屋だった。何かを押し出すように腕を前方に伸ばして、「待て」のポーズをする。
「整理しよう」
 加賀屋はまず、あさひと暁を交互に指差して言った。
「やった?」
 あさひは一瞬その意味を測りかねたが、暁が不貞腐れた顔で投げるように答えた。
「まだ。やってない」
「まだってなによ」
 加賀屋は今度は左腕を突き出して、美海を黙らせる。そしてその手を握り親指を突き立て、美海を指し示した。
「暁、別れるの? 美海と?」
「うん。もういい加減切りたい」
「なに!?」
「あ、美海は初耳ね」
 暁に食ってかかる美海に対して、加賀屋はあくまで冷静だった。最後に暁を指差して言う。
「別れてどうすんの? あさひちゃんと付き合う?」
「うん」
「あり得ない!」
 あさひと暁の答えはほぼ同時だった。加賀屋が噴き出す。くふふと笑いを混ぜながら言った。
「あさひちゃん的にはあり得ないんだってよ」
「はあ」
 ため息を吐いたのは美海だった。
「美海は絶対別れない」
「めんどくせ」
「だって、納得できないよ。どうしてこんなバ……おばさんに、暁をとられないといけないの?」
「うるせぇな。もともとお前のことなんて好きでもなんでもなかったんだよ。やらせてくれれば誰でもよかったの。そもそも付き合ってたのかも疑問だし」
 詰め寄る美海から暁が目を逸らす。その横顔は、今まであさひが見たことのない暁だった。
 暁と最後に会ったあの日、あさひは母親を失ったばかりの暁を、思い切り突き飛ばしてしまった。そのまま暁は出ていってしまった。
 そのことは大きな負い目になったし、その後あさひから暁に会いに行く勇気もなかった。
 負い目と心配と不安は、暁との再会で氷解していったが、その安堵がまた凍りついて、胸の内をちくちくと刺激する感触がした。胸の痛みが喉元までこみ上がり、鼻の奥がつんと痛くなってくる。
「あさひちゃん、なんで泣いてるの?」
 あさひは誰にも悟られまいと下を向いていたのに、加賀屋はめざとかった。
「泣いてません」
「泣いてるじゃん。泣くところかい? ここ」
「だって」
 この場では自分の思いを偽ることができない。
 それできちんと説明をしないとと思うが、こみ上げてくる涙と、それを抑えようとする意志の間で、あさひの声は揺れた。
「暁のこと、心配だったから。いろいろ」
「うん」
 あさひの拙い説明に、優しく励ますような眼差しを向けて頷いたのは加賀屋だった。
「前会ったとき、なんか暁のことつき放しちゃったし。それ以前にいろいろありすぎて」
「そうだね」
 ふと、暁の会社の上司だという加賀屋は、どこまで暁の過去について知っているのかという疑問がもたげてきた。そして、彼らの職業はなんなのか。神妙になるべき場面のときほど場違いな疑問が唐突に思考を横切るものだが、それはとりあえず流しておくことにした。
 あさひは涙に濡れた自分の声を情けないと思いながらも、なんとか続ける。
「それで、久しぶりに会ったら、意外と結構ちゃんと生活してて、可愛い彼女もいるみたいだし」
「うん。暁、結構頑張ってるよ」
「元気にしてるんだって、安心してたのに」
「うんうん」
 あさひの話に親身に耳を傾け相槌を打っているのは加賀屋だけだった。
 ふと暁を見ると、なんの感情も読みとれない表情で、あさひを見下ろしている。あさひはますます暁のことがわからなくなっていた。暁に向かってなんとか言葉を絞り出す。
「それが、こんな、女の子に乱暴するような、くそ野郎になってたなんて」
「ふふっ」
 あさひの言葉に、吹き出したのは加賀屋だった。笑いが堪えられないという様子で体を揺らす。
 あさひにはそれが心外ものだった。
「どうして笑うんですか?」
 あさひは抗議の意味で問い詰めたが、なぜか加賀屋の笑いはどんどん大きくなる。笑ってはいけないという抑制がむしろ逆効果だったようだ。もう堪えるのをやめて、加賀屋は声を立てて笑い出した。
「だって」
 今度は加賀屋が目の端に溜まった涙を拭う番だった。笑いすぎて涙まで出てきたらしい。
「笑うところじゃないですよね?」
「いや、だって、くそ野郎って。別に普通じゃない?」
「女の子に暴力ふるってあんな暴言吐く男ですよ? 普通じゃないですよ。小さい頃はあんなに可愛かったのに。どうしてこんなに歪んじゃったのって」
「だから、こんなもんだって。暴力って、充分手加減してたじゃない。そもそも美海があさひちゃんをディスったからでしょ?」
「暁、小さい頃はあんなに素直で可愛かったのにい」
 言っているうちにまた涙が込み上げてきた。隣では加賀屋がまた、あさひの言葉に肩を震わせている。
「はあ」
 美海がまた大きなため息を吐いた。彼女の癖なのかもしれない。あさひは涙を拭いて美海を見上げる。不機嫌なときでさえなんと愛らしい顔をしていることだろう。そのように思って、あさひは美海に対してまったく反感を抱いていない自分に気がついた。
 女としての価値が自分にないと思い、そのことに今更傷ついたりもしないあさひでも、面と向かってぶすと言われれば流石に傷つく。自分でもそのように思っていたが、美海からそう言われても、なにか憎めないものがあった。
 あさひはそのとき、美海が誰にも悟られないように、そっと目の端の涙をぬぐったのに気がついた。
「馬鹿みたい。帰る」
 立ち上がりさっさと出ていく美海に、あさひは腰を浮かせたが、加賀屋があさひの腕を引いて止めた。仕方なくまた座り直す。
「私は別れる気ないから」
 美海はそう言ってリビングから出ていった。
「暁、追いかけなよ」
 玄関のドアが閉まる音を聞いて、あさひは言った。
「なんで。めんどくせ」
 あさひは今度は加賀屋を見て助けを求める。しかし彼は首を振った。
「いいよ。やめとこう」
「どうしてですか? 追いかけないと」
「あさひちゃんの差し金で、暁に行かせるの? 美海がもっと傷つくだけでしょ」
 加賀屋にそう言われてはっとした。それと同時に、あさひは自分の至らなさに気がつき、今までの自分の発言について不安を抱きはじめる。
 恋愛経験がないせいだろうか。それとも、もともと他人の気持ちを測る能力が低いのだろうか。時折あさひは他人の中でどう立ち振る舞えばいいかわからないときがあり、もしかしたら自分が気付かぬうちに失態を演じているのではないかと、不安になるときがある。仕事を離れてしまうと、他人との雑談でさえままならない。
 結局余計なことは言わずに黙っているほうがいいのだろうと思い、静かにしていると、あさひの中性的な外見のせいもあるのか、寡黙な人間に思われる。そんな自分が、他人の前で感情を出してみれば、こんなにも覚束ない。仕事の話をしたり、新生児の相手をしているほうが楽だと、そういう自分に気がついてしまう。
「あさひちゃんは、恋愛経験がないんでしょ?」
 あさひが自分の思考に絡めとられているとき、加賀屋の問いがあさひの心を串刺しにした。まるで思考を読まれているような気分になったし、加賀屋の何気ない調子で聞くには、その質問はあさひの核心に近づきすぎている。初対面の人間にいきなり聞かれて気持ちのいい話ではない。
「ええ?」
 答えたくないので、あさひはただ抗議じみた声をあげた。どうして加賀屋がそんなことを知っているのか。暁が加賀屋に何もかも話してしまっているのか。しかし、加賀屋は構わずにそのままのトーンで続けた。
「今どき珍しいよね。あさひちゃん、綺麗なのにね」
「なに言ってんですか。そんなことないですよ」
 当然リップサービスだろうとは思いつつ、言い慣れないことを言われてあさひは動揺した。真に受けてはいけないと自分に言い聞かせつつ、褒められて嬉しいという気持ちも抑えられず、そんな自分が滑稽に思えてくる。
「ぶすとか、全然そんなことないから、気にしなくていよ。あさひちゃん、可愛いよ」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、気にしてないから」
「少なくとも、暁はぞっこんだよね」
 加賀屋に言われてついあさひは暁を見た。暁はいつの間にか、ソファに横になって目を閉じている。
 暁はどうしてあんなに可愛い彼女がいるのに、あさひに付き合ってほしいと言ったのだろう。甚だ疑問だ。そして今後、暁にどう接したらいいのか。あさひはそのことが不安だった。
「あさひちゃん」
 ぱちりと目を開けた暁が、横になったまま言う。横になっているせいか声が気だるい。美海に向けていたような棘のある態度はすっかり消え、またいつもの暁に調子が戻ったことに、あさひは安心もしたし怪訝なものも感じた。
「なんで無理なの?」
 話がまた元に戻ってしまった上に、加賀屋との三者面談で改めてその話をしないといけないのか。あさひは頭を抱えたくなる。しかし、暁と美海の別れ話も出てきてしまった以上、あさひとしてはここで暁が納得してくれる回答をし、是非二人によりを戻してほしい。暁に幸せになってほしいという気持ちには、一点の曇りもなかった。
 あさひは腕を組んで必死に考えたが、なんと答えたらいいか分からず、言った。
「無理なものは無理」
「だから、なんでなの?」
「なんでって聞かれても、無理なんだよう」
 暁とは無理だ。
 そうとしか自分の気持ちを説明することができない。あさひは仕方なく、暁に問いを返した。
「逆に、なんで?」
「え?」
「どうして私と付き合いたいとか言うの? 本気?」
 暁が横になったまま一瞬真顔になり、わざとらしく「はあ」とため息をつきながら、うつ伏せになる。
「え、なに?」
「こんなに言ってるのにさぁ。全然届いてないな。傷つくわ」
「ごめん、よくわかんない。だって変だよ。もうしばらく会ってなかったのに、なんで今更? なんで私? あんなに可愛い彼女がいてさぁ」
「もういいよ。あさひちゃんは、おれがどんな気持ちかなんて、わかんないでしょ」
 あんたの気持ちなんて、わかるわけがない。
 そう言い返したくなるが、どうしても、五年前に暁を突き放してしまった負い目が、あさひに遠慮を産んだ。
「ごめん。でも私、暁にはどうしても、本当に幸せになってほしくて」
「はいはい」
「だから、美海ちゃんとは別れないほうがいいよ」
 暁は顔を向こうに向けてしまって、返事がない。後頭部からでは彼の気持ちは読み取れなかった。
 加賀屋がぽんとあさひの肩に手を置いた。見ると、加賀屋はなにも言わず被りを振った。あさひはただその顔をじっと見つめ返した。
「美海のことは大丈夫だよ。こいつら、別れたり付き合ったり繰り返してるから。また戻るんじゃない?」
「そうなんですか?」
「まあ、あさひちゃんが暁の気持ちに応えてやれば別だと思うけど。暁に、あさひちゃん以上の人が現れることはないだろうし」
 だから、そこまで暁があさひを思う気持ちがわからない。今日だけの気まぐれであってくれればいいと願う。しかし、あさひにもよくわからない暁の気持ちやその背景を、今日初めて会った加賀屋のほうがよく知っている様子であることに、あさひは居心地の悪さを覚えた。
「あさひちゃん、誰とも付き合ったことないんでしょ? とりあえず試しに暁と付き合ってみたら? 女が好きとかじゃないよね?」
 もはや、あさひには自分の性的趣向さえよくわからなくなっていた。
 しかし、とりあえずで付き合えるほど、軽率にもなれない。あさひはそう考える。恋愛そのものに対しても、暁に対しても。
「おれは諦めない」
 後頭部を向けたまま暁がぽつりと言った。

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