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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第84回 かとう作「少女たち(仮)」(三題噺『梅雨』『へびつかい』『五円玉』)

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 その駄菓子屋は、娘と僕の散歩コースの途中にあった。
 この街に越してきておおよそ三年になるが、そして週末ごとに僕たちは幾度ともなく公園まで行って帰ってくる散歩を繰り返していたわけだが、住宅街の中にひっそりと存在し忘れ去られたようなその建物に、今まで娘が興味を示すことはなかった。もっと幼かったころの彼女は、きょうびあまり流行らない個人商店に対して馴染みが薄かったし、特にその駄菓子屋の古びた佇まいには興味をひかれないどころか、どことなく近づきがたく感じていたと思う。
 僕の幼少期でさえ、駄菓子屋というものはそれほど親しいものではなかった。むしろ僕の父親の子ども時代に、現役で輝いていたことを思わせる雰囲気の店構えであった。
 ということで僕と娘にとってその店は、僕たちの日常に住まわない存在であったのだが、この春小学五年生を迎えた娘が、散歩の途中に唐突に言った。
「ねえパパ、ちょっと入ってみようよ」
 妙に大人びた口調だと、まず僕は思った。最近娘のしゃべり方が妻に似てきて、どきりとするときがある。そして、彼女は駄菓子がほしいわけではなく、明らかに興味本位であることが見てとれる様子だった。そのときの娘は、今まで何度も繰り返された、毎回変わり映えのしない父親との散歩の最中に、なにか面白おかしなことが起きることを期待していた。
 天気の良い日であったのに店内は薄暗く、ガラスの引き戸はレールに埃が溜まっているのか、開くのに多少の困難を感じた。
 店内左手、僕の膝の高さのところに、駄菓子が並んだ商品棚があり、右手奥に老婆が座っていた。彼女は僕たちの姿を認めると、
「いらっしゃい」
 と眩しそうな笑顔で言う。駄菓子なんかに普段興味を示さない娘が起こした気まぐれに、僕は途端に申し訳なさを感じた。それは娘も同じだったようで、
「こんにちは」
 と挨拶を返す娘の小さな声に、後ろめたさが滲んでいるような気がした。しかし、それでも彼女はまだ子どもらしい心も充分に残していて、すぐに老婆から駄菓子の並んだ商品棚に目を移し、
「わあ」
 とこれまた小さな感嘆の声を上げた。しゃがみ込んで、彼女にとっては物珍しい駄菓子を物色している。僕は視線をやるところに困って、なんとなく店内の右側に吊り下げられた、アイドルの生写真や、紙袋に入った発泡スチロール製のソフトグライダーを眺めていた。
 その中に「ようかいけむり」という文字を見つけて、僕の記憶は子ども時代に味わったことのある、ある種の指の感触を急激に手繰り寄せた。
 「ようかいけむり」は葉書ほどの大きさの紙状の玩具で、二枚の紙が貼りあわされている。開くと、中には白い糊のようなものが塗り付けられている。それを人差し指に擦り付け、親指とつけたり離したりを繰り返すと、指からけむりのようなものが立ち昇ってくる。
 ようかいけむりのことなんて、この瞬間まで記憶の中から消えていたが、その懐かしいパッケージを目にしたら、急に指先にあの感触が蘇ってきた。
「パパ、私これにする」
 懐かしい記憶との邂逅を、娘の声が唐突に遮った。
 娘が僕に掌を見せてくる。そこに乗っていたのは、手の中にすっぽり収まってしまうほどの、小さな菓子だった。パッケージに、五円玉の絵が書いてある。中には五円玉をかたどったチョコレートが入っていたはずだ。
「いくらなの?」
 娘は聞いた。
「五円だよ」
「本当に五円なの!」
 僕が答えると、娘は心底おもしろそうな声をあげる。
「パパの子どものころも、五円だったんだ」
「へえ、じゃあ三十年近く値上げしないで売ってるわけか」
 娘の関心したような声は、どこか嘲笑に響かないでもなかった。
「ひとつでいいの?」
「六個買う」
「なんで六個?」
「パパとママと私で、二枚ずつね」
 他にほしいものはないかと尋ねても、娘は首を横に振った。たった五円の菓子を、ほんの六個。それも自分は二つ食べれば満足だと言う。彼女の無欲さは、僕の心に不思議な響き方をした。別に家族思いなところに胸を打たれたわけではない。そうではないが、なんだろう。
 僕は尻のポケットから財布を取り出し、娘に五十円玉を差し出す。娘は左手、チョコレートが乗っていないほうの手でそれを受け取り、僕に言う。
「ありがとう」
 そういえば、五十円足らずで身体を売る少女が、この地球上には存在したな。しかも、僕はその娘に会ったことがある。
 忘れ去られたはずの記憶の発露は、思えばいつも唐突だった。

 あの日、バングラデュは雨だった。少女もずぶ濡れだった。その少女と、砂利の駐車場で裸で抱き合っていた浮浪者ふうの男も。駐車場では、売春業を取り仕切っているらしい若い男が、僕たちに同行した通訳にベンガル語でなにか捲し立てていた。買う気がないなら立ち去れと言っているらしい。
 通訳は男に背を向け僕の肩に手を置き、この場を立ち去ろうと言うような合図をしたが、僕の顔を見てから言った。
「四十円だって」
 無論、少女の値段だ。
 僕はその日、青年海外協力隊の一員として、その場にいた。小さな少女が浮浪者相手に四十円で体を売っている光景を見るまでは、そのつもりだった。

  その夏、僕は青年海外協力隊の学生ボランティアとして、バングラディシュにいた。
 ベデと呼ばれる非定住民族に、予防接種の必要性を説くこと。それが僕たちボランティアに課せられた仕事だった。
 ベデというのはベンガル語でへび使いという意味だ。その名のとおり、彼らは普段へび使いの見せものや手品で生活費を稼いでいる。当時はベデの子どもたちの、ワクチン未接種が問題になっていた。麻疹や風疹など、予防接種をすれば防げる病気がたくさんあるのに、彼らは自分の子どもたちにそれを施そうとしない。占いや呪術も用いる彼らには、予防接種の重要性がいまいち理解できていなかった。
 また、ベデは決まった住居も持たないため、子どもたちが近隣の学校に通うこともない。大人たちは、子どもたちが学校に行くよりも、早くへび使いや手品を覚えて稼げるようになってほしいと言う。
 僕たちはベデと接触を計ったが、せっかく彼らの青いビニールシートで造られたテントを見つけても、数日後には跡形もなくなってしまう。運よく彼らと話すことができたとしても、僕たちの言葉は彼らには届かなかった。僕が拙いベンガル語でどんなに予防接種の有用性を説いても、にやにや笑っているだけで聞いているのか聞いていないのかよくわからない。
 彼らは傍においた袋からへびを取り出して、
「見たんだから金を払え」
 と僕に掌を示す。
 払えないと言うと、じゃあ帰れと顔を背ける。通訳兼ガイドとしてついてきた、バングラディシュ人の男に、目で助けを求めるが、彼は口元だけで笑って首を傾げるだけだ。何回かの無駄な言葉の往復をしたあと、仕方がなく僕はその場から立ち去るが、ボランティア活動をした帰り道では、高確率で大雨に襲われる。
 そのとき、バングラディシュは雨季だった。
 大雨と言っても、日本で遭遇する夕立のような生やさしいものではない。降ってくる雨が小石のように僕の頭を、頬を、肩を、ばちばちと叩くような、痛い雨だった。水はけの悪い土の地面が、あっという間に全面水溜まりのようになる。歩くたびに、ばしゃばしゃと泥水が跳ね返り、僕のズボンどころかシャツにまで泥が飛ぶ。
 ガイドの男を横目で見ると、彼はどこで拾ったのかよくわからない薄汚いビニール袋を手にしていて、それを僕にかけてくれた。僕たちはひとつのビニール袋の下に二人でおさまりながら、とぼとぼと歩いた。雨のせいでむうっとする空気の中で、土の匂い、ガイドの男の汗なのか体臭なのか、独特の甘くて酸っぱい臭いが、ビニール袋の中で充満した。雨粒が袋を叩いてばさばさいう音、水たまりを踏んで歩く、濡れてぐずぐずになった靴のインソールを踏む感触。
 そのうち雨は上がり、雲の隙間から傾き始めた陽光が街を照らした。あっという間に気温が上がり、濡れた体をもうもうとした熱気が包む。僕は、このまま協力隊の宿泊所に帰りたくない、と思った。また今日も、成果がなかったことを報告しなくてはいけない。僕は協力隊としてここに来たことを後悔し始めていた。
 協力隊に応募するときの面接では、「人の役に立ちたい」と大言を吐いたが、心のどこかに、これから控えている就職活動のことが散らついていた。ボランティアに参加しておけば、就職するときに有利だろう。そのときの僕はそう考えていたが、それは就職活動でアピールできるような見どころが僕にはなにもない証拠だった。慌てて人助けに目覚めたところで、企業がそれのなにを評価するというのか。
 考えれば簡単にわかることだが、そのときの僕は事実に気がつくのが怖くて、ボランティアの精神の中に卑小な自分を埋めてしまうことにした。
 しかし、そんな僕が海外に渡ったところで、なにができるというわけでもなかった。
「マーケットで一緒に夕飯を食べないか?」
 ボランティアの中でもあまり馴染めていない僕を気遣ったのだろうか、ガイドの男は優しかった。僕は宿泊所にはまっすぐ帰らず、彼の誘いを受けることにした。
 その夕食の場で、僕たちはどんな会話をしたのかあまり覚えていない。というか、ほとんど会話らしい会話もせずに、黙々と食べていたのではないかと思う。ときどきその沈黙を区切るように、どちらかがぼつりぼつりと、天気の話だとか、明日の予定について話す。だけど僕は特に気詰まりではなかった。たとえ盛り上がらない夕げの席でも、彼が僕を誘ってくれたことが嬉しかった。彼との沈黙は突き刺さるような沈黙ではない。僕は協力隊で関わる人間の中で、彼に一番の安らぎを覚えていた。

 路上で春を売る少女に出会ったのは、そのガイドとの食事の帰りだった。店を出て宿泊所に帰るため、僕たちはマーケットを横切って歩いていた。 
 その路地の脇の空き地で、人が横たわっているのが暗がりの中に見えた。僕は一瞬人が倒れているのかと思い、ガイドの名を呼ぶ。
「ねえ、あれ」
 ガイドは僕の指し示すほうを見やったが、すぐに目をそらして僕の前を歩き始めた。
「あれは、なんでもない」
 なんでもないわけがあるか、と言おうとして、僕はすぐに気がついた。あれは人が倒れているのではない。人間が二人、重なり合っている。しかも、下になっているのは年端もいかない少女、彼女に覆い被さっているのは、薄汚い浮浪者ふうの男だ。
 ガイドは僕の腕を掴んで進ませようとしたが、僕はその場から動けなかった。
 こちらに走り寄ってくる人影が見えた。気がつかなかったが、その場にはもう一人いたようだ。若い男だ。ベンガル語で僕に向かってなにかを捲し立てるが、早口でなにを言っているのかよくわからない。
 ガイドが僕に言った。
「買うのかって聞いてる」
 買う? その少女のことだと気がつくまでに数秒かかったが、僕がなにも言えないでいる間に、男はさらにしゃべり続けた。ガイドが彼に応じる。しばらくやりとりを続けたあと、ガイドは言った。
「四十円だって」
 それが、少女の値段だった。


 僕は、自分の娘の掌に置いた硬貨の感触を指先で確かめながら、あの夜のことをを思い出していた。
 なぜ、今。
 わからなかった。
 あの夜を境に、僕はさらに青年海外協力隊の活動に身が入らなくなった。そしてなんとなく日々の活動をこなし、なんとなく帰国し、その後就職活動で、建設会社の内定を得た。
 おれはこのまま海外で人のためになる仕事をするんじゃなかったのか。
 そんな問いさえ、出てこなかった。企業の面接でも、海外でのボランティアをアピールすることさえなかった。あの夏の記憶は、僕は誰かの役になんて立てないという自覚とともに、封印してしまったはずだった。

 僕の娘の頬の丸いラインは、バングラディシュで見た同じ年頃の子どもたちのそれに似ている。最後の純粋な子ども時代の楽しみが詰まっているような、これから迫ってくる大人になることへの不安で今にも萎んでしまいそうな、儚げな膨らみ。
 僕は心底、娘がバングラディシュに産まれていなくてよかったと思い、彼女の手を五十円玉ごと握りしめた。そして、なにも変わっていない、成長していない自分に気がつくのだ。
「お父さん、どうしたの?」
 ただ、娘の声だけが、今あるこの世界で僕を捕らえていた。

コメント(19)

もっと長くする予定なのですが、時間がないので、未完成のまま提出いたします。
たぶんいろいろ間違っている描写があるかと思うので、バングラディシュや青年海外協力隊に詳しい方がいたらいろいろ教えていただきたいです。
参考文献を載せ忘れました。

「写真増補版-神の棄てた裸体−バングラデシュ編−」石井光太
今読み返していて自分で気づいてしまったんですが、バングラディシュじゃなくて、バングラデシュですね?やだちょっと恥ずかしい、と思ったんですが、敢えてこのままにしておきます……読んで無知を笑ってやってください。
東京の区部辺縁な僕の住まい周辺でも40年くらい前までは、残穢のように佇まいがあった駄菓子屋の菓子が目に浮かんでくると共に…無邪気な娘さんの姿とバングラデシュの少女の落差から余計に心に刺さります。
>>[6]
ご感想ありがとうございます!少女たちの対比?が伝わってよかったです。できたらもう少し長くする予定なので、バングラデシュと日本の都市の風景の対比とかも、もっと盛り込んでもいいかなと思いました🤔
青年海外協力隊のくだりは、リアリティがあって、ご自身の実体験をアレンジしてお書きになったのかと思いました。
コメント欄見て、フィクションだったことにビックリしました!
>>[8]
ありがとうございます!青年海外協力隊とベデのくだりは、ネットや本で調べて書いたのですが、参考文献として載せるべきでしたあせあせ(飛び散る汗)時間がなくて、コピペではないけどいろんな体験記を改変して載せてる感じになってしまったので、著作権&小説としてちょっとアウトな感じです。
でも、青年海外協力隊の、しかも学生の子がガイドと組んで2人で活動するなんてありえるのだろうか?(普通はもっと団体で動きそう)とか我ながら疑問に思ったので、もっとリサーチして作品の密度を濃くしたいところです。
とりあえず物語の骨子として、こんな雰囲気のものを書きたいなという感じで載せてみました
かとうさん、こんにちは。私はもう会には参加していないのですが興味深く読ませて頂きましたので、コメントすることをお許しください。

「そのときの僕は事実に気がつくのが怖くて、ボランティアの精神の中に卑小な自分を埋めてしまうことにした。」
「あの夏の記憶は、僕は誰かの役になんて立てないという自覚とともに、封印してしまったはずだった。」
といった表現が非常に心理描写巧みですね。
シンプルでテーマがはっきりしているので、この文量でも十分いいと思います。
私も身につまされました。ボランティアをはるばる海外で行うという志高い行為をしても、そこで最も意識させられたのが性欲という極めて卑近なもの、誰もが抱える罪の意識であって、そして海外から持ち帰ったのが「せめて私はその罪を犯さないようにしよう」というだけの思いだったという矮小さ。若い時はイノセントで、何者かになりたいと本気で思っている。しかし役に立てないどころか、自分も悪に加担するかもしれない原罪意識すら自分の中にあることに気づいて段々イノセントではなくなり、実際のところこのたった一度しかないはずの人生は、ただ何も起こさず生ききるだけで御の字じゃないか?という考えに収束し、結局何者かになるのではなく平和な家庭人に落ち着いていく、そういう道程は、葛藤を伴いながらも男性は誰もが通っている気がしました。
そして「何も知らない我が子を守れるのは自分しかいない」という事への責任感を、自分自身にもそういう側面があると知っていながら持ち続けて生きるのが父親であり、重いと思いました。

読ませて頂きありがとうございました。
>>[11]
ご無沙汰しております!しっかりと読み込んでくださりありがとうございます!とても嬉しいです。
そしてもしかしたら、自分も罪に加担してしまうかもしれない、この主人公の思い、たかーきさんに書いていただけて初めて気付きました笑。そうですよね、買うかって誘われたんですよね。そりゃ自分も買うかもしれないわけですよね。
言われて初めて気がつく私の間抜けさを笑ってやってください……
なんとなく表現したかったのは、ここで、可哀想なはずな少女に同情するどころか、「うわぁ、汚ねぇ」と引いてしまう主人公。そして、子どもを育てていると、「おれの子どもさえ元気に育ってくれたら」みたいなことを、心のどこかで願ってしまうと思うので、そういうところを表現してみたかったりしました。
愛と責任が深いとともに、その影も濃くなっていくのではないか、というのを子育て中に実感したので、そのところを書いてみたかったのですよね。
上記のところ、もう少し濃密に書ける気がしたので、もう少し加筆頑張ろうかなと思います。

とにかく、たかーきさんの感想で、物語の新たな側面が見えてまいりました!丁寧に書いてくださりとても嬉しかったです。ありがとうございました顔(笑)
青年海外協力隊は何をもたらしたか: 開発協力とグローバル人材育成50年の成果
岡部恭宜

参考文献は上記です!その他ネットとかの体験記と合わせて、ベデとはなにかということ、彼らに予防接種の必要性をとく仕事があるということ、を記述しました。
が、もう少しベデについて調べて自分の言葉で咀嚼しないと、著作権的にどうだろう、と思いましたあせあせ(飛び散る汗)
誰にもふとした瞬間に立ちあがってくる昔の風景があります。主人公の場合、人生のいろいろなシーンで繰り返し立ちのぼってくるのは、バングラデシュで経験した信じられない光景だった。それを導く出だしの平和で余裕のある日常との対比が見事です。この温度差みたいな対比を使う小説のコツを学ばせてもらいました。
>>[14]
ご感想ありがとうございます!
おっしゃる通り、さまざまな対比を意識して書きました。対比は創作ではよくある手法かもしれませんが、創作初心者として、この対比を丁寧に描くことが大切かなと思いました。
まだ作品として丁寧には程遠いので、みなさまの感想を参考に、さらに充実したものを作っていきたいと思います。
みなさまに読んでいただき、感想をもらい、さらに作品をブラッシュアップできる……文芸部の素晴らしさの一つですね。このような機会を設けていただきいつもありがとうございます顔(笑)
すごい作品だ…と圧倒されました。
圧倒的な貧しさや不幸を目の前にし、いったい自分は何ができるのかというテーマは、
今、世の中的のも関心が高いと思いますし、自分自身も強く惹かれた題材でした。

この世界観を描くため、きっとすごく勉強されたのだろうと想像しました。
知識を学ぶことは大切ですが、それを自分の言葉で表現するのはまた別次元の話であると思います。
かとうさんはそれを見事に表現されていて、もう尊敬しかないです。

序盤の「彼女の無欲さは、僕の心に不思議な響き方をした」という表現が好きです。
あいまいな、しかしこの後の展開を予感させる一言だと思いました。
駄菓子屋のシーンに自分も懐かしさを覚えて、共感してこの物語に入り込んだ途端にメインの衝撃的なシーンです。してやられた感がありました!

あとは、コメント欄を見て、主人公が「汚ぇ」と引いていたことを知って驚きました。
話に共感して、自分もバングラデシュで少女を見ているだけしかできない感覚だったせいもあり、
何となく、いい話風に読めてしまっていました。受け取り方が読者によって異なるのも、魅力的な読み物の特徴だと思います。

長文失礼しました。
>>[16]
なんと、もったいなきお言葉!とても嬉しく思います。調子に乗ってしまいそうです。

「彼女の無欲さは〜」気付いてくださって嬉しいです。ちょっとわざとらしいかとも、迷った表現ではあるのですが。
受け取り方が読者によって異なる、本当に、その通りですね。表現したかったのは家族や愛が持つ二面性というか光と影で、いい話と言えばいい話なんだと思います。
作者の力量とか表現の仕方でいろんな側面を強調できるかと思うので、もう少し書き方を練ってみようと思います。

本当に、みなさまいろいろ感想書いてくださるので、創作の大いなるヒントに繋がっています。執筆の背中を推してくださるようなお言葉、ありがとうございました!
>>[18]
読んでくださりありがとうございます!
映画のよう、心がぐらぐら揺さぶられる……書き手として、嬉しい言葉ばかりです泣き顔
なかなか書き出すのは怖いことですが、いつも文芸部のおかげではじめの一歩が踏み出せています。これから作品をどんどんよくしていこうと思います。
いつもありがとうございます!

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