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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第七十六回 かとう作 「夕陽を見たあとに」(1)

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(連作の第一回目です)

 レモン、それは黄色い。
 レモン、それはすっぱい。
 レモン、思いの外ごつごつしている。
 掌にのせるとひんやりと冷たい。レモンらしい、レモンたる重みとしか言いようがない質量が伝わってくる。

「この、レモンをね」
 島田貴志は、半分に輪切りにした生絞りレモンサワー用のレモンを、自らの右耳の横あたりに掲げ、
「握りつぶしてまほちゃんの顔にぶちまけまーす」
 私の顔に向かって振り下ろすような仕草をした。深夜一時。信じられないほど安くて信じられないほど薄いお酒が飲める、チェーンの居酒屋で。
 島田貴志の面白くもない冗談に、勝手に口から「ふはは」と空気が抜けるような笑い声が出た。
「なんでだよ」
 久々に飲み過ぎて、ろれつが回っていなかったかもしれない。
 三回目のデートだったはずだ。一軒目はこじゃれた感じの田舎風フレンチだったのだ。そこまでは調子がよかった。そんなフレンチとは落差のありすぎるこの居酒屋で、ムードもへったくれもない蛍光灯の照明が煌々と私たちを照らしていて、今更「メイクが崩れているかも」と私はそわそわし出した。
 週の真ん中のこんな時間で、店内には私たちと近所の大学生たちしかいなかった。
 どうしてこんなことに、と私は考えた。しかし島田貴志は律儀に、私のさっきの問いに答えた。レモンを握ったその手をそっとテーブルに下ろし、そのレモンに視線を向けながら。伏し目がちになった島田貴志のまつげが意外と長いことに気がついた。
「まほちゃんが変なこと言うからだろ」
 変なこと。一軒目のおしゃれな田舎風フレンチから、二軒目の激安チェーン居酒屋に行くまでの間だ。その時は、私は自分が変なことを言っているように思わなかった。思わなかったのだが、目の前で島田貴志のテンションがしゅーっとしぼんでいくのを見ると、やっぱり私はまずいことを言ったのかもしれない、と思う。
 いつも考える、私は、目の前の男を(その男はその時々で変わるわけだが)、一体どう扱えばいいのだろう。酔いなのか眠気なのかわからないが、とにかく働かない頭であの分かれ道について頭を巡らせてみた。

 あれはきっかり一時間前。島田貴志と私は文字通り分かれ道に立っていた。こじゃれたフレンチレストランで美味しい料理とワインを楽しんだ後。そのY字路を左に行けば渋谷駅へ、右に行けばホテル街へ。
 三回目のデートだ、そろそろいいんじゃないかと思っていたのだが、あろうことか島田貴志は言ったのだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
 アウトドア派の島田貴志は、家が遠くないので自転車で来ていた。そして、私を駅まで送ろうと言った。え、今から帰れと? まだ9時だよ。この時点でそこそこ酔っていた私は勢いに任せて言った。
「ホテル行きましょう」
 単刀直入に。島田貴志は言った。
「え?」
 え? じゃなくてさぁ。二度も言わせるなよ、と思った。そのことに気づいたのか、島田貴志は驚いた顔をした後、少し困惑して考え込むような顔をした。そしてまた言った。
「それはちょっと早いんじゃない? 俺たちまだ付き合ってもいないし」
 島田貴志は「まだ付き合っていない」と言ったのだ。私は島田貴志とこれから深い関係になるつもりはない。私は端的に告げた。
「そうじゃなくて、体だけでよくないですか?」
 島田貴志の顔から、ひゅうっと表情がなくなった。出会って初めて島田貴志の怖い顔を見た気がして、その顔がちょっといいな、と思った。島田貴志は私の手首をむんずと掴んで、「ちょっと、ちゃんと話そう」と言ってそのへんの適当な居酒屋に入ったというのがことの顛末であった。

 そして話はレモンに戻る。いや、温厚な島田貴志がレモンをぶちまけたくなる私の態度について、だ。
「ぶっちゃけて言うと、俺は結構まほちゃんのこと好きになってたよ」
「過去形かぁ」
「揚げ足とるなよ」
 島田貴志は照れくさいのか、うつむきながら言った。
「結構真剣に考えてたのに、いろいろショックだよ。遊ぶ相手にしか見れないってこと?」
「遊ぶとかそういうのじゃなくて」
「実は彼氏いるの?」
「いませんよ?」
 なぜか挑むような口調になってしまった。恋人はいない、というか、いたことがない。島田貴志は額に手を当てて、深いため息をついた。レモンのまだ入っていないレモンサワーの入ったジョッキを左手に握りながら。
 私は何も言わずに島田貴志の手からレモンを受け取り、絞り器にかけた。手に触れた瞬間、島田貴志の肩がびくっと動いたが、島田貴志はその体勢を崩さなかった。私は何にも気づいていないふりをした。
 レモンを絞る。考えてみれば、レモンを搾るのは久しぶりかもしれない。というか、私の暮らしている範囲で、レモンを絞ることなんてそうそうない。レモンを搾ったことなんて、小学生以来ないんじゃないか? とすると、十数年ぶり?
 なんとなく絞り器にレモンを押しつけながら、私はずっと同じ体勢で考え込んでいるように見える、島田貴志を観察した。彼は大学の研究室に勤務しているとのことで、いつも比較的ラフな格好をしている。というか、都会の大学生がそのまま大人になったような格好だった。今日はざっくりした紺のニットの下に、青いオックスフォードシャツ、ベージュのチノパンという格好だった。シャツの首元から自然に日焼けした肌がのぞいている。山登りやキャンプが好きで一人でも出かけていくと言っていた。首元に赤い湿疹がある。少し肌が弱いのかもしれない。
 その首元の上の、顔半分は島田貴志の手に隠されて見えない。島田貴志はずいぶん長いこと、額に手を当てて考えていた。奥二重だが目は大きくて、眼差しが強い印象だ。鼻筋は通っているが鼻翼が少し横に広がっていて、立派。唇もどちらかというと厚い。童顔な人だと思う。あんなにお酒を飲んでも顔色は少しも変わらなかった。最初会った時は若い印象を受けたが、肌をよく観察してみると深夜一時の30過ぎた男の肌だった。心なしか、午後七時に渋谷駅で待ち合わせた時よりも、髭が濃くなっている気がする。
「よくわからん」
 もしかして寝てしまったのだろうかと思うほどの沈黙が続いた後、島田貴志はようやく動き出し、天を仰いで言った。本当にずっと考えていたらしい。そして座り直して続けた。話す時に人をまっすぐ見る人だな、と思う。
「体だけの関係でいい、俺とは付き合いたくない、でも他に彼氏はいない。そういうこと? まとめると」
「大体合ってるけど、島田さんとはっていうか、彼氏はほしくないんです」
「もう貴志でいいよ。敬語もやめて」
 また島田貴志は考えた。今度は手に口を当てて。そして私の手からレモンと絞り器を奪い取り、絞り始めた。
「まほちゃん力よわ! 全然絞れてないよ」
 そう言いながら、ぎゅうぎゅうとレモンを押しつける。ぶしゅぶしゅと言いながら汁が絞り器に落ちる。島田貴志の大きな手の中でレモンはみるみるうちにしぼんで小さくなり、少し可哀想に見えた。
「こういうの見てさ、うわ、力強い、かっこいいとか、思わない?」
「思いません」
「あっそう」
 島田貴志は絞ったレモンをジョッキに注ぐ。こぼれないように慎重に、丁寧に。レモンを搾るところから一連の動きを見ると、大胆さと丁寧さが居心地良さそうに同居していて、それがいいと思った。セックスも上手かもしれない。
「まほちゃんは、最後に彼氏がいたのはいつ?」
 これには正直に答えるしかない。
「彼氏とかいたことないです」
「えっ、嘘」
「処女ではないです」
「経験人数とか聞いてもいい?」
 この質問には少し考えた。あれを経験に入れなければ、ちゃんとした人数は恐らく、
「二人」
「へっ」
 島田貴志は変な声を出した。
「まほちゃんは、今二七だよね」
 そして腕組みしてうーん、うーんと唸りだした。わかりやすい人だ。
「よくわからない、なんかよくわからない」
 そう言えば、もう敬語じゃなくていいと言われたことを思い出した。少しずつため口を混ぜていこう、と私は考える。
「わかんない?」
「わかんない」
「じゃあ島田貴志のことを聞こうかな」
「なんでフルネーム?」
「島田貴志は彼女はいないんだよね? しばらくいないの?」
「フルネームやめて。貴志でいいじゃない」
「島田貴志って名前の響きが好きなの」
「じゃあ俺のこともちょっと好きになってくれてもいいじゃん」
「そういう問題じゃないと思うんだ」
 島田貴志と話していると心地いいが、あまり話はかみ合わないのだった。
「じゃあ私のこと好きって言える? まだ三回しか会ってないのに?」
「好きになれると思った。けどなんかわかんなくなった。そして俺はここ三年彼女がいない」
 たぶん、この人の素朴で簡潔なしゃべり方が好きなのだろう。しゃべり方が好き、童顔だけど意外とちゃんと年をとっている見た目が好き、名前の響きが好き。だけどそういうことと、その人の本質が好きだと言えることに、どれだけ隔たりがあるのだろう? だから私は恋愛を信用できない。その結論が、
「彼氏はいらない」
 そうつぶやいてみたが独り言のようにしか響かなかった。島田貴志はなにも言わなかった。島田貴志への要求に対して、私はもっと積極的に自己開示していかないといけない、そうじゃないと彼も決断のしようがないだろう。そう思い、私は意を決して話し始めた。
「私恋愛したくないんです。あんまり男の人って信用できなくて。だけどセックスはしたいんです。でも不特定多数の人とするのって、女にとっては危ないでしょ? そういうことに、高校生の時に気づいたの。だから、特定の人とそういう関係になろうと思って。大学の時は先輩が相手だったけど、先輩が先に卒業しちゃって。その後は仕事の関係で知り合った人としてて、でもその人がこの間結婚するって言い出して、じゃあもう終わりだねってなって。ちなみに私は定期的に性病の検査とか健康診断してるし相手にもそうしてもらってたし、ピルも飲んでるし大丈夫!」
 一気にしゃべったら喉が渇いた。私はウーロンハイを喉に流し込み、ふうっと息をつく。
島田貴志は唖然とした顔で私を見ていたが、すぐにそのへんの店員を呼び止めて、「すいません、お水」と言った。
 そして私に言った。
「それで俺に白羽の矢が立ったわけだね!」
 島田貴志は急におどけた。「光栄だ!」と。が、またため息と思索だ。今度は眉間に手を当てて目をつぶっている。考える男の姿は好きだ。
「なんで俺?」
「信頼できそう、セックスがうまそう、好ましい」
 島田貴志とは知人の紹介で出会った。友人夫妻と島田貴志と四人で、友人宅で食事をしたのだ。友人も友人の旦那さんからも、島田貴志の評判はよかった。好青年だけど、しばらく彼女がいないと。私が友人宅で飲み過ぎてつぶれて寝てしまった時、そっとタオルケットをかけてくれたのも、紳士的でいいと思った。
 だけど、島田貴志は、小さな声で「信頼できるかわかんないし、セックスはうまくないんじゃないかな」と独り言のように言った。そしてまた私に向き直り、
「好ましいっていうのは好きっていうこと?」
「違います」
「まほちゃんって変わってるよね」
「引いちゃったならいいです、別に。でも男として悪くなくない? この条件」
「俺はなんか嫌いだ、そういうの。男はってひとくくりにされるのも」
「じゃあいいです」
「他に当たる?」
「そうね」
 島田貴志はうん、と頷いた。
「やっぱり、なんか、全体的に嫌だ。まほちゃんは、なんだろう、強がってない?」
「私もそういうの嫌い。勝手に人のこと分析して私の心に入り込もうとしてない? そういうの、仕事柄?」
 島田貴志は大学に残って発達心理学の研究をしていると言っていた。だけどこれは失言だったかもしれない。島田貴志はちょっとむっとした顔をした。
「そういうのじゃないよ。ただの感想だ。なんていうかさ、こういうのって、男女間の友情は成立するかとか、体だけの関係は成り立つかとか、そういう基本的な価値観に基づくもんだよね、って思って」
 それはそうかもしれない。
「その価値観において、俺たちは食い違ってると思う」
 だったらそれこそ交渉決裂か。
「でも、そもそも人間は、自分が自覚してる価値観に、そんなに厳格に従いながら生きてるかって言ったら、そうでもないと思う。特に性愛に関しては」
「そうね。でも、私は体だけの関係に情がわくタイプじゃないと思う」
「俺はね、付き合う前にそういうことするのは嫌なタイプだ、というかそういうことは今までなかったよ。だから今どうしていいかわからないし、なんかやっぱり体の関係を持ったらもう元に戻れないものがある気がする」
「その瞬間に相手への興味を失う?」
「そういうことでもないんだけど。うーん、うまく言えないな」
 島田貴志はレモンサワーを飲んだ。ごくりとのど仏が動いた。早くそののど仏に舌を這わせてみたいな、と思う。
 その時店員が「お水お待たせしましたー!」と陽気にやってきた。若い女の子で満面の笑みだったがその目の下にはクマがあった。「ありがとう」と島田貴志が言った。私はお水を飲んだ。島田貴志は無言でレモンサワーを飲んでいた。そんなペースで飲んで大丈夫? と聞きたくなるほどごくごく飲んだ。でもこの店のお酒はずいぶん薄い。二人の間にしばらく沈黙が走ったが、その間を大学生の騒ぎ声が埋めた。
 この間は嫌いじゃない。そういう気持ちと酔いのせいで島田貴志の手を握ってみたくなったが、それはやめておいた。
 島田貴志が沈黙を破った。少しだけ鼻にかかった低い声。
「まほちゃんが言う条件に、俺が乗れないって言ったらどうする? 俺はまほちゃんとそういう関係になれない」
「じゃあもう会えない」
「なんで? 普通に会ってお互い知っていきたいと思わない?」
「思わない」
 本当は思わないわけじゃない、かもしれない。
「じゃあ俺フラれたな」
 島田貴志は言った。立ち上がり、「帰ろうか」と島田貴志が言う。その瞬間に、少し気持ちが揺らぎそうになる。
 私を動かしているのはなんだろう? 島田貴志が言うように、本当は信用ならない人間の価値観? それとも怖いだけなんだろうか。
 でもこれで終わったんだなと思う。また違う人を探すしかない。


 目が覚めるとそこには知らない天井があった。知らない天井、妙にふかふかして柔らかすぎる枕、手を伸ばすと右手にごつんとぶつかる硬いベッドパネル。どこかのスイッチを押してしまったらしく、その瞬間にラジオが大音量で流れ出した。
「うわっ」
 隣でベッドに腰掛けてスマホを見ていたらしい島田貴志が、驚いて声を上げた。急いでラジオを消す。
「びっくりしたー」
 その時私は自分がラブホテルにいることに気がついた。
「うわぁ、寝てた。今何時ですか?」
「朝の六時」
 島田貴志がため息交じりに言った。
「俺今日仕事だから。まほちゃん休みだよね? そのへんで朝ご飯食べてく? ちょっと俺シャワー浴びてくるね」
 立ち上がった島田貴志の後ろ姿を目で追う。Tシャツに下はボクサーパンツだ。その姿で寝たのだろう。私は昨日の格好のままで、スカートだけ脱いでいた。これは、致してないな、と思う。昨日居酒屋を出てからの記憶がぼんやりしている。
 あの後普通に店を出た。路上で私のためにタクシーを探す島田貴志に、「帰らないで」と泣きついた。そして急に気持ちが悪くなり、島田貴志の自転車とセーターに吐瀉物をぶちまけた。島田貴志が悲鳴を上げた。
「あああああ」
 今度は私の喉の奥から、我ながら情けない声が出た。やってしまった。シャワー室からドライヤーの音が聞こえてきたので、そっとドアを開けると、島田貴志がパンツ一丁で洗面所に立っていた。
「ちょっと!」
 島田貴志は慌てていた。やっぱりいい体をしていた。日焼けの跡もいい。
「あの、昨日ごめんなさい。自転車、あれ高いやつだよね?」
「うん、すごいお気に入り」
「服どうしたの? 大丈夫? 今日着ていくものある?」
「セーター死んだけど、他は奇跡的に大丈夫だよ。でも今日はシャツ一枚じゃ肌寒いかな」
「ごめん、ほんとごめん」
 急に泣きたくなってしまった。なにやってるんだろう、私は。その様子を見て島田貴志はふっと鼻で笑ったようだった。結構意地悪なところがあるのかもしれない。
「自転車は大丈夫だよ。昨日すぐ洗い流したから。でもセーターがゲロまみれだから、洗って週末までに返してくれる?」
 次に会う口実ができたという笑いだった。

 週末はいい天気だった。島田貴志が住む近くの公園に呼び出された。公園に着くと、島田貴志は池の近くのベンチで珈琲を飲みながら本を読んでいた。
「お待たせしました」
 私はそのベンチの隣に座った。
「おはよう」
 その笑顔が驚くほど柔らかくて、どうしてこの人はこんな顔ができるんだろうと思った。
「何読んでるの?」
「これ? 官能小説」
「嘘でしょ」
 島田貴志は笑った。
「はい、これ、すみませんでした。あの日すぐ消毒してクリーニング出しときました」
 島田貴志にセーターの入った紙袋を手渡す。
「いえいえ。まほちゃん珈琲飲む? あったかいのでいい?」
「あ、カフェラテで」
「はーい」
 島田貴志は近くのドリンクスタンドに走って行った。この間「もう会えない」と言った。言ったからには、と私は思う。今日もセーターだけ渡したらすぐに立ち去る予定だった。
「お待たせ」
「ありがとう」
 島田貴志は珈琲と、スコーンとマフィンを持って戻ってきた。
「どっちがいい?」
「じゃあスコーンで」
 マフィンを珈琲で流し込む島田貴志を横目で盗み見る。その目が穏やかに笑っていた。私にまた会えて嬉しいという喜びではない気がした。この人はただ、こういう天気のいい日に、公園のベンチで珈琲を飲む時間を楽しんでいるのだった。
「いい天気だね」
 その証拠に、本当に気持ちが良さそうに言う。なんだか身を任せてしまいたい気分になった。考えても無駄なことはたくさんある。だけどどこかで流れに抵抗したい私がいる。それでも今のところ、島田貴志にペースを握られている。なぜか一緒に珈琲飲んでるし。案外この人女慣れしてるのかな、と考える。
「この後どうする?」
 島田貴志が当然のように聞いた。この間のことをなかったことにするつもりなんだろう。それで、このままずるずる会って私の心をゆっくり開いていくつもり? 意図は透け透けだ。そうだ、島田貴志は今もなんだかしたり顔で笑っている気がする。悔しい、なんだかそういうのは悔しい。
 いろいろぐるぐる考えているのが見てとれたらしい。島田貴志はまたふっと笑った。
「大丈夫だよ、全部覚えてるよ、この間のこと」
「全部……」
「もう会わないって言ったことも、それなのに帰らないでって泣いたことも、俺の自転車にゲロぶちまけたことも」
 もう消えてしまいたくなる。
「とんでもねぇな」
 おっしゃる通りだ。島田貴志はくふふと笑った。おかしくて仕方がないらしい。そして言った。
「いいよ、しても。俺の部屋でいい?」

 島田貴志はやっぱりセックスがうまかった。うまいというより丁寧だった。派手ではないが、過剰なところも至らないところもなかった。奢ったところもちっともなかった。思いやりがあふれていると思った。私の目に狂いはなかった。
「そんなに大したことなかったでしょ」
 だけど、島田貴志は隣に寝そべりながら言った。パンツだけ履いて腹ばいになっている。
「すっごくよかったです……」
「そう、それはよかった」
 島田貴志はどこか照れくさそうだった。
 時計を見ると、まだ12時代だった。一日が長いな、と思った。そう思えるのはなんだか幸せなことだ。
 島田貴志の部屋は島田貴志らしい部屋だった。ほどよく散らかっていて、でも雑に掃除をした後はあって、本とDVDがたくさんあって、家具にこだわりはないらしく、学生の部屋みたいだった。エスプレッソマシーンだけいいものが置いてあったり無造作にマウンテンブーツやザックが置いてあったりして、そこがやっぱり島田貴志らしかった。
「腹減ったな。なんか食べに行こうか」
 もう少しこの部屋にいたい気もした。

 そして十数分後には、レストランで向かい合ってカレーをつついているのだった。ひたすら無言でカレーを食べた。辛いカレーだった。汗がたくさん出た。
 カレーを食べ終わって水を飲んで、島田貴志が言った。
「この関係はさ、一応お互い一対一で続くんだよね?」
 お互いに不特定多数とはセックスしない。性病のリスクが怖いからだ。精神衛生上もよくない。
「そうね、関係が継続している間は」
「それはほんとに、約束してね」
 テーブルの上の濡れたコースターに目を落として、島田貴志が言った。少し後ろめたいのかもしれない。
「逆に、他に好きな人とかできたらちゃんと言って」
 島田貴志は続けた。でも、私にちゃんと好きな人ができることはないだろう。
「それから、誰かと結婚したくなった時」
 私がそう言ったら、島田貴志は困ったように笑った。それから、島田貴志は律儀に、頻度はどれくらいがいいのかとか、どのように連絡するのかとか、そもそもどんな時に連絡をとるのか、というようなことを確認した。確認したのは以下のようなことだった。
・不特定多数とはセックスしない
・関係を終わらせたくなったら正直に言う
・忙しくなければ最低週一回は会う
・デートはしない。旅行もしない
 そのようにして、私たちの関係は始まった。

コメント(3)

投稿したものをiPhone版mixiのアプリで確認したのですが、なんだか中途半端なところで切れています……
もし同じような見え方の方がいたら、お手数ですがブラウザで読んでいただけると幸いです
>>[2]
早速読んでくださり嬉しいです!むずキュンになってたでしょうか!?
会話を工夫したので、そこに着目してくださって感激です。
ありがとうございます顔(笑)

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