ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半蔵門かきもの倶楽部コミュの第28回 たかーき作「F(仮題)」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
※登場する小説・映画・ドキュメンタリー番組ならびに人物名は、全て架空のものです。





その撮影が行われた時のことを、ニコラは今でもよく覚えているという。
「おいおい、正気か?って思ったよ」彼は言う。「象やキリン、カバまで引き連れて、涼しい顔して私たちの所へ来るんだ。『おい、撮るぞ』って。…そう、この撮影のためだけに、だよ?」

ニコラ同様、元・子役のシャロンも、その日のことは忘れられなかったという。
「当時のことはよく覚えています。ええ。監督が動物をたくさんつれているのをみて、私、すごくはしゃいでいました。そりゃそうよ。まだ10歳の私にとって、それはとてもわくわくするような光景でした。その時はね」

『ここは●●市。当時撮影が行われた街並みのあった場所です。あの絢爛な雰囲気は、どこへやら。今や、すっかり荒れ果てて、まるで映画で使われた、魔法が解ける前の砂漠の街、イズニーベリーさながらです。砂ばかりになっています。いやあ、信じられないですね。』

『おや、坂が見えますね?登ってみましょう。』

『…ね?だんだんと人の住んでいた痕跡が見えてきたでしょう?かつて家が軒を連ねていた場所です。ほら、この長い溝は用水路。彼処には、レンガが積まれていますね?道は…ほら、わかります?石畳が敷き詰められていた跡です。』

…ここに、1940年ごろの実際の●●市の様子を収めた、貴重なカラー写真がある。
この写真を、現在の●●市の様子と比べてみよう。
…この坂を彷彿とさせる道沿いに、白い大理石の家々が立ち並んでいる。まるで現代の風景の方が、40年代より古く、中世にまでタイムスリップしてしまったかのようだ。

『でも、ここが本当にあのイズニーベリーなのか?と思われた皆さん。その証拠をご覧に入れましょう。ほら、ここはあの映画で、愉快な動物達が行進した、王宮に続く道ですよ。
この泥だらけの道。そこにつけられたこのでっかい足跡が、その証拠です。これは、象のエリー。それ以外にも、この小さい特徴的な足跡は?…そう。アヒルのベンですよ!ほらほら、こんな風にして、羽をばたつかせながら、行進していましたよね。グヮッグワッ!グヮッグワッ!ってね』

足跡の付けられたその道には、通常の黄色い砂に混ざって、所々に、今でも白い粉末が散らばっている。

「さらに驚いたのは、監督が連れてきたその動物達みんな、全身を真っ白に塗られていたという事です」ニコラは言う。「でも動物達は、そんな監督に従って、素直に全身にお化粧を施していましたね」
「監督が俳優からだけでなく、動物達からも好かれていたという証拠じゃないかしら?ウフフ」
「ああ、確かにシャロンや動物達には、特に優しかったよね。僕かい?僕には冷たいもんだったよ。ハハハ」





「魔法のチョコレート?」
「これを食べれば、本当の世界への扉が開かれるんだ」
「駄目よ、そんな高級なホワイトチョコレート、私めのような者が食べてはならないわ」
「シャルロット。まあいいから、一口お食べなさい」

「ケホッケホッ。変な味。まるで、砂漠の砂を食べてるみたい。」
「それが、そのチョコレートの味だよ。ほうら、前を見てごらん?」
「…あれっ?ここは、どこ?家の中じゃないの?なんてすてきな街並みなのかしら!大理石の、白い建物が沢山立っているわ!」
「どこでもないよ。君の住んでる町、イズニーベリーさ。」
「嘘よ!ここはイズニーベリーじゃない。イズニーベリーは、黄色い砂漠の街よ!ここは違う場所に決まっているわ!」
「ううん。イズニーベリーが、本当の姿に生まれ変わったんだ」
「あっ、見て!空が、七色に輝いているわ!…まぁ、あれは何?坂の下の方から、こっちへ何かが向かってくる…。あっ!象だわ!キリンだわ!それに、犬や猫、ウサギにアヒル…カバもいる!」
「彼らは、君を迎えに来てくれたんだよ。この世界を代表してね」





「ファンタジー性を損なうことは、監督の意図するところではありませんでした」シャルロット王妃に、真っ白なチョコレートを渡す天使の青年役を演じた、ニコラは言う。「動物達のゴツゴツした肌をそのまま写しては、写実的すぎると判断したのでしょう。動物達を白く塗る事で、彼らを不思議の世界の住人に仕立て上げたというわけです。モノクロを逆手にとって、極めて特異な質感を出す事に成功したのです。…ま、今では出来ないでしょうね。動物愛護団体が、黙っちゃいませんからね」

「怖いと思いました」シャルロット王妃役のシャロンも興奮気味に話す。「全身が白く塗られているんです。でも、出来上がった映像を見ると、確かに彼らは、不思議の世界の住人として写っていました。監督の判断は天才的と言わざるを得ないでしょう。象のエリーや、キリンのアニーなんかは特に。」

シャルロットの住む街、イズニーベリーは、魔法によって黄色い砂漠に変えられただけで、本当は白い大理石の立ち並ぶ、王の住む大都市であると知った彼女。
白い動物たちに連れられ、王宮へ向かう場面は、この映画でも特に評価が高いシーンとなっています。





「ねえ、エリー。この道をずっと進めば、王子様が待っているの?」
「そうだよお!そしてこの世界を元に戻すには、あなたの力が必要なんだよお!」
「グワッグワッ!僕たちみんな、王妃の力が必要なんだ!」
「えっ?待ってよベン。王妃って、誰のこと?」
「あら、決まってるじゃない?シャルロット王妃よ」
「まあ!私と同じ名前の王妃様がいるのね!」
「そうじゃないわ。あなたが、シャルロット王妃よ」
「ええっ?」





『映画では、モノクロの映像が、ここで真っ黒に染まります。そして世界は、万華鏡みたいにぐるぐる回り出す。甲高い音楽とともに、です。
そのシーンは、動物達に視点を向けたカメラを…ほら、こんな感じで、360度回転させて撮影されました。グルグルってね!その時、今まで親しみを感じ、愛らしく見えていた白い動物達が一転して、無機質で不気味で、威圧的ですらある亡霊のように、真っ黒の背景に映し出される。あのシーンは、映画史において今でも語り継がれる手法です』

ある映画評論家は、このシーンには複雑な思いが描かれていると考えている。
「小説では、突然に自分が王妃だと告げられたシャルロットの感情は、不安より希望を主体に描かれていました。もしその調子で撮影されたなら、映画も明るい表現を用いたはずですな。
しかし、監督はそうはしませんでした。映画では、不安に重きが置かれました。そして、より重厚なものに見せるために、あのような、サイケデリックともいえる映像表現が用いられたのです。モノクロの作品でそれが表現できたのは、監督だけと言えましょう。
また、あえてそのような表現を用いたことは、原作が持つ楽天的な雰囲気に対する、監督なりの皮肉だったのだろうと、私は思います。…ま、それが監督らしさなのでしょうな」

『監督は、作品に独自の解釈を加え、自分なりの表現を加えて作品を作りました。
ところで、監督独特の表現の最たるものは、高くそびえる丘の上、城の前でのシーンです。
動物達を連れてきたシャルロットはそこで、イズニーベリーの美しい街並みを背景にダンスを踊るのです』

王子と幸せにダンスを踊るシーンは、原作の小説では名場面のひとつと言われている。
「あれを映像化する事など出来るはずがない」という大方の見方を覆し、監督はそれを謎の技術で実現してみせた。上空から、まるで空撮聳え立つ城を捉え、それを映像化したのだ。1940年当時、一体どうやってあの映像を撮影したのか?小型ジェットを飛ばしたという説もあるが、定かではない。

「私の演じたシャルロットは、私の知っていた原作のシャルロットではなく、別人の『同じ名前の王妃様』でした。
彼女は、真っ白な動物達に対しても親しみと不安というアンビバレントな感情を持っていました。それは、王子様に対しても同じでした。王子様は、優しいのか威圧的なのか、はっきりしないまま、話が進んでいきました。…ええ、常にアンビバレント」

カメラは、彼女の視点から王子の顔を仰ぎ見る様子と、王子の視点からシャルロットの顔を見下ろす様子。この2つを順に、合計3回写される。
…1回目の映像をご覧いただこう。こちらが、大写しになる王子様の顔。雲一つない青空の下、このような表情で見下ろされれば、あなただって、彼に服従しろを言われているかのような気持ちになるに違いない。
続いて、大写しになる、シャルロットの顔。そこに、安らぎは見られない。面白いことに、その背景に写される、街の様子は、あの白いチョコレートによって魔法が解かれる前のイズニーベリーの状態が写されている。つまり、何もない。砂漠である。
…だが、2回目に映像が切り替わる際には、王子は笑っている。彼の上に浮かぶ空には絵の具でマーブリングを施したような、不思議なうねりが見て取れるだろう。
続いてシャルロットの笑顔も大写しになる。背景も、あのホワイトチョコレートを食べた後のイズニーベリー。まるでメルヘン世界から飛び出したような、白を基調とした美しい街並みが連なっている。
…しかし、3回目更にもう一度王子の顔が映され、また威圧的な表情に戻ってしまう。シャルロットの表情に切り替われば、背景のイズニーベリーの街も彼女の心を察したのか、残酷なまでに無機質な、黄色い砂漠に戻ってしまうのだ。





「シャルロット!シャルロット!」
「起きなさい!シャルロット!」
「…あら、お母さん、お父さん。ここはどこ?」
「ああ!良かった!気づいたのね!」
「ここって、お家の中?動物達は、どこ?王子様は?」
「まあ、何をおかしな事を言っているの?」
「母さん、ここは少し休ませてあげよう。おまえも少し無理をしたんだな。よしよし、今日は少し休みなさい」

「…ああ…こうして夜の風景を見ていると、寂しくなってしまうわ。あれはやはり、夢だったのかしら?天使のお兄さんにもらった、あの白いチョコレートを食べて、そうしたら、この砂漠も…この窓から眺める一面の砂漠、何もかもが変わったわ。きれいな空、にぎやかな街並み、動物さんや、王子様…楽しかった。でも、きっと全部、夢だったのね」

「夢なんかじゃないよ」
「まあ!その声は!」
「僕だよ。君が見ていた不思議の世界は、夢じゃない」
「天使のお兄さん!ねえ、本当なの?本当に夢じゃないの?」
「そうさ、君はもう一度、この白いチョコレートを食べて、王子様の元に行くべきなんだ。」
「どうして?どうして私が、行かなければならないの?」
「それは、君が王子様と結ばれた時、このイズニーベリーの街にかけられた魔法が、永遠に解かれるからだよ。さあ、もう一度チョコレートを食べるんだ。何もかもが、君の思い通りになる」





天使の青年役のニコラは、当時をこう振り返る。
「監督に対する悪意もあるのかもしれませんが…、ホワイトチョコレートを食べて本当の世界に行くというのは、ドラッグの暗喩なのではないか、などという指摘が、当時からなされていたのはよく覚えています。あのホワイトチョコレートは、原作には登場しませんでしたし、また動物達も、幻覚を表すための道具として利用されている、ってね。でも、公開から70年が経過し、当時を知る人が殆どいない今、本当の意図は暗闇の中です」

この映画に対する評価は、賛否両論に分かれる。主役を演じたシャロンを含む多くの人々は、その複雑な思いを複雑な思いのまま持ち続けている。
「この映画は…、あー…、一言で言えば、監督らしい作品なんだと思います。私は、王子様と結ばれる事が素直に嬉しい、原作のシャルロットではなく、それに対する不安こそはっきり描いた、監督のシャルロットを演じたまでです。どちらがいいと言うことは、私は言いません。どちらも素晴らしいでしょう。一つ言えることは、当時においてこのようなコンセプトの作品を世に問う事は、あの監督にしかできなかった、ということです」

『原作の映像化ではなく、原作の風刺の映像化、とも言われるこの作品は、監督による多くの皮肉を孕んでいたと言われています。そこを良さと見るか、悪さと見るか。
…さて、ラストシーンは、この海岸で撮影されました。あの、一面が真っ白な海です』

『さあ、付きましたよニコラさん、シャロンさん。ラストシーンのあの海です』
「オー…。これが…」
「変わったわね」
「ああ、あの辺だ。マリー号がとまってた場所だよ」
『あっ、気をつけて下さいね、段差ありますよ』

車椅子のニコラは、この場所に来たのは撮影の2年後が最後で、実に68年ぶりになると言う。
シャロンも、ここは約50年ぶりだという。

『この海が、一面、真っ白に染まっていましたよね』
「全然、痕跡がないな。一面砂浜だ…まるで魔法が解ける前の、黄色いイズニーベリーだ」
「あそこに、灯台があったわよね。漁船も沢山あったわ。そのまま映画で使ったけど」
「こっちに、マリー号がとまってただろう。…こんな感じで、君が海を見て、挿入歌の『この白い世界の向こうへ』を歌うんだ」
『僕も子供の頃、この映画を見ながら何度も歌いました』
「最後に私が、まだ本当の世界を私たちは見ていないのよ、さあ、この白い世界の向こうへ行きましょう!って言って、終わるの」
『いやー、有名なシーンですよね!』
「あのセリフも映画オリジナルなんだ」
『えっ?そうなんですか?』
「そうよ。監督は続編が作りたかったのね。作るなら、彼、どうするんだろうってよく思ってたわ」

それが次回作への期待をにじませる表現であったのだとすれば、40年代の作品としては、先駆的な試みだったと言えよう。もっとも、その次回作は実現することなく、監督は白い世界の彼方へ旅立った。

『あの海は、合成じゃなくて、本当に真っ白になっているんじゃないかってよく指摘されてましたよね』
「なってた」
「ああ、なってたな」
『あれ?やっぱり合成じゃないんですか?』

こちらが、ラストシーンの海の映像である。
モノクロの画面からでも、全体が真っ白に染まっている様子がお分かりいただけるだろうか。
合成による映像とも言われているが、当時の技術でそのような事は可能だったのだろうか?

「何が起きたのか、聞いてないわ。ただ、ひとつ言えることは、私が見る限り、あの時、この海は白く染まっていた。それは間違いないわ。海全体が、本当に、真っ白だったのよ。私も、何があったの?って聞いたけど…監督は、教えてくれなかったわ」
『ニコラさんも?』
「ああ、知らないな。だが確かに海は白く染まっていた。それだけだ」
『そうですか、それ以上は何も?』
「ああ…知らない。監督は、そこまで撮影に力を入れていたのさ」
「そうね…白が、好きな監督だった」

二人は、それ以上は何も語らなかった。

『一つ、質問よろしいですか?』
「どうぞ」
『二人のお孫さんに、あの映画の意味を聞かれたら、なんと答えますか?』
「そうだな。特に意味はないって答える」
「私も、それは答えないわ。そうね…あー…世界には色々な解釈があるという事を、教えてくれる映画だって伝えるわ。それと…私がこの人と結ばれるきっかけになった事ってだけかしら」
「ハッハッ」

虚構の世界では、どこか冷たい心を持った王子と結ばれたシャルロット王妃。
しかし、現実の世界のシャルロット王妃…シャロンのハートを射抜いたのは、天使ニコラだった。

『今や祖父母となり、3人のお孫さんを持つ二人。
これからも二人は、あのイズニーベリーで起こった不思議な出来事を語り継いでいくでしょう』





「ねえ、天使さん」
「なんだい?」
「確かにイズニーベリーは、黄色い悪魔の力から解放された。この海は、真っ白になったわ。でも、私たちはこれで終わったわけじゃないわ」
「そうさ。本当の世界は、この海の向こうにある」
「西の海ね」
「黄色い魔法に覆われた、砂漠の国さ」
「私、信じてる。王子様と新しい旅をして、その国に向かうわ。」
「きっと、君ならできる。」
「まだ本当の世界を私たちは見ていないのよ…。
さあ、行きましょう!
この白い海の向こうへ!
まだ見ぬ理想の世界へ!」





〜The End〜

コメント(4)

ドキュメンタリー番組ってありますよね。
そこで、「アメリカとかで作られてそうな、架空のドキュメンタリー番組」を小説にしてみるという試みは面白いのではないか、という、謎のコンセプトで書いてみました。

番組自体も架空なら、ドキュメンタリー番組で取り上げられている映画も、その原作になったという小説もすべて存在しないもので、そんなモノがあってもおかしくないかなー的な感じで頭の中で勝手に考えて書きました。

なんか書いてると、自分が作ったキャラクターが頭の中で勝手にしゃべってくれて楽しかったです(笑)
面白かったです〜!なんか、あるある感がすごくて。海外もののドキュメンタリー番組が自然と脳内で再生されていました。
しかも、題材として使われている映画も、なんかありそうな感じがすごいします。架空なはずなんだけど、なんだか知っているようで、ニヤッとさせられました。さらっと書いてるようで、結構背景は緻密に練られていそう。
たかーきさんも、書く小説の幅がすごいと毎回思います。そして何かはっとさせられるものがあります。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半蔵門かきもの倶楽部 更新情報

半蔵門かきもの倶楽部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。