半蔵門かきもの倶楽部コミュの第107回「祖母（Ⅰ）宗教」チャーリー作（テーマ選択：信じる）

先月、一年ぶりに実家に帰省した。

十八歳で上京して以来、もう十五年以上が過ぎた。
年月だけ見れば実家で過ごした時間と東京での一人暮らしはほぼ同等だが、幼少から多感な十代を過ごした一日一日は、三十代のそれとは比較にならないほど、鮮烈なイメージとして脳裏に焼きついている。実家の門をくぐれば、脳内の記憶の映写機が勝手に回りだし、望む・望まないに関わらず過去のさまざまな情景を思い起こさせる。
その中から、帰省を通して思い出したある出来事について書いてみたい。
俺の祖母の話。
そして、俺が受けた、ある宗教体験の話だ。

子どもの頃、俺は両親と弟、それから父方の祖母と暮らしていた。
住民票のうえでは、五人は同居していることになっていたのだが、厳密に言えば、俺たちは祖母と別々に生活していた。
俺の家は二軒ある。
未舗装の私道を挟んで、古い平屋と二階建ての家が並んでいる。
自分が生まれる以前は、もともと平屋しかなかったという。父はこの狭い家の中で祖父母、きょうだいたちと育ち、母と結婚する前後に、祖父母が平屋の隣に新しく二階建ての家を建てた。
当初の計画では、二階建ての家に祖父母と俺の両親の二世帯が住む予定だったと聞く。
ところが、祖母と俺の両親（特に母親）とは非常に折り合いが悪かった。
事情が込み入っているため詳細は省くが、祖母は人格や素行に問題があり、息子の嫁である母はもちろん、父や祖父とも激しく衝突することが絶えなかったという。
耐えかねた俺の両親は、新居を去り、古い平屋に引っ越して夫婦二人だけで生活することを選んだ。まもなく俺が生まれたものの、直後に祖父が亡くなり、残された祖母は広い二階建ての家にたった一人で暮らすようになった。
互いの家はすぐ目の前である。ゆっくり歩いて移動しても、玄関から玄関まで一分とかからない。寝食を別にしているだけで、ほとんど顔を合わせない日はない。
俺の両親は共働きだった。特に多忙だった父は帰りが遅く、単身赴任などもあって、子育てはほとんど母が一人で担っていた。そのため、幼い頃はよく祖母の家に預けられた。
祖母とは険悪だったが、両親が頼れる親戚は他にいなかった。
また祖母が、孫の子育てに過剰に干渉し、幼いうちは自分が孫の面倒を見ると言って聞かなかったことも理由にあった。
しぶしぶ祖母の提案を両親が聞き入れたのかはわからないが、なんにせよ俺は祖母の家に“半同居”するようになった。
それから平日の朝、俺は出勤前の親に手を引かれ祖母の家を訪れ、夕方過ぎに仕事を終える母親を待って、自分たちの家に戻るのが日常になった。それは幼稚園、小学校に通うようになってからも変わりなく、小学四、五年で平屋の家の鍵を渡されるまで続いた。だから、俺が生まれて十年間で最も長く時間を共有した身内は、もしかしたら祖母なのかもしれない。

そんな祖母は、ある新興宗教の信者だった。
子どものときは知る由もなかったが、戦後設立された新宗教の中では一定の知名度と勢力を誇っていた。国内にとどまらず、海外にも多くの拠点を構え、信者の数は百万を超える。
その教義は宗教というよりも霊感商法に近く、二十年ほど前に流行した、江原啓之や細木数子などのスピリチュアルブームの走りとも言える存在であると言えた。

祖母が、いつから、どんな理由で入信したのかは知らない。
近所に住んでいた、同年代の年配の女性と一緒に活動に参加していたようだから、その人に誘われたのかもしれない。
いずれにせよ、俺が祖母と暮らすようになったときには、すでにかなり宗教に入れ込んでいた。
新興宗教と言えば、たいてい毎日のように団体の道場なり施設に通いつめ、何らかのご利益のためひたむきに修行し、お布施と称して多額の献金をし、平日休日問わず、職場の同僚、近隣、知人友人誰かれ構わず、熱心に勧誘しまくる――というイメージがあるかもしれない。
それに比べると、一見、祖母の宗教活動はずいぶん慎ましやかなものだった。
主な活動と言えば、毎月団体から届く会報に目を通し、あとは近所の女性と連れ立って団体の施設か何かに足を運ぶくらいしか見たことがない（もちろん、俺の知らないところで献金なり勧誘活動なりに余念がなかったのかもしれないが）。

むしろ、祖母の活動で最も際立っていたのは、ある『儀式』だった。
こう書くと、いかにも大仰で怪しげな響きがあるが、実態はどうしようもなく凡庸である。
儀式の参加者は二人。場所は座れるスペースがあれば特に条件はない。
内容も実に簡素だ。
まず、二人の人間が向かい合って正座する。片方の人間が、もう片方に向かって手のひらをかざし（仏像が正面に手のひらをかざすような姿勢で）、一方の人間は目を閉じ、合掌してじっとする。ただ、これだけ。
所要時間はわからない。手をかざしている者が妙な呪文を唱えてその手を下ろすまで、儀式は続く。
要は、手のひらから発する『何らかの見えない気or波動、のようなもの』で、相手の『邪気or毒気orとにかく何か悪いもの』をデトックスする、という趣旨らしい。
手をかざす者は、宗教団体で修業を積んだ『波動を発する資格』の保有者に限られ、その波動には、病気や体の不調を改善するだけでなく、金運や幸運をも呼び寄せる効果があるという。
スピリチュアルブームの先駆けと言われるのもうなずける、スピ系あるあるの典型的な儀式である。
大人になった今でこそ、陳腐だなと一笑に付すことができる。
しかしここで笑えないのは、幼い俺がこの儀式の被験者になっていたことだ。

いつからこの儀式に参加させられていたのか、記憶がない。
ともかく物心ついたころ（おそらく三、四歳）には、俺は祖母の『波動』を浴びていたと思う。
ずいぶん退屈で窮屈な儀式だった、という覚えがある。
波動を浴びると言っても、要はただ正座しておとなしくしているだけである。
小学校にも行かないような子どもにじっとしていろ、と言う方が無茶だ。すぐに飽きてくるし、動くなと言われれば逆に動きたくてしょうがない。姿勢を崩せば怒られて（さすがに叩かれるなどの体罰はなかった、はずだが）、そのうち足はしびれてくる。苦痛なだけの時間だ。
さらに子ども心に、儀式に対する違和感もあった。
儀式は必要だと言う大人は祖母だけだったし、この儀式に参加している子どもは自分だけで、友達の誰一人も受けていないことが不思議で仕方なかった。
それでも、俺は祖母の言葉に従う以外、なす術はなかった。
小学生の子どもに、大人であり家族である祖母の言動を疑え、と言う方が無理な話だし、当時の自分には儀式を拒否する判断力もない。
幼い俺は、違和感を抱きつつも祖母を信じた。
「おばあちゃんが言うのだから、この儀式はきっと良いことなのだ」
「理屈はわからないけれど、とにかく手を合わせて目を閉じてじっと我慢していれば、良いことが起こるんだ」と。
退屈なだけの儀式も、発想を転換することで好意的に捉えようとした。
いうなれば、儀式は学校の宿題のようなものである。積極的にやりたいとは思わないが、しかしやらなければならない必要なことなのだ。
子どもなりに自分を納得させたわけである。

しかし両親は、祖母が幼い俺を宗教活動に巻き込むことに反対した。
二人とも宗教に興味がなく、祖母の活動にも内心では苦々しく思っていたに違いない。
それでも信仰をやめさせようとしなかったのは、おそらく両親に金銭的な負担を強いたり、強制的な布教勧誘がなかったからだろう。自分たちに害がなければ、勝手にすればいい。両親は完全に祖母を突き放していた。
ところが、祖母が俺を儀式に参加させていることを知って、両親の態度は一変した。
特に祖母と険悪だった母は、露骨に不快感をあらわにした。俺の前でもかまわず、祖母の宗教の欺瞞や胡散臭さを口汚く罵り、儀式の話になるだけで「そんな話は聞きたくない」と感情的に吐き捨てた。
子どもの俺はただ困惑した。
祖母が信じていた儀式は、両親には全否定されてしまう。母が儀式はインチキであると言っていた、と祖母に告げると、祖母は祖母で母親の言うことに耳を貸すな、と不機嫌に怒り出す。
双方とも互いの言い分に聞く耳は持たず、互いに相手は間違っているというばかりである。
二つの家を移動するだけで、まるで別の国に来ているような気分だ。
完全な板挟みだった。
どちらを信じていいのか、何を信じればいいのか、子どの俺に判断できるわけがない。
宗教をめぐって対立していた祖母と母の言動を思い出すと、今でも無性にやりきれない気持ちにさいなまれる。家族が断裂する様子に、子どもながら傷ついていたのだろうと思う。

その後、俺が成長していくにしたがって、儀式に参加する機会は自然消滅するようになくなった。
俺が小学四年生のときに祖母の家へ預けられることがなくなったことも大きいだろうし、何よりも両親から祖母へ「息子を巻き込むな」など、何らかの忠告はあったのだろうと推測される。
儀式と言っても、ただ正座しているだけという、実に無害なものではあったものの、年を重ねていくなかで、俺の中には祖母に対して消えようのない不信感が根深く醸成されていった。
行為の実害の程度が問題ではない。物事の判別もつかない子どもを強制的に儀式に参加させ、宗教の教義を信仰させようとしたことが問題に思えた。
中学になる頃には、俺は教えと名のつくものは毛嫌いする、大の宗教嫌いになり、そしてそれを押し付けた祖母さえ嫌うようになった。

幸いと言うべきか、その後、人生経験を積むなかで、宗教嫌いは次第に氷解されつつある。
二十歳前後をピークにした宗教への嫌悪感は、大学でクリスチャンの友人と出会ったことをきっかけに徐々に誤解や偏見は薄れていった。聖書にもさわりだけだが、触れるようになり、他の宗教への興味を芽生えた。
新興宗教への偏見も、三十を過ぎ、清濁併せ吞む世の中の事情を見聞きするなかで、「まあ、そういう宗教が居場所だと思う人もいるのだろう」と考えるようになった。

今後、知識や経験を重ねていくなかで、宗教への偏見は克服できると思う。
しかし、祖母への信頼は子どもの頃に失ったまま、おそらくこの先もずっと取り戻すことはないだろう。