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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第102回 かとう作「彼女の身に起きたことと起きなかったこと(仮題)」(自由課題)

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「滝野さん、おれとか、どう?」
 そう言って、飲み会で偶然隣の席、居合わせた松永が差し出した手を、
「どうなんだろ」
 言いながらも実際は握ってしまったから今があるんだ、と私は松永のうっすら青くなった髭を眺めながら考える。真冬だというのに、暑いのだろうか、裸の肩どころか乳首まで布団から露出させている。対照的に、寒がりの私はブラジャーとヒートテックとパンツだけ身につけて、肩まで布団をかぶっている。
「寒いんだけど」
 そう言ったら、
「そう?」
 そしてこちらを向いて、抱きしめてくれる。すね毛がちくちくと太ももに刺さる感触。
 そういうことじゃないんだけどな。口には出さずに私は起き上がって松永の部屋を見渡す。
「エアコンつけていい?」
「いいよ。リモコン、テーブルの上」
 松永の部屋は意外と片付いていた。
 女にだらしなくて彼女がいるのに誰とでも平気で寝る。そして遅刻癖がひどい。
 そういう松永の前評判は聞いていたから、もっと散らかった部屋を想像していた。
 でも、今私がいる松永の部屋は、意外と片付いている。今日飲み会で初めてちゃんと話して、その後部屋に転がり込んだわけだから、松永は今日誰かを招く予定もなかったはずだ。それとも、飲み会のたびに女を物色していたりするのだろうか?
 いずれにしても、松永の部屋は、いかにも几帳面な理系の男子学生が住んでいそうな部屋だった。狭いワンルームの壁側にベッドが置いてあって、その向かいにデスクが置いてある。その間に小さなローテーブルがあって、エアコンのリモコンやら財布やらスマートフォンが置いてある。テレビはなかったが、本や教科書がいたるところに小さく積まれていた。
 私は自分の足元側にあるエアコンにリモコンを向け、暖房をつける。
 二次会のあと、大学から徒歩五分のところにあるという松永の部屋に転がりこみ、あとはすべてが勢いだった。終わったあとになってやっと私は寒さを感じ、松永の顔を観察してみる。
「なに?」
 私がまた寝そべりながら観察していると、松永はこっちに体を向けて、笑った。
 意外と、清潔感ある顔してるな。
 松永の顔に対する評価として、私はそう結論づけた。
 イケメンとは決して言えないかもしれない。垂れ目で眠たそうな一重は、私が思うハンサムの基準とは外れているけれど、鼻筋が通っていて口元に品があるのはポイントが高いと思った。
 最初は大丈夫かなと思いながら誘いに乗ってしまったけれど、別に酒の勢いがなくてもセックスできたかもしれない。もう一度するのも悪くないかもしれない。
「ふふ」
 ずっと目を逸らさずにいたら、松永が笑った。
「下の名前はなんていうの?」
 私は問う。
「伊吹だよ」
「松永伊吹? 超いい名前じゃん。意外」
「意外ってなに」
 口調は怒りつつも、目がまだ笑っている。わかっている、私なら少し失礼なことを言っても、許されるキャラなんだって。そのくらいのほうが、「綺麗な顔して意外と毒舌なんだね」って逆に好意的に思ってくれる人もいる。
「伊吹って呼んでもいい?」
 返事は聞かなくてもわかっていた。
「え?」
 聞き返す松永伊吹の目は、相変わらず笑ったままだ。
「それはやだな」
「え?」
 予想外の答えに、私の口から息が漏れた。間抜けにあいた口からただ吐息で曖昧な発声が押し出されたようなかたちだった。
 私は動揺を悟られないように、胸に布団を巻きつけて、枕に頬杖なんてついてみる。目で軽く微笑んでから松永を見上げる。私のやや頭上にある松永の目には、この角度が私が一番綺麗に映っているはずだ。
「どうして?」
「だって、一回エッチしただけでしょ? そんな関係でもなくない? おれたち」
 たしかに。
 心の中で、私はつぶやいた。
 確かに、松永の言うとおりだ。まったくもってそうなのだ。これまで、松永とちゃんと話したことすらなかった。ただ、学科内の、いや学年の中で、一方的に私を認識している学生(特に男子)は多いだろう。大学構内を歩くたびに、私に突き刺さる視線は嫌というほどわかっている。
 今更謙遜しても仕方がないので言ってしまえば、私はこの大学でたぶん一番可愛くて美人。それは、自惚れているわけじゃなくて、子どもの頃から自他ともに認める事実だった。
 そういう事実が嬉しいどころか、少しつまらなくなってしまったのかもしれない。だから私は松永みたいな男と寝た。彼氏以外の人とセックスしたのは初めてだ。
 でも、どうということもなかったな。意外といける。松永は私と比べたらだいぶランクは下だけど、生理的に無理なんてこともなかった。顔から想像するより全然清潔なセックスだった。むしろ妙に女の扱いが上手で、今までで一番よかったかもしれない。なんならもう一回してみてもいいかもしれない。
 私でさえこういう気持ちなのだから、松永はきっと高嶺の花と寝ることができて、内心有頂天のはずだと予想していた。だから、私には松永の冷静さが意外だった。
 意外どころか、私は動揺してなんと返せばいいかわからなかった。
「ごめん、そろそろ帰ってくれる? 彼女くるかもしれないし」
 松永はいかにも申し訳なさそうな顔をして、そう言った。
 起き上がり私に背を向けて、Tシャツを着ている。そして立ち上がって、笑顔でドアのほうを掌で示した。黒いTシャツと赤いボクサーパンツ姿で。ワンルームだから、ベッドから玄関が丸見えだ。そのドアががちゃりと音を立ててからの、松永の挙動は今まで見た中で一番素早かった。ばっという音が立ちそうな勢いで振り向く。でも、ドアの方に駆けて行っても、間に合うはずがない。その前にドアが開いて、そこに立っていたのはパーカーにショートパンツ、ハイソックス姿の、黒髪ボブの女だった。
 勝った。
 女の顔を見て、私はまず無意識に判断してしまう。たぶん同じ学生で、まあまあ可愛い感じの子だけど、私の敵じゃない。
「伊吹?」
「わー!」
 私と松永の顔を交互に見て口を開く、彼女の言葉をかき消したのは松永の叫びだった。
「ちょっと、待って、違うんだ」
 松永は彼女の肩に手を回して、もう片方の手をドアノブに伸ばす。でも彼女は私の方をただ見つめていた。状況を把握しようと一生懸命考えている顔だった。その顔がだんだん紅潮し、険しくなっていく。
 彼女は手に持っていたトートバッグを振り上げて、松永を思い切り叩いた。
 教科書でも中に入っているのか、ばんという大きな音が響く。
「いってえ!」
「最悪!」
 そう言って帰ろうとする彼女を、松永は抱きすくめる。
「待って、ごめん。ちょっと待ってよ」
「離せ、馬鹿!」
「ほのちゃん、ちょっと、聞いて」
「もうしないって言ったじゃん」
 しばらく揉み合ってから、そのまま二人は外に出て行ってしまった。松永は、こんな真冬に下着姿だ。すぐに帰ってくるだろうと思ったが、意外と時間がかかった。帰ってきたころには松永一人で、全身鳥肌姿でがたがた震えていた。なんと松永は裸足だった。
 そのままふらふらと部屋の中央に歩いてきて、ベッドの前に座り込む。頭を抱えてため息。まるで私の姿なんて見えていないみたいだ。
「ちょっと」
「うわっ」
 松永の驚きようから、本当に私の存在が見えていなかったらしい。
「まだいたの?」
 まだいたの、なんて。産まれてこの方男にそんな扱い受けたことがない。ちょっと苛ついたが、私は聞かなかったことにする。
「さっきの、松永くんの彼女? 大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよ、最悪だよ」
「ごめんね」
 謝ったら、松永は振り返って、私の目をじっと見つめてきた。憮然とした顔。そして何も言わずにまた俯いて、ため息。
 やめときゃよかった。
 後悔が松永の背中から滲んでくるようで、私は正直それが心外だった。
 少し身を乗り出して松永の顔を覗き込んだら、口に手を当てて考え込んでいる顔だった。そして私のほうを向いて座り直す。正座の膝に拳をついて言う。
「いや、おれこそごめん」
 葛藤を一旦押し込めたような神妙な顔をしていたけど、その目はまだ何かを必死に考えていて、おそらくそれは彼女のことだろうと思った。私の顔も見ずに謝る。そのごめんは、誰に対してなんだろうと思う。
 松永は顔を上げて、なぜかしら明るく笑って言った。
「でもさ、まあ、いいよね。お互いなかったことにしても」
 ああ、松永は今、とにかくこっちを先に片付けようとしている。私をまず適当に片付けてから、そのあと全力で本命彼女のフォローに当たる気だ。
 信じられない。まさかの私が二番手扱い?
「なにそれ?」
 つい声が漏れたら、松永の笑顔が焦りで曇った。
「え? だって、滝野さんも本気じゃないでしょ? 勢いだけだよね、おれなんかと」
「当たり前じゃん」
「じゃあいいよね? おれなんか相手にしないよね? まさか、大学一の美女の、滝野莉子さんが」
 その作った笑顔がムカつく。
 と同時に、その「おれなんか」に、どこか優越感を感じていた自分に気がついてしまった。
「ところで、誰にも言わないよね?」
 その言葉が、私の心にちょっとトドメを刺した。



 それから一週間は何も起こらなかった。松永とは学部も別だし、構内で会ったりもしない。松永から連絡がきたなんてこともなかったが、そもそも連絡先を知らない。聞かれなかったし。
 でも、どうやら松永の彼女は学科が同じようで、一般教養の講義が被っていたりして、よく見かけた。
「あ、ほのちゃんじゃん」
 そう言ったのは、学食で隣の席に座った美咲だった。
「ほんとだ、ほのかちゃんだ」
 向かいの席で美咲にそう応えたのは百合香。
「誰?」
「莉子、知らない? 同じ学科じゃん。朽木ほのかちゃん」
 私はここで初めて松永の彼女のフルネームを知った。
 同じ学科の美咲と百合香とは、入学してすぐに仲良くなって、二年生の今もよく行動を共にしている。私たちは三時限目と五時限目に同じ講義をとっていたけれど、その間の四時限目がぽっかりあいてしまっていた。だから毎週、三人で学食に集っては、おやつを食べたり、おしゃべりをしたり、そうかと思えば三人無言でスマホを見ている時間があったり、とにかくだらだらと暇を潰していた。
 学食の窓はグラウンドに面していて、グラウンドには窓に背中を向けるかたちでいくつかベンチが置かれている。そのベンチのうちの一つに朽木ほのかは座っていた。私たちは窓から離れた席に座っていたので、彼女が振り返ってこちらを向かない限り、私に気づくことはなさそうだった。
「隣の、朽木先生じゃない?」
 ほのかのベンチの隣に座っている、白髪混じりの男に見覚えがあると思ったら、さっき講義で教鞭をとっていた教授だった。
「そうだよ、ほのちゃんのパパ」
 美咲が応えた。
 教授の娘が、彼の教えている大学に通っていて、しかも大学構内で親しげに話している。私はそのことに軽く衝撃を受けた。ほのかはグラウンドでラグビーをしている学生たちを眺めているが、教授は目を細めて自分の娘を見つめている。もう二十歳になる娘が、目に入れても痛くないという視線だった。
「自分の父親の大学に入るとか、できるの?」
「できるんじゃないの?」
 百合香が頬杖をついて、こちらも見ずに言う。
「ほのちゃん、内部進学でしょ。しかも小学校から。エリート一家なんだろうね」
 私の通う大学には附属の学校があり、エスカレーターで大学まで通えるようになっていた。私も美咲も百合香も、大学から入学した外部からの学生だった。
 なんだ、セレブか。私は心の中で舌打ちする。
「ほのちゃんと言えばさ、聞いた? 松永、ふられたんでしょ?」
「うそ!? まじで?」
 美咲の言葉に百合香が体を起こす。
「あっ、松永っていうのは、あの子の彼氏でね。高校生のときから付き合ってたんだって。松永は、高校から入学した内部進学生らしくて」
 美咲が私に説明してくれたが、私はすでに松永のアパートでほのかを見かけていた。何も知らないふりをしてただ頷く。
 百合香が顔を乗り出して、美咲に迫った。
「なんで? ほのちゃん、松永のこと超好きだったじゃん」
「松永の浮気だって」
「松永が浮気症なの、今に始まったことじゃなくない? ほのちゃん、許しちゃうイメージあったけどなぁ」
「よく知らないけど、もう我慢できなくなったんじゃない? ていうか松永なんかにもったいないんだよ、ほのちゃんみたいな天使」
「たしかに。いい子だもんね、ほのかちゃん。お嬢様だし」
 松永の彼女は、どうやらお嬢様でまあまあ可愛くて、性格もいいらしい。
「あ、でも、莉子みたいな超絶美人には叶わないけどね」
 美咲の言葉に私は満足した。が、彼女の慌てたような笑顔が少し引っかかった。私は気を遣わせているのだろうか? 本当の美人だったら、こんなふうに周りが気を遣うはずもないのに。
「そんなことないよ。あの子も、美咲も可愛いじゃん」
 口ではそう言っておく。そう言いながら、私は頭の中で他のことを考えていた。
 松永はあの夜、私のことなんて二番手以下のように扱った。その後連絡も来ない。私がただのワンナイトの相手? こんな扱いは初めてだ。
 そのとき、食堂に入ってきた男子二人組が、私たちの方を見て笑ったことに気がついた。
 あっ、滝野さんだ、超可愛い
 お昼をだいぶ過ぎて閑散とした食堂で、彼らのひそひそ声はちゃんとこちらに届いてくる。私は気が付かないふりをする。大丈夫、私はちゃんと一番可愛い。
「あああ」
 そのとき、百合香が変な声を出しだ。
「なに?」
「松永! 松永きたよ!」
 窓の外に目をやると、教授とほのかが座ったベンチの方に、神妙な顔をした松永が歩み寄っていた。そのまま彼らの目の前、一メートル離れたところで立ち止まり、膝を地面につく。
「ヤバい、土下座! 土下座するっ」
「ヤバいヤバい」
 美咲と百合香は小声だったけれど、もうおかしくて仕方がないという様子で頭を寄せ合っていた。
 松永の土下座は未遂に終わった。教授が慌てて松永を立たせようとしたからだ。まわりの様子を気にしている。こんなところ学生に見られたら、写真を撮られて拡散されるに決まっている。
 教授は立ち上がって、松永を自分の娘の隣に座らせた。ほのかは隣で俯いている。
 こちらからは教授がしゃべる様子しか見えない。
「何話してんだろ?」
「“僕に謝られてもね”」
「”とにかく落ち着いて“」
 美咲と百合香が、教授にアテレコをし出す。
 松永が彼らに向かって土下座をするということは、松永とほのかの関係はもう朽木教授の家族の知るところで、もしかしたら浮気の話も教授は知っているのだろうか? 高校からの付き合いなら、あり得る話かもしれない。
 その割に教授の顔は怒っているわけでもなく、どちらかというと慌てた顔で、講義でも控えているのか彼はその場を立ち去った。立ち去るときに目が合ったので、やはりまわりの学生の目を気にしているらしかった。
 ベンチには松永とほのかが残される。ほのかは俯いたまま松永のことを見ようとしなかったが、松永は彼女のほうを向いて話しかけていたので、その横顔が見えた。ガラス越しにわかる、必死な顔。声は聞こえなくとも、とにかく弁明しているか、許しを乞うている様子だった。
 そして松永が立ち上がり、また膝を地面についた。
「また土下座だよ」
「安いな、あいつの土下座」
「超修羅場じゃん」
 土下座をした、松永の頭にほのかの靴が乗った。
「ヤバい、ほのちゃんヤバい」
「ブチギレじゃん」
 二人はそのまま動かなかった。松永はただ、自分の頭が土足で踏みつけられることを、受け入れていた。遠くから見ても、ほのかの足に力が入っているように見えなかった。松永がそのまま微動だにせず、足蹴を受けている。そのことへの困惑が、ほのかの背中から伝わってくる気がした。
 きっと天使みたいな性格らしいほのかは、自分がふるってしまった暴力の行き場を、どこに設定したらいいかわからなくなってしまったのだろう。
 とにかく、先に動いたのはほのかだった。足を外してその場を立ち去ろうとする。松永が追いかけてくる気配がしたのか、彼女は校舎の方に向かって全力疾走し出した。それを松永が追いかける。
「ほのちゃん、はやっ」
「松永足遅くない?」
「私だよ、松永の浮気相手」
「へえ」
 美咲と百合香の会話に、あくまでもさりげなく入っていったので、二人は話の延長で適当な相槌を打った。そして言葉の意味がやっと脳に伝わってから、私の顔を見た。彼女たちに顔に浮かぶ、驚きの表情。
 噂好きの彼女たちの知るところになれば、この大学に話が広まるのもすぐだろう。
 松永ざまあみろ。
 私は遠くなっていく松永の背中に向かって心の中でつぶやいた。



 しかし、私が予想したようなことにはならなかった。美咲も百合香も、私が思った以上の良心の持ち主だった。彼女たちは私と松永がセックスした話を、秘密にしておくべきことだと捉えたらしい。
 あのあと、どうして松永なんかとしたのかということを優しい口調で問い、自分の体を大事にすべきだと諭すような口調で言った。最後には、私のことが心配だとまで。
 私が松永と寝ると、そんな反応が返ってくるのか。それを知ったときは愉快だったけれど、その後の展開には物足りなさを感じた。思い切って好きじゃない男と寝てみても、つまらない世界が違う回転を始めたりすることはないみたいだ。
 それよりも、大学内で聞く噂話は、松永とほのかのことばかりだった。
 どことなく軽薄で、いつもへらへらしている松永が、ほのかを引き止めるために、あんなに必死になるなんて。
 そういうことを、誰もが口にした。
 そこまで必死になるほど、ほのかという女は魅力的だろうか? 私よりも? それとも、大学教授の娘っていうのが重要なの? 松永は政略結婚でもするつもりなのか?
 私にはまったくわからない。だって、ほのかは私より可愛くないじゃん。
「松永、ほのかちゃんのこと超好きだったんだね」
「じゃあ浮気しなきゃいいじゃんね」
「なんかさ、今のうちにちょっと他の子ともしてみたいんだって」
「なにそれ」
「うちの彼氏、松永と仲良いから話聞いてやってるみたいでさ。松永的には、たぶん自分はほのかちゃんと結婚するから、その前にちょっと他の子とも遊んでみたいって思ったんだって」
「重いのか軽いのかわかんないね。ていうか女好きなだけでしょ」
「まあ、今まで浮気してもほのちゃんが許してくれたから、調子乗ってたんだよね」
「松永馬鹿だね」
「もう浮気しないって泣いてたらしいよ」
 これは、電車で通学中に近くの女子たちが話していたこと。私は座席に座って寝たふりして、しっかり聞き耳を立てていた。どうやら、松永とほのかは大学では結構有名な存在らしい。いろんなところで彼らの話を耳に挟むが、その浮気相手のことは、誰も口にしない。みんななぜか、そこには関心がいかないらしい。



 その後も私の暮らしには何も特別なことは起きなかった。何人かの男子に告白されたり、たまに女子からの誘いがあったり、その他ナンパもあったけど、どれも私の心を動かさなかった。前に「あの人と付き合えたらいいな」と思っていた、大学で一番のイケメンが、私の連絡先を聞いてきたけど、なぜかため息で返してしまった。そしたら彼はあっさり退散していって、大学で二番目くらいに可愛い女の子と付き合った。
 なんてつまらない世界なんだろうと思う。
 数ヶ月が経ち、松永たちの噂も聞かなくなった。奴とセックスしたことが、遠い昔になり、なんだかもう私の人生には恋愛なんて起こらないような気がしてきた。だって、私は誰にも興味を持てない。
 そう思っていたある日、電車の中で松永を見かけ、すごく懐かしい気持ちがした。
 懐かしい気持ちどころか、あの夜に触れた松永の肌が、吐息が、生々しく蘇るような感覚を味わった。私はただ、電車の座席に座っているだけだったのに。松永は、電車のドアの脇に立っていた。電車はすごく空いているのに、立って何か文庫本を読んでいた。
 私は松永に視線を送る。彼は本に夢中でこちらに気が付かない。私は体を斜めにして覗き込むような体勢になる。松永が気づいてこちらを見るが、確実に目が合ったのにすぐそらして気付かないふりをする。
 私は我慢できなくなり立ち上がって、松永のほうへ歩いていく。
「ねえ、今無視したでしょ?」
 思ったよりも大きな声が出て、まわりが私に注目するのがわかる。まずい、同じ大学の学生が何人か同じ車両にいたかもしれない。そう思うも私は止まらない。
「なんで無視するの? あれから連絡くれないし!」
「ええ?」
 松永はとぼけている。今気づきましたよ、みたいな戸惑い顔。
「やり逃げ?」
「ちょ、ちょっと、声でかい」
 松永は今度こそ本当に戸惑ってきょろきょろし始めた。人の目が気になるらしい。
「なんだよ、もう、頭くるなぁ!」
 私は完全に自分を制御できなくなっていた。なぜかわからないけど、腹の底から怒りが湧いてきて仕方がない。それが大声になって出てくる。
「落ち着いて。ちょっと、言ってることわかんないんだけど」
「忘れたの? あの日、私たちやったじゃん。あんた、それっきりじゃん」
「ねえ、ほんとに、勘弁して」
 電車が駅に滑り込む。ドアが開いた瞬間、松永は私の腕を引っ張って、ホームに下ろした。まだ大学の最寄り駅じゃない。
 ホームに立って、松永が私に向き合う。
「大丈夫? どうしたの?」
 松永なんかに心配されている。
 そう思うと、急に頭に血が昇ってきて、頬が紅潮するのがわかった。
「どうして、私があんたごときにコケにされなきゃいけないの!」
「してないよ。してないけど。よくわかんないけど、ごめん」
 松永はそう言って腰を折った。地下鉄のホームを背景にして、私は松永のつむじを見つめている。こいつの謝罪は本当に安いなと思う。イライラしてくる。
「謝るから、勘弁して。もうなかったことにして」
「あんた、彼女と別れたの?」
「へ?」
 松永は顔を上げて私を見た。
「別れたんでしょ、私付き合ってあげようか」
「勘弁してよ」
「なんでよ! 私が付き合ってあげてもいいって言ってるのに」
 そう言うと、松永は私の顔を見てため息をついた。
「だってさ、滝野さん、つまんないんだもん」
「は? なにが?」
「エッチしててもつまんないし、話もつまんないよ。一緒にいて、なんか面白くないんだよね。そんな子と付き合いたいとか思えないよ」
 何を言っているのだろう、この男は。
 人と一緒にいて、面白いとかつまんないとか、そういうことがよくわからない。
 私にはわからない。
 そう思った途端に、急に頭の中を、記憶の断片のようなものが駆け巡り始めた。
 あの晩、私を見下ろして、機械的に腰を動かしていた松永の、その目が冷たくてそこに興奮したこととか、終わったあとについた小さなため息だとか。
 私を見たほのかの目がたちまち涙で濡れてふちが赤くなったこと、夜の街に裸足で駆け出していった松永の背中。あの日あのベンチで、ほのかを見つめる松永の、そして朽木教授の目。松永の頭に乗ったほのかの薄汚れたスニーカー、それをじっと受け入れていた松永の背中、駆けていくほのかの白いふくらはぎ。
 何もかも気に食わないと思った。 
「もういい」
 私は松永を置いて、やってきた電車に乗り込んだ。
 その後美咲に聞いてみたら、なんと松永とほのかはよりを戻したらしい。
 その頃には、私は彼らの存在ももはやどうでもいいと感じていた。
 なにもかもがどうでもいい。
 滝野さん、つまんないんだもん
 あの日松永に言われた言葉が、声が、今でもふいに耳の中で響くことがある。たぶん、一生忘れることはないだろう。 

コメント(5)

三題噺のお題から着想を得たのですが、だんだんお題に関係がなくなってきたので、自由課題として提出いたします。
ある芸能人の方を最近知って、彼への勝手なイメージで創作意欲が掻き立てられて書いてはみたものの、どこにも着地しない感じの話になってしまいました。あんまり中身はないのと、書きたいことが書ききれなかったんですが、せっかく書いたので載せてみます。
なにもかも気に食わない滝のさんの
心の動きにリアリティあります・・・
美人の頭の中ってそんなものかな…と ちょっと自分の実体験から^^
滝野さんみたいな悪い子きちんと自分に振り向かせると楽しいんだろうなぁ・・・

松永くんよくわからないけど 浮気ってこんなものかもですね・・・

あ、三題噺が一二行で済ませられればいいんですけど
ガジェットとして向き合うと難しかったりしますね・・・

せっかくコミュリーダーが自由課題でも詩でもいいですといってくれてるので
僕は今月力抜いてしまいました^^(先月頑張りすぎかも)
>>[2]
ご感想ありがとうございます!2作目も読んでくださり嬉しいです。
滝野さんの心の動きにリアリティを感じてくださり、安心しました。それも書きたかったことの一つなので。
「近頃、美しくて頭がよくてなんでもできて、しかも面白い、才色兼備な男女が増えてきてるよなぁ」という感想をよく抱いております。昔からそういう人はたくさんいたのかもしれないですが。
なので、現実の美人像というのは、作品の中で書いたものとはまた違うのかもなぁとも思うんですが、敢えてステレオタイプな感じで書いてみました。
美人だからというより、「人から浮くくらいの美貌を持っている」「子どもの頃から精神的に満たされない」みたいな特徴が重なると、こういう人ができるのかなぁと思います。

とは言っても、この物語は松永くんのキャラありきで書き始めたので、滝野さん視点だとそのへん伝えるのが難しいですね(^_^;)

三題噺は難しいけど面白いですよね。
個人的には力抜いてノリで書いた方が、小説って楽しい気がしました。ゆるい文芸部ですし、私はラフな感じでばーっと書いて、雑な感じで提出しても許されるところが好きです!
一気に読みました。面白かったです。滝野さんのような自分に自信のある女性は、松永くんのような男ではなく、滝野さんしか目に入らないほとんど彼女を女神のように崇拝している男としかうまくいかないのかと思いますが、そんな男で滝野さんが良いわけもなく・・・ 「彼氏以外の人とセックスしたのは初めてだ」とありましたが、滝野さんに長く続いた彼氏がいたのででょうか。超美人というのは、大変だな(はっきり言えば気の毒だな)と思いました。
>>[4]
面白かったのお言葉、ありがとうございます!
滝野さんは、たぶん3人くらいと付き合ったことがあったけど、付き合ったはいいが2人の距離は縮まらず深まらず、なんとなく自然消滅する、みたいなことを繰り返しています。
それで彼女は、「どうしてうまくいかないの?」と考えているけれど、よくわからない。

超美人は大変そうです。外見でハードルがあがったり、逆に誤解される部分があると思うんですね。設定的に、滝野さんは華やか系美人なので。
設定としては、滝野さんは家庭環境がよくありません。
母親も超美人で、父親は見栄を気にする人なので、トロフィーワイフ的に滝野さんの母親を選んだ。父親もそれなりにイケメンだった。(でも外見がよくても社会的なステイタスがある夫婦ではないです)外見だけでくっついた2人はあまりうまくいかず、歳とともに衰えていく妻の美貌と比例して、夫婦仲は冷めきり……
(自分をちゃんと持っている美人なら、老いも受け入れ美しく歳がとれると思うけど、滝野さんの母親は、自分の若さと美貌に固執してしまうタイプで、うまく歳を重ねられなかったのかもしれません)

滝野さん自身も、そんな価値観の親のもとに生まれたので、外見ばかりを親に褒められる人生だったと思うんですね。
「お前は他の子より可愛い」「だから素晴らしい」
そのように褒められ続けるということは、自己肯定感が高まるように思えますが、でも「他人との比較においてしか認めてもらえない」「美人とか関係なく、ありのままの自分を愛してもらえなかった」(美人じゃなかったら愛してもらえないのか?という危機感を子どもに抱かせる)そういう親子関係は、幼い滝野さんになんとも言えない欲求不満を抱かせ。そしてそのまま成長する、という感じですね。

だから、滝野さんは、松永とほのかちゃんの関係に猛烈に嫉妬しているが、それに自覚的でない……ということを描きたかったのでした。
ほのかちゃんもまあまあ可愛いですが、すごく美しいというわけではなく。親しみやすい系。でも、大学教授である父親に愛され、浮気者の松永くんも、なんだかんだで彼なりにほのかちゃんを大事にしようとしている。
松永くんは、滝野さんの取り柄は顔だけだと思っていて、それ以外の滝野さん自身に興味はないので、チャンスがあったら一回セックスしてどんなもんか体験してみたい、いわば使い捨ての存在で、実際寝てみたら「やっぱり、ほのかちゃんが一番だな」と結論づけている。(滝野さんはたぶんマグロです)
そういうことへの滝野さんの嫉妬と敗北感を、ラストの滝野さんの記憶がぶわっとフラッシュバックする場面で表現したかったのです。
滝野さんの、これまでの人生を、直接文字で書かずに「この子はあんまり愛されてこなかったのかもな」みたいなことを読者がわかってくれたらとは思いますが、そういう技巧は私になかったですね……
美人へのステレオタイプというより、「超越した外見のせいで健全な親子関係が築けず、そのせいで他者とも信頼関係を築けなかった美人の人生」そういう側面を描いてみたかったのです。

「あなたは顔だけが取り柄だけで、つまらない人だよ」
そう松永くんにはっきり言われることが滝野さんにとってショックでありながら、でももしかしたら滝野さんの人生をちょっといい方向に向かわせるかもしれない……そういう暗示ができたらよかったんですが。
創作難しいですね。とりあえず一万字にまとめようと思いぱーっと書いてしまいましたが、上記の表現したかったことを叶えるために、もっと修正していけたらいいのですかね。
とりあえず叩き台としてはこんなもんだろうか、と思ってアップしつつ、めんどくさくてその後の修正ができないので、私の創作はなかなか深まりません泣。


長くなりすみません。今日は直接参加はできないので、ここで創作意図を説明させていただきました。
ちなみに、松永くんのモデルはCreepy NutsのDJ松永さんなんですが(名前そのまま!)、本当はあんまりよくDJ松永さんのことを知らなくて、調べていったら逆に彼は恋愛に奥手ということがわかりました……。第一印象でモデルにして書いてしまいました。
これは実際の話ですが、DJ松永さんは、寝坊で大事なイベントをすっぽかして叩かれたり、あんまり社会に適応するのが上手じゃなさそうで、しかもイケメンとは言えないのに見る人からみたら超可愛い顔、みたいな、なんとも微妙な立ち位置の、憎めないキャラな彼から着想を得まして。
「松永なんかと!」みたいな描写を書いてみたい、というところから創作が始まりました。(松永さんには失礼な話ですが。本当は女心を鷲掴みするとってもキュートな人だと思います)
知らないところでこんな創作のネタにされるなんて、芸能人は大変だと思います

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