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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第101回 文芸部A ガラス窓作「ローバーミニメイフェア」(テーマ選択『ろーば』

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 すっかりペーパードライバーで、もう二度と運転する気がしない私だけれど、長い人生の中で、一度だけ自分名義の車を所有していたことがある。
 亡父が余命半年と告げられ、でも、本人に告知しないのが主流だった三十年近く前の話。

 男尊女卑が当たり前だった世の中で、異例の栄転で大阪転勤になったのを棒に振る形で、ある意味タイムリーに転勤翌日に父が余命宣告された。後続の女性達の躍進に泥を塗る感じではあったが、心弱い母を支えろと親戚達から説得されて退社した。というのも、終電で帰るのが難しいような職種だったからだ。今思い返しても申し訳ない。

 けれど、想定外に父は復活した。休業していた仕事も再開した。とはいえ、実際は転移巣ある末期癌。開腹してみたものの、想定より酷い状態だったので、そのまま閉じたという状態で、当時の技術では完治する見込みゼロなのを、本当の病名も推定予後も余命も本人に言わない決断のまま時間が流れた。
 父には、エラソーな事言った癖に根性なくて会社辞めた設定にするしかなく、悔しかったが、父から情けない娘認定されているのを黙って受け入れるしかなかった。

 仕事復帰した健康体のつもりの父と、根性がなくて無職になった設定の一人娘。
 実は十八歳になって早々に運転免許は取ったものの、家の車は左ハンドルの大型車。もう全然運転したくなくて、ほぼ運転しないまま東京に就職で行った。まぁ運転する必要もなくだったのが、関西に戻って無職になったら、運転しろしろ煩いので、でも自信がないので、ペーパードライバー講習を受けた。
 自分的には1ヶ月くらい受けないとダメだろうと思ってたのが、2回でお墨付き出てビビった。でも、家の車が右ハンドルの中型車なら、お墨付きで自信が持てるけど、アホみたいなデカい左ハンドル。ムリ〜。

 って父に言ったら、一緒に中古車見に行くことになった。
 高級ブランド車にしか興味ない母には言えなかったようだけれど、実は父は国産車も含め、色んな車が見たくて試乗したかったらしい。そんな訳で、父と二人で近場の中古車販売店に色々と巡った。援助はしてもらわない私の貯金のみな前提で。
 軽自動車でもいいと思っていたところで、ある中古車店で、出会ってしまった。
 
 ローバー ミニ メイフェア。
 
 ミニだとか、フォルクスワーゲンとかって、可愛いけどマニュアル車のみでしょー?と思っていたら、ミニクーパーはマニュアルだけど、メイフェアはオートマ! イギリス車だから右ハンドル!
 しかも、中古で百万ちょい! それも、新古車で、実は限定車の展示品だったということで、通常のメイフェアには装備じゃない黒皮シートにエンジのパイピングで、超可愛い! 父の今までの路線じゃないけど、むしろ、母のプライドで買わされる高級車より、嬉しかったみたい。
 鍵が五個もあって、エンジンかける鍵、ドアの鍵、トランクの鍵、ガソリン入れるとこの鍵、エンジンルームの鍵、かな?全部バラバラ。エンジンかける鍵以外は、自動車の鍵とは思えない小型の鍵で、トランクの鍵は特に、本当にスーツケースの鍵くらいに小さいの。
 教習所で習うこともなかったチョークというのが冬には必須で、最初よく分からなくて面倒だったけれど面白かった。父も自分が免許取った当初の若い頃の車を思い出して、あーでもない、こーでもないが楽しかったみたい。
 とにかく、ゴーカートみたいで面白い車だった。親の車は、アクセル踏むとフワ〜と勝手に進んで行く感じなのが、自分の車は地面を掴んでるような感覚があって、独特だった。

 余命半年と言われてから一年半が過ぎ、もうずっと生き続けるんじゃないかと思った頃に、諸々急変した。父が死ぬ直前に、私は東京の大学に学士入学が決まっていた。入学後には東京に持ってくるつもりでいたものの、近所の駐車場が月四万前後もする。東京で運転する自信も必要もないので持ってくるのは諦めた。好都合に、亡父の職場跡を貸した人が欲しいと言ってくれたので、円満に譲渡。

 内心、卒業して再就職して、いつか余裕が出来たら、また同系列の車を所有したいなぁと思ったりもしていた。が、卒業して間もなく、ローバー社がBMW社の傘下に。新生ミニを発売したものの、もうあのゴーカートみたいなのではなく、デザインこそ似た雰囲気だけれど、もうフツーの車という感じだった。そっちの方が丈夫そうだし、安全安心だろうけれど、お金が出来ても、もう別に買わなくてもいっかな。と思って今に至る。もう一生車を所有することはないだろう。恐らく運転することも。

 結局のところ、所有していたのは、一年半か二年くらいだけの懐かしい車。その車の思い出は、私の人生を百八十度変えた、病気発覚後の父との甘苦い思い出と共にある。
 そんな事を思い返していたら、奇しくも自分がちょうど父の死んだ年齢になっていることに気がついて不思議な気持ちになっている。

 

コメント(5)

写真が古くて変色してるな〜。
茶色っぽく見えるけど、もっとワインレッドっぽい明るめの色でした。
ていうか、暗くて車の全貌がよく見えないね。
>>[2]
コメント有難うございます〜。
同じ色かもしれません!
タイヤの上の部分やバンパーの色が違うけれど(確かそこをボディと同色にしたのも限定車のオプション仕様だった気が。ハンドルもエンジの革張りだったんですよ)、ベースは同じなような気がします。

わぁ。今も大事に乗っていらっしゃるんですね〜💕
羨ましい。
本文中には、円満に譲渡と書いたけれど、実際は、まだ東京に持ってゆく事を諦めてなかった時に、母が勝手に売っちゃったんですよね泣き顔
私の乗ってた車はどうなったんだろうなぁ〜。

ちなみに、鍵って5つで合ってましたっけ?4っつだった??
手放したのが大昔過ぎてうろ覚えであせあせ
自動車自体滅多に乗らない生活なので、普通の車も含め、色んなことを忘れてしまっています。

やっぱり綺麗で可愛い車目がハート
どうか大切に大切に、長くお持ちくださいね〜。
>>[4]
有難うございます。
3つだったのかなぁ。
なんだか沢山あったってだけの記憶が、増幅されてしまったのかもしれません。
ボンネットは鍵なくて開いたんでしたっけ??
もう本当に忘れてしまってるなぁ。。
ほんのこの間のような遠い昔あせあせ(飛び散る汗)

昔のミニは滅多に見かけなくなってしまいました。
フォルクスワーゲンのビートルとかも。
色々教えてくださって有難うございますわーい(嬉しい顔)

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