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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第100回「ばんざい!半蔵門かきもの倶楽部」チャーリー作(三大噺:『ハロウィン』『カモ』『細胞』)

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 酔って記憶をなくす人はいるが、酔って記憶をなくした挙句、初対面の年上に身の上相談をしてしまった、という体験をした人はどのくらいいるのだろう。
 その店を初めて訪れたのは、出版社への営業からの帰りだった。


 俺は、毎年のように文学賞に応募しては一次選考でばっさり切り落され、を繰り返す小説家志望で、この日も原稿の持ち込みのため出版社を回っていた。
 二十歳で小説を書き始めてはや五年。単調な求人原稿を書くライター業の傍ら、仕事が終わって帰宅後、朝まで夜通し小説を書く暮らしも板についてきた。「売れなければ、書く意味はない」と自分に言い聞かせ、純文学や一般ではなく、活躍の場をライトノベルに限定した。応募するコンクールを絞り、受賞作を片っ端から読んで傾向を掴みながら、己の文体を磨いてきた。
 もちろん『小説家になろう』『カクヨム』などでも何本か連載している。どういった作品がPV数を伸ばしているか、流行りや類型を分析し、自分なりにキャラクターやプロットに落とし込んでみた。たしかにセッション数やコメント数がランキング上位に食い込むなど、一定の成果はあった。しかし、未だプロデビューには結びついていない。
 二十五の誕生日が迫り、意味もなく焦燥感に駆られるようになった。釣り糸を垂らしてじっと待っていてもムダではないか。やはり、こちらから能動的にアプローチすべきではないか。コンクールでも『なろう』でも、めちゃめちゃ面白いのに埋もれている作品は山ほどある。要は読まれないことが問題なのだ。
 分厚い原稿の束だけではきっと読んでくれないだろうと思い、ペラ三枚程度の企画書も持参して、半月に一度平日に休みを取り、大中小の出版社を回った。アポを取ったはずが、受付で「編集の●●は外出しておりますが」などと無下にされたり、持ち込みお断りを掲げる会社には、軒先で追い返される宗教勧誘者のごとく門前払いされることもあった。
 この程度の扱いは別にどうとも思わない。むしろショックなのは、企画書も原稿も受け取ってくれ、あまつさえ目を通してもらったうえで、ご丁寧にこんな返事がきたときだ。
「これは……ウチじゃ、ちょっと出せないですかねえ」
 事務的な調子で、丁重に断りを入れてくる。
 他社はともかく、あくまで弊社では出版できないという体裁だが、社交辞令にせよ、本音で言っているにせよ、どちらにしても傷つくことには変わりない。社交辞令なら出版できる候補が一つ消えたわけだし、本心なら俺の渾身の一作は売れない、少なくとも出版したいと思わせるほどの魅力がなかったと断言されたも同然だからだ。
 ただでさえ気落ちする内容を、よりによって持ち込みに駆けずり回っている出先の電話口で聞かされたら、なおのこと気分は沈む。自作をプレゼンしようと、気を張っているときにわざわざ水を差さなくてもいいだろうに(まあ、それもこれも俺が悪いのだが)。
 我慢強い方だと自己分析していたが、どんなに忍耐力のある人間にも限界はある。やりきれない気持ちが、大雨で水かさが増した川のように濁流となって押し寄せる。
アポを取っていた出版社との約束をすべて消化すると、その足で俺は何かから逃がれるように近くの居酒屋に飛び込んだ。銘柄も何もどうでもいい。目についた酒を頼む。
 何もかも忘れてしまいたい気持ち以上に、前後不覚になるまでアルコールを体に流し込んで、わざと気持ち悪くなってやりたかった。胃の中の物と一緒に、作家になりたいだの売れたいだの、目標や思いや邪念をすべて吐き出したい。そうして空っぽになったら、余計なことに惑わされず、真っ新な気持ちで小説に向き合えるかもしれない。とにかく今だけは小説のことを一ミクロンだって考えたくない。
 もともと酒は飲まず強くもなく、たいてい三、四杯目でトイレに駆け込むのが常なのだが、どういうわけかこの日に限ってはいくら飲んでも気持ち悪くならなかった。
 やけになってメニューの端から端まで酒を煽るうちに寝入ってしまい、店からたたき出され、仕方なくリビング・デッドのような足取りで夜の街をさまよい、気がついたらこの店にいた。
 どこをどう歩いて、ここに来たのか、まったく覚えていない。
 表に『KIYONO』という看板が出ていたのはおぼろげに記憶している。
 名前の響きが妙に印象に残り、てっきり八代亜紀か秋元順子みたいな年増盛りのママがいて、一緒に『三年目の浮気』とかデュエットしてくれるスナックかと思いきや、尾崎紀世彦に似たロマンスグレーのマスターが一人、ギターでKing Gnuの『白日』かなんかを弾いていて虚を突かれた。
 店内は誰もが思い浮かべるバーのイメージでだいたい合っていると思う。
 数席のカウンターの対面には、厨房を挟んで和洋酒のボトルが壁にずらりと並び、その隣には絵の具を鷲掴みにして画用紙にばら撒いただけのような絵画(きっと何千万するような高い絵なんだろう)に、茶の光沢が光るアコースティックギターが壁にかけられ(きっと何千万するような以下略)、木目調の高そうなスピーカーからはプププ、プルププウ〜とラッパが鼻歌のようでいてシャレたメロディを奏でている(よく知らんのだが、ラッパが吹いているからジャズなんだろう)。
 入り口の近くには二人掛けのテーブル席があって、マスターの紀世彦氏(仮)はそこに腰かけて、さっきから分厚いA4用紙に縦書きで印字された文字に目を走らせている。
言うまでもなく、紙の束は俺が持っていた原稿だ。用を足そうと立ち上がってふらついた拍子にバックの中身を盛大に床に撒き散らしてしまい、親切心から拾い上げた紀世彦氏が「これ、書いてるの」と俺に尋ねたのをきっかけに、バーは即席身の上相談室に早変わりした。
 普段の俺なら、いくら酔っぱらっていても初対面の相手に自分語りするのは躊躇っただろう。だがマスターの「昔、官能小説を女性名義のペンネームで出版していた」という告白に、俺は俄然身を乗り出した。
「K社から本出したんですか? めちゃめちゃ大手じゃないですか」
「一、二冊だけだよ」と、紀世彦氏は原稿に目を落としたまま、何でもないことのように言う。
「Kはそれっきりで、他はT書房から何冊か出したかな。それでおしまい」
「どんな経緯で出版までこぎつけたんですか? やっぱりコンクールですか」
「知り合いが文学フリマに出展していて、俺にもなにか書くよう勧めたんだよ。それをたまたまT書房の編集者が読んで声をかけてくれたんじゃなかったかな」
「なるほど」
 文学賞、投稿サイト、持ち込み以外にもそんな分岐ルートがあったわけだ。そしてめでたく、小説家デビューでハッピーエンド。
 俺は感心し、それから今の己の状況に重ね合わせて再び気がふさいだ。やはり重要なのは、作品が編集者の目に触れる機会なんだな。
「その後は他社で出版されたんですか」
「いや、もう出してないよ」
「え」と俺は驚いた。
「なんでです? やっぱり部数が伸びないと続けて出してもらえなくなるんですか」
「まあ、それもあるだろうけど」とマスターは顔を上げて、俺の顔を見て、
「作家でやっていくつもりはないからな」
 淡々とした口調で言った。
 腑に落ちない答えに、俺は押し黙る。部数の伸び悩みはあるにせよ、編集者に認められ、いくらでも本を出し続けられる機会はあっただろうに、なぜ貴重なチャンスを自ら棒に振ったのだろう。何より作家でやっていくつもりはない、とはどういうことなのか。
 酩酊するつもりでこの店に入ったものの、飲んでいるわりに頭はどんどん冴えていく。
 立ち上がった紀世彦氏は話題を変えたいのか、「お替りは」と俺の空になったグラスを指す。
「えーっと……鬼ころし、ありますか」
「鬼ころしはないな。貰い物だけど、黒霧島ならあるよ」
「いくらでしたっけ……」
「ぜんぶ五百円」
「じゃあ、お願いします」
「飲み方は」
「お湯割りを」
「はい」
 そう言って、紀世彦氏は手際よくグラスを交換すると、自分は南海のマリンブルーのような色したカクテルに青緑のキンカンみたいなの(もっとシャレた名前の果実だが思い出せない)を切って浮かべると、それを片手にテーブル席に着いた。
「これを持ち込むつもりはないの?」
 考えにふけっていた俺は、マスターの言葉で我に返る。
「え。あ、何をですか」
「これ」と、紀世彦氏は手元の原稿を掲げてみせる。
 やっぱりその小説のことを聞くんだな、と俺は心の底で苦虫を噛む。
 正直に言って、それは俺が唯一人目に晒したくない作品かもしれない。
 内容は、日本で三食まともに食えないほどの貧困家庭に生まれた中学生のゲイが、闇バイトを通じて知り合った同じく十代のゲイと恋に落ち、真っ当な仕事をして人並みの暮らしを手に入れようともがくという話である。
 晒したくないのは、主人公が俺を投影……というより、ほとんどそのままだからだ。
 LGBTにまったく理解がなく、学歴至上主義者で有名企業就職+結婚+子供を持つ=自動的に幸せになれると盲目的に信仰する両親のもとに生まれた俺は、ゲイであると誰にも打ち明けられず、そもそも同性愛だからといちいちカミングアウトしなければならないような空気にも疑問を抱いていた。
 中学生のころ、SNSの裏アカで知り合った同じ十代のゲイとリアルでも仲良くなり、恋に落ちてやることをやった。ある日その場を親に目撃されて――と、まあ詳しいその後は思い出したくないが、ありとあらゆる修羅場と屈辱と辛酸をなめて、結局その彼はこの世にいない。
 思い出すだに涙が止まらず、硬く封をして胸の奥にしまい込んでいた記憶を、なぜか二十歳のころに突然小説にしようと思い立った。いや、小説の体裁は考えず、ただ文字に起こそうと思ったのだ。いったん書き始めると、言葉通り書く手は止まらなくなった。まるで誰かに操られているがごとく、あふれる文字をひたすらノートに書き殴った。そうしてでき上がったのが、その原稿だった。
 だから読み返すと、小説と言っていいのかどうかも怪しい。基本的な誤字脱字、言い間違いに言い回しの誤用。文章は粗削りだし表現は凡庸だしで、純文学としては成立せず、かと言ってエンタメとしても面白みがない気がする。絶望のどん底へ沈んでいくような鬱屈とした筋書きだが、嫌ミスのような味わいでもないし、ホラーとも言い難い。
 習作としてこっそりパソコンに眠らせておくのがふさわしい、と思いつつ、なぜか後ろ髪を引かれてわざわざプリントアウトし、いつでも読み返せるようにと普段から持ち歩いている。
 俺は言い訳を探して、
「それはまあ、練習台みたいなやつなんで……」
「そうなのか。ところどころ修正しているようだけど」
「書きかけなんですよ。完成にはまだほど遠いんで」
「ふうん」
 どことなく合点がいっていないような紀世彦氏の返答に、なぜか弁解しなければならないような必要性を感じてしまう。
「それはほら、ちょっと純文学っぽいじゃないですか。俺がやりたいのは、やっぱライトノベルなんで」
 俺は姿勢を正して、
「今は出版不況ですからね、小説だけやってたって売れないでしょ。だからメディアミックスありきで、売れるIPづくりを意識してやっていかなきゃいけないと思うんです。たとえ小説のウケがいまいちでも、コミック、アニメ、ゲーム、映画のどれかにでもなれば、それで作品は勝手に一人歩きしてくれますから。そのためには、コミックやアニメと親和性の高いライトノベルが一番の近道だと思うんですよ」
 政治家の街頭演説のような俺のまくし立てを黙って聞いていた紀世彦氏は、咀嚼するような時間を置いてからまっすぐ俺を見つめて
「でも、それは本当に君がやりたい小説なのか」
「そりゃ、もちろんですよっ」
 なんだかわからないが、語気が強くなってしまう。そんな俺と対照的に、マスターは静かな口調で、
「君が『小説家になろう』に載せている……なんだっけ、『ハロウィンで吸血鬼のコスプレしたら、陰キャの俺だけカモにされてクラスの仲間外れにされたあげく、まさかの事故で本物の吸血鬼に転生しちゃった件〜激おこで細胞レベルで燃えたぎってる血だまり復讐編〜』より、俺はこっちの方が面白いけどな」
 それは普段からラノベを読まないからでしょう、と直球の反論はできず、どう言いつくろうかまごつく間に、紀世彦氏が先に口を開いた。
「俺はライトノベルを読まないから、この『ハロウィン……』の良さがわからないだけなのかもしれない。単に文体や表現力で比較すれば、この『ハロウィン……』の方が洗練されているようにも思う。だけど、まだ十ページ読んだだけだけど、こっちの方がこう心を掴まれるような、何かを感じるな。文章の出来不出来、プロットの構成力じゃなく、作者のほとばしる感情というか、熱意のようなものを感じられる。だから面白い。そう思える」
 意外な称賛の言葉に、俺は返す言葉を失った。
 自信のない作品を褒められて嬉しい驚き、とは違う。自分が思ってもみなかった視点で評価されたことに意表を突かれた、というのが正しい、かな。
 紀世彦氏は原稿をテーブルに置いて、
「俺も趣味で小説を書いたり、趣味で人が書いたものを読むことがあるけれど、素人が書いた作品のほうが書店に並べられているものより、はるかに面白いんじゃないかと感じることがある。おそらくそれは、小説には特別な努力は不要だからさ。文章の表現力は優れた編集者が見ることでいくらでも高めていくことができるけど、本質的な面白さは技巧的なだけの文章からは生まれない。小説の魅力は、書いている人間自身の書きたい、あるいは書かざるを得ないような衝動から生まれるものだと思う」
「そうかもしれないですけど、」
 と、俺は頭をかいた。
「いくら面白くたって、やっぱり売れなければ書く意味がないんじゃないですか」
「それは、手段と目的を取り違えていないか」
 わき腹にドスッと強烈な一発を食らったごとく、目の覚めるような思いがした。
「君の話を聞いていると、売れなければならない、売れる作家にならなければならないという強迫観念にとらわれて、結局何を書きたいのか、大事な部分が欠落しているように思う。なぜ小説を書くのか、原初の動機を見失っていないか」
 売れなければという強迫観念。手段と目的の混同。なぜ書くのか、という原初の動機……。
 マスターの言葉がメリーゴーランドのようにぐるぐる頭をめぐり、俺は思考の渦に飲まれた。つまり、俺は小説を書いて何がしたかったんだろうか――
 答えは出ないうちに、閉店時間を迎えた。帰り際、俺に原稿を返しながら、紀世彦氏はこんな話を持ちかけた。
「月に一回、ここでかきもの倶楽部というのをやってるんだ。参加者がお題に沿って小説を書き、それをお互いに感想を言い合う。気軽に誰でも参加できるような会なんだが、よかったら来てみないか」
 頭の整理がつかなかったため、即答できなかった俺は、詳細が載っているというmixiのURLを教えてもらい、マスターとLINEを好感してバーを後にした。


 翌日。
 二日酔いでずきずきする頭を抱えながら、仕事の合間にこっそりとmixiを開いてみる。
 次回の開催日はちょうど一週間後で、すでにトピックにはお題に沿った作品が何作か上がっていた。
 どの小説も一万字を切る短編で、仕事の昼休憩にさらっと読めそうな分量である。
 試しにいくつかの作品を試し読みして、俺は思わず感心した。面白い。
 どれもお題には沿っているが、共通点はそれだけでテーマもジャンルも文体もまるで違う。  
 繊細なタッチで心に染み入るような感動作もあれば、博識を生かして聖書をモチーフにしながら深淵なテーマを掘り下げているのもあれば、他を圧倒するような縦横無尽で唯一無二な世界観を構築しているのもある。
 繰り返し読み比べているうちに、はたと気づいた。
 もしかしたら、俺の小説にはこういう自由さが失われていたんじゃないだろうか。
 売れること、注目されること、PV数を稼ぐことばかりに目が入ってしまい、そのためにはこういうキャラクター造形にしなければならない、ああいうプロットにしなければならないとがんじがらめになって、純粋に自分が面白いと思うモノを書いていなかったのではないだろうか。
 加えて、なぜ書くのかという動機を見失っている状態では、これは面白いものが書けるはずはない。ヒット作の傾向を掴み、それを作品に落とし込む能力だけで言うなら、AIのほうがはるかに良いものが書けるだろう。今の俺は、ヒット作の模倣をするAIの模倣をしているようなものだったのかもしれない。

 一週間後、俺は再び『KIYONO』の看板をくぐった。
 改めて駅からバーまでの道をたどると、酔っぱらって店に入ったのが奇跡じゃないかと思うくらいわかりにくい場所にある。店の構えは会員制バーのような趣で、シラフだったら入るのにはかなりの勇気がいるだろう。俺みたいなコミュ障にとっては。
 門扉を開け店内を窺うと、カウンターはすでに満席で話し声が聞こえていた。恐々と戸を開けると、揃って振り返った客人たちの「こんばんは」の合唱と、厨房に立った紀世彦氏がこう俺を出迎えた。

「ようこそ、かきもの倶楽部へ」

コメント(6)

なんか100回のKIYONOの文学会に合わせたのだとすると
すばらしいです。

すごくリアルな感情(=想像で作り出したものだろうと思うのですが)を感じとれて
モノ書きを目指してる人の純粋な感情やひたむきな努力を理解させてくれるのが魅力だと思いました
今回のタコパ会場をパロってるところや三題噺の瞬殺っぷりに筆力もすげーとあきれる^^
(ちなみにJONYさんのお題のやっつけ方にもいつも感じますが・・・
 いつも三題噺には悩まされます。今回インスピレーションあったのに間に合わんかった)

> 晒したくないのは、主人公が俺を投影……というより、ほとんどそのままだからだ。
チャーリーさんがLGBTかどうかわからないけど
小説家って自分を切り売りする職業って・・・・聞いたことあるし、読者は結局架空のお話の中にも
作者という人間を読んでるんだろうなぁ・・・とおもうので
例えば、田山花袋あたりの田舎のくそまじめ教師があってはならない欲望いだく・・・みたいなのもグロければリアリティ感じて面白いし、その時代にえぐいものを本音で書いたから人の心をつかんだんだろうななんて思います

>「でも、それは本当に君がやりたい小説なのか」

>「それは、手段と目的を取り違えていないか」
マスターぐいぐいきますね¥ たまたま半蔵門に作中と同じ名前のカフェバーを存じており
同じくイケメンおじさんがマスターやってますが彼もさらっとそんなこといいそうです¥^^

書くってどういうことなんでしょうね・・・みたいなこと大して書いてないのに
思いを馳せました。
恥ずかしながら僕、相当昔に一次選考までを何回かやった口でした^^
もう出さないと思うけどこの作品の主人公ほどにはハングリーになれなかったなと
思い返しました・・・

(あとどうでもいい感想:マスター白日弾いて歌ったことあるんでしょうか?
 =タコパで聞いてみたい^^)
>>[1]
コメントありがとうございます!!

おっしゃる通り、100回記念ということで、こういうのもお許しいただけるかと思い、書いてしまいました笑笑

三大噺はいつも頭を抱えてハロウィンの描写をしようか、迷ったのですが、結局ギャグに逃げましたあせあせ(飛び散る汗)
書くこと、作家になること、売れること、いろんな考えがあると思います。
そんな中でも、文学表現や商業性、そのほかいろんなしがらみなく、自由に書けて楽しめるかきもの倶楽部は得難い場所と思います。
微力でも、かきもの倶楽部の良さを描けていたら、これ以上望むものはないです〜
ちなみに、書いてあることはすべてフィクションです〜〜
いやー、100回記念の会にふさわしい作品ですね。
内側から突き破ってくるような、どこまでが虚構でどこまでが現実なのか、そのフィクションと実在の輪郭がぼけてゆき、あるがままの実存になってゆく不安と光悦を感じます(ややこしい感想ですみません)。
今夜、たこ焼きを食べながら語り合うのを楽しみにしています!
〉「いくら面白くたって、やっぱり売れなければ書く意味がないんじゃないですか」

確かに、出版もビジネスなので、素晴らしいものが売れるのではなく、売れたものが素晴らしいというロジックで、利益ありきですよね。

 大衆という幻とお金という偶像に仕えるのがマスコミで、その尖兵としての商品に作家も作品も過ぎないという現実に向き合う時、絶望的厭世的孤独を感じるのですが、それもまたイルージョンの一つかもしれません。

 それでもなお文芸のアーカイブに素晴らしい作品が残り続けるという不思議な奇蹟も同時に平行線として走っていますしね。

 人はみんな欲望の塊ですが、何故か他人の欲望をそのまま無媒介で無化粧で向けられることには激しい嫌悪を感じるようで、いかにも売れ筋で、売らんかなの作品は、例えばなろうの感想欄ですら、書籍化されている売れっ子の作者は、売れればいいという姿勢がみえみえだと、炎上するんですよね……。

なんか矛盾する、アンビバレンツな世界ですよね。
100回にぴったりの素晴らしい作品をありがとうございます。
ある日、内から湧き上がる衝動に引っ張られて何か自分で作るものが書けたら、それは素敵なことで、もしそれが小説の形となって完成したら、とっても素敵なことで、そして、それを読んでくれる人がいたら、もっと素敵なことで、読んでくれる人がたくさんに増えたら最高に素敵で、そして、結果として、それが金につながったらおまけにちょびっとだけ嬉しい。そういう営為をすることに興味をもった人が集まれるのは素晴らしいことだと思います。それを、作品として、結晶させたものを読ませてもらいました。ありがとうございます。

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