半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八十八回　JONY作「最年少のBarの客」（　三題噺　『かぼちゃ』　『うろこ雲』　『ホルモン』）

　『うろこ雲』が夕焼けに染まり釣瓶落としの秋の夕暮れに早くも夜が迫っていた。俺はコインランドリーの機械のトラブルを処理し、自分の店のカウンターで、「僕って何？」という拙い作文のような課題図書でなければ最初の3頁で投げ出す小説を一人読んでいた。恐らく作者の分身であろう18才の甘えん坊の幼稚な主人公が、大学と言う初めて大人扱いされる場所で居場所を探す話だが、何もせずに迷っている暇があるならひとり勉強して力を身につけろってんだよと読みながらついツッコミを入れていた。
　そのとき、一人の中学生くらいの少女がいきなりガラスの扉を開けて入ってきた。あまり、普段接することのない年代なので、てっきり、また、コインランドリーの機械のトラブルか、両替で、親に言われて来たのだろうと思い、俺は立ち上がってその子のほうへ行きかけた。しかし、その子は『かぼちゃ』柄の可愛いワンピース姿で、誰もいない店内を見渡すとつかつかとカウンターに歩み寄ってきた。
　俺が
　「こんばんは」
　と声を掛けると、おそらく１２、３歳の少女は、物怖じしないおしゃまな笑顔をつくり、
　「おじさん、ジョニーさんでしょ？」
　と言った。
　「うん。そうだけど、君は？」
　「Sよ」
　日本人によくある苗字を名乗ったが、どこのSなのか俺には心当たりがなかった。俺の困った顔を見るとその子は一層の笑顔になり、
　「ここ、座っていい？」
と言って、カウンターの端の椅子に腰を掛けた。
　「いいけど、未成年にお酒はだせないよ」
　「うん。分かっているよ。良い店ね」
と生意気なことを言った。
　「ありがとう。君は、この店始まって以来の最も若いお客だよ。前に、読書会のメンバーがベビーカー押してきたきたことがあるのを除いてはね」
　俺の言い方が、この子のカンに触ったようで、むっとした表情になり、
　「私、背が低いけどもう中学生よ。バスだって大人料金払っているの」
と言った。
　「え、君は高校生かと思ったけど、まだ若いんだね。あと、この店は禁煙なので、煙草は吸えないよ」
と、俺は言うと、彼女は笑顔に戻り、
　「いやね。煙草なんか吸わないわよ」
と言った。
　「何か、飲む？カクテルでいい？」
彼女は嬉しそうに、
　「うん。お勧めのをお願い」
と、ご満悦だった。
　俺は、ロンググラスに氷を入れ、三分の一ほどクランベリージュースを注ぎ、その上にグレープフルーツジュースを注いで、切ったレモンの切れ端を浮かべた。下がピンクで上が白のグラスをカウンターの上に置く。
　「うわー、可愛い。いいねコレ」
と言って、スマホで撮りだした。
　俺は、店に流れているコルトレーンをYOASOBIとかに変えてやったほうがいいかとも一瞬思ったが、やめた。子供が大人に合わせるべきなのだ。
　「ねえ、名前なんていうの」
　「これか？バージンブリーズ。シーブリーズのウォッカ抜きだよ」
　「バージンか。だから、ノンアルなのか」
　バージンという言葉をこの子がどこまで知っているのかは怪しかったが、そこは訊かずに俺は話題を変えた。
　「ところで、君はなんで俺の店を知っているの？俺の名前も」
　彼女は、教えようかどうしようか迷っていたが、結局教えてくれた。
　「ママと待ち合わせなんだよ。スタバとかより、ここのほうが安心できるみたいで、ママのお仕事が終わるまでここで待っていろって」
　それで、子供が一人で来た謎がとけたが、その「ママ」って誰だろうか。Ｓというよくある名前だけではわからない。というか、そもそも読書会の会員など、本名を知らない知人も多い。「ママ」が来るまで俺はこの子と何を話していればいいのだろう？とりあえず、彼女のスマホが目に入ったので
　「君もTikTokとかやってるの」
と、訊いてみた。どうも、つまらないことを訊いてしまったようで、大げさに驚かれた。
　「えー、そんなの子供がするものでしょ。もうやってないよ。インスタはやっているけどね」
　「そうなんだ。俺は子供がいないんで、そういうのよくわかんないんだよ。ごめん」
　「謝ることないよ。ウチらのクラスでも、ダンスにハマっている子多いし」
　「クラスって、君は何年生なのかな」
　「まだ１年なんだ。１３歳。早く大人になりたいよ」
　「俺からみたら、君はすごく大人だよ。俺が中一の時は、君のように大人と話したりできなかったな。周りがみんな嫌いで、大人は特に嫌いだった。親は挨拶とか礼儀とかうるさくてさ。だから、大人と話さなければいけないとき、大人のほうは「Ｋちゃん（俺のことだけど）は、しっかりした良い子だ」とみんな口をそろえて言ったけど、それは俺が私立校に通っているお坊ちゃんで、俺の親や、祖父の耳に聞かせようとしているお世辞だと判って、メンタルバリアを作っていた」
　「メンタルって？」
　「あ、ごめん。精神的な障壁ってことだよ。でも、君はつくづく大人だな。俺が今読んでいる小説の主人公の大学生より大人だよ。普通は知らない言葉が出てきても、自分の無知を晒すことを恐れて訊き返さない。俺も１３歳頃、君みたいだったらどんなにいいかって思うよ」
　「そんなことないよ。学校じゃ、みんなグループで行動してさ。どこのグループにも入ってない子は残り組みたいな感じで。なんかそういうのイヤなんだよね」
　彼女は初めて暗い表情を見せた。それがこの子の素顔なのかなと言う気がした。
　「そうか。そうだよな。でも、君と同じように学校社会のくだらなさにウンザリしている子は何万といると思うな。綿谷りさって知ってるかい？」
　彼女は首を振った。
　「『蹴りたい背中』って小説を読んでみるといいよ。彼女がそれを書いたのは19才だから今の君よりちょっと上か。因みにこれで芥川賞も取っているし、読んで損したとは思わないと思うよ」
　彼女は、少し攻撃的な眼を俺に向けて言った。
　「大人はすぐ本を読めって言うんだよな。ウチらそんな暇無いんだよね」
　「うん。それは分かる。余計な本はどんなに名作と言われている本でも読む必要無いよ。薬と同じで君の身体に必要な本だけ読めば良い」
　「それはどうしたら分かるの？」
　「良い質問だ。一番は利口な大人に聞くのが良い。子供のうちは何を聞いても金がかからない。馬鹿に聞いても間違った返事しか返って来ないから気をつけて」
　彼女はだんだんと興味を持ち始めたようで、
　「利口な大人って？」
と身を乗り出して訊いてきた。
　「君の学校に図書室があるだろ？そこに司書教諭っていうのがいないか？」
　「いる」
　「司書教諭ってのは大抵とんでもなく本を読むのが好きだ。小説はものすごく読んでいる。あと、国語の教師も使えるぞ」
　「ふーん」
　「子供の利点は、何でも訊けることだ。それを活かさない手はないぞ」
　「おじさんは、利口な大人？」
　「え？俺か？君の質問が何かに拠るな」
　「周りの大人には訊けないこと。おじさんなら教えてくれそうだから」
　彼女は、より親しさを込めた眼差しで俺を見つめた。
　「何が知りたいんだ？」
　「セックスってどんな感じなの？」
　この子は俺の予想を常に上回る。しかし、恐らく13才の少女が最も知りたいことかも知れない。おそらく、性教育のような「女性『ホルモン』がどうの」とかいうことを聞きたいのではなく、エクスタシーの感じを教えてくれと言っているのだろう。
　「そうだな。例えて言えばふわっと頭の中が空になって、血が逆流するような感覚かな？遊園地のフリーフォールに似た感じかも。フリーフォールは嫌いな人もいるかも知れないけど、セックスは、多分誰でも癖になる快感だと思うよ。フリーフォールは機械任せだけど、セックスは、好きな人との共同作業だから、コミュニケーションとも言える。だから誰とするかが一番大事なんだろうな。もうちょっと言えば、そのことから、ただの行為ということを超えて、ひとつのシルシという意味を持っているんじゃないかな。金メダルみたいな。なので、ある人とセックスをすると言うことは、その人から貴重な名誉を得たということで、それが、心理的な喜びになって、肉体的物理的な快感より、精神的な喜びの方が大きいのかも知れない」
　「なんか、よく分かんない」
　「キスもそうだと思うよ。唇を重ねることって、好きな人とするから心地いいんじゃないかな。それも、特別な事っていう不文律があるから価値があるわけだろう。もし、特別の事っていう前提がなければ、肩を揉んでもらうとか、背中を掻いてもらうとかと同じように、誰にでも気軽に頼めるとしたら、キスの喜びは無いんじゃないかな」
　「ふーん」　
　伝えたいことは、何となく伝わったようだった。その時道路から人が建物に入ってくると鳴るピンポーンという音がして、続いて、ガラスのドアが開けられ、
　「こんばんわあ」
と言いながら入ってきたのは、読書会の会員のA子だった。
　カウンターから少女が
　「ママー」
と、歓声をあげた。
　A子は少女に近寄り、頭を撫でながら
　「良い子にしてた？」
と訊いた。
　俺は
　「なんだ君の娘だったのか？こんな大きい子がいるなんて驚いたな」
と、言ったが、それは本音で、と言うか、そもそもA子が結婚していたことも知らなかった。
　A子は、俺の顔と娘の顔を交互に見ながら
　「あなた、ジョニーさんに迷惑かけたんじゃないでしょうね？」　
　と言った。俺は、
　「ぜんぜん、そんなことないよ。むしろ、俺の方が勉強になった」
と説明した。ある意味、本当に勉強になったのだった。
　A子が笑顔で
　「ジョニーさんが勉強になることなんて、一体、何を話していたの？」
と言った途端、少女が口を挟んだ。
　「それは秘密だよ」
　俺も
　「うん。秘密のことなんだ」
と調子を合わせた。その俺の言い方に、A子は、
　「ジョニーさんは子供嫌いかと思っていたけど、良かった」
と安心したように言った。
　少女は、カウンターの椅子から飛び降りると、A子の手を引っ張った。
　「ママー、早く行こう」
　A子は娘に手を引かれ、振り返りながら、
　「すみません。お世話おかけして。また遊びに来ますね。ありがとうございました」
と言い、俺は、
　「うん。またね」
と答えた。　　
　母親の腰の辺りを後ろから押しながら少女が店を出ようとするとき、お金を取るのを忘れていたことに気づいたが、ジュース一杯のことなので声をかけなかった。少女は母親をガラスのドアの外に出すと、振り返りドアを閉めながら、満面の笑みをみせて
　「またね」
と手を振った。俺は、
　「ああ、またな」
と答えた。
　俺はカウンターの上を片付けて、トールグラスに氷を入れて薄めのシーブリーズを作って、コルトレーンをチャーリーパーカーに変えて、カウンターに座った。A子の娘の最後の笑顔が瞼の裏に張り付いている。
　俺に子供がいたらどうなっていただろう。少なくともこの店は開かなかっただろうな。気づいてみれば、この店も開いてから10年以上経つ。あっという間だ。もしまた再びA子の娘に会う事があれば、人生はあっという間に過ぎるという事を伝えたいと思ったりする。外は小雨が降り出したようだ。チャーリーパーカーの絞るようなアルトサックスが沁みてくる。
（終わり）

コメント(3)

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[1] mixiユーザー 10月12日 18:55

子供っぽいカボチャのワンピースを着て、「良い店ね」なんて言っちゃうSが微笑ましいです。あどけなさと背伸びしたがりな一面が絶妙ですね。しかし、バーや初対面の大人にちっとも気おくれしていないところを見ると、普段からいったいどこでなにをしているんだか……(笑)
そういう小悪魔なSの、大人を試すようなきわどい質問にも真正面から答えるジョニーさんもなかなかです(笑)

[3] mixiユーザー 10月18日 22:53

遅い感想でスミマセン！
バーという大人の空間で、知ったかぶって大人っぽく振る舞いたいけれど、イマドキの、小中学生でも家出してパパ活したりするようなスレちゃってる子ではない、いい育ちの子という感じがリアリティがあって良かったです。
しかし、待ち合わせ場所に使うだけで自分は飲んでも行かず、娘の飲み物代も払わずシレッと帰る、娘を見せたかった？なちゃっかりして身勝手なA子も、イラッとするけどリアリティがあるなぁ（笑）

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