半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八十四回　みけねこ作『釣鐘草』「梅雨」「へびつかい」「五円玉」

　彼女の存在に気が付いたのは、五歳の頃だったと記憶している。田舎の母方の祖母の家に泊まったとき、視界のすみっこにちらちらと何かの動きを感じたのが始まりだった。目の錯覚かと思ったが、東京の自宅に戻ってもその感覚は消えなかった。

　私が中学生になり、試験勉強のため机に向かっていると、横に人の気配がした。見ると小学生低学年くらいの女の子が立っていた。
「だれ？」
「ヨウコ」
　彼女は、黙って手のひらを開き、握りしめた五円玉を私に差し出した。
　なぜ、ここに女の子がいるのか、不思議なことに疑問を持たず、恐怖も感じなかった。昔からずっと知っている子みたいに感じた。私は、五円玉を受け取り、彼女に向かって話しかけた。
「ヨウコちゃん、私たち前から知ってるよね？」
　ヨウコと名乗った女の子は、長めのおかっぱで色白で目が大きく、リスを思い浮かべるような顔立ちだった。彼女は私の問いかけには何も答えず、気付くと姿は見えなくなっていた。
　ヨウコの姿を初めて見たのはこの日だった。

　彼女の出現は、月日とともに増えてきた。彼女は、私が一人でいるときにしか現れない。初めは、会話が成り立たなかったが、そのうちに彼女のほうから話しかけてきて、短い時間なら私と簡単な会話をすることもできるようになった。私は成長していくが、ヨウコはいつまでたっても少女のままだった。
　相変わらず、ヨウコが何者か分からないままだったが、分身のようでもあり、一人っ子の私には友達ができたようで嬉しかった。彼女は、なんの前触れもなく現れるが、私が彼女から受け取った五円玉を触ると、ヨウコが現れることが多かった。私は、ヨウコからもらった五円玉を大切に袋に入れてお守りのように持ち歩いていた。

　ある夜、高校受験のため、夜遅くまで勉強をしていると、ヨウコが現れ、私に言った。
「お水が飲みたい」
「お水？　わかった。持ってきてあげるね」
　階段を降りて、キッチンに向かった。真っ暗なキッチンの灯りを点けると、ダイニングテーブルに母が突っ伏していた。
「お母さん、どうしたの？」
「気分が悪くて」
　顔が真っ青だった。父は出張で留守にしていたので、私は急いで救急車を呼んだ。
　母はそのまま入院してしまった。もともと体が弱く、昔から入退院を繰り返していたので、入院には馴れていたが、あのときキッチンに行かなかったら母に気付くことはなかったんだと思うとぞっとした。　
　　
　早朝、母を病院に残してタクシーで家に戻って玄関に入った途端、ヨウコのことを思い出した。
「あ、水」
　ヨウコは、水を欲しがっていたのに、ほったらかしにしていたのだった。
急いで部屋に駆け上がった。ヨウコの姿はなかった。ヨウコも喉が乾いて辛くないだろうか？　母のこともヨウコのことも心配でその夜は眠れなかった。
　次の日、ヨウコが部屋に現れたとき、私はほっとした。
「昨日はごめんね。喉乾いたのに、大丈夫だった？」
　ヨウコは、無表情のまま頷いた。その日は私が勉強をしている間、何も話さずベッドの上に座っていた。
　
　母は持病があり、時々発作を起こしていた。今回もそうだった。母方の祖母がいつも心配していた。
「美咲ちゃんがお腹にいるとき、お母さんの命が危ないときがあってね。無事に産まれて本当に良かった。お母さんをよく見ていてね。お願いね」
　祖母は、いつもそう言って私の頭を撫でた。幸運なことに、私はいたって健康だった。母が幼い頃に祖父は亡くなっていて、祖母は女手ひとつで母を育てたという話はよく聞いていた。
「おばあちゃん、お母さんは小さい頃から体が弱かったの？」
「そうね。二十歳まで生きられないと言われてたんだけどね、結婚して子どもまで産まれるとは思ってもみなかったよ。お母さんには、年子のお姉ちゃんがいたんだけど、小さな頃にやっぱり病気で亡くなってしまったからね」
祖母は悲しそうに頭を落とした。
「大丈夫。お母さんは私が見てるから。安心して。将来は医療の仕事に就きたいって思ってるんだ」
　私は、明確な目標を持っていた。ヨウコにも話したことがある。祖母はうっすらと涙を浮かべた。
「美咲ちゃんが健康でしっかりしていて、本当に安心だよ。小さい頃は、蛇つかいになりたいなんて言ってたのにね」
「え？　私、そんなこと言ってたの」　
　二人で笑った。おばあちゃんは、そのままぎゅっと抱きしめてくれた。服からはお線香と土が混じったような古い家の匂いがした。私はその匂いが好きだった。

　父は、出張の多い仕事らしく、国内、海外を行き来していて、一か月の半分は家を空けていた。母の体のことも心配していたが、殆ど留守のため、私に比重がかかっていた。
　ある土曜の朝だった。父がいつものように出張の準備をしながら私を呼んだ。
「お父さんは、これから福岡に一週間行っているけど、お母さんのことを頼んだよ。支店がちょんぼしたせいで、かかりきりになる仕事があるんだ」
「うん、大丈夫。でもなにかあったら、お父さんの携帯に電話するね」
「ああ、頼んだよ」
　荷物を持った父が玄関のドアを閉めた。その途端、玄関にヨウコが現れた。こんな場所で現れるのは珍しい。
「ヨウコ、どうしたの？」
　ヨウコは大きな目をうるませていた。その目は怒りに震えているようにも見えた。
　急に喉が苦しくなり、目の前が真っ暗になり、うずくまった。母は寝室で休んでいる。頭が朦朧とする中、父の携帯に連絡をした。

　そのままどうなったのか記憶が途切れているが、目覚めると病院のベッドにいた。父の顔が見える。
「美咲、大丈夫か」
「うん、大丈夫。あれ？　お母さんは？」
「お母さんは家にいるよ。お父さんは出張には行かないことにしたから、具合がよくなったら家に帰ろう」
「行かなくても大丈夫なの？」
「ああ、他の人に頼んだから」
　私は貧血だったようだ。検査をしてもらい、異常がないことを確認して家に戻った。
　父に申し訳ない気持ちと、あのときすぐに父と連絡が取れて良かったという気持ちが交差していた。

　部屋のベッドで横になっていると、ヨウコが枕元に現れた。
「ヨウコ、ありがとう。もう大丈夫」
　彼女は、無表情のまま小さく頷いた。ヨウコはいつも殆ど表情を出さないのに、今朝のように怒った顔を見せるのは珍しいことだった。
　なんだか心細くてそばにいて欲しかった。
「ねえ、そばに座ってて」
　ヨウコがか細い声で言った。
「お水、ほしい」
　私は、重い体を起こした。
「わかった。持ってきてあげる。ちょっと待ってね」
　ゆっくりと階段を降りる。キッチンに向かう途中、ひそひそと話す声がする。父が電話で誰かと話しているようだ。
「……だから、娘の具合が悪くなって……うん、ほんとだって。俺に家族がいることわかってるだろ」
　心臓がドキンとした。お父さんの出張、なんだったの？
でも、絶対にお母さんに知られたくないと思った。忍び足で冷蔵庫の冷たい水をコップに入れ、二階に上がった。
　ヨウコはまた怒ったような目をしてベッドに座っていた。

　私が高校生になると、母は殆ど入院生活となった。父は、相変わらず出張が多く、殆ど家にはいない。家で一人でいるときは、ヨウコがずっとそばにいてくれた。何を話すでもなく、黙って座っていることが多かったが心強かった。

　高校二年生の夏、母が亡くなった。その年は例年より梅雨が長く、ようやく晴れ間が出てきた頃だった。いつかはこういう日が来ると覚悟はできていたが、自分の一部がなくなってしまったように悲しかった。お葬式の間中、祖母にしがみついて泣いた。父も、母の頬を撫でながら泣きじゃくっていた。
　
　葬儀が終わり、母の位牌の前に座っていると、ヨウコが現れた。釣鐘草を握っていた。また涙が溢れてきた。釣鐘草は、祖母の家の庭にたくさん咲いていた。祖母も母もこの花が好きだったのだ。
「お母さんがいなくなっちゃった」
　ヨウコが近づいて頬の涙をぬぐった。そして私の肩に抱きついた。考えてみると、ヨウコが私と触れ合うのは初めてだった。彼女の体は氷のように冷たかった。
　
　私は、そのまま眠っていたようだ。目が覚めるとヨウコの姿はなく、釣鐘草が畳の上に落ちていた。
　そして、その日を境にヨウコが私の目の前に現れることは二度となかった。

コメント(6)

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[1] mixiユーザー 06月12日 11:31

お母さんのお姉さんが、死んだときの幼い年齢で現れ、お母さんのために動くのですね。文章も読みやすく、すてきな幽霊譚として上手くまとまっていると思いました。

[2] mixiユーザー 06月12日 17:38

みけねこさんの書く小説は、いつも端正で美しいなと感じています。
そして、なんとなくですが、家族というものを見つめて書かれている気がします。

JONYさんのコメントで、ようこの正体は叔母さんだったのか！と初めて気付いたのですが、
でも最後まで誰なのかはっきり明かされない感じがいいなと思いました。霊的なものにも思えるし、イマジナリーフレンドみたいなもののようにも思えるし。
読んでいて、家族の歴史というものの重みを少し感じました。どの家庭にもなにかしらあるんだけど、この小説は、家族のしんどい部分も、なんだか美しく過ぎ去るものとして表現されていて、それはみけねこさんの感性から生まれるものなんだろうな、とぼんやり思いました。

[5] mixiユーザー 06月13日 00:55

霊的な存在と主人公との関係など、既にコメントされている通り、くどくない程度に理解しやすく描かれていると思っています。
タイトルにもなっている釣鐘草…花言葉も西洋風な呼び名カンパニュラでのもの含め、感謝・誠実などの意味合い深く物語全体のテーマを象徴していて良いな～と勝手に思っています。

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